いただきました!ルネ写真です!!
(堺正章氏の「いただきました!星3つです!!」風に 笑)
ルネの通訳をしていらした道上雄峯様から、ルネの来日当時の貴重なお写真を提供していただきました!! 氏は『スーパーアイドル ルネ』の『完全スケジュール同行記』も書かれています。 写真の元付は、ルネの身の回りの世話をしていらしたクローディーヌ・バシャンさんです。私はお二人とfacebookで『お友だち』になっています。
道上さんから、当ブログで紹介することを許可していただきました ルネのいたずらっ子ぶりや、プロの歌手としてのエピソードも教えていただきました(10月5日)
道上さん、クローディーヌさん、どうもありがとうございました!!!
▲1975年のスプリング・コンサートで ルネはファースト・コンサートの時と同じ衣装を着ています 道上さんからのルネへの質問は、「好きな食べ物は?」とか「日本のどこが好き?」だったそうです
▲「ヤングおー!おー!YOUNG OH! OH!」で、司会は桂文枝師匠(当時は桂三枝)と ※この写真はMICHIGAMIワインのメルマガにも掲載されました
※「ヤングおー!おー!」wikipedia参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%81%8A%E3%83%BC!%E3%81%8A%E3%83%BC!
▲水の江瀧子さんの番組で 1975年1月
※「水の江瀧子 」wikipedia参照
ルネのいたずらっ子ぶりのエピソードは、芸能誌や『スーパーアイドル ルネ』等の記事でたくさん紹介されていますが、ショーウインドーに入ってマネキンの真似をしたりしていたそうです。また、これは道上さんが別の投稿のコメント欄で語られたことですが、「通訳が目立ちすぎる」と怒られたそうです(笑)。背が高くてイケメンですものね 現在も変わらずダンディーな紳士です
ここからは、道上さんからのお返事をそのまま紹介いたします。 私が、道上さんがカッコイイから、雑誌の編集者がワザと写っている写真を掲載したのでしょうと、入れたコメントへのお返事です。
僕が格好良いからではなく、当時通訳と言うとインテリーと間違えられました。それと、当時芸能人が背の低い方が多く、僕の首からは映らない事が多かったです。それに僕は極端に声が低いので目立ちました。ただルネの圧倒的な存在感に助けられました。
TVは音合わせ、カメリハ、ランスルー、本番と行きます。皆さん、リハーサルはセーブします。ルネは思い切り本番のごとく歌って圧倒します。リハーサル中他の歌手や裏方さんから大きな拍手で盛り上がります。この様にしてルネは存在感ををアピールこれには我々もびっくりしました。リハーサル中に本番と同じ感動を与えられました。こうして皆さんを虜にしてきたのです。
僕は10年前から無償のメルマガを書いています。その内ルネの事も書こうと思っています。もし宜しかったら、[wine@michigami.com]にメルマガ頂戴とメールして頂ければ、毎週無料で送られてきます。宜しくお願いします。
私はずっとメルマガの読者ですが、ワインの知識など、とても勉強になりますよ!! その上、ルネのこともお書きになる予定ですから、是非是非メルマガの購読希望をメールで申し込んでみてくださいね
※MICHIGAMIワインのメルマガの購読申し込みはこちらから wine@michigami.com
それから、3枚目の写真の、亡き水の江瀧子さんは、ルネも来日時に出演した「オールスター家族対抗歌合戦」の審査員でした。彼女が司会をされていた音楽番組をご存じの方がいらっしゃいましたら、是非ご一報ください! よろしくお願いいたします!!
