暖かい朝でした
ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出てお散歩です。
蕨沢川に懸かる2番目の橋、「たくみはし」です。
橋のたもとの石仏、今朝はなんとなく像が浮かんでます。
よくよくみると、文字だけなのですけど。
不思議な石仏です。
橋を渡って、渡って、諏訪神社の西の細道を下ります。
一瞬「小次郎パパか」と思う写真です
親子だから当たり前かも知れないけど。
この道は、危険な道です
冬なのに、田んぼの周りには電気柵が廻らされています
まさか電気は流れてないでしょうけど。
諏訪神社の前を通って帰ります。
鳥居の前で、仲良く情報収集です。
獅子くんは、ひめちゃんに恋の季節を感じていないみたいです
富田の三柱神社の後、日光裏街道(大胡道)32番・正法院へ向かいます。
というか、すぐ前です。
山門脇の駐車場に停車です。
実は、ここには阿弥陀寺という廃寺があったのです
「南勢多郡の廃寺」(平成23 内田憲治 群馬県勢多仏教会)には
阿弥陀寺(西雲山円蔵院―天台宗世良田長楽寺末)
富田町東原甲776番地に存在したが明治初年無住になった。阿弥陀寺の南約400メートルの字宮下757番地に天台宗持地山正法院延命寺が存在したが、天明元年(1781)と天保13年(1842)の火災により堂宇を焼失、本堂が再建されないまま明治維新に至った。そこで当時無住であった阿弥陀寺と正法院を合併移転することが協議され、明治10年(1877)12月に正法院が阿弥陀寺に移転し阿弥陀寺は廃寺になった。後に上武道路建設に伴う発掘調査により正法院は室町時代頃の創建と考えられ、桁行9間、梁行6間の本堂と周囲に環濠を廻らす寺院であることが判明した。
山門を入って、阿弥陀寺の記憶をちょっと探索です
持地山の文字が見えます。
正法院の山号ですね。
かなりクラシック石造物だけど
榛名山がきれいに見えます
本堂の前には、しだれ桜でしょうか?
阿弥陀寺の記憶はありませんね。
おや、古い石造物が集められています
後ろに荒砥史談会のポールが倒れています
ちょっと動かしてみたいけれど、我慢。
この石造物は、たぶん阿弥陀寺の記憶でしょう
合掌
駐車場の南にも、堂宇があります
秘仏のようです。
おや、横の堂宇に金ぴかの仏像です。
杖を持って坊主頭だから、お地蔵様?
古い石造物もあります。
小さいけれど、赤城塔(宝塔)です。
こちらも、赤城塔(宝塔)?
正法院がもともとあった場所は、もっと南のようです。
そうすると、これらも阿弥陀寺の記憶ですね