MARCAの記事。ちょっと長めなのと、ちょっと読みづらい書き方されてるので(一文が長い)いいかげんに訳しているところもありますが。
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「身体が要求しているんだ。これが、新しい経験をする最後のチャンスだと。家族のことが第一で、ここ何年もそうできなかったけれど、時間を家族に捧げたいんだ。」
4月18日、混雑したフェルティンス・アレナのプレスルームで、ラウルは、わずか2シーズンで神話となる地位を築いたシャルケとの契約を延長しない理由を、そう説明した。
10日後、スタジアム中を「Gracias, senor Raul」と書いた何千ものTシャツを着た人たちが埋め尽くし、彼に声援を送っていた。感動的なセレモニーだった。ラウルは、そこで永久欠番となる7番のユニフォームを着た息子たちと共に、ピッチの上で泣いていた。レアル・マドリーが知ることのなかった、しようとしなかった、相応しい称賛の印だった。
しかし、その日ラウルは真実を語ったのだが、それはすべての真実ではなかった。身体が要求している、それは本当だろう。しかし一番に彼が自身に求めていたのは、恵まれた頭脳を持つことだ。物事とはどう変わっていくものかを知っている冷静な頭脳は、1月には、シャルケでも同様で、最高の状態である時が辞める時だと考えていた。
35歳、彼の身体は、ブンデスリーガが要求する最高レベルのフィジカルの要求に、耐えることが厳しくなっていた。98試合で40ゴール、20アシスト、ドイツ杯とドイツのスーパーカップを、高く積み上げたリストに付け加えた。
漸進的な転換
こうした理由で、ゲルゼンキルヒェンの首脳陣がさらに1シーズンの契約延長をオファーした時、ラウルはそのオファーを辞退した。同様に、スペインの2つのクラブ、MLS、ロシアのクラブからのオファーも断った。(会見をした4月から)3か月前のこと、1月にシャルケがドーハのAspires Academyを訪問したのが、ラウルと、カタールとカタールのフットボールとの初めての出会いだった。それから、様々なものが適合するのを理解し、彼はそのプロジェクトに引き付けられ始めていった。
ラウルは、徐々に現役のフットボールでの活動から、新たなステージへのステップに向けた転換を行うことができる場所を求めていた。そこでは、フットボールの世界でのマネジメントや、子供たちとの仕事をする方法の重要なものを学ぶことを望んでいる。ドイツや他の欧州のリーグでは、コンスタントなペースでのトレーニング、遠征、試合があり、不可能なことだった。
カタールは、FIFAランク104位、GDP世界第2位。カタール・スターズ・リーグには12チームしかなく、小さな大会がまったくの発達段階にある。そしてこれが、彼の2つの優先事項である家族とフットボール、そして3つ目には引退後の日々に向けた漸進的なステップを、同等に扱っていくことができる場所だ。
再びラウルは、正しい決断をしたことを静かに示した。もちろん、妻と共に決断をする前に、彼は親友のうちの2人に相談した。フェルナンド・イエロとペップ・グアルディオラ、すでに2003年と2005年に、カタールでそれぞれのスポーツキャリアを過ごしている。
シャイフの夢
シャイフのモハメド・ビン・ハマド・ビン・カリファ・アル・タニは、現カタールの王族の6番目の息子で、世界長者番付第18位、アル・ジャジーラのオーナーでありカタール・フットボール協会の会長、スポーツ全般やフットボールの大きな後援者で、様々な支援をしている。中でも特に、カタールが2022年ワールドカップのホスト国を務めることなどもそうだ。彼はラウルに2シーズンの契約と約500万ユーロの年俸をオファーしたが、さらに1つのプロジェクトも託していた。
