この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

腹が割れずに。

2010-05-11 22:17:38 | 日常
 毎朝、まず起きると最初にヒゲを剃り、次に腕立て伏せ(正確には足先を踏み台に乗せた拳立て伏せ)と腹筋(運動)をそれぞれ四十回ほどします(ここ二、三日は体調が悪くてサボってるけど)。

 少し前のことですが、GWに、果たして何回ぐらい腹筋が出来るものかと思い、三百回を目標にチャレンジしてみました。

 五十回、これぐらいは普段やってるので楽勝。

 百回、そんなにきつくない。
 日常的に腹筋を鍛えている人ならわかると思いますが、腹筋っていうのは鍛えていると、ほとんど歩くのと同様の感覚で、いくらでも出来るようになっちゃうものなのです。
 なので、三百回という目標も決して不可能な数字だとは思いませんでした。
 最低でも二百回は出来ると思ってました。

 百五十回、異変発生。

 百六十回、チャレンジ中止。

 腹筋は、平気だったのです、腹筋は。
 しかしそれ以外の箇所が悲鳴を上げてました。
 それはどこかというと、尾てい骨。こすれて、大変なことになってました。涙。
 一応お尻のところはタオルを敷いてたんだけどねー、百回を越すとあんまり意味がないみたいです。

 そんなわけで、腹が割れずに、尻が裂けたってお話でした。
 皆さんも腹筋をするときは充分気をつけましょう・・・。
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GW、ちょっと嬉しかったこと。

2010-05-10 22:05:39 | 日常
 自分は、ミクシィのマイミクさんの誕生日には、疎遠になっている人でも、なるべくお祝いメッセージを送るようにしています。
 まぁ「今日は○○さんのお誕生日です」という表示に気づかないときもあるし、気づいても完全に縁が切れてるな、と思う人には送らないこともあるんだけど。

 何でそんなことをするかというと、単純に自分がされたら嬉しいからです。
 自分がされたら嬉しいことをして、自分がされたら嫌なことは(出来るだけ)しない。
 それが自分の信条です。

 けれど、上述の通り、普段絡みのない、疎遠になってる人にもメッセージを送るので、無視されることもしばしばです。
 まぁでも仕方ないかなって思います。
 その人にとって自分は、マイミクであれど不要な人間ってことなのでしょう。

 GWの最終日のこどもの日は、以前は親しかったけど、もう二年か三年交流がない人の誕生日でした。
 さすがに縁が切れてるか、と思ったけど、それでも一応お祝いメッセージを送りました。
 返事があるとはまったく思わずに。

 でも、その夜、その人から電話が掛かってきたんですよね。
 元気だった?と変わらない様子でした。
 少しばかり話し込み、お互いの近況を報告し合いました(こっちには報告するようなことはないけど)。
 何でも、パソコンが壊れて、ネットから遠ざかっているとの事でした。

 あのさ、、、パソコンが壊れたのは仕方ないことだと思うよ?
 買い直さないのも当人の自由だと思う。
 でもさー、ネットから離れるなら離れるで、一言ぐらい断りがあってもいいんじゃない?
 こっちは連絡が取れなくなって、自分が何か気分を害するようなことをしちゃったのかなと気を揉んだり、もしかして死んじゃったのでは?なんて心配したりもしたんだから。

 と、説教したいことは山々ありますが、ともかく嬉しいことでした。

 あんまり嬉しかったので、翌々日に、やっぱり疎遠になっているマイミクさんが誕生日だったのでお祝いメッセージを送ったら、今度は完全に無視されました。笑。
 まぁ嬉しいことばかりじゃないってことです。
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【9<ナイン> ~9番目の奇妙な人形~】、パクリとそうでない作品の境界線は?

