百田尚樹の『影法師』を読み終わりました。
読む機会を与えてくれた友人に感謝。
身分を越えて友情をはぐくんだ二人の武士の、栄達と没落の物語。
もし今誰かから、お薦めの時代小説は何かないかと聞かれたら、自分は迷うことなく本書を薦めます。そしてまた、感動する小説を教えてくれといわれても、やっぱり本書を推します。
だから、そういった小説を求めているって人は、この先の文章を読まずに、明日の朝、一番に本屋へと駆け込み、レジで「百田尚樹の『影法師』はありますか!?」って尋ねてください。もちろん、今夜これから二十四時間営業の本屋に行かれても結構ですが。
さて、ここからが本題です。
本書は自信を持ってお薦め出来る一冊ではあるのですが、個人的にはそこまで感動は出来ませんでした。
こういった乖離はままあります。
世間的に爆発的に売れている漫画をあまり面白いとは思えなかったり、逆に世間的にはあまり評判がいいとは言えない映画がツボだったり。
まぁおそらく他人様と経絡秘孔の位置がズレているのでしょう。あべし。
なので、自分が本書を読んで気になった箇所もほとんどの人は気にならないんじゃないかと思います。先に言っておきますが、うわ~、そんな細かいところが気になんのかよ、といって石を投げないよーに!!傷つきやすい年頃なんだから♪(おぃ)
自分が最初に気になったところ、、、というか終盤になって真相が明かされ、え、それはないんじゃないかと思ったところは、勘一と彦四郎が上意討ちを果たす場面です。
上意討ちの相手二人を勘一一人が成敗したように見えて、実は彦四郎が勘一に手柄を譲ったことが物語の終盤、大老となった勘一の元を訪れた島貫という老人の口から明かされます(正確には島貫の推論であるが、この場合は事実と考えてよいでしょう)。
これは、、、ちょっとありえないかな、と思いました。
まず常識的に考えて、上意討ちを成功させれば、その恩賞はかなりのものに違いないので、あえて手柄を譲らずとも、二人で手柄を分け合えばよい。
さらに言えば、相手は二人とも手練れであり、上手い具合に勘一が先に一人倒したからいいようなものの、逆に勘一がやられる可能性も充分にあった。
彦四郎が勘一一人に意図的に手柄を独占させようとしたのであれば、それは非常にリスクの高い行為であったと言えると思います。
さらに、島貫老人は、かつて自分が勘一を襲おうとした刺客で、それを阻止したのは彦四郎であり、その際左足を切られたことも明かします。
しかし、、、これもない。
そもそも、彦四郎は自分の行いが勘一に知られてもよいと考えていたのでしょうか?
本書を読んだ人であれば誰でも口を揃えて、それはない、と答えるでしょう。
自分もそう思います。
誇り高い勘一が、自分の出世は友人の犠牲の元で成り立っているのだと知ったら、喜ばないどころか、それこそ腹を切りかねない。
そして彦四郎はそんな友人の気質を十二分に熟知していた。
であれば、このとき彦四郎が島貫にとどめを刺さなかったのはおかしいんですよ。
島貫が生きていれば、自分の行いが勘一の知るところになる可能性が大なのですから。
結果的に襲撃は未然に防がれ、勘一はそれを知ることはありません。
しかしそれはあまりに偶然に頼りすぎている。
彦四郎が切り捨てた二人の刺客の死体は、島貫が処理するのですが、彼が死体を処理しなければならない必然的な理由はありません(深手を負っていたのであればなおさら)。
このときの島貫の行動は、彦四郎のためにしているように思えて、釈然としません。
以上が、自分が本書を読んでいて気になったところ、釈然としなかったところなのですが、、、アマゾンのレビューをざっと読んでも、ネットで読書ブログを見回っても、そんなところが気になった、って人は皆無でした。
つくづく自分の感性、及び嗜好は一般のそれと乖離してるなぁと思わされました。
ところで作者の百田尚樹は今が旬の作家のようで、著作が次々と映画化されています。
本書も間違いなく映画化されるでしょう。長さ的にも内容的にも映画にするには相応しいですから。
なので、本書を読みながら、誰が磯貝彦四郎を演じるか、イメージするのも一興だと思います。
う~~~ん、、、ジャニーズの亀梨?
