ここで紹介いたしますエピソードは、1974年にルネが2度目の来日をした際、ファン・クラブ「メープル・メイツ」の事務所を訪れた時のものです。1974年秋に発行された会誌「メープル・メイツ№2」に掲載されたこの記事。ルネの明るく気さくな性格がうかがえます。そして、とても可愛い! ルネが誰からも愛される理由は、『天使の歌声』だけでなく、気取らない少年らしさや可愛らしい笑顔が、見るものを魅了して止まないからなのでしょう。
忙しい合間をぬってルネはメープル・メイツの事務所を訪れました。早速ファンからの手紙の山を一つずつたんねんに目をとおしはじめましたが、ファンからの電話がかかってくると気軽に受話器をとって話しだしました。とつぜんルネが出てきたので、さぞファンはびっくりしたでしょう。
”コンニチワ ボク ルネです”ルネは知っているかぎりの日本語を使っていました。でもどれくらい話が通じたかわかりません。また電話がなります。”コンニチワ ボクはルネです”又ルネがたどたどしい日本語で話しはじめるのでみんなが大笑いしました。この時電話をかけた人は幸運でしたね。
なかなか帰ろうとしないルネ。しかし忙しいスケジュールが待っています。みんなにせかされ、やっと腰をあげました。
アメリカで制作されたルネの特集番組”Rene Simard - Million Dollar Baby 1975 ”で、ルネがカナダの英語圏やアメリカから届いたファン・レターを、たどたどしい英語で読んでいるシーンが出てきますが、きっと、日本のファン・クラブでもこんな感じに過ごしたのでしょうね。
Rene Simard - Million Dollar Baby 1975 Part.4
http://www.youtube.com/watch?v=WtsYtxbrYwo
忙しい合間をぬってルネはメープル・メイツの事務所を訪れました。早速ファンからの手紙の山を一つずつたんねんに目をとおしはじめましたが、ファンからの電話がかかってくると気軽に受話器をとって話しだしました。とつぜんルネが出てきたので、さぞファンはびっくりしたでしょう。
”コンニチワ ボク ルネです”ルネは知っているかぎりの日本語を使っていました。でもどれくらい話が通じたかわかりません。また電話がなります。”コンニチワ ボクはルネです”又ルネがたどたどしい日本語で話しはじめるのでみんなが大笑いしました。この時電話をかけた人は幸運でしたね。
なかなか帰ろうとしないルネ。しかし忙しいスケジュールが待っています。みんなにせかされ、やっと腰をあげました。
アメリカで制作されたルネの特集番組”Rene Simard - Million Dollar Baby 1975 ”で、ルネがカナダの英語圏やアメリカから届いたファン・レターを、たどたどしい英語で読んでいるシーンが出てきますが、きっと、日本のファン・クラブでもこんな感じに過ごしたのでしょうね。
Rene Simard - Million Dollar Baby 1975 Part.4
http://www.youtube.com/watch?v=WtsYtxbrYwo
そうなんですよ! しゃむねこさんのところで紹介している記事(英語圏のカナダの雑誌のもの)でも、その様子が書かれていていますが、読むと切なくなります。ステージの後、大人が食事をしているテーブルの下にもぐり込んで、大好きなチキンも食べきらぬまま、兄レジスと丸くなって眠ってしまうルネ。その様子を想像するととても可愛らしいけれど、11~12才の少年がそんなにしてステージに立っていたなんてと思うと、それでも笑顔を絶やさないで歌い続けたルネの凄さに、感動を覚えずにいられません。
ルネのことを知れば知るほど、歌手として、一人の人間としてのルネの素晴らしさが分かって、より一層ルネが好きになっていくshimazakiです。
こんなルネを、一緒に応援していきましょう!
………(;ω;) ほんの子供なのに夜遅くまで働いてたんですね、意地らし過ぎます。・゚・(ノД`)・゚・。 レジスとは本当に仲良かったんですね。テーブルの下で二人丸くなって眠る姿に兄弟愛を感じます(*^^*)しゃむねこさん宅で大人になったレジスの写真を見てカッコ良くなってたのでビックリ(^-^)
YouTube映像に、10代の映像や20歳頃のルネとのデュオ映像、渋く髭を蓄えた30代にステージで歌った映像があって、それもとても素敵です。
日本にいて、カナダの、それも30年以上前の映像を見られるなんて、本当に便利な時代になりましたね! でも、いつ無くなるか分からないので、YouTube映像は今の内にたっぷり見ていてくださいね!!
貴サイトともどんどん交流して、ルネ友の輪を広げていけたらと思っています♪ よろしかったら、しゃむねこさんも参加してくださいね!