ひめちゃんと獅子丸は、事情があって、七海ママが高齢出産で産んだ子供です。
ママは先月15歳になった双子座の女です。
基本的に元気ですけど、春先に足を痛めてから、ひめちゃんとの遠出は控えています。
でも、そこらへのちい散歩は大好きです
年の割に若く見え、「かわいい(ひめちゃんと)きょうだいですか?」の声を、よくもらいます
平泉の史跡でマイナーな所を、予定度通り廻りました
歩いて平泉駅に向かいます。
実は、徒歩でもそんなに負担にならない距離に、史跡があるのです。
駅前の観光案内所で、時刻表やら観光パンフレットをもらって、「るんるん」を待ちます。
まもなく乗車できて、毛越寺に向かいます
バス停からお寺に向かう途中に、案内板があります。
毛越寺ってこんなにたくさんお堂があったんだ
何回か来ていますけど、あまり意識したことはありませんでした。
拝観料を払い、御朱印をお願いします。
まずは本堂にお参りです。
その後は、浄土庭園の大泉ヶ池の畔を中心に歩きます。
花菖蒲がまだ咲いています
開山堂があります。
毛越寺は慈覚大師円仁(天台宗第三世座主)の開山なのですね。
「天台宗は桓武天皇と結びついて、鎮護国家、天下第一仏教となり、平城京を守ると共に、蝦夷(えぞ)の辺境を鎮め護ることをその至上命題とした。」ともいいます。
慈覚大師円仁は生涯に2度弟子を率いて、北関東から東北に伝導の旅をしました。
1度目は北関東あたりまでといいます。
旧粕川村の東寿寺の建立は此の頃かな?
2度目は、唐から帰朝した後といいます。
この時が、毛越寺の始まりですね。
「坂上田村麻呂の功績により軍事的な支配を治めた(桓武)天皇は、仏教の新しい風を送り込みその徳を以て蝦夷を感化させ、東北経営の安定化を図ろうとした。」(秋保・里センター「磐司磐三郎物語」)のですね。
そうすると、粕川村の東寿寺は毛越寺より古い
少し行くと、嘉祥寺(かしょうじ)跡があります。
嘉祥とは、円仁が開山した時の年号だとあります
すぐ近くに金堂円隆寺跡です。
「つわものどもが夢の跡」です。
また、池の畔に戻ります
何度か来ていますけど、初めて咲いているあやめ(花菖蒲)に逢えました
もう少し早かったら、なお感動的な浄土庭園だったことでしょう。
もみじの青葉もきれいです
いつか紅葉の季節に、ぜひ訪れたいものです
御朱印受付に寄って、御朱印帳を受け取ります
薬師如来がご本尊です。
毛越寺の由来によると、
嘉祥三年(850)慈覚大師円仁が東北巡遊のおり、この地にさしかかると、一面霧に覆われ、一歩も前に進めなくなりました。ふと足元を見ると、地面に転々と白鹿の毛が落ちておりました。大師は不思議に思いその毛をたどると、前方に白鹿がうずくまっておりました。大師が近づくと、白鹿は姿をかき消し、やがてどこからともなく、一人の白髪の老人が現れ、この地に堂宇を建立して霊場にせよと告げました。大師はこの老人こそ薬師如来の化身と感じ、一宇の堂宇を建立し、嘉祥寺と号しました。これが毛越寺のおこりとされます。
毛越寺の「毛」は白鹿の毛だったのですね
初めて知りました
ママは先月15歳になった双子座の女です。
基本的に元気ですけど、春先に足を痛めてから、ひめちゃんとの遠出は控えています。
でも、そこらへのちい散歩は大好きです
年の割に若く見え、「かわいい(ひめちゃんと)きょうだいですか?」の声を、よくもらいます
平泉の史跡でマイナーな所を、予定度通り廻りました
歩いて平泉駅に向かいます。
実は、徒歩でもそんなに負担にならない距離に、史跡があるのです。
駅前の観光案内所で、時刻表やら観光パンフレットをもらって、「るんるん」を待ちます。
まもなく乗車できて、毛越寺に向かいます
バス停からお寺に向かう途中に、案内板があります。
毛越寺ってこんなにたくさんお堂があったんだ
何回か来ていますけど、あまり意識したことはありませんでした。
拝観料を払い、御朱印をお願いします。
まずは本堂にお参りです。
その後は、浄土庭園の大泉ヶ池の畔を中心に歩きます。
花菖蒲がまだ咲いています
開山堂があります。
毛越寺は慈覚大師円仁(天台宗第三世座主)の開山なのですね。
「天台宗は桓武天皇と結びついて、鎮護国家、天下第一仏教となり、平城京を守ると共に、蝦夷(えぞ)の辺境を鎮め護ることをその至上命題とした。」ともいいます。
慈覚大師円仁は生涯に2度弟子を率いて、北関東から東北に伝導の旅をしました。
1度目は北関東あたりまでといいます。
旧粕川村の東寿寺の建立は此の頃かな?
2度目は、唐から帰朝した後といいます。
この時が、毛越寺の始まりですね。
「坂上田村麻呂の功績により軍事的な支配を治めた(桓武)天皇は、仏教の新しい風を送り込みその徳を以て蝦夷を感化させ、東北経営の安定化を図ろうとした。」(秋保・里センター「磐司磐三郎物語」)のですね。
そうすると、粕川村の東寿寺は毛越寺より古い
少し行くと、嘉祥寺(かしょうじ)跡があります。
嘉祥とは、円仁が開山した時の年号だとあります
すぐ近くに金堂円隆寺跡です。
「つわものどもが夢の跡」です。
また、池の畔に戻ります
何度か来ていますけど、初めて咲いているあやめ(花菖蒲)に逢えました
もう少し早かったら、なお感動的な浄土庭園だったことでしょう。
もみじの青葉もきれいです
いつか紅葉の季節に、ぜひ訪れたいものです
御朱印受付に寄って、御朱印帳を受け取ります
薬師如来がご本尊です。
毛越寺の由来によると、
嘉祥三年(850)慈覚大師円仁が東北巡遊のおり、この地にさしかかると、一面霧に覆われ、一歩も前に進めなくなりました。ふと足元を見ると、地面に転々と白鹿の毛が落ちておりました。大師は不思議に思いその毛をたどると、前方に白鹿がうずくまっておりました。大師が近づくと、白鹿は姿をかき消し、やがてどこからともなく、一人の白髪の老人が現れ、この地に堂宇を建立して霊場にせよと告げました。大師はこの老人こそ薬師如来の化身と感じ、一宇の堂宇を建立し、嘉祥寺と号しました。これが毛越寺のおこりとされます。
毛越寺の「毛」は白鹿の毛だったのですね
初めて知りました
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