この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

義理チョコは是か非か。

2018-02-01 22:10:36 | 戯言
 バレンタインデーに義理チョコを贈るのは止めようという広告をチョコレートで有名なゴディバが新聞に掲載し、話題になっています(詳しくはこちら)。

 自分はこの広告が二重の意味で気に入りません。

 まず義理チョコが是か非かというと、そんなものは是でも非でもないですよね。贈りたい人は贈ればいいし、贈りたくない人は贈らなければいい、ただそれだけのことです。
 第三者に、特にチョコレートメーカーから贈るのは止めよう、と言われるようなことではないと思います。

 記事本文の中で、義理チョコは慣習だから止めた方が良い、と受け取れる一文があるのですが、それもどうなんですかね。
 慣習だから止めた方が良いというのであれば、年賀状のやり取りも、お年玉も、ひな人形を飾るのも、クリスマスプレゼントも、もちろんバレンタインデーそのものも、いずれのイベントも慣習であることは違いないのですから、いっそ全部止めちゃったらどうですかね?

 慣習が慣習たりえるのは、その慣習を楽しみにしている人がどこかにいるからだと思います。
 もしそのイベントを、関わる人全員が疎ましいと思っていたなら、慣習になるわけがないですから。
 義理チョコを用意するのは面倒だ、というのはもっともだと思います。
 けれど、その義理チョコを楽しみにしている人もいるのだ、ということを忘れて欲しくはありません。

 この広告が気に入らない理由二つ目。

 同じチョコレートメーカーであっても、例えばロッテや明治製菓といった大手のお菓子メーカーが同様の広告を打つことはあり得るでしょうか?
 まずないですよね。
 なぜならそれらの大手メーカーは義理チョコで購入されるチョコレートを生産しているから。自社が損をするような広告を打つはずはないのです。
 逆に言えばゴディバのような高級なチョコが義理チョコで買われることはちょっと考えられません。

 結局、ゴディバの「義理チョコを贈るのは止めよう!」というキャンペーンは慣習だからとか、大変だからとか、そういった女性の立場を考えてのものではなく、単純に、義理チョコを贈るのを止めれば、必然的に本命チョコにかける予算が増え、結果ゴディバが儲かる、その計算の元に行われている、そう考えるべきでしょう。
 その計算は本当に薄汚い、そう思います。

 ここまで言えば何が言いたいかわかってもらえるでしょう。
 2月14日、義理チョコ、待っています。
コメント (2)
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