辻村深月著、『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ』、読了。
実の母親を殺し、姿を消した幼馴染の行方を追うヒロイン。
そのへヴィそうな内容に、読み出すのにずいぶん時間が掛かってしまったけれど、読み始めるとイッキ読みだった。
やっぱり辻村深月は若手作家の中では最も文章巧者の一人だし、抜群のストーリーテラーでもあると思う。
デビュー作『冷たい校舎の時は止まる』から長く十代の読者向けの作品を発表し続けてきた感のある作者ではあるが、近作では年齢層をぐっと引き上げ、二十代後半から三十代の読者を意識して作品を書いているように思える。
それは作者自身が年齢を重ねたからかもしれないし、それ以外の理由があるのかもしれないが、些か寂しいものがある。
理由は単純で、個人的にツボだったのが、『冷たい~』を含め、十代の読者に向けた、十代の若者が主人公の作品だったからだ。
『冷たい~』はやはり登場人物が高校生だから成り立つお話であり、主人公が三十路だったら到底成り立たないだろう。
とはいえ、どれほど読者の年齢層を移行させたとしても、自分は辻村深月の作品を追い続けるに違いない。
何故なら結局『冷たい~』も本作『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ』も作品の根底に流れるものは同じだからである。
それは何かというと一言でいえば友情だ。
『冷たい~』は青春真っ只中の高校生たちの友情を描いたお話であり、本作はかって青春時代に友情を築いた女性二人のお話である。
恥ずかしながら自分は誰とも友情を築けなかった。長く続くものと信じたそれはもうどこにもない。
だからだろうか、友情を愚直なまでに真正面から(しかも自分好みのミステリ仕立てで)描こうとする、辻村深月には泣かされる。
本作においても、主人公みずほの最後の台詞には泣かされてしまった。
誰しもお薦めという作品ではない。
登場人物の行動すべてに共感出来るというわけでもない。
展開にややご都合主義なところもある。
だが、結末に待ち受ける優しさは、ここ最近読んだ本の中では頭一つ抜けている。
かつて青春時代に育んだ掛け替えのない友情、それを懐かしく思う者には必読の一作だと思う。
実の母親を殺し、姿を消した幼馴染の行方を追うヒロイン。
そのへヴィそうな内容に、読み出すのにずいぶん時間が掛かってしまったけれど、読み始めるとイッキ読みだった。
やっぱり辻村深月は若手作家の中では最も文章巧者の一人だし、抜群のストーリーテラーでもあると思う。
デビュー作『冷たい校舎の時は止まる』から長く十代の読者向けの作品を発表し続けてきた感のある作者ではあるが、近作では年齢層をぐっと引き上げ、二十代後半から三十代の読者を意識して作品を書いているように思える。
それは作者自身が年齢を重ねたからかもしれないし、それ以外の理由があるのかもしれないが、些か寂しいものがある。
理由は単純で、個人的にツボだったのが、『冷たい~』を含め、十代の読者に向けた、十代の若者が主人公の作品だったからだ。
『冷たい~』はやはり登場人物が高校生だから成り立つお話であり、主人公が三十路だったら到底成り立たないだろう。
とはいえ、どれほど読者の年齢層を移行させたとしても、自分は辻村深月の作品を追い続けるに違いない。
何故なら結局『冷たい~』も本作『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ』も作品の根底に流れるものは同じだからである。
それは何かというと一言でいえば友情だ。
『冷たい~』は青春真っ只中の高校生たちの友情を描いたお話であり、本作はかって青春時代に友情を築いた女性二人のお話である。
恥ずかしながら自分は誰とも友情を築けなかった。長く続くものと信じたそれはもうどこにもない。
だからだろうか、友情を愚直なまでに真正面から(しかも自分好みのミステリ仕立てで)描こうとする、辻村深月には泣かされる。
本作においても、主人公みずほの最後の台詞には泣かされてしまった。
誰しもお薦めという作品ではない。
登場人物の行動すべてに共感出来るというわけでもない。
展開にややご都合主義なところもある。
だが、結末に待ち受ける優しさは、ここ最近読んだ本の中では頭一つ抜けている。
かつて青春時代に育んだ掛け替えのない友情、それを懐かしく思う者には必読の一作だと思う。