2010-05-09 22:43:41 | 新作映画
 シェーン・アッカー監督、【9<ナイン> ~9番目の奇妙な人形~】、5/8、ユナイテッド・シネマキャナルシティ13にて鑑賞。2010年21本目。


 本作のような作品を鑑賞すると、パクリとそうでない作品の境界線はどこにあるのだろう?と考えずにはいられません。

 ぶっちゃけ、本作の「機械が人類に対して反乱を起こし、世界は滅亡した」という世界観は『ターミネーター』シリーズのそれとまったく同じです(似てるとかいうレベルではなくて)。
 また、絶体絶命の窮地に陥った主人公ナインたちを、突如現れたセブンが颯爽と救い出すシーンは、確実にどこかで観た!と思えるものです。
 その他、本作には、デジャ・ブを呼び起こすシーンやシークエンスが目白押しなのです。

 じゃあ、本作は観る価値のない単なるパクリ作品か、というと決してそんなことはありません。
 それどころか、本作は最近観た作品の中では最もセンスのよさを感じさせる一本でさえあります。
 人類が滅亡した後に生き残ったのが麻袋で出来た人形だなんて!!
 そのアイディア一つだけでも、監督のシェーン・アッカーってやるなぁって思わずにはいられません。

 結局、パクリかどうかというのは、似ているかどうかももちろん重要ですが、センスのよさや志の高さも加味して考えなければいけないのでしょうね。

 それにしても、先日公開された『第9地区』はピーター・ジャクソンが、そして本作はティム・バートンとティムール・ベクマンベトフがそれぞれプロデュースしてるんですけど、どちらも、ピーター・ジャクソンやティム・バートンがオリジナルの短編映画を気に入って、その短編映画の監督に(資金を与えて)長編映画を作らせてるんですよねぇ。
 何ていうか、羨ましい話ですよねぇ。
 日本で、どんなに傑作な短編映画があったとしても、それを長編映画としてリメイクしてはどうかと考える映画関係者っているいるのかなぁって思ってしまいました。

 お気に入り度は★★★★、お薦め度は★★★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
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名古屋の人が考え出したんですかね?

2010-05-08 23:31:48 | 日常
 少し前のことですが、GWのこどもの日、ちまきと柏餅を食べました。

 ちまき、(美味しいところのは)美味しいですよねぇ。
 ほんのりとした甘味ともちもちとした食感が好きです。
 どーしてこんなに美味しいのに、この時期にしか売られてないんでしょうねぇ。
 和菓子屋さんもケチなことを言わずに一年中作ってくれればいいのに。

 ちまきほどじゃないにせよ、柏餅も嫌いじゃありません。
 お袋が買っていた柏餅を食べようとして、あれ?と違和感を覚えました。


   


 これ、「みそあん」って書いてある・・・。
 九州にはみそあんの柏餅ってありません。少なくとも自分は生まれて初めて見ました。
「どーして、みそあんの柏餅なんて買ったん?」と尋ねると、「アンタが小豆のあんこが嫌いだろうと思って(買ってみた)」とお袋。
 母上、拙者は小豆のあんこが嫌いだなんて言った覚えはないでござるよ・・・。
 まぁでも、案外美味しいかもしれないし、と思い直してみそあんの柏餅を一口食べてみました。
 ・・・・・。
 う~ん、、、別に不味いってわけではないけど、敢えて食べたいって味でもないなぁ。やっぱりフツーの柏餅がいいよ。
 同じくみそあんの柏餅を口にしたお袋も自分の感想に同意してくれたようでした。

 どうなんでしょう、やっぱりみそあんの柏餅って、味噌カツで有名な名古屋の人が考え出したんですかね?それとも自分が知らないだけで案外メジャーな存在なんでしょうか?
 みそあんの柏餅があるなら、味噌味のアイスクリームやプリン、ロールケーキとかもあったりしてね。笑。

 なんて冗談で書いたら、名古屋には本当にありそうで恐いよ。。。
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十五年掛けて到達。

2010-05-07 23:59:53 | ゲーム
 まずはGWの総括から。

 最終日にトンカラリン遺跡に出掛けたし、『CSI:マイアミ』を見ながら(スピードルが死んじゃったよ!!)連鶴を折ったりもしましたが、一番時間を割いたのがスーファミの『風来のシレン』でした(小説を書くって宣言したけど、何のリアクションもなく、誰も読んでくれそうになかったので、執筆しませんでした。プロットは大体考えてたんだけど)。

