今日、タバサねーちゃんは、みどり市笠懸町吹上地区のひまわり畑に行ってきました。
ミツバチがいます。
妻沼小島のひまわり畑では、ほとんど見かけませんでした。
あたり一面のひまわりです。
イベントチラシでは、「20万本のひまわり」といってます。
楽しゅうございました
あちこちのカテゴリーに散らばった、上野国山上の行仙上人著『念仏往生伝』関係の記事を、集めて編集中です
比丘尼青蓮の記憶を訪ねた記事は、続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ (goo.ne.jp)にあります。
ちょっと遠いカテゴリー(?)になりますけど、ご容赦下さいませ
9月15日、わが故郷・新田(旧新田郡尾島町)に出かけました。
青蓮寺にも、立ち寄ります。
古いながらも、しっかりした案内板です。
ただ国道354号線は格下げになって、県道142号線です。
地元のはずだけど、まだ行ったことのない所があります
そのうちに行かなくては
懐かしい風景です
でも、いちだんと古めかしくなってます。
日限地蔵尊霊場ですか
後ろに見えるあの方でしょうか?
合掌
懐かしい楼門です
昔、尾島中学校は、この寺のすぐ西にありました
和尚さんも、国語の先生として勤務されていました
仁王様いちだんと劣化が進んでいるようです
天井画がある
天女がいる
楼門の裏の方が劣化がウチバなようです。
さて、本堂に参拝です。
合掌
日限地蔵尊の説明もあります。
多くの人が訪れた時期もあったのです。
本堂の奥は庫裏かな?
自転車があります
以前来た時も、自転車でした。
奥から老人が出てきます。
「こんにちは」
「何かようですか?」
「ここは御朱印でますか?」
「御朱印はやらないんだ。」
「そうですか。あのう、ここに昔K先生という方が居ませんでしたか?」
反応はなく、彼は草むしりを始めました。
あのときの先生は、ご存命ならば90過ぎかな?
和尚さんはちょっと若いかな
でも、自転車しか乗らない世代のようだし
「お邪魔しました。」
やむなく退却です
『念仏往生伝』に記された比丘尼青蓮、彼女は上野国のどこで生まれたか書いてありません。
武蔵国の何処に嫁いだかもわかりません。
でもここは武蔵国に近い上野国新田荘の青蓮寺です。
『念仏往生伝』 第卅八話 比丘尼青蓮 (びくにしょうれん)の確認です。
□は欠字です。
第卅八 比丘尼青蓮
□者上野住人也。後付夫縁。住武蔵国 。世□之隙。常読誦法花経。既満一千部了。夫夭亡後出家。其後五十九歳。自此以後。依善知識勧。一向称名。至七十三齢。夜見光明如日輪。自南方来照。其頂属疑□処。空有声□云。摂取光明。不簡所処云々。其後堅信心。然□不語外人。七十七歳之夏。五月之比始。語舎弟僧并子息尼。従同八月廿八日。老病□催。至九月七日。所悩平癒。粗得尋常。沐浴潔斎。語知識云。仏既来迎。僧問。仏在何方乎。病人指々空。又戌時四方有光明云々。或□指取数。或合掌□額念仏。至八日□時。自起居。取五色糸唱名号。毎声作礼。即十念十礼也。其後念仏三十返。如眠気止。于時建長三年九月八日。
あらすじです。
やがて比丘尼青蓮となる彼女は、上野国の住人でした。
結婚して武蔵国に住みました。
ひまを見付けては、法花経(法華経)を、声に出して読んでいました。
もうそれは一千部にもなりました。
夫が若くして亡くなり、その後出家しました。
その後59歳で、これから以降は善知識のすすめにより、ひたすら称名(しょうみょう)を続けました。
念仏一筋に生きてきた青蓮さんは、73歳になりました。
73歳のある日、光明が太陽のように、南方からやって来て彼女を照らしました。
その頂に何か付いていて、何だろうと思っていると、空から声がしました。
光明を摂取せよ、所に依って区別するな。(全身で受け取れの意?)
彼女はその後ますます信心に努め、この事は人には語りませんでした。
そして4年後、彼女は77歳になります。
比丘尼青蓮は、77歳の夏、初めてこの事を弟の僧と娘の尼に語りました。
そして8月28日から病気になりました。
そして9月7日です。
病気はほぼ良くなりました。
沐浴潔斎し、善知識(導いてくれる僧)に言いました。
「仏が、已に私を迎えに来ています。」
僧は聞きました。
「仏は、どちらにいらっしゃいますか?」
病人は空を指さしました。
また、戌の時(午後8時頃)四方に光明が来ていると指さし、合掌し念仏を唱えました。
8日の□時、自ら起き出して、五色の糸を取り、仏の名を唱え、唱えるたびに仏に礼をしました。
つまり、死に臨んでの念仏10回と礼10回です。
その後も念仏30回唱えました。
眠るように、彼女の息は止まりました。
時に、建長3年(1251)年9月8日の事でした。
青蓮は、仏教では大事なアイテムのようです。
けれども、実際に青い蓮の花は、存在しないようです。
インドで10本まとめて、寺院の参拝客に売っている蓮の花(つぼみ)は、どうも違う蓮のようです。
何度か、蓮の花を売っている光景を目にしたはずですけど、写真がありません(´・_・`)
日本のお寺も多くが、蓮池があったり、大きな鉢で蓮を栽培しています。
阿弥陀仏の手から渡した五色の糸を自分の手に握って死んでいくのは、現存『念仏往生伝』では、ここだけです
このシーンは、永井路子の小説『この世をば』に、藤原道長の臨終シーンにも描かれていました
比丘尼青蓮の臨終について詳しく書いてあるのに、彼女の素性については、簡単な記述に留まってます。
もしかしたら、行仙上人の身近に居た人かもしれません
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