イメージが貧弱すぎてすみません。。。
読む機会を与えてくれた友人に感謝。
身分を越えて友情をはぐくんだ二人の武士の、栄達と没落の物語。
もし今誰かから、お薦めの時代小説は何かないかと聞かれたら、自分は迷うことなく本書を薦めます。そしてまた、感動する小説を教えてくれといわれても、やっぱり本書を推します。
だから、そういった小説を求めているって人は、この先の文章を読まずに、明日の朝、一番に本屋へと駆け込み、レジで「百田尚樹の『影法師』はありますか!?」って尋ねてください。もちろん、今夜これから二十四時間営業の本屋に行かれても結構ですが。
さて、ここからが本題です。
本書は自信を持ってお薦め出来る一冊ではあるのですが、個人的にはそこまで感動は出来ませんでした。
こういった乖離はままあります。
世間的に爆発的に売れている漫画をあまり面白いとは思えなかったり、逆に世間的にはあまり評判がいいとは言えない映画がツボだったり。
まぁおそらく他人様と経絡秘孔の位置がズレているのでしょう。あべし。
なので、自分が本書を読んで気になった箇所もほとんどの人は気にならないんじゃないかと思います。先に言っておきますが、うわ~、そんな細かいところが気になんのかよ、といって石を投げないよーに!!傷つきやすい年頃なんだから♪(おぃ)
自分が最初に気になったところ、、、というか終盤になって真相が明かされ、え、それはないんじゃないかと思ったところは、勘一と彦四郎が上意討ちを果たす場面です。
上意討ちの相手二人を勘一一人が成敗したように見えて、実は彦四郎が勘一に手柄を譲ったことが物語の終盤、大老となった勘一の元を訪れた島貫という老人の口から明かされます(正確には島貫の推論であるが、この場合は事実と考えてよいでしょう)。
これは、、、ちょっとありえないかな、と思いました。
まず常識的に考えて、上意討ちを成功させれば、その恩賞はかなりのものに違いないので、あえて手柄を譲らずとも、二人で手柄を分け合えばよい。
さらに言えば、相手は二人とも手練れであり、上手い具合に勘一が先に一人倒したからいいようなものの、逆に勘一がやられる可能性も充分にあった。
彦四郎が勘一一人に意図的に手柄を独占させようとしたのであれば、それは非常にリスクの高い行為であったと言えると思います。
さらに、島貫老人は、かつて自分が勘一を襲おうとした刺客で、それを阻止したのは彦四郎であり、その際左足を切られたことも明かします。
しかし、、、これもない。
そもそも、彦四郎は自分の行いが勘一に知られてもよいと考えていたのでしょうか?
本書を読んだ人であれば誰でも口を揃えて、それはない、と答えるでしょう。
自分もそう思います。
誇り高い勘一が、自分の出世は友人の犠牲の元で成り立っているのだと知ったら、喜ばないどころか、それこそ腹を切りかねない。
そして彦四郎はそんな友人の気質を十二分に熟知していた。
であれば、このとき彦四郎が島貫にとどめを刺さなかったのはおかしいんですよ。
島貫が生きていれば、自分の行いが勘一の知るところになる可能性が大なのですから。
結果的に襲撃は未然に防がれ、勘一はそれを知ることはありません。
しかしそれはあまりに偶然に頼りすぎている。
彦四郎が切り捨てた二人の刺客の死体は、島貫が処理するのですが、彼が死体を処理しなければならない必然的な理由はありません(深手を負っていたのであればなおさら)。
このときの島貫の行動は、彦四郎のためにしているように思えて、釈然としません。
以上が、自分が本書を読んでいて気になったところ、釈然としなかったところなのですが、、、アマゾンのレビューをざっと読んでも、ネットで読書ブログを見回っても、そんなところが気になった、って人は皆無でした。
つくづく自分の感性、及び嗜好は一般のそれと乖離してるなぁと思わされました。
ところで作者の百田尚樹は今が旬の作家のようで、著作が次々と映画化されています。
本書も間違いなく映画化されるでしょう。長さ的にも内容的にも映画にするには相応しいですから。
なので、本書を読みながら、誰が磯貝彦四郎を演じるか、イメージするのも一興だと思います。
う~~~ん、、、ジャニーズの亀梨?
イメージが貧弱すぎてすみません。。。