つまり、ラウルはアル・サッド1つだけと契約したわけではないのだ。カタールは、国のフットボールを内部から動かしていく手助けのために、ラウルと契約したのだ。彼らの最大の挑戦である2022年ワールドカップまでの残された10年間、トップスピードでそのフットボールのレベルを上げていくこと。ラウルは、自国のリーグの国際イメージを高めるためのプロジェクト、フットボールを成長させるための象徴であり、このため彼の責任は、ピッチの中にとどまらないものとなっている。彼はスターであり、教師であり、生徒であり、そして大使でもあるのだ。
「3か月でフットボールのレベルには到達しているし、すでに彼はチームリーダーだ。そのゴール、ファンの間に大きな熱狂を生み出し、チームメイトたちだけでなく対戦相手にも戦うことを教えている。トップレベルのプロフェッショナルフットボール選手となるための、それもピッチ内だけでなくピッチの外でも、というガイドラインも作り始めるだろう。そしてそれ以上に、我々は彼に、これからの世代にそういうことを教え込んでほしいと望んでいるんだ。こうした理想的な人物を選んだことに、我々は満足している。メンタルの変化をもたらし、我々のフットボールに必要な努力という、文化の点で改革をもたらしている。だから、ラウルがカタールへ来たのは、黄金の引退生活を求めてなのだと考えるのは間違いだ。我々が彼を選んだのは、フットボール選手としてもだが、彼が示す仕事の価値、忍耐、スポーツマンシップを備えた、模範的なスポーツマンであるということからだ。」 と、同国に浸透している思慮分別に準じて匿名を求めた、カタールのフットボールの役員はそう答えている。
監督
ラウルはすでに、引退したら監督になろうと決めている。アル・サッドでの彼の役割は、この道からは外れているようだとしても。彼は、我々の国にタイトルをもたらすことだろう。国際ライセンスを取って、スペインで規定で必要とされる少なくとも3シーズンはトップカテゴリーで監督をしてから。「賭けても良い。いつか彼はベンチに座る。隣にはモリエンテスを置いてね。」と、彼を良く知る人物は静かにそう言う。
だから、彼が毎日朝9時には、ドーハの郊外にある先進的なスポーツアカデミーであるAspires Academyのオフィスに行って、カタールで最も才能を約束された200人の選抜された子供たち(12歳~18歳)と共にトレーニングをしているのは驚くにはあたらない。
そこでは、スペイン人でフットボール育成の責任者であり、レアル・ソシエダからきたロベルト・オラベ、フットボール・コーディネーターのミケル・アンティア、育成責任者のワルテル・ディ・サルボ、ゼネラル・ディレクターのイバン・ブラボと共に、習慣的にミーティングを行っている。ラウルは、Aspiresのこのプロジェクトのあらゆる面にかかわっている。その核心的な部分まで。大会の裏方のことや育成プロセスの重要事項といった、マネジメントの仕事におけるあらゆる面を知ろうとする彼の姿勢は、彼を知らなかった人々を驚かせている。
アル・サッドの魂
午後には、アル・サッドでのトレーニング。チームはすでにカタール・スターズ・リーグの首位で、7戦7勝を挙げている(23日には第8戦があり、勝利)。ラウルは4ゴールを挙げており、もっとも最近決めたのは、アル・ラヤン戦のFK。このダービー戦の前には勝ち点で並んでいて、シャイフはこの試合の前に、もし彼がゴールを決めて勝利をしたら50万ユーロの価値がある競争ラクダ(?)を与えると約束していた。実際に彼はゴールを決め、いつでもラクダで移動してもいいのだが、実際に彼がそうするかは不確かではある。この7戦は、彼が既にこのチームの魂であるというだけではなく、リーグの魂にもなるのに十分なものだった。モロッコ人監督のフセイン・アモッタは、フットボールのリズムの点としては、常に要求が高い欧州の、そしてラウルのスタンダードとは異なっているとしても、どのトレーニングでも、どんなボールを競りにいく時でも、彼が見せる力強さに酔いしれている。