 このブログをご覧の方の中には、もしかしたら今でもスーファミのゲームをすることがあるという人もいるかもしれませんが、そういった方のほとんどは「懐かしいから」(プレイ)するんだと思います。
 
 しかし、自分が『風来のシレン』をプレイするのは、「懐かしいから」ではなく、この『風来のシレン』がこの世で最も面白いゲームだと信じて疑っていないからです。
 無人島に何か一つ娯楽を持って行けるとしたら、『風来のシレン』を持って行きたいな、、、無人島にスーファミをプレイ出来る環境が整っているかどうか定かではないけど。笑。

 そんなシレン信者な自分ですけど、『シレン』から長く離れていた時期もありました。
 それはなぜかというと、四つあるダンジョンのうち、最難の『掛け軸裏の洞窟』は攻略出来ないと思っていたから。
 地下二十六階から出現する「ガイコツまおう」への対抗策がわかってなかったんですよねぇ。

 それでパソコンを始めてから、ふと思い出してネットで調べたら、その対抗策が書いてあるじゃないですか!!
 なるほど!!目からウロコでしたね。

 それから、その対抗策を用いて再び『掛け軸裏の洞窟』を攻略する日々が始まったのです。
 しかし、、、それでも激ムズであることには変わりありませんでした。
 比喩でも何でもなく、数え切れないぐらい地下ダンジョンで我が分身たちは息絶えていきました。

 そして!!
 このGWに、初めて『掛け軸裏の洞窟』地下99階に到達することが出来たのです。


   
(冒険日記3が605回になってるけど、リセットされてないメモリーが605回なだけで、実際はもっとプレイしてます。笑。)


 まさに感無量でしたね、、、っていうか、それが現実だとは思えませんでした。
 何しろ十五年掛かりましたからね。笑。

 自分は十五年ひたすら『風来のシレン』をプレイし続けてきましたが、世の中には自分とは比べ物にならないぐらいのツワモノもいるようで、『掛け軸裏の洞窟』の完璧な攻略法を構築しているそうです(自分は『掛け軸裏の洞窟』を攻略するにあたり「ガイコツまおう」への対抗策しか知識を仕入れなかった)。
 完璧な攻略法、知りたいような、知りたくないような、、、複雑な気分です。
 まぁそれ以前にその攻略法を実践できるかどうかが怪しいんですけどね。笑。
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トンカラリンにリベンジ♪その二。

2010-05-06 22:33:03 | 旅行
 万全な準備をしてきたつもりでした。
 懐中電灯も、ヘッドランプも持ってきました。
 夏日だというのに、汚れてもいいような長袖のシャツも着てきました。
 よし、完璧!と思ったんですが、一つだけ忘れてるものがありました。

 昨日の記事で、トンカラリンの内部は人が通れる、と書きました。
 が、通れるといっても、立って通れるわけじゃなくて、這ってしか通れないのです。
 さながら『ショーシャンクの空に』のアンディ・デュフレーンのように。

 なので、手袋(軍手)は必須です。
 素手で直に隧道のじめじめした床を触りたくはないですからね。

 そこで一旦近くの道の駅に停めていた車に戻り、車内に軍手がないか、探してみました。
 しかし、そう都合よく軍手は置いてありません(自分の車には大概のものは積んであるんだけど)。
 諦めるか・・・。
 一瞬そう思いましたが、ここまで来て?と問う自分もいました。
 ここまで来て手袋がないからってすごすご逃げ帰ったら、何のために片道二時間掛けて来たか、わかんないじゃん!!
 叱咤する自分に、もう一人の自分が愚図ります。
 でも、絶対に素手では絶対にあの隧道にはチャレンジしたくない・・・。
 どちらの言い分もわかります(どっちも自分だからね)。
 う~~~ん、どうするか・・・?
 悩んだ自分がふと視線を前に向けると、屋台で焼き鳥を焼いているおばちゃんが目に留まりました。そしてそのおばちゃんは軍手をしています。
 よし、賭けよう!そう思いました。
 このおばちゃんに軍手を分けてもらえるかどうか交渉して、分けてもらえたらトンカラリンにチャレンジする、断られたら帰る、そうしよう。
 何だか随分と自主性に欠けた決断をしましたが、そのときはそう思ったのです。
 あの~、と自分はおばちゃんに声を掛けました。
 はい、いらっしゃい、とおばちゃん。
 うわ、自分のことを客だと思ってるよ(当たり前だけど)。
 自分はおばちゃんに事情を説明して、手袋が余っていたら分けてもらえないか、と交渉しました。
 最初は怪訝そうに聞いていたおばちゃんだったのですが、最後には苦笑しながら「古いのでよければいいよ」と快く軍手を差し出してくれました。
 こうして自分はトンカラリン攻略のための最終アイテムをゲットしたのです。

