当ブログには、「ルネが初恋」という少女時代を過ごして来られた方がたくさんいらしてくださいますが、mixiのルネのコミュニティー『ミドリ色の屋根のルネ・シマール』には、ルネに恋していたというhanahanaさんと、「ミドリ色の屋根」にとても深い思い入れを持っていらっしゃるピングーパパさんという、ルネ・ファンの少年時代を過ごされた男性方がいらっしゃいました。
今回は、承諾をいただいた上で、ピングーパパさんのルネの想い出を紹介させていただきたいと思います。
ピングーパパさんの感受性豊かな少年時代の素敵な想い出は、コミュのトピック「ミドリ色の屋根の頃」に、私の猪突猛進なお馬鹿話を書き込んでしまった後、大変後悔したくらい素敵なものでした。
そして、「ミドリ色の屋根」のイントロ部や、繰り返し聴いていた時の描写の素晴らしさに感激した私は、このお話を是非当ブログで紹介させて欲しいと申し出たのでした。
大人になっても少年の時の純粋さを忘れずに持っていらっしゃるピングーパパさん。 この曲に対し、こんなに思い入れを持っていてくださる男性がいらっしゃるとは思ってもいなかったので、とっても嬉しく思いました。そしてルネが老若男女問わず愛されているということを実感させていただきました。
ピングーパパさんは本当に詩人です。語彙力の乏しい私には到底真似できない表現です。 お馬鹿話で口火を切ってしまい、自己嫌悪に陥りかけていた私は、『一途な少女時代』とか『ほほえましい熱烈ファンぶり』と言っていただいて、ちょっとだけ胸をなで下ろしたのでした。
▼ファン・クラブのルネ
♪ピングーパパさんのルネの想い出♪
「ミドリ色の屋根の頃」
私は、ルネが東京音楽祭でブレイクした時は小学生で、 母が「ミドリ色の屋根」が好きだと言っていたので、母の日にドーナッツ盤をプレゼントしたのが、自分でレコードを買った最初の経験でした。その頃は「お母さんが好きな曲やってるよー」なんてTVのチャンネルを回して、実は自分もこの曲を聴くのが好きだったんだと思います。
それから何年かして中学の頃、たぶん自分の思春期だったと思うのですが、ある晴れた秋の夕方、母のその古いドーナッツ盤を出してきて、秘かにヘッドフォンで何度も何度も繰り返し聴いたのを憶えています。
ハープのグリッサンドに誘われてオーボエが哀しげな旋律を歌い出し、森がさざめくような弦、心地よく響くベースライン、駆け上るトランペット、その全てがルネの透明で心に響く歌声と一体となり鮮やかなイメージを作り出し、私は止めどない感傷に浸っていたのです。
「どうしてそんなに悲しい顔で 毎日お空ばかり見つめているの」
別に自分の家ではそんな現実が合ったわけではなく・・・。 あ、だけどそういえば、その頃両親が口げんかをしていた時、子供心に結構真に受けてオロオロしていたから、それも感傷的な気分を助長したのかも。
「そして僕とすぐにこの家出ようよ ママの悲しみ消すために」
『オズの魔法使い』の「虹の彼方に」じゃないけど、どこかへの逃避願望というのもこの時期あって、それと無意識に重なる部分もあったのかな・・・。
やがていつの間にか陽は落ち、暗がりの中でしばらくじっとしていると、風にそよぐ木の葉の音や虫の声に「生きている時間」が実感されて、「いま感じているこの時間の確かな感覚を、大人になっても鈍感にならずに憶えているんだろうか」 な~んて思ったことをかすかに憶えているんですが・・・。
その頃は大人になることは鈍感になることだと思っていたんですね。今になって自分をみると当たっていたなという気もしますし、いやぁ青臭かったなぁと思いながらも、その頃の自分がちょっぴりいとおしい気もするのです。
いかがでしたか?
私も少女時代は、他人に読まれたら恥ずかしい、少女期特有のロマンチシズムで詩を書いていました。でも、私の周りにもこんなにロマンチストな男子がいたんだろうか? いえ、やっぱりピングーパパさんは、感受性豊かな少年の頃の心を今も持ち続けている方なのだと思います。
最後になりましたが、ビングーパパ様、この度は、こんな素晴らしい想い出を紹介させていただき、ありがとうございました!!