またアモッタは、現代的なJassim Bin Hamadスタジアム(収容人員18,000人、2022年W杯に向けて建てられたスタジアムで、気温が50℃にもなる気候下でも大丈夫なようにエアコン設備が整っている)に、彼のプレイを見ようと集まる観客にも幻惑されている。ラウルは、シャイフがカタール・スターズ・リーグからラウルが将来を築いているAspire Academyに至るまで、カタールにもたらそうと努力している文化の面での、大使としての役割も少しずつ見せている。
フットボールと家族
彼のドーハでの生活は静かで穏やかなもの。彼そのものの家族を見ているようだ。これ見よがしな特別なマンションではなく、Aspires Academyに近い都会的な場所で隣人たちに囲まれて過ごしている。
毎朝、マリア(5人いる子供たちの一番下)を学校(幼稚園?)に預けた後、彼はAspiresのオフィスに行き、自宅で昼食を取った後はアル・サッドのトレーニングに行き、自宅に戻ってからは我々のプリメーラ、セグンダのあらゆるニュースを、アル・ジャジーラの放送とスペイン語のWEBを通じてフォローする。マドリーの試合は決して見逃さず、バルセロナの試合も、シャルケの試合も、スペインサッカーのビッグゲームも見逃さない。日曜日のカスティージャの試合まで見ている。
先週は、Aspires4Sportsのシンポジウムがあったため、フェルナンド・イエロやミヤトビッチ、ミチェル・サルガドといった親しい友人たちと楽しく過ごすことができた。レアル・マドリーについての興味深いワークショップ、ランチやディナー、冗談が飛び交い、シウダ・デポルティーバでの昔のこと、愛すべきファビオ・カペッロや思い出に残る監督との逸話、トップチームに上がったばかりの日々のことを思い出したりもした。
カタールでのラウルは幸せそうに見える。家族と楽しく過ごして、現役のフットボール選手としての最後の時間を使い尽くし、将来のプロジェクトを思い描く。彼自身が関わる、カタールでの計画も。彼の昔からのインタビューアレルギーは、距離感を縮めるものでもなく、また彼の心のクラブ、レアル・マドリーについて話すことも望んでいない。このため、誰も彼の言葉を誤解することはない。しかしこのことは、ラウルがいつか監督になるということでもあるだろう。では、彼がアル・サッドでお披露目をした日に、アル・ジャジーラで話したものを引いて、締めくくりとしよう。「僕のレアル・マドリーからの出発は、少し急がされた。でも、帰るよ。」
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まだシャルケでいけるのに、欧州の他クラブでもいけるのに、何でカタールなんだろう……。と、何か消化しきれない思いも残しつつ、でもラウルが自分で決断して選んだことだから、とどうにか納得して数か月。この記事を書いた人が、ラウルにどういう取材をしたのか、周囲の情報から書いているだけなのかはわかりませんが、でも、何でカタールだったのかの理由は、やっぱりラウル自身きちんと考えていたんだな、と思います。
以前は、スペイン人選手はリーガでプレイしてほしいと思ってました。でも、プレミアあたりに行く選手が少しずつ出てきて、モリエンテスもプレミアやフランスでやったし、ラウルはブンデスに行ったし。最近はカスティージャ産の選手や若いスペイン人選手たちも、ブンデスリーガに増えたりしている。この辺りはスペインの経済問題も大きいかとは思いますが、でも若い選手たちがスペイン外のフットボールを経験して成長していくとか、それでいつかまたスペインに戻ってくるのかなとか、こういうのもありだな、とちょっと考え方が変わってきてます。日本人選手も、だいぶ欧州でやる選手が増えてきてますからね。で、同じような理由で、このラウルのように、将来の監督とか育成とかにかかわる人たちが、いろいろな経験を積んでいるのは意味があることなんだろうなとも、思えるようになってきた。ような気がします。
ところで、この記事を読み始めたときは、記事内にモリエンテスの名前が出てくるとは思ってませんでした。いつの日か、ラウル監督の隣に座るモリエンテス副監督、って実現するのかな。いつになるのかな。(ディフェンスコーチにカランカもどうだろう)。
