黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

白柴タバサちゃんの常広寺参詣記(生きている山上ろまん)

2020-05-10 16:31:40 | 群馬県・旧勢多郡

お昼近くには、良いお天気になりました

ひめちゃんと獅子丸は、七海ママの昼散歩に付き合います。

晴れたので、午前中室内犬をしていたママも、お外のお部屋でお昼ご飯です

 

 

(新着記事です。)

先日、またもタバサねーちゃんは、お出掛けを主張します。

じゃあ、山上城本丸を目指そうか

 

本丸近道の常広寺に駐車です。

 

雨上がりの朝だったので、倒れたジャーマンアイリスを持っていきます。

やっぱ、本橋院殿の供養塔には、花はありません

本橋院殿は、獅子丸家(獅子丸が7年間養子に行っていた家)のご先祖様です。

そして、この常広寺を開基したそうです。

ちょっと廻りも掃除して、花を飾ります

 

この奥が、山上城本丸への近道です。

実は工事中だったので、18年2月の写真です。

 

石屋さんが、お墓の改装中でした。

「こんにちは

久しぶりだったので、いろいろ話に花が咲きました。

タバサねーちゃんは、よい子で待ってます

そのなかで、「この間、本丸の方から女の人がやって来て、『あ、あったあった 諦めないで良かった』と大喜びして、家臣団の供養塔に行ってましたよ。」という話も出ました

 

振り向くと、この話題の山上氏とその山上家臣団の供養塔があります。

左右に、山上氏家臣団の氏名が刻まれています。

 

実はこの元になったと思われる文書が、常広寺にあります。

この文書は、桐生図書館の専門家の先生の鑑定によって、天保3年(1832)に古文書を写したといっている人物が創作したと判定されています。

大峯派権大僧都、修験者のようですね

 

2018年2月の写真ですけど、石造物を確認しておきましょう。

専門家の先生方に寄れば、「これらの人の名字は、山上近郊に実際にあった名字でしょう。ミドルネームは、実際の当時の人名でしょう。第一、この時代にこんな役職はありませんよ。」ということです。

ちょっと不可解な、山上氏の系図もあります。

不可解な戒名です。

灯籠とかに、一族とか子孫として、たくさんの人名があります

遠くの人達もいます。

人は、ろまんが好きです

 

わざわざやって来た女の人は、子孫か一族でしょうか?

修験者様の法力もさすがです

山上ろまん生きています

 

いろいろ話しているうちにお昼近くになってしまいました。

久しぶりに、和尚さんにご挨拶して帰りましょう。

過日のタケノコのお礼も忘れずに言います。

「よかったら、掘っていってください。」

「ええ、いいんですか

タケノコ大好きおじさんは、竹取の翁になってしまいました

本丸は、また後日にしましょう

 

コメント
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