そして、ピングーパパさんに共感された方は、是非是非コメントを入れてくださいね♪ よろしくお願いいたします。
今回は、承諾をいただいた上で、ピングーパパさんのルネの想い出を紹介させていただきたいと思います。
ピングーパパさんの感受性豊かな少年時代の素敵な想い出は、コミュのトピック「ミドリ色の屋根の頃」に、私の猪突猛進なお馬鹿話を書き込んでしまった後、大変後悔したくらい素敵なものでした。
そして、「ミドリ色の屋根」のイントロ部や、繰り返し聴いていた時の描写の素晴らしさに感激した私は、このお話を是非当ブログで紹介させて欲しいと申し出たのでした。
大人になっても少年の時の純粋さを忘れずに持っていらっしゃるピングーパパさん。 この曲に対し、こんなに思い入れを持っていてくださる男性がいらっしゃるとは思ってもいなかったので、とっても嬉しく思いました。そしてルネが老若男女問わず愛されているということを実感させていただきました。
ピングーパパさんは本当に詩人です。語彙力の乏しい私には到底真似できない表現です。 お馬鹿話で口火を切ってしまい、自己嫌悪に陥りかけていた私は、『一途な少女時代』とか『ほほえましい熱烈ファンぶり』と言っていただいて、ちょっとだけ胸をなで下ろしたのでした。
▼ファン・クラブのルネ
♪ピングーパパさんのルネの想い出♪
「ミドリ色の屋根の頃」
私は、ルネが東京音楽祭でブレイクした時は小学生で、 母が「ミドリ色の屋根」が好きだと言っていたので、母の日にドーナッツ盤をプレゼントしたのが、自分でレコードを買った最初の経験でした。その頃は「お母さんが好きな曲やってるよー」なんてTVのチャンネルを回して、実は自分もこの曲を聴くのが好きだったんだと思います。
それから何年かして中学の頃、たぶん自分の思春期だったと思うのですが、ある晴れた秋の夕方、母のその古いドーナッツ盤を出してきて、秘かにヘッドフォンで何度も何度も繰り返し聴いたのを憶えています。
ハープのグリッサンドに誘われてオーボエが哀しげな旋律を歌い出し、森がさざめくような弦、心地よく響くベースライン、駆け上るトランペット、その全てがルネの透明で心に響く歌声と一体となり鮮やかなイメージを作り出し、私は止めどない感傷に浸っていたのです。
「どうしてそんなに悲しい顔で 毎日お空ばかり見つめているの」
別に自分の家ではそんな現実が合ったわけではなく・・・。 あ、だけどそういえば、その頃両親が口げんかをしていた時、子供心に結構真に受けてオロオロしていたから、それも感傷的な気分を助長したのかも。
「そして僕とすぐにこの家出ようよ ママの悲しみ消すために」
『オズの魔法使い』の「虹の彼方に」じゃないけど、どこかへの逃避願望というのもこの時期あって、それと無意識に重なる部分もあったのかな・・・。
やがていつの間にか陽は落ち、暗がりの中でしばらくじっとしていると、風にそよぐ木の葉の音や虫の声に「生きている時間」が実感されて、「いま感じているこの時間の確かな感覚を、大人になっても鈍感にならずに憶えているんだろうか」 な~んて思ったことをかすかに憶えているんですが・・・。
その頃は大人になることは鈍感になることだと思っていたんですね。今になって自分をみると当たっていたなという気もしますし、いやぁ青臭かったなぁと思いながらも、その頃の自分がちょっぴりいとおしい気もするのです。
いかがでしたか?
私も少女時代は、他人に読まれたら恥ずかしい、少女期特有のロマンチシズムで詩を書いていました。でも、私の周りにもこんなにロマンチストな男子がいたんだろうか? いえ、やっぱりピングーパパさんは、感受性豊かな少年の頃の心を今も持ち続けている方なのだと思います。
最後になりましたが、ビングーパパ様、この度は、こんな素晴らしい想い出を紹介させていただき、ありがとうございました!!
そして、ピングーパパさんに共感された方は、是非是非コメントを入れてくださいね♪ よろしくお願いいたします。
さっそくうかがわせていただきました。
ルネくんのいろいろな表情が楽しめました。
この上の写真なんかもとてもあどけないカンジでかわいらしいですね。
また寄らせてくださいませ。
こちらこそ、早速ご訪問いただきありがとうございます。
最初のきっかけは萩尾望都先生の『トーマの心臓』でも、もしルネのことが気に入っていただけましたら、是非是非またいらしてくださいね! お待ちしております。