「成瀬平馬家屋敷跡」発掘調査、気になる…

2020-12-20 01:04:04 | つれづれ思うまま
こんな時期でなければ、説明会が催されていたはず、
 
午前中、私的用事で通りかかったら、あれま、中止!
しかし、午後出直せばチャンスはあるかもと思いなおす。

この場所『成瀬平馬家長屋門(なるせへいまけながやもん)』は、
私的にとても気になる場所でした…
ここの隣にあるラフォーレビル、実は遠~い昔、「白鳳幼稚園」だった。
ワタシは、〇十年前ここに通っていた。(ややこしいのではっきり言えば60年)
たしかこの辺り「日通(日本通運ね)」のトラック車庫もあった記憶が…ボンヤリ

ここに(長屋門跡)立つと、、、
昔、ハハは(組紐関連の)内職をしており、ここで材料など仕入れていたなぁ…
なんて幼いころの風景が蘇るのです。
その頃たしかここに、数軒の家は建っていた!(はず)
 (ソッと覗いた…)

午後(15:50頃)、再びここを訪問。
普段閉じている長屋門が開いており、中に入ると職員さんがおられます。
これは、お話を聞けるチャンス…
長屋門の裏

職員さんが対応してくださり(実は、お顔見知りの方だった(笑))、

過去話などしていたら、
「ここは、ひとむかし前は染物屋さんだったはず、きっとその頃の記憶でしょう」
※ひと昔=明治、大正、昭和のころ

本来、ここにはお城からつながる立派な武家屋敷が建っていた!という「調査跡」を見せてもらいました…
 かまど跡
(黄色味を帯びた粘土が見えます)
   昔の瓦も

 50㎝掘り起こし跡

「成瀬平馬家長屋門」(伊賀市指定有形文化財)パンフレット
 表面

 中面

当日頂いた「埋蔵文化財ニュース」
 

 

嘉永7年 上野城下町絵図(拡大版)
 (福井健二著「上野城と城下町」)

本来は、隣のビルと合体した面積を持つ武家屋敷だった、
伊賀上野で一二を争う上級武士だったようです。
が、
明治期以降、諸改革により平馬さん自身が「長屋門」で生活されていたとか…

タイムマシンに乗って、そっと覗いてみたい気がします(笑)。
(タイムマシン ナンテ イマドキノヒトニ ワカルカナ)


2020/12/20 追記
そうそう、思い出しました。
ずっと奥に見える盛り土は、前面の調査が終わったら埋め戻され、
後方の調査(線路に近いところ)に入る予定とのこと、
何が出現するのでしょうね…
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする