九月三十日現在、劇場で38本の映画を観ています。このままのペースで行くと一年間で50本ちょっと観ることになるのかな。
一年間で映画を50本観る、というと周りの人に大抵驚かれます。
うわっ、スゴイですね~、映画が好きなんですね~、みたいな感じで。
いや、そんな映画好き、ってわけでもないんですけどね。他にやることがなくて観に行ってるだけで。
しかしながらインターネットの世界には、年間50本映画を観る自分からしても、どーやって映画を観る時間を捻り出してるんだろうと不思議に思える、一年間の鑑賞数が200本、300本という、まさしくモンスター級の映画レビューブログも珍しくありません。
さて、つい先日のこと、とある超人気映画レビューブログで、こんなコメントがつけられていました。
>映画ばかりのようですが、旅行とか飲み会とか行かないのですか?
>楽しいですよ。
このコメントをつけた人は、あまりの鑑賞数の多さに、このブログの管理人さんが余暇を映画の鑑賞以外に費やしていない、そう思ったのでしょうね。
それは事実ではないのですが、そう思ったとしても無理からぬことだと自分は思いました(それほど圧倒的な多さの鑑賞数なので)。
そしてそのコメントに対する管理人さんのレスがこう。
>ブログに書いてる事しかしていないとでも?
>まーたお得意の脳内妄想?
>ああなるほど、映画をたくさん観た程度の事で、飲み会や旅行に行けなくなる様な生き方なんですね貴方は。
>そして貴方にとっては飲み会や旅行が、真っ先に例に挙げるほどの最大の楽しみなんですか。そうですか。
>それはそれは。
きっついレスをするもんだなぁ。
そんなきついレスを返さなければならない、悪意のあるコメントには思えないのだけれど。管理人さんに何かあったのかな?
そんなふうに思いました。
そう思ったのは自分だけではないようで、管理人さんのレスに、感情的なコメントをされていますが、何かあったのですか?と心配してコメントをつける人がいました。
そのコメントに対して、管理人さんのレスはありませんでした。
あったのは、集中砲火の如く、そのコメントを叩くコメントだけ。
やれ、映画のレビューなんだから映画の記事ばかりなのは当たり前だ、とか、映画鑑賞をバカにした様な無礼な書き方してるから、反論してるだけだろう、とか、頭の悪いツッコミをするな、とか、さらに挙句の果てに「お馬鹿さん」呼ばわり・・・。
ちょっとひどいな、と思いました。
最初のコメントと、それに対する管理人さんのレスだけで終われば、この記事は書きませんでした。
単純にそのブログをお気に入りから外し、以後訪問しないという選択をしたでしょう。
しかし、その後のやり取りは見過ごす気になれませんでした。
管理人さんのレスを単なる毒舌、と書いてる人もいましたが、それは違うと思います。
毒舌というのはわかりやすい例でいうと毒蝮三太夫だし、フーテンの寅さんなんですよ。
きつい言い方に思えて、根底にあるのは相手を思いやる心。
管理人さんのレスはただの暴言でしかないと思います。
確かにブログを長くやっていれば相手にしたくないコメントというのはままあります。
自分もしばらく前のことですが、学歴を詐称してるのでは?という粘着質な荒らしにつきまとわれたことがありました。
しかし、相手にしたくないコメントは相手にしなければいいだけの話であって、相手にしたくないコメントに対し、暴言を吐いてよいという権利は誰も有さない、と思います。
自分がこの記事を書いたのは、何もそのブログを非難したかったからとか、そういうわけではなくて、管理人さんのレスに対して、何かあったですか?と思いやるコメントをつけた人に、あなたは正しいことをしたのですよ、そう伝えたかったからです。
そして出来たらその人と仲良くなれたらな、と思ったのです。
それは難しいでしょうけどね。
一年間で映画を50本観る、というと周りの人に大抵驚かれます。
うわっ、スゴイですね~、映画が好きなんですね~、みたいな感じで。
いや、そんな映画好き、ってわけでもないんですけどね。他にやることがなくて観に行ってるだけで。
しかしながらインターネットの世界には、年間50本映画を観る自分からしても、どーやって映画を観る時間を捻り出してるんだろうと不思議に思える、一年間の鑑賞数が200本、300本という、まさしくモンスター級の映画レビューブログも珍しくありません。
さて、つい先日のこと、とある超人気映画レビューブログで、こんなコメントがつけられていました。
>映画ばかりのようですが、旅行とか飲み会とか行かないのですか?
>楽しいですよ。
このコメントをつけた人は、あまりの鑑賞数の多さに、このブログの管理人さんが余暇を映画の鑑賞以外に費やしていない、そう思ったのでしょうね。
それは事実ではないのですが、そう思ったとしても無理からぬことだと自分は思いました(それほど圧倒的な多さの鑑賞数なので)。
そしてそのコメントに対する管理人さんのレスがこう。
>ブログに書いてる事しかしていないとでも?
>まーたお得意の脳内妄想?
>ああなるほど、映画をたくさん観た程度の事で、飲み会や旅行に行けなくなる様な生き方なんですね貴方は。
>そして貴方にとっては飲み会や旅行が、真っ先に例に挙げるほどの最大の楽しみなんですか。そうですか。
>それはそれは。
きっついレスをするもんだなぁ。
そんなきついレスを返さなければならない、悪意のあるコメントには思えないのだけれど。管理人さんに何かあったのかな?
そんなふうに思いました。
そう思ったのは自分だけではないようで、管理人さんのレスに、感情的なコメントをされていますが、何かあったのですか?と心配してコメントをつける人がいました。
そのコメントに対して、管理人さんのレスはありませんでした。
あったのは、集中砲火の如く、そのコメントを叩くコメントだけ。
やれ、映画のレビューなんだから映画の記事ばかりなのは当たり前だ、とか、映画鑑賞をバカにした様な無礼な書き方してるから、反論してるだけだろう、とか、頭の悪いツッコミをするな、とか、さらに挙句の果てに「お馬鹿さん」呼ばわり・・・。
ちょっとひどいな、と思いました。
最初のコメントと、それに対する管理人さんのレスだけで終われば、この記事は書きませんでした。
単純にそのブログをお気に入りから外し、以後訪問しないという選択をしたでしょう。
しかし、その後のやり取りは見過ごす気になれませんでした。
管理人さんのレスを単なる毒舌、と書いてる人もいましたが、それは違うと思います。
毒舌というのはわかりやすい例でいうと毒蝮三太夫だし、フーテンの寅さんなんですよ。
きつい言い方に思えて、根底にあるのは相手を思いやる心。
管理人さんのレスはただの暴言でしかないと思います。
確かにブログを長くやっていれば相手にしたくないコメントというのはままあります。
自分もしばらく前のことですが、学歴を詐称してるのでは?という粘着質な荒らしにつきまとわれたことがありました。
しかし、相手にしたくないコメントは相手にしなければいいだけの話であって、相手にしたくないコメントに対し、暴言を吐いてよいという権利は誰も有さない、と思います。
自分がこの記事を書いたのは、何もそのブログを非難したかったからとか、そういうわけではなくて、管理人さんのレスに対して、何かあったですか?と思いやるコメントをつけた人に、あなたは正しいことをしたのですよ、そう伝えたかったからです。
そして出来たらその人と仲良くなれたらな、と思ったのです。
それは難しいでしょうけどね。