でも同じ白でも、やっぱりこっちだな……。
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「身体が要求しているんだ。これが、新しい経験をする最後のチャンスだと。家族のことが第一で、ここ何年もそうできなかったけれど、時間を家族に捧げたいんだ。」
4月18日、混雑したフェルティンス・アレナのプレスルームで、ラウルは、わずか2シーズンで神話となる地位を築いたシャルケとの契約を延長しない理由を、そう説明した。
10日後、スタジアム中を「Gracias, senor Raul」と書いた何千ものTシャツを着た人たちが埋め尽くし、彼に声援を送っていた。感動的なセレモニーだった。ラウルは、そこで永久欠番となる7番のユニフォームを着た息子たちと共に、ピッチの上で泣いていた。レアル・マドリーが知ることのなかった、しようとしなかった、相応しい称賛の印だった。
しかし、その日ラウルは真実を語ったのだが、それはすべての真実ではなかった。身体が要求している、それは本当だろう。しかし一番に彼が自身に求めていたのは、恵まれた頭脳を持つことだ。物事とはどう変わっていくものかを知っている冷静な頭脳は、1月には、シャルケでも同様で、最高の状態である時が辞める時だと考えていた。
35歳、彼の身体は、ブンデスリーガが要求する最高レベルのフィジカルの要求に、耐えることが厳しくなっていた。98試合で40ゴール、20アシスト、ドイツ杯とドイツのスーパーカップを、高く積み上げたリストに付け加えた。
漸進的な転換
こうした理由で、ゲルゼンキルヒェンの首脳陣がさらに1シーズンの契約延長をオファーした時、ラウルはそのオファーを辞退した。同様に、スペインの2つのクラブ、MLS、ロシアのクラブからのオファーも断った。(会見をした4月から)3か月前のこと、1月にシャルケがドーハのAspires Academyを訪問したのが、ラウルと、カタールとカタールのフットボールとの初めての出会いだった。それから、様々なものが適合するのを理解し、彼はそのプロジェクトに引き付けられ始めていった。
ラウルは、徐々に現役のフットボールでの活動から、新たなステージへのステップに向けた転換を行うことができる場所を求めていた。そこでは、フットボールの世界でのマネジメントや、子供たちとの仕事をする方法の重要なものを学ぶことを望んでいる。ドイツや他の欧州のリーグでは、コンスタントなペースでのトレーニング、遠征、試合があり、不可能なことだった。
カタールは、FIFAランク104位、GDP世界第2位。カタール・スターズ・リーグには12チームしかなく、小さな大会がまったくの発達段階にある。そしてこれが、彼の2つの優先事項である家族とフットボール、そして3つ目には引退後の日々に向けた漸進的なステップを、同等に扱っていくことができる場所だ。
再びラウルは、正しい決断をしたことを静かに示した。もちろん、妻と共に決断をする前に、彼は親友のうちの2人に相談した。フェルナンド・イエロとペップ・グアルディオラ、すでに2003年と2005年に、カタールでそれぞれのスポーツキャリアを過ごしている。
シャイフの夢
シャイフのモハメド・ビン・ハマド・ビン・カリファ・アル・タニは、現カタールの王族の6番目の息子で、世界長者番付第18位、アル・ジャジーラのオーナーでありカタール・フットボール協会の会長、スポーツ全般やフットボールの大きな後援者で、様々な支援をしている。中でも特に、カタールが2022年ワールドカップのホスト国を務めることなどもそうだ。彼はラウルに2シーズンの契約と約500万ユーロの年俸をオファーしたが、さらに1つのプロジェクトも託していた。
