七海ママは、最近眠っていることが多くなりました。
今日は暖かいので、末っ子のひめちゃん&獅子丸と、そこらまでの昼散歩に出ました
なんとか、子ども達の後に続いて帰ってきました
じつは、昨夜、ママは右の田んぼに落ちたのです
高齢犬のママとパパは、夜散歩にも出ています。
もうためておくことが苦手になっているのです。
昨夜は、夜なのに、白い大きな鳥がいました。
何だろうとみているうちに、ママだけ足を滑らせてしまったのです
人生(犬生)16年、いろいろなことがあります
でも、末っ子たちとお散歩ができてよかったね
清水新沼からの帰りに、いつもとは違う道を選び路地を入りました。
ここで、西鹿田中島遺跡と中島薬師に出会いました。
本来ならば、白柴タバサちゃんの鹿田山漫遊記・番外編といきたいところです。
でも、タバサちゃんがちゃんと写っている写真が2枚だけ
それも、後ろ姿です
どうしよう
地図を見ると、すぐそばを早川が流れています。
そうだ、早川物語番外編だ
というわけで、ときたま早川物語番外編が出現可能性ありです。
(「早川物語」35話は、FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」にあります。)
あ、史跡だ
史跡西鹿田中島遺跡とあります。
こんな所に
畑中というか、住宅地です。
駐車場もちゃんとあります。
桐生市の公園のように、他県ナンバーお断りの表示はありません。
とちぎナンバーの車が一台、サラリーマン風のおじさんが一人いました。
駐車場の奥に、しゃれた建物があります。
ガイダンス施設です。
もちろん閉まってます。
ここの遺跡のパンフもあります。
外に出しておいてほしかった
さあ、遺跡を少し歩いて見ましょう。
縄文時代草創期の遺跡とあります。
定住生活が始まった頃の遺跡ということかな。
ほとんど草原です。
何だろう?
住居にシテは、小さい
タバサちゃんも興味をもってのぞきます。
貯蔵施設のようです。
この左手の奥に早川が流れているようです
お昼を大分まわりました
もう少し木々が茂ったころ、また、来ましょう
地図を確かめると、西鹿田中島遺跡は、なんとあの武井遺跡(桐生市新里町武井)の真東にあります。
そして、距離も1km弱です
この遺跡について、岩宿博物館の『巨大遺跡の謎を追うー武井遺跡発掘60周年ー』(2013)に詳しく出ています。
おおざっぱにまとめると、
武井遺跡は槍先形尖頭器(やりさきがたせんとうき)という、槍の穂先に使う石器が未完成品も含めて大量に出た。
けれども、石の産地からは遠く離れている。
武井遺跡は石器の流通や製作の要になるような、「中継遺跡」と考えられる。
十分関連性が考えられますね
県道に戻ろうとしていくと、おや、また史跡です。
駐車場などなく、路上駐車です。
タバちゃん、車で待機です。
おじさん、邪魔
中島の薬師如来です
馬頭大士や五輪塔もあります。
石仏の薬師様です。
左側のより古そうな薬師様が、笠懸町指定の重要文化財なのです。
戦国時代に、石仏の薬師如来を奉納したのはどんな人達なのでしょう?
ほかに、どこに戦国時代の石仏の薬師如来はあるのでしょうか?
五輪塔群というほどではないけれど、五輪塔も気になります。
ここは戦国時代に、戦場になったかな?
早川を渡って帰りました
早川物語、まだ未完のようです