おもしろきこともなき世を おもしろく すみなすものは・・・

セロ弾き 呑み鉄 蕎麦打ち~趣味とともに楽しく過ごしたい今日この頃

菅原文太さん逝く

2014-12-01 21:33:22 | 雑感
 今から約8年前、いわきに移住してもらおうと、商工会議所とコラボして、「いわきふるさと誘致センター」を立ち上げた。中央の「ふるさと回帰支援センター」事務局長は、高橋公さん(通称ハムさん)は、福島県出身、中学時代、いわきで過ごされた。そんなこともあって、全面的にバックアップしていただいた。

 発会式に際して、ハムさんから、ハムさんネットワークを使って「菅原文太講演会」をしよう、とのご提案。早速、段取りをして、小生、文太さんのお世話役をさせてもらった。

 イメージは、仁義なき戦い、そして、トラック野郎。ガラガラの方なのかなぁー、と思っていた。マネージャーは奥様。お会いしたが、御夫婦仲むつまじく、文太さんはとても気さくである。どうしても、酒豪というイメージであったが、実は甘党。小野町の砂糖をまぶしたドーナツの差し入れに、喜ばれていた。それを知っていたので、東京で行われた「ふるさと回帰フェア」でお会いして時には、地元のお菓子屋さんで作っているジャンボどら焼きに、文太さんの似顔絵を焼き込んでもらった。

 3回目は、とある協議会の解散式。ここでの講演をお願いした。小生、以前に面識があるとのことで、再び、文太さん付きに。湯本駅でお迎えした。やはり、奥様とご一緒。おそらく、その頃に最初の病気になられたと思われる。途中、薬局に立ち寄って、ドリンクを飲まれていた。

 以前の講演会のお話をしたら、覚えていてくれた。スパ・リゾートハワイアンズまでの道すがら、車の中でそんな話をしながら過ごした。

 今でも覚えているのが、講演会終了後の電車の時間、間に合わないかもしれない、ということで、奥様に切符を見せてもらって時間を確認するなど、事務方は焦りまくっていた。でも、結果オーライ。湯本駅では、熱烈な文太ファンが見送りに来ていた。



 この前、高倉健さんが亡くなり、そして、文太さんも旅だった。

 昭和の良き時代、社会問題を呈した映画に携わった人たちが、また、いなくなった。

 合掌

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