つまり、ラウルはアル・サッド1つだけと契約したわけではないのだ。カタールは、国のフットボールを内部から動かしていく手助けのために、ラウルと契約したのだ。彼らの最大の挑戦である2022年ワールドカップまでの残された10年間、トップスピードでそのフットボールのレベルを上げていくこと。ラウルは、自国のリーグの国際イメージを高めるためのプロジェクト、フットボールを成長させるための象徴であり、このため彼の責任は、ピッチの中にとどまらないものとなっている。彼はスターであり、教師であり、生徒であり、そして大使でもあるのだ。
「3か月でフットボールのレベルには到達しているし、すでに彼はチームリーダーだ。そのゴール、ファンの間に大きな熱狂を生み出し、チームメイトたちだけでなく対戦相手にも戦うことを教えている。トップレベルのプロフェッショナルフットボール選手となるための、それもピッチ内だけでなくピッチの外でも、というガイドラインも作り始めるだろう。そしてそれ以上に、我々は彼に、これからの世代にそういうことを教え込んでほしいと望んでいるんだ。こうした理想的な人物を選んだことに、我々は満足している。メンタルの変化をもたらし、我々のフットボールに必要な努力という、文化の点で改革をもたらしている。だから、ラウルがカタールへ来たのは、黄金の引退生活を求めてなのだと考えるのは間違いだ。我々が彼を選んだのは、フットボール選手としてもだが、彼が示す仕事の価値、忍耐、スポーツマンシップを備えた、模範的なスポーツマンであるということからだ。」 と、同国に浸透している思慮分別に準じて匿名を求めた、カタールのフットボールの役員はそう答えている。
監督
ラウルはすでに、引退したら監督になろうと決めている。アル・サッドでの彼の役割は、この道からは外れているようだとしても。彼は、我々の国にタイトルをもたらすことだろう。国際ライセンスを取って、スペインで規定で必要とされる少なくとも3シーズンはトップカテゴリーで監督をしてから。「賭けても良い。いつか彼はベンチに座る。隣にはモリエンテスを置いてね。」と、彼を良く知る人物は静かにそう言う。
だから、彼が毎日朝9時には、ドーハの郊外にある先進的なスポーツアカデミーであるAspires Academyのオフィスに行って、カタールで最も才能を約束された200人の選抜された子供たち(12歳~18歳)と共にトレーニングをしているのは驚くにはあたらない。
そこでは、スペイン人でフットボール育成の責任者であり、レアル・ソシエダからきたロベルト・オラベ、フットボール・コーディネーターのミケル・アンティア、育成責任者のワルテル・ディ・サルボ、ゼネラル・ディレクターのイバン・ブラボと共に、習慣的にミーティングを行っている。ラウルは、Aspiresのこのプロジェクトのあらゆる面にかかわっている。その核心的な部分まで。大会の裏方のことや育成プロセスの重要事項といった、マネジメントの仕事におけるあらゆる面を知ろうとする彼の姿勢は、彼を知らなかった人々を驚かせている。
アル・サッドの魂
午後には、アル・サッドでのトレーニング。チームはすでにカタール・スターズ・リーグの首位で、7戦7勝を挙げている(23日には第8戦があり、勝利)。ラウルは4ゴールを挙げており、もっとも最近決めたのは、アル・ラヤン戦のFK。このダービー戦の前には勝ち点で並んでいて、シャイフはこの試合の前に、もし彼がゴールを決めて勝利をしたら50万ユーロの価値がある競争ラクダ(?)を与えると約束していた。実際に彼はゴールを決め、いつでもラクダで移動してもいいのだが、実際に彼がそうするかは不確かではある。この7戦は、彼が既にこのチームの魂であるというだけではなく、リーグの魂にもなるのに十分なものだった。モロッコ人監督のフセイン・アモッタは、フットボールのリズムの点としては、常に要求が高い欧州の、そしてラウルのスタンダードとは異なっているとしても、どのトレーニングでも、どんなボールを競りにいく時でも、彼が見せる力強さに酔いしれている。
またアモッタは、現代的なJassim Bin Hamadスタジアム(収容人員18,000人、2022年W杯に向けて建てられたスタジアムで、気温が50℃にもなる気候下でも大丈夫なようにエアコン設備が整っている)に、彼のプレイを見ようと集まる観客にも幻惑されている。ラウルは、シャイフがカタール・スターズ・リーグからラウルが将来を築いているAspire Academyに至るまで、カタールにもたらそうと努力している文化の面での、大使としての役割も少しずつ見せている。
