この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

キャッチボールをしようよ。

2019-04-12 22:14:52 | 戯言
 ごくまれに、ですが、映画や小説の考察記事にコメントがつくことがあります。
 まぁ「目からうろこが落ちました!」とか「あなたの考えはもっともだと思います」といった賛同的なものではなく、「感心しない」とか「あなたの考えはうがちすぎだと思います」といった否定的な意見が多いです。

 自分は考察する際、決して捻った物の見方をしないように気をつけています。
 与えられたヒントをそのまま素直に受け入れるようにしています。
 何より自分に都合のいい解釈はしないようにしています。

 にもかかわらず、うがちすぎだと言われることが多いのは我ながらちょっと不思議です。

 さて、他人の間違いを正すことや他人の考えを否定することは、日本では嫌われることも多いですが、自分は基本的に親切な行為だと思っています。
 でも自分は親切な人間ではないので、見ず知らずの人間が何をどう間違えていたとしても、それを一々「間違っていますよ」と訂正することはありません。
 そこまで暇ではないのです(事情があれば別ですが)。

 ともかく、そんなわけで当ブログにおいては否定的なコメントも歓迎します。自分とは考えが違うから無下にする、ということはしません。
 ただ、最近は何だかなぁと思うことが多いです。

 否定的なコメントをする人って、要はこちらが考えを改め、あなたの言う通りでした!と間違いを認めることを望んで(コメントをして)いるのだと思います。
 それ自体は全然悪いことだとは思いません。

 ただこちらも別段間違ったことを書いているつもりはないので、当然反論はするわけですよ。
 相手の疑問、質問に対して自分なりの回答をした後に、では〇〇に関してはどう考えますか?というように。
 そしてその反論に対して何らかの回答があることはまずありません。
 
 相手の考えを否定すること自体は決して悪いことだとは思いません。
 でも否定した相手が反論をしてきたら、当然ある程度はきちんと対応するのが礼儀なのではないでしょうか。
 
 「文責」という言葉があります。
 自分が口にした言葉には責任がある、ということですね。

 何だか堅苦しいことを書きましたが、要は言葉のキャッチボールをしましょうってことです。
 自分がボールを投げて、相手がそれを受け取って投げ返してきたら、それもキャッチしましょう。
 ボールを投げるだけ投げて、ぷいっといなくなるというのは如何なものか。
 
 言葉のキャッチボールも案外楽しいものだと自分は思いますけどね。
 そう思うのは自分だけなのかな。
コメント (4)
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