昨夜は、雷雨になりました。
でも、今朝は、スッキリと晴れました。
影は、まるで魔女サマンサと子ども達といった印象です
ひめちゃんと獅子丸は、今朝も北の方にお散歩です。
今だけの景色、田んぼに逆さ赤城です
田植えの済んだ田んぼが増えています。
それにしても、細い水路が縦横に走り、水を供給しています。
水田は大河だけでは成り立たず、細い水路が必要なのです
鹿田赤城神社から、道路を南に渡ります。
11番・山際の子育て地蔵堂と10番・重制石幢をめざします。
おや、何かあります
屋敷神の稲荷様でしょう。
「永平寺52世」と「生家」の文字が読み取れます
実は、この永平寺52世の生家を探してここらに来た事があります。
『笠懸村誌』(下巻・昭和62年)に「永平寺52世宣峰禅師」があります。
宣峰禅師は、曹洞宗の本山永平寺五十二世をつとめ、勅号を給わった高僧である。江戸中期の延享三年(1746)、鹿田村において、父吉沢五郎右衛門・母とみの三男として生まれた。~中略~禅師は幼名を真三郎といい、粕川村の龍源寺(吉沢家の菩提寺)で得度した後、修行を重ね、関三ヶ寺の一つ、下総の総寧寺の四十世となった。後、江戸幕府の台命により文化五年(1808)十二月二十七日、同寺から本山の永平寺五十二世に就任することになった。
前回は東から来て、路上駐車だったので、ここまで来ませんでした
重制石幢のあたりで納得して帰ってしまったのです。
歩くって大事ですね
この先は、個人のお宅のようです。
永平寺52世の生家確認はここまでです。
隣の山際の子育て地蔵堂と重制石幢(じゅうせいどうしょう)に行きます。
東から回り込みます。
説明板もあります。
室町時代の物ですか
室町時代の六地蔵様にご挨拶です。
暑いよー
日陰においで
木陰はいいねえ
ここはりっぱな石造物がある墓地です。
さすが永平寺52世の故郷です。
子育て地蔵堂にも寄ります。
前回お会いしたかどうか記憶にありません。
でも、合掌
上の道に戻ります。
タバちゃん、待っててね
おかあさんは、車を取りに鹿田神社に戻ります。
暑いけど、もう一ヶ所だけ寄って行きましょう