黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

赤城塔を訪ねて(下植木赤城神社)

2021-02-16 19:33:51 | 群馬県・中毛

晴れました

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

日の光を浴びて、影のあるお散歩は気持ちがいいね

ボクは道草たべたい

獅子くん、いつもの道草スポットを素通りが気に入らん

 

岩神沼に到着です。

 

赤城山の東の峯には、雪があります。

あの向こうの小沼から、粕川が流れ出しているのです。

少しさざ波の立つ岩神沼でした。

さて、アマビエさんの前を通って帰りましょう

 

あれ、獅子丸がどうしても上の沼まで行くと引っ張ります。

じゃあ、廻りましょう

 

上の新沼(しんぬま)に到着です。

粕川が流れ出している小沼の辺りは、やっぱい白い。

粕川は、新里のお隣・旧勢多郡粕川村を流れ、伊勢崎市を流れ、やがて旧佐波郡境町の武士城跡付近で広瀬川に合流します。

今朝はシラサギさんだけです。

アオサギさんの姿はありません。

アオサギさんは、さっき岩神沼の辺りをパトロールしていました。

 

さて、赤目のロウバイをみて帰りましょう

おや、姿がありません。

あれえ、切り倒されています

道ばたで、特に邪魔にもならないと思いますけど

実はこの前通った時、この木の種を拾って帰りました。

芽が出るといいなあ

 

 

 

先日、伊勢崎市下植木(しもうえき)にある赤城神社の赤城塔(宝塔)を訪ねました。

駐車場はなく、路上駐車で、駆け足で参拝です。

村社郡玉明神とあります。

郡玉明神の時代があったのですね。

よくわかりませんけど、かなり古い由緒の神社のようです。

 

社務所前にも、由緒があります。

巨大すぎて、文字が多すぎて、よくわかりません

でも、古代には、桧隈君(ひのくまのきみ)が活躍していたのですね。

桐生とは異なる、織物の起源です

 

社務所の後ろの、あの建物の中に、赤城塔(宝塔)みえます

手前のビニールシートの下は、何か発掘したのかな?

 

ウワー、大きい

 

説明板を確認です。

造立形態はさまざまですが、基礎部の刻銘などにより、法華信仰がうかがえ、北の天増寺にある「天増寺宝塔」(県指定重要文化財)とともに、当時、この地方に法華経にともなう信仰が広がっていたことがわかります。特に、貞治の宝塔の基礎部には、「奉造立植木宮石塔事」として願文とともに、織物と関係の深い秦姓(はたせい)の四名の名を刻んでいること等が特徴です。

 

桐生とは全く異なる「伊勢崎の織物」の起源を、再び確認です

 

赤城塔は、法華信仰との係わりがあるのですね

 

さて、拝殿で参拝です

鮮やかな拝殿です。

鈴を鳴らせないように、工夫してます。

 

生き生きした木鼻の獅子です。

まるまる赤ちゃんの獅子くんみたいだよ

 

 

本殿も鮮やかです。

 

神話の物語かな?

もしかして須佐之男命?

反対側の神様?

ちょっとボケボケになってしまいました。

 

赤城塔といわれる宝塔は、赤城山中の小沼から流れ出す粕川沿岸に分布しているのですね

そして、それは、法華信仰による造立だったのですね

 

赤城塔を訪ねて、あちこち歩いてみましょう

 

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常広坊跡の丘にたちて

2021-02-15 15:38:36 | 群馬県・旧勢多郡

雨の朝です。

しっかり降ってます

 

2月の雨の中、咲いてくれたひめちゃんちの椿です

確か「黄河」だったと思います。

地植えにしてしまいましたけど、寒さが苦手かも知れません。

こちらはお名前知れずです。

でも凜とした雰囲気がありますね。

 

ひめちゃんと獅子丸は、ビンボーカッパで堀之内を北に出ます。

ヤブツバキもきれいに咲いてきました

 

 

 

昨日の朝、ひめちゃんと獅子丸は、諏訪神社の前から、南の丘に登りました。

ここは、戦国時代に、僧・常広(じょうこう)が庵を結んでいたという場所です。

この丘の前に寺が建つ時、彼は人々に慕われていた人徳のあった僧侶ということで、寺名は常広寺と決まったそうです

 

振り返って、諏訪神社とその森、赤城山が見えます。

見晴らし、いいね

気持ちいいね

ロウバイの花も、まだまだきれいです

 

南に降りると、常広寺の内陣の墓地が見えます。

古い時代に常広寺と係わりの深かった家々は、こちらの墓地のようです。

間には深い空堀があります

まあ、あちらは山上城の一角ですから

 

あぜ道歩いて、帰ります

戦国の山城の雰囲気です。

 

あれ、何故かマンホールの蓋

草の実いっぱいの獅子くん、案外ハンサムかも?

