この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

『エンジェル・ウォーズ』、汝、心の翼を広げて飛べ。

2011-04-17 15:43:50 | 新作映画
 ザック・スナイダー監督、『エンジェル・ウォーズ』、4/17、ワーナー・マイカル・シネマズ筑紫野にて鑑賞。2011年13本目。


 人は、誰しも現実世界とは別に心の中に空想世界を持つ(持たない、という人がいれば、その人はよほど現実世界で恵まれているのだろう)。
 そこでは、いじめられっ子はいじめっ子に、運動音痴は運動神経抜群に、冴えない主婦はセレブに、貧乏人は大金持ちに、ブサイクはイケメンになる。
 そりゃそうだろう、現実世界でいじめられている子供が、何も好き好んで空想世界でまでいじめられることはない。

 本作の主人公ベイビードールは現実世界においてはどこまでも無力な女の子だ。
 愛する母親は死に、妹は義理の父親に殺され、彼女自身も精神病院に入院させられ、五日後にはロボトミー手術を受けさせられることになっている。

 だが、空想世界での彼女は決して無力ではない。
 日本刀で自分の身長の倍はある鬼武者をぶった斬り、仲間たちと醜悪なナチのゾンビ兵をマシンガンで蹴散らし、強大なドラゴンにとどめを刺し、未来世界でロボット兵をぶっ飛ばす。
 まさに無敵だ。
 しかし言うまでもなく、この無敵さは彼女の現実世界での無力さの裏返しである。
  
 現実世界の彼女は仲間たちと精神病院を抜け出す計画を立て、実行に移す。が、その様子が作中具体的に描かれることはない。
 そのミッションの困難さだけが抽出され、空想世界での敵となり、あるときは鬼武者、あるときはナチのゾンビ兵、またあるときはドラゴンへと姿を変えるのだ。

 本作のミクシィのレビューにざっと目を通したが、観た者のほとんどはこれといったメッセージ性を感じ取らなかったようだ。
 多くの人が本作を監督のザック・スナイダーの妄想と自己満足と趣味が炸裂しただけの金のかかったB級アクション映画と評価している。
 そして自分の知る限り、スナイダー自身特にこれといって何も主張していない。

 しかし、自分は本作から「空想することの意義、大切さ」というメッセージを確かに受け取った。
 もし空想するという行為が、空想世界だけで完結してしまうのであれば、その行為にどれほどの意味があるというのだろう。
 無意味と言っていいのではないか。
 空想するという行為は本当に無意味なのか?

 ベイビードールは本作の最後の最後に、一つの選択を下す。
 その選択は彼女自身にとっても痛みを伴うものであり、もし彼女が、空想世界において苛烈な戦いを経験し、多くの敵を倒していなければ決して選べなかったものだと思う。

 過大評価かもしれないが、スナイダーは、もしかしたら、空想世界で為しえたことや得た力が、現実世界に影響を及ぼすこともある、と言いたかったのではないか。
 少なくとも自分は本作を観てそう感じ取った。 
 
 果たして彼女は空想世界ですべての敵を討ち果たすことが出来るのか?
 言い換えれ彼女は現実世界で自由を勝ち取ることが出来るのか?
 興味がある方は是非その目で結末を確認して欲しい。

 お気に入り度は★★★★、お薦め度は★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。 
コメント
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