 こうなれば、四の五の言ってられません。
 あとはもうチャレンジあるのみです。
 道の駅から遺跡の方に今度は車で移動し、隧道の入り口の前に立ちました。


   


 いざ、ここに来て、やはり自分がビビっていることに気がつきました。
 蛾は光に向かう習性がありますが、それは人間も同様だと思います。少なくとも暗闇へと進むことを本能的に忌避するのではないでしょうか。
 自分は大袈裟でも何でもなく持てる勇気を全てを振り絞って、隧道の内部へと進入しました。

 隧道は入り口からすぐに狭くなっていて、腰を屈めるだけじゃなく、這いつくばらないと進めないようになっています。
 しかも進む先は真の暗闇なのです。
 
 遺構自体は全長が四百メートル以上あるのですが、このとき自分がチャレンジした隧道は、距離で言えば、二十メートルか、三十メートル、それぐらいだと思います。
 しかし、光がまったく届かない空間の二十メートルは長いですよ。
 いくら進んでも進んでも前方から光は見えてきません。
 あれぇ、こんなに長かったっけ?
 マジで焦りました。パニックになる一歩手前でした。
 普通に歩けば、一、二分で行ける距離が無限にも思えましたね。
 前方から光が見えてきたときはどうしようもなく笑いがこみ上げてきました。


   


 これが自分が脱出した隧道の出口。
 脱出したときは本当に狂ったように笑いが止まりませんでした。人に見られなくて幸いでした。
 これまで遊園地などで体験した、どのアトラクションよりもスリルがありました。まさに極限のスリルが味わえましたね。

 九州は熊本の玉名にあるトンカラリン遺跡は個人的に非常にお薦めです。
 ただし、ただ観光するだけなら限りなく退屈なシロモノです。実際に隧道行軍にチャレンジする勇気と無謀さがある人のみ、是非一度訪れてみて下さい。
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トンカラリンにリベンジ♪その一。

2010-05-05 22:29:07 | 旅行
 GWもいよいよ明日までになっちゃいましたね!

 などとのっけから現実逃避な発言をしたりする。笑。

 まぁでもあれですよね、GWの最終日なんてどこの行楽地でも人が多いでしょうから、こんな日にわざわざ遠出をするヤツははっきりいってバカですよね。

 でもそのバカの一人になりたかったので、今日はちょっと遠出をしてきました。
 だってさー、GWにどこも出かけないのは(ツタヤにDVDを返しに行ったけど)精神衛生上よろしくないんだもん。

 とにかくどこか遠くに行きたい、、、でも日帰りじゃないといけない、、、どこに行こう、、、と考えて、思いつきました。
 そうだ、トンカラリンに行こう。
 トンカラリンにリベンジをするのだ!!

 と、その前に、トンカラリンについて説明しないといけないでしょうね。
 あれは到底メジャーな存在とはいえませんから。

 世界の七大不思議の一つに、ギザの大ピラミッドが数えられます。
 しかし、自分に言わせれば、ピラミッドなんて大して不思議じゃないんですよ。
 だって、誰が、いつ作られたのか、わかってますから。
 唯一、何の目的で作られたのかが曖昧なところですが、それもおおよそわかっていますしね。

