この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

飲酒運転をなくすために。

2010-08-25 23:47:05 | 戯言
 海の中道大橋で飲酒運転の事故により三人の子供の命が奪われて今日でちょうど四年になる。
 あれだけ悲惨な事故が起こったにも関わらず、福岡では今年上半期の飲酒運転事故の件数が全国ワーストなのだそうだ。
 福岡県人はどんだけ飲酒運転が好きやねん!といいたくなる。

 さて、飲酒運転をなくすことは簡単だ。
 ここで重要なのは酒を飲む側ではなく、飲まない側の決意であり、覚悟だということだ。
 なぜなら酒を飲む人間に何を言っても無駄だからだ。
 酒を飲むということは、理性をなくすということであり、理性をなくした人間に、車を運転してはいけませんよ、などと正論を説いたところで時間の無駄でしかない。

 飲酒運転をなくすには単純に各車にアルコールチェッカーを導入し、運転手の呼気からアルコールが検出されたらその車が動かないようにすればいい。それだけの話だ。
 
 だが言うまでもなくそのような装置を導入すれば、一台につき、一万円か二万円の費用が掛かる(価格は装置の精度と普及度によるだろう)。
 そしたら、酒を飲まない人間の多くはこう言うだろう。
 何故酒を飲まない自分たちが飲酒運転を無くすためにそのような余計な負担をしなければいけないのか、と。

 つまり彼らは本気で本気で飲酒運転をなくそうなどとこれっぽっちも思ってないってことだ。
 もし身近な人間を飲酒運転による事故で亡くしていたらそんなことは言わないだろうから。

 飲酒運転をなくすのは簡単だと書いたが、同時に飲酒運転は永遠になくならないだろうな、とも思う。
 飲酒運転は結局、飲酒をする人間の問題ではなく、社会全体の成熟度の問題なのだ。
コメント (5)
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