黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

白柴タバサちゃんの鹿田山漫遊記 5(永平寺52世の生家と山際の重制石幢)

2020-05-29 21:20:13 | 群馬県・東毛

昨夜は、雷雨になりました。

でも、今朝は、スッキリと晴れました。

影は、まるで魔女サマンサと子ども達といった印象です

ひめちゃんと獅子丸は、今朝も北の方にお散歩です。

今だけの景色、田んぼに逆さ赤城です

田植えの済んだ田んぼが増えています。

それにしても、細い水路が縦横に走り、水を供給しています。

水田は大河だけでは成り立たず、細い水路が必要なのです

 

 

 

鹿田赤城神社から、道路を南に渡ります。

11番・山際の子育て地蔵堂と10番・重制石幢をめざします。

おや、何かあります

屋敷神の稲荷様でしょう。

「永平寺52世」と「生家」の文字が読み取れます

実は、この永平寺52世の生家を探してここらに来た事があります。

 

『笠懸村誌』(下巻・昭和62年)に「永平寺52世宣峰禅師」があります。

宣峰禅師は、曹洞宗の本山永平寺五十二世をつとめ、勅号を給わった高僧である。江戸中期の延享三年(1746)、鹿田村において、父吉沢五郎右衛門・母とみの三男として生まれた。~中略~禅師は幼名を真三郎といい、粕川村の龍源寺(吉沢家の菩提寺)で得度した後、修行を重ね、関三ヶ寺の一つ、下総の総寧寺の四十世となった。後、江戸幕府の台命により文化五年(1808)十二月二十七日、同寺から本山の永平寺五十二世に就任することになった。

 

前回は東から来て、路上駐車だったので、ここまで来ませんでした

重制石幢のあたりで納得して帰ってしまったのです。

歩くって大事ですね

この先は、個人のお宅のようです。

永平寺52世の生家確認はここまでです。

 

隣の山際の子育て地蔵堂と重制石幢(じゅうせいどうしょう)に行きます。

 

東から回り込みます。

説明板もあります。

室町時代の物ですか

室町時代の六地蔵様にご挨拶です。

暑いよー

日陰においで

木陰はいいねえ

 

ここはりっぱな石造物がある墓地です。

さすが永平寺52世の故郷です。

 

 

子育て地蔵堂にも寄ります。

前回お会いしたかどうか記憶にありません。

でも、合掌

 

上の道に戻ります。

タバちゃん、待っててね

おかあさんは、車を取りに鹿田神社に戻ります。

暑いけど、もう一ヶ所だけ寄って行きましょう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (3)
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