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今日は10月10日。ルネ・ファン世代にとって、この日は『体育の日』でしたね。1964年に開催された東京オリンピックを記念した祝日でありました。ちなみに実家の末の姪の小学校は、暑い時期を避けて今日が運動会。
今年は土曜日なので学校はお休みだけど、今年開催されるはずだった東京オリンピック2020のために、7月24日を『スポーツの日』としたり、近年では『体育の日』を月曜日に持ってきて3連休にしたため、10月10日が祭日にはならなくてちょっと変な感じです。
▲実家の町の城山公園に行ってきました 彼岸花の群生地で今が見頃(8分咲き位 9月30日撮影)
そして今回紹介いたしますのは、ルネのデビュー25周年CD集からではありません。アルバムがリリースされた時のルネの年齢があまり離れないうちに、ルネとルネ・マルテルのコラボ・アルバム”Souvenirs de vacances”より、”Sur la route de Babylone”を紹介いたします。
Bony Mのヒット曲”Rivers Of Babylon”の仏語版”Sur la route de Babylone”は、ルネとルネ・マルテルのデュエット曲として収録されました。
この曲は、ルネの曲を紹介したサイトの歌詞では、どうしても訳せないところが有ったためネット検索したところ、ボニーMBony Mのカラオケ・バージョンにヒット! 歌詞紹介サイトのものとかなり違っていたので、カラオケの歌詞の方に訂正しました。ちなみに邦題はそのまま『バビロンの河』です。
※ルネの歌紹介サイトの歌詞
René Simard - Sur la route de babylon (Rivers of babylon)
♪Boney M . - Rivers Of Babylon (Lyrics)
歌詞の中の『ネブカドネザル』なんて、どんなに聞き取っても、歌詞に出てくるなんて予想もできませんでした。もちろん仏和辞典にだって出てきませんから、カラオケには助けられました。ちなみに新バビロニア王国の2代目の王ネブカドネザル2世のことです。ちょっと世界史の勉強にもなりましたよ(笑)。
※ネブカドネザル2世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照
ネブカドネザル2世
Sur la route de babylon
(Rivers of babylon)
シュー ラ ルートゥ ドゥ バビロン
Sur la route de Baylon
イル サ ナレ
Il s'en allait
ル クー ラン フェトゥ
Le coeur en fête
ル ヴィザージュ キ レイヨンヌ
Le visage qui raillonne
シュー ラ ルートゥ ドゥ バビロン
Sur la route de Baylon
ル ソレイユ ブリーユ
Le soleil brille
ヴェル セットゥ ヴィーユ
Vers cette ville
キ コネー ミユー ク ペルソンヌ
Qui connaît mieux que personne
イル ヴォワイヤージェ オ クール ドゥ ラズィー
Il voyageait au coeur de l'Asie
ダン ス ペイ デ ミ レ ユヌ ニュイ
Dans ce pays des milles et une nuit
イ レーメ ビヤン ヌー ラコンテ
Il aimait bien nous raconter
トゥー ソン パッセ
Tous son passé
ダン セットゥ ヴィーユ ドゥ ランティキテ
Dans cette ville de l'Antiquité
キル フェ レヴェ シェ ナビュコドノゾル
Qui fait rêver chez Nabuchodonosor
イル ルデクヴレ セ トゥレゾール
Il redécouvrait ces trésors
ソ ニストワール
Son histoire
イル マルシェ ジュール エ ニュイ
Il marchait jours et nuits
ギデ パール ラ リュ ヌー ル ソレイユ キ リュイ
Guider par la lune ou le soleil qui lui
オン ディセ キ レテ エトゥランジュ
On disait qu'il était étrange
コ マ ナンジュ
Comme un ange
イル バルテ アン スィランス
Il partait en silence
イル ルヴェネ トゥージュー シュー ソ ネクスペリエンス
Il revenait toujours sur son expériences
イル ヌ パルレ パンダン デ ズール
Il nous parlait pendant des heures
デュ ポヌール
Du bonheur
※シュー ラ ルートゥ ドゥ バビロン
Sur la route de Baylon
イル サ ナレ
Il s'en allait
ル クー ラン フェトゥ
Le coeur en fête
ル ヴィザージュ キ レイヨンヌ
Le visage qui raillonne
シュー ラ ルートゥ ドゥ バビロン
Sur la route de Baylon
ル ソレイユ ブリーユ