 しかし、トンカラリンは、誰が、いつ、何の目的で作ったのか、まったくわかってないんです。
 これを不思議と言わず、何を不思議と言いましょうか。

 トンカラリンは一言で言えば隧道型遺構です。隧道、つまりトンネルですね。
 トンネルと言っても馬鹿にしちゃいけません。全長が何と460メートルもあり、その一部が地上に出ていて、人が通れるようになっているのです。

 トンカラリンにはこれまでに一度行ったことがありました。
 行く前に、自分は何となく山口の秋吉台の鍾乳洞みたいなものを想像していました。
 内部は全て人の手が行き届いていて、照明も完備されていて、補強もしっかりされている、みたいな?
 ずぇんずぇん違いました。
 とりあえず、最低限の清掃は(おそらく近所の人たちの手によって)されてるみたいですが、照明なんて気の利いたもんはまーったくなくて、補強もされてるのかどうか定かではないんです。

 本当に、舐めてました。
 一度目のトライでは装備が貧弱すぎました。
 懐中電灯すら持っていってなかったですからね。
 おめおめと引き下がるしかなかったのです。

 今回は装備は万全にしました。
 懐中電灯はもちろん、たっちゃんからもらったヘッドランプも持参しましたしね。
 まさかこのヘッドランプが役に立つ日が来るとは思ってもみませんでした。笑。

 
   

 よし、今度こそリベンジを果たしてやる!!と意気込んでトンカラリンに乗り込んだのですが・・・。


                                続く?
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GWの贈り物。

2010-05-04 23:03:22 | 折り紙・ペーパークラフト
 マイミクのwizさんから、大量の短冊状の紙を頂きました。
 wizさんには送料も負担していただきました。
 感謝です。


   


 せっかく紙をもらったからには何か作るべ、と思ったのですが、短冊状の紙で折れる折り紙というのはそうはありません(自分は知らない)。
 しばらく考えてから、ユニット連鶴を折ることにしました。

 ユニット連鶴というのは、自分が考案した複数枚の紙を使って作る連鶴のことです(どういう作品かというとこちら)。
 一般的に連鶴は一枚の紙で作られるものという固定観念がありますが(連鶴を嗜む人自体がごく少ないので、それを一般的というのはやや語弊がありますけれど)、別に一枚にこだわらなくてもいいのでは、と思ったのです。

 上にリンクしてあるページの作品は九枚の正方形の紙を組み合わせて作りましたが、同じ物を短冊状の紙で出来るのではないか、と考えたのです。

 で、まず作ったのがこれ。


   


 六枚の短冊状の紙に切込みを入れ、組み合わせました。
 気力と元の紙の問題で、この大きさになりましたが、理論上はいくらでも大きいものが出来ます。

 ここから連鶴に仕上げたのがこちら。


   


 九連だとやっぱりショボいなぁ。
 せめて十六連にしたかった。
 まぁでもカラフルな作品に仕上がったと思います。
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【オッド・トーマスの霊感】、二重の意味で反則な巨匠の最高傑作。

2010-05-03 22:34:09 | 読書
 ディーン・クーンツ著、【オッド・トーマスの霊感】、読了。市立図書館蔵書。


 一人の作家の才能が枯れていく様を見るのは、つまり、出す新刊、出す新刊、ことごとくこれまでの作品の出来を下回るということだが、ひどくつらいことだ。
 具体的に作家名を挙げるとすれば、例えば、田中芳樹。
 彼の代表作である【銀河英雄伝説】を初めて読んだとき、世の中にこんな面白い小説があったのか!!と驚愕したものだが、現在刊行中の【薬師寺涼子の怪奇事件簿】シリーズは本当にくだらないと思う(全巻を読んだわけではないが)。
 あれほどの傑作を物にした作家がこうまでどうしようもなくつまらない小説を書くようになるのか、と悲しくなってしまう。

 同じような作家には、ジェフリー・アーチャーやスティーブン・ハンター、リチャード・ノース・パタースンなどが挙げられる。
 ディーン・クーンツもそんな生ける屍の小説家の一人だと思っていた。

