あるところに潔癖症の男がいた。
男の潔癖症は徹底していて、電車に乗っても吊り革を持つことなど決してないし、外食の時は必ず自分専用のフォークとナイフを持参した。
もちろん人と握手を交わすというようなこともなかった。
男の潔癖症は誰からも理解されるものではなかったが、それも男には一向に構わないことだった。
不潔な輩に係わり合いを持つ気など男には端からなかったのだ。
そんな男が流行り病にかかった。
病院に行けば治る程度のものであったが、病原菌のゴミ捨て場である病院になど男は何があっても近寄りたくはなかった。
そして男はあっさりと死んでしまった。
だがどうしたものか、気がつくと男はどこかの道の真ん中に立っていた。
その道はどこまでも果てしなく続いているようであったが、不思議なことに前に進むことも立ち止まることも出来るというのに、なぜか後戻りすることは出来なかった。
なのでとりあえず男は前に進んでみることにした。
山を超え、谷を超え、川を超え、七日と七晩ひたすら男は歩き続けた。
道端でしゃがみこんでいる者もいれば、男をさっさと追い抜いていく者もいた。
共通するのは誰しも無言であったことだ。
彼に話し掛ける者もなければ、彼が話し掛けようと思う者もまたいなかった。
やがて男は道が二股に分かれるところにやってきた。
一方は光が降り注ぐ丘へと続く道で、しかしその手前には門と扉があって誰もがそちらに進めるというわけではなかった。
もう一方の道には門などなかったが、その先は暗く、荒れ果てた大地で、見る者に寒々とした思いを抱かせるものだった。
道の分かれには一本の木が生えていて、その木に寄り添うように一人の老人が立っていた。
老人は道行く者の一人一人に丘と荒地のどちらに進むべきか指し示し、荒地に進むようにといわれた者は皆さめざめと泣いていたが、しかし不思議と老人の言葉に歯向かう者はなかった。
やがて男の順番がやってきた。
老人はしばらくの間、男を値踏みするかのように見ていたが、やがて重々しく口を開いた。
「ふむ、そなたは極度の潔癖症ではあるものの、生きている間、誰かを泣かせたこともなければ、騙したこともないようじゃ。よかろう、天国に続く道へ進むことを許そう。自らの手でその扉を開け、天国へと向かうがよい!」
老人の言葉に男は一瞬困惑したような表情を浮かべ、すぐにこう答えた。
「申し訳ないが、ご老人、誰がさわったかもわからない扉に触れるぐらいなら、いっそ地獄に落ちた方がマシというものです」
それだけのことをいうと男は躊躇する様子もなく地獄へと向かう亡者の群れに加わった。
ただ一人、あっけに取られる老人を後に残して。
男の潔癖症は徹底していて、電車に乗っても吊り革を持つことなど決してないし、外食の時は必ず自分専用のフォークとナイフを持参した。
もちろん人と握手を交わすというようなこともなかった。
男の潔癖症は誰からも理解されるものではなかったが、それも男には一向に構わないことだった。
不潔な輩に係わり合いを持つ気など男には端からなかったのだ。
そんな男が流行り病にかかった。
病院に行けば治る程度のものであったが、病原菌のゴミ捨て場である病院になど男は何があっても近寄りたくはなかった。
そして男はあっさりと死んでしまった。
だがどうしたものか、気がつくと男はどこかの道の真ん中に立っていた。
その道はどこまでも果てしなく続いているようであったが、不思議なことに前に進むことも立ち止まることも出来るというのに、なぜか後戻りすることは出来なかった。
なのでとりあえず男は前に進んでみることにした。
山を超え、谷を超え、川を超え、七日と七晩ひたすら男は歩き続けた。
道端でしゃがみこんでいる者もいれば、男をさっさと追い抜いていく者もいた。
共通するのは誰しも無言であったことだ。
彼に話し掛ける者もなければ、彼が話し掛けようと思う者もまたいなかった。
やがて男は道が二股に分かれるところにやってきた。
一方は光が降り注ぐ丘へと続く道で、しかしその手前には門と扉があって誰もがそちらに進めるというわけではなかった。
もう一方の道には門などなかったが、その先は暗く、荒れ果てた大地で、見る者に寒々とした思いを抱かせるものだった。
道の分かれには一本の木が生えていて、その木に寄り添うように一人の老人が立っていた。
老人は道行く者の一人一人に丘と荒地のどちらに進むべきか指し示し、荒地に進むようにといわれた者は皆さめざめと泣いていたが、しかし不思議と老人の言葉に歯向かう者はなかった。
やがて男の順番がやってきた。
老人はしばらくの間、男を値踏みするかのように見ていたが、やがて重々しく口を開いた。
「ふむ、そなたは極度の潔癖症ではあるものの、生きている間、誰かを泣かせたこともなければ、騙したこともないようじゃ。よかろう、天国に続く道へ進むことを許そう。自らの手でその扉を開け、天国へと向かうがよい!」
老人の言葉に男は一瞬困惑したような表情を浮かべ、すぐにこう答えた。
「申し訳ないが、ご老人、誰がさわったかもわからない扉に触れるぐらいなら、いっそ地獄に落ちた方がマシというものです」
それだけのことをいうと男は躊躇する様子もなく地獄へと向かう亡者の群れに加わった。
ただ一人、あっけに取られる老人を後に残して。