 

山上城西の道に出ました。

今日は寄らずに帰るよ。

また今度寄ろうね

 

 

参考までに、久々に、常廣寺縁起です

常廣寺縁起 

本橋院殿寶輪廣與大居士、天正年間に、赤城山天正院常廣寺を開基す。山上城付近にて落命せしあまたの人々の冥福を祈らんが為なり。本橋院殿、俗名は山上郷右衛門顕将(やまかみごうえもんあきまさ)、小田原の利け者の異名を持ちたる戦国武将なり。東上州活動の途次、ここ山上を父祖の地と勘違し、山上に並々ならぬ執着を抱く。戦乱の世静まりて後、父祖の地山上に常廣寺を建立す。寺号は、かつて寺の裏の高台に草庵を結びし僧・常廣にちなむ。常廣は戦乱で失われし人々を弔い、村人にも深く慕われたりといふ。常廣については、委細つまびらかならず。ただ、俗名を牛蒡帯刀(ごぼうたてわき)といふとのみ伝ふ。

本橋院殿、自家の菩提寺として、長安寺を建立す。以来末裔は帰農し、本橋院殿にちなみ改姓す。

常廣寺、順調に世代を重ね、八世覚通呑應大和尚に至る。時に元禄元年九月三日、失火により堂宇を焼失す。開基家をおとない、再びの堂宇建立を願うも、あえなく拒絶さる。八世怒りに燃え、開山・明巌監察大和尚を開基になし、子孫を探さんことを思いいたる。これ、開基常廣院殿明巌監察大居士の誕生なり。

ある夜、八世の夢枕に本橋院殿立つ。
「御房よ、吾は本橋院殿なり。ゆめゆめ吾を忘るることなかれ。将来、京より竜骨を持ちたる商人至る。必ず買うべし。さすれば、堂宇の再建もかなうべし。」
「買いたきはやまやまなれど、先立つものなし。」
「焼けし堂宇の後ろに墳丘あり。そこに幾ばくかの埋蔵金有り。使うべし。」
「ありがたきご教示なり。」

時は過ぎ、九世白彭本明大和尚の正徳四年、本橋院殿の予言通り田中藤左衛門なる近江商人、竜骨を持ちて至る。

竜骨を発見せしは、藤左衛門の先祖・木食屡睡(もくじきろうすい)なり。発見の経緯を記したる木食屡睡の文書、および藤左衛門が京にて皇族・貴族に見せ褒美をもらいし事を記したる證書を添ふ。

当時、竜骨は万病に効く薬とさる。
人々常廣寺に殺到し、五年後、めでたく堂宇の再建かなふ。
田中藤左衛門は中仙道深谷宿にて、銘酒「七ツ梅」の醸造を始むといふ。

常広寺には、二人の常広院殿がいるのです

一人は寺名の由来になった、僧・常広、戒名は常広院殿蒡山帯牛居士です

もう一人は、常広寺三世、常広院殿明鑑監察大和尚です

 

中仙道深谷宿「七ツ梅跡」、どうなったかな?

もう少し世の中が落ち着いたら行ってみましょう

 

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白柴タバサちゃんの「赤堀三界萬霊」訪問記

2021-02-13 14:45:09 | 群馬県・中毛

タバサねーちゃんは、2008年の7月に生まれました。

真夏だったので、きょうだいみんなの血統書名には「海」の文字をいれました。

 

赤堀村道路元標の後、市場町の三界萬霊(さんがいばんれい)に向かいました。

あとで写真を整理してみると、本日のタイトルにあにはからんや、タバサねーちゃんは、1枚だけの登場です。

これはまずい

急遽古い写真から、タバサねーちゃんアーカイブで始めます

タバサのきょうだいは、ねねと小太郎です。

生まれてまもなくは、よく寝てます

一緒にいるのは、小太郎かな?