 クーンツの作品は一時期好んで読んでいた。
 犬好きを自認する人は、彼の代表作である『ウォッチャーズ』を読んでみるといい。必ず気に入るから。
 いつから彼の作品から距離を置くようになってしまったのか、正確なところはわかりかねるが、決定的だったのは、彼の作品が悪名高きアカデミー出版から刊行されたようになってからだ。
 もう二度と彼の作品を読むこともないだろう、とさえ思っていた。

 にも関わらずこうして彼の最新シリーズ第一作である【オッド・トーマスの霊感】を手に取ったのは、GW、他にやることもなく、どうしようもなく暇だったので読書にでも勤しむかと思ったはいいが、借りようと思っていた本命の本が貸し出し中だったからだ。
 他に読みたい本が借りられれば、クーンツなんぞに手を出したりはしなかっただろう。
 自分にとってクーンツは過去の人、過去の作家、リビング・デッドなのだから。

 そして、本作を読み終えた今、自らの過ちを知ることになる。
 クーンツは過去の人では全然なかった。
 【オッド・トーマスの霊感】は彼の最高傑作だった。
 最終章を読むに至ってグワッと涙が止まらなかった。
 クーンツ、これはいくら何でも反則だよ、二重の意味で。

 一つ目の反則はレトリック的な意味での反則、もう一つは、、、いや、これ以上語るまい。
 何がどう反則なのかは、是非ご自身で確認してもらいたい。
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万博に関しての素朴な疑問。

2010-05-02 22:12:56 | 蘊蓄・雑学
 上海万博が開幕しましたね!
 個人的にはまーったく興味ありませんが、一割のパビリオンが未完成のままの開幕っていうのは、中国人スゲー!!と思いました。

 巷では万博に関してパクリ疑惑が取り沙汰されていますが、自分は褒められたものではないにしても、それほど憤りを覚えることもありません。

 中国にせよ、韓国にせよ、ネット上でしばしばパクリ問題で叩かれますが、これってかつて日本が通ってきた道なのだと思います。
 現在の日本の繁栄はアメリカの模倣抜きにはありえませんでした。
 人は、何かを生み出そうとするとき、すべて誰かの真似事から始めるものなのでしょう。そしていつしか人真似では満足出来なくなり、オリジナルを創造するのではないでしょうか。

 著作権を保護するのは当然だし、それを侵害された場合、何らかの法的手段を行使するのもまた当然だと思います。
 しかしながら、パクリをするなんて中国人(もしくは韓国人)って仕方ないよな~、なんていう感覚は間違っている、と思うのです。

 さて、万博に関して素朴な疑問があります。
 それは、「万博って何?」ってことです(←素朴すぎる)。
 今から二十年以上前になりますが、福岡で、アジア太平洋博覧会、通称「よかトピア」(それにしてもローカルなネーミングだよ。。。)が開催されました。
 また五年前には2005年日本国際博覧会、愛称「愛・地球博」、略称「愛知万博」が開催されました(正式名称があって、さらに愛称と通称があるって、シャア・アズナブル並みに名前が多いな・・・)。
 自分はどちらも行きましたが、催しの内容にそれほど違いは感じられませんでした。
 にも関わらず、一方は万博で、一方は万博でないというのは如何にも不思議だったのでちょっと調べてみました。
 詳しくはこちらを参照してもらうとして、当たり前ですが、好き勝手に万博って開催出来るものではないようです(そりゃそーだ)。
 結局、万博ってオリンピックと同様、政治抜きには語れないもののようです。
 開催国の威信が掛かっているから当然といえば当然なんですけど、万博って本来そういうものなの?と思わずにはいられません。

 ところで、万博のことを調べていて初めて知ったトリビアがあります。
 それは、「日中戦争が激化したために開催が中止された紀元2600年記念日本万国博覧会(1940年予定)の前売り券は1970年の日本万国博覧会および2005年の2005年日本国際博覧会で使用可能だった」です。
 実際、日本万国博覧会では約3000枚、2005年日本国際博覧会では約90枚使われたそうです。
 1970年の日本万国博覧会はともかく、六十五年後の2005年日本国際博覧会って!!どんだけ物持ちがいいんやねん!!と突っ込まずにはいられませんでした。笑。
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