Le soleil brille
ヴェル セットゥ ヴィーユ
Vers cette ville
キ コネ ミユー ク ペルソンヌ
Qui connaît mieux que personne※
※~※(×3)
バイロンへの道で(バビロンの河)
バビロンへの道で
彼は去った
陽気な気持ちで
からかっているような顔で
バビロンへの道で
太陽は輝いている
誰よりもよく知っている
この街に
彼はアジアの中心を旅していた
千夜一夜のこの国で
彼は私たちに語るのが好きだった
彼の過去のすべてを
この古代都市で
ネブカドネザル王時代の夢を見させる
その歴史
彼は自分の宝を再発見する
彼は昼も夜も歩いた
月か輝く太陽の案内で
人々は不思議だと言った
まるで天使のようだと
彼は黙って立ち去った
彼はいつも経験から戻ってきた
彼は何時間も私たちに話した
幸せそうに
※バビロンへの道で
彼は去った
陽気な気持ちで
からかっているような顔で
バビロンへの道で
太陽は輝いている
誰よりもよく知っている
この街に※
※~※(×3)
ちなみにこのアルバムは、こちらのサイトで全曲お聞きいただけますよ
PalmarèsADISQ - René Simard - Album: Souvenirs de vacances (palmaresadisq.ca)
Boney M (ボニーM) プロフィール
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ボニーM(Boney M.)は、1970年代~80年代に活動したドイツ出身のディスコバンド。
ドイツのミュージシャン、フランク・ファリアンが当初自身の変名としてプロデュースし、メンバーを集めた上、影のボーカルも担当した。ドイツのバンドではあるがメンバーはすべて海外(中南米とアフリカ出身)から呼び集め、歌詞も英語だった。
デビュー曲にしてドイツで1位、イギリスでもトップ10に入った「ダディクール」、イギリスで2位となった「怪僧ラスプーチン」が代表曲であり、他の代表曲に「サニー」「バビロンの河」などがある。ドイツのみならず世界各国でヒットを飛ばし、ベストアルバム『マジック・オブ・ボニーM』はミリオンヒットを記録した。「怪僧ラスプーチン」は、同じくドイツのディスコバンド、ジンギスカンがデビューするきっかけとなったことで知られる。
日本でも70年代末のディスコブームに乗って、「怪僧ラスプーチン」が大ヒットした。
<メンバー>
・マーシャ・バレット(1948年-、ジャマイカ出身)
・リズ・ミッチェル(1952年-、同上。リードボーカル)
・メイジー・ウィリアムス(1951年-、小アンティル諸島モントセラト島出身)
・ボビー・ファレル(1949年-2010年、西インド諸島アルバ島出身)
・レギー・ツィボー(1951年-、ガーナ出身。)
ボニーMについて調べてみたところ、日本でも大ヒットした『怪僧ラスプーチン』は、ディスコに全く興味のなかったシマ姉でさえ、サビの部分は聞き覚えが有りました。でも、ルネが歌った楽曲が『バビロンの河』の方で良かったとしみじみ思うシマ姉です(笑)。
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<著作権とブログの行方>
ここのところ、ルネが歌った曲についての紹介記事を書いているので、「歌詞と著作権」について調べてみました。
※「歌詞と著作権。ブログなどのサイトの記事を書く前に知っておくべきこと。」参照
<歌詞を無料で自由に掲載する方法>
引用の形式を守って掲載する
著作権法には「引用」であれば、誰でも自由に歌詞を転載して良いと明記されています。(著作権法32条1項) また、文化庁は「全文でも引用の要件を満たしていれば可能」という見解を示しています。
①引用部分とそれ以外の部分が明瞭に区別されている
②自分の著作物が主で、引用する歌詞が従になっている
③引用の目的が「報道、批評、研究など正当な範囲内」になっている
④出所の明示
歌詞の場合は、曲のタイトルと作詞者の名前を書けばOK(著作権法48条1項1号)
⑤引用する著作物は公表された著作物であること
⑥著作者人格権を侵害するような利用態様でないこと
当ブログ記事は「引用」の要件を満たしているようです。詳しくは、前出のサイトの記事をご覧ください。
なお、肖像権につきましては、wikipediaを参照してください。
※「肖像権 」
まあ、当ブログは企業の広告等をトップページを入れていないし、レビュアーしているわけでもないので、広告料等の金銭収入は発生していません。ほとんどルネ・ファンしか検索しないしコアなブログで、アクセス数も少ないから問題にもされないでしょうけど、法律は守らないとね!
そしてもう1つ、私が死んだらブログはどうなるのか、その疑問に答えてくれる記事が書かれているサイトを見付けて読みました。一応、『ルネ友のみなさまへ』という記事を用意していますが、手続き等、いろいろと大変そうです。
もちろん、管理者がブログを止めていても、無料ブログのため削除されずに残っているブログや、記事の更新が滞っているだけのブログもたくさん存在しています。前出のサイトの記事には、「ブログが10年続くのは難しい」という一節が有りましたが、当ブログは週末1記事+α投稿を、今日でちょうど14年と4カ月続けているので、珍しいブログサイトということになりますね(笑)。
現在は元