こちらも小太郎です

 

子犬は耳が立つまで、しばらくかかります。

耳が立ち始めた頃です。

小太郎は、視線が鋭い

 

七海ママは、怒ってます。

怒られている子は、だれかな?

あたちではありません

 

8月の末、みんなで元気に遊びました

隙を見て、ママにおっぱいのおねだり

ママも子供達との時間を楽しんでいます

耳が立つかどうかの生後2ヶ月くらいで、キャベツに豪快に食い付くタバサねーちゃんです

速いもので、タバサねーちゃん、今度お誕生日が来たら13歳です

元気で長生きしてね

 

 

 

「念仏往生伝」に記された、赤堀の往生人はどこに住んでいたのか?

たぶん人の多いところだったのでしょう。

市場町が気になります

 

地図で市場町を眺めると、区民センターに「三界萬霊(さんがいばんれい)」という札所・寺院があります

「行ってみよう」というわけで、赤堀支所から廻ります

山車庫の前に、広い駐車スペースがあります。

廃品回収もここで行われるようです。

地域の中で生き残っているのです。

 

右手にお堂らしき建物があります。

石造物もあります。

僧形の墓石もあります。

タバサねーちゃん、情報収集中です。

 

お堂の東にも山車庫です。

市場町一丁目は、2台の山車があるのでしょう。

 

建物(お堂)には、三界萬霊とあります。

三界萬霊とは、この世の全ての霊を祀っているということでしょうか?

 

向こうの方に石宮が見えます。

山車があって石宮があって、庚申塔があって、僧形の墓石があって、神仏融合している感じです。

 

失礼します

ご本尊は、釈迦牟尼仏でしょうか?

合掌

 

あれ、さっきの庚申をよく見ると、3猿が1名ずつ別の面にいます

初めてです

細い通りなので、ウオーキングの人もけっこう通ります。

 

地元のおばさんらしき人が、タバサねーちゃんに、「かわいいね

「ありがとうございます。あのう、ここにはお寺があったんですか?」

「まだやってるよ。坊さんはよそから呼んでるけど。」

「ええッ、どこのお寺ですか?」

「そこの大林寺だよ。」

「ありがとうございます。」

 

赤堀ベイシアの隣、大林寺も近くでした。

ここは人々の行き交う市場町でしたね。

大林寺、そのうちにまた行ってみましょう

さて、お使いして帰りましょうね

 

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白柴タバサちゃんの「赤堀村道路元標」訪問記

2021-02-12 15:24:59 | 群馬県・中毛

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出ようとしました。

あいにく小学生の黄色い帽子の集団に遭遇してしまいました

急遽、脇道に避難して、天神田を歩きます

 

ひめちゃんは、突然道ばたのアブラナに飛び込みます。

ムシャムシャ、真剣に食べてます

獅子丸も以下同文です

アブラナに花芽が上がってきています

 

赤城山も穏やかな朝でした

 

 

 

 

タバサねーちゃんは、元気にどこに向かったのでしょう?

 

野の六地蔵幢から、車で10分足らずで、次の目的地です。

家形埴輪のレプリカが、はめ込まれています。

ここは、この家形埴輪が出土した赤堀です。

(伊勢崎市)赤堀支所にちょっと駐車です。

 

この交差点を向こうから渡りました。

信号の真下に、目指すそれはありました

 

佐波郡赤堀村道路元標(さわぐんあかぼりむらどうろがんぴょう)です

かつては、この道路元標までが赤堀までの距離、赤堀からの距離は道標元標からの距離だったのです。

 

元はこの元標はここから9m北にあったのですね。

ちょうど役場の入り口辺りかな?

町の中心というか、にぎわったところだったのでしょう。

 

伊勢崎、前橋の文字が見えます。

高崎、東京(?)の文字が見えます。

仲良く並んで、新旧の道標元標です。

暖かくいいお天気で、気持ちいいね

 

今、FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」で「念仏往生伝」を解読中です。

「念仏往生伝」は、鎌倉時代唯一の現存する往生伝で、しかも上野国山上という辺境の地で著された往生伝なのです

その中に、上野国赤堀で念仏往生伝した人の話があります。

はて、彼らは赤堀の何処に住んでいたのか?

