この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

亡国のイージス。

2005-07-30 23:59:42 | 新作映画
映画『亡国のイージス』を観に行ってきました。

まず一つ言っておきたいのは、ようやくこれで日本もハリウッドに追いついた、ってことでしょうか。
これまでにもハリウッド大作並!という謳い文句の邦画は多々ありました。
近作でいえば同じ福井晴敏原作の『ローレライ』。
しかしそれらは残念ながら失笑ものでしかありませんでした。
ハリウッドティストではあってもハリウッド超大作に比べるとどうしてもチープさは拭いきれない感がありました。
この『亡国のイージス』にしても総予算額は十二億円、金額だけ比べるとまだまだハリウッド大作とは一桁違います。
しかし、初めてじゃないでしょうか、CGや特撮技術、セットなどで興奮で出来た邦画って。(少なくとも自分は初めてでした。)

個人的に観る前に一番興味があったのはあれだけ長大な原作をどう二時間(正確には二時間二十分)にまとめるのか、でした。
原作を未読の方にいっておくと、原作の『亡国のイージス』はハードカバーでは650ページにも及ぶ長編です。
まともに映像化してたら十二時間あっても足りないような気がします。
しかしそこらへんもきっちりと映画はまとめていて、感心しました。
端折るところは端折り、押さえるところは押さえる、よく出来た脚本で、その点については合格点を与えてよい、と思いました。

出演陣もまずベストといってよいキャスティングでした。
主役の専任伍長・仙石を演じた真田広之は原作とは明らかにイメージが違いましたが、これは映画である以上やむをえないところでしょう。
その真田を始め、寺尾聡、佐藤浩市、中井貴一とオッサン萌えする人にはたまらない俳優ばかりだったのではないでしょうか。
一つ難をあげれば、如月役の勝地涼がもう一つオーラの放ってなかったような気がするのですが、如月自身が脇役となっている映画ではそれも仕方ないのかもしれません。

映画『亡国のイージス』に関してはそんなところです。
本作が邦画の最終的な到達点ではなく、新たなる出発点となることを願ってやみません。
コメント (11)
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