フットボールと家族
彼のドーハでの生活は静かで穏やかなもの。彼そのものの家族を見ているようだ。これ見よがしな特別なマンションではなく、Aspires Academyに近い都会的な場所で隣人たちに囲まれて過ごしている。
毎朝、マリア(5人いる子供たちの一番下)を学校(幼稚園?)に預けた後、彼はAspiresのオフィスに行き、自宅で昼食を取った後はアル・サッドのトレーニングに行き、自宅に戻ってからは我々のプリメーラ、セグンダのあらゆるニュースを、アル・ジャジーラの放送とスペイン語のWEBを通じてフォローする。マドリーの試合は決して見逃さず、バルセロナの試合も、シャルケの試合も、スペインサッカーのビッグゲームも見逃さない。日曜日のカスティージャの試合まで見ている。
先週は、Aspires4Sportsのシンポジウムがあったため、フェルナンド・イエロやミヤトビッチ、ミチェル・サルガドといった親しい友人たちと楽しく過ごすことができた。レアル・マドリーについての興味深いワークショップ、ランチやディナー、冗談が飛び交い、シウダ・デポルティーバでの昔のこと、愛すべきファビオ・カペッロや思い出に残る監督との逸話、トップチームに上がったばかりの日々のことを思い出したりもした。
カタールでのラウルは幸せそうに見える。家族と楽しく過ごして、現役のフットボール選手としての最後の時間を使い尽くし、将来のプロジェクトを思い描く。彼自身が関わる、カタールでの計画も。彼の昔からのインタビューアレルギーは、距離感を縮めるものでもなく、また彼の心のクラブ、レアル・マドリーについて話すことも望んでいない。このため、誰も彼の言葉を誤解することはない。しかしこのことは、ラウルがいつか監督になるということでもあるだろう。では、彼がアル・サッドでお披露目をした日に、アル・ジャジーラで話したものを引いて、締めくくりとしよう。「僕のレアル・マドリーからの出発は、少し急がされた。でも、帰るよ。」
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まだシャルケでいけるのに、欧州の他クラブでもいけるのに、何でカタールなんだろう……。と、何か消化しきれない思いも残しつつ、でもラウルが自分で決断して選んだことだから、とどうにか納得して数か月。この記事を書いた人が、ラウルにどういう取材をしたのか、周囲の情報から書いているだけなのかはわかりませんが、でも、何でカタールだったのかの理由は、やっぱりラウル自身きちんと考えていたんだな、と思います。
以前は、スペイン人選手はリーガでプレイしてほしいと思ってました。でも、プレミアあたりに行く選手が少しずつ出てきて、モリエンテスもプレミアやフランスでやったし、ラウルはブンデスに行ったし。最近はカスティージャ産の選手や若いスペイン人選手たちも、ブンデスリーガに増えたりしている。この辺りはスペインの経済問題も大きいかとは思いますが、でも若い選手たちがスペイン外のフットボールを経験して成長していくとか、それでいつかまたスペインに戻ってくるのかなとか、こういうのもありだな、とちょっと考え方が変わってきてます。日本人選手も、だいぶ欧州でやる選手が増えてきてますからね。で、同じような理由で、このラウルのように、将来の監督とか育成とかにかかわる人たちが、いろいろな経験を積んでいるのは意味があることなんだろうなとも、思えるようになってきた。ような気がします。
ところで、この記事を読み始めたときは、記事内にモリエンテスの名前が出てくるとは思ってませんでした。いつの日か、ラウル監督の隣に座るモリエンテス副監督、って実現するのかな。いつになるのかな。(ディフェンスコーチにカランカもどうだろう)。
でも同じ白でも、やっぱりこっちだな……。