たぶん人の集まるにぎやかな所の一角ではなかったか

時代は下がるけれども、その候補として、道標元標の辺りも確認してみました

 

これから、もう一ヶ所、「念仏往生伝」の記憶を求めて、(赤堀市場町)三界萬霊に向かいます

 

 

(追伸)

これだけでは、ちょっと物足りないので、本日、旧大間々町と旧新里村の道路元標も確認してきました

 

お隣・大間々町の道路元標は、大間々博物館(コノドント館)そばの信号脇にあります。

大間々からの距離は、この道標元標からの距離だったのです

 

 

ひめちゃんちのある、新里村の道路元標です。

役場前(新里支所前)に、なんと山上多重の塔のレプリカ隣にありました

ミニミニの神橋もあって、新しいパワースポットの創作かな?

後ろに、昭和13年1月とあります。

新里からの距離は、この道標元標からの距離だったのです。

村民になって久しいですけど、初めてここを訪れました

山上多重の塔のレプリカは、文字も再現されているんですね

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白柴タバサちゃんの「野の六地蔵幢」訪問記

2021-02-11 15:01:52 | 南勢多郡の廃寺

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

今朝の赤城山は、吹雪いています

 

岩神沼に着いても、赤城山がまだその姿を現しません

さざ波が立ってます

 

ひめちゃんたちは、さらに奥の新沼に寄ります。

いつものシラサギとアオサギがいます。

こちらも、今朝は、さざ波が立ってます

この2羽は、いつも微妙な距離を保ってます。

自然界の掟なのかな?

 

帰り道は、大分気温も上がってきました

ひめちゃんは、良い子でハーネスを外してもらうのを待ってます

 

 

 

先日、暖かく風のない日がありました。

タバサねーちゃんは、「お出掛けしようよ」と催促です。

じゃあ、ちょっとお使いついでにお出掛けしよう

 

前々から気になっていた「野の六地蔵幢」に行ってみよう

野の信号をまっすぐ南に下ります。

 

前は表示があったような気がしますけど、表示らしきものは目に入りませんでした

でも、ストリートビュー確認してありました。

隣の市立福祉センター駐車場に、ちょっと失礼します。

 

細い路地を入ります。

あれ、凝灰岩石仏かな?

かなり古めの五輪塔もあります。

うーん、何様だろう

右手には、女人供養とあります。

赤ちゃんを抱いています。

もしかして出産で母子ともに亡くなった?

合掌

 

 

すぐ後ろに、六地蔵幢です。

思わず「うわーすごい」の声が、上がります

まず、合掌

ためつすがめつ眺めます

線刻なのですね

 

東側には、1体のお地蔵様です。

まだ、お姿はっきりしています

 

北側には2体です。

 

西側には1体、少し劣化してるかな?

西日って、案外強いものなのでしょう。

 

南正面のお二人です。

けっこうはっきりしています

 

どうしてこんなにすばらしい六地蔵幢が存在するのでしょう?

 

説明板もなく、新里村指定重要文化財のポールだけです。

桐生市のHPをあけると、なんと桐生市指定重要文化財のなかにありました

此岸(しがん=現世)から、三途の河を渡った時に、すべての人は現世の行いによって閻魔大王に裁かれるといいます。そして、その行く先は、六つの世界に振り分けられるのです。つまり、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人道・天道の世界で、良い行いをした人だけが彼岸(河の向こう岸で悟りの境地が得られる世界)に行くことができるといいます。

六つの世界の、各々の道にいて救い導いてくれるのが六地蔵なのです。そのために墓地の入り口などに建てられることが多いのです。六地蔵幢は、鎌倉時代に中国から伝わりました。

六地蔵幢は、基壇・基礎・幢身・笠・露盤・宝珠の順に建立され、高さ1.82mあります。

安山岩製で、幢身の東西に1体ずつ、南北に2体ずつ計6体の地蔵が線刻されています。笠石は、六地蔵を意識して六角形に作られています。

 

ここの六地蔵幢は、鎌倉時代のものなのかなあ?

肝心なことが書いてありません

 

ここは墓地の一角です。

もしかしたら、お寺があったかもしれませんね。

(新里町)野に観音寺という廃寺があったそうですけど、全く資料がありません。

向こうに見えるのは、桐生市新里のゴミ処理場です。

 

久々のお出掛け、気持ちが弾みました

 

さて、次へ行きましょう

次は何処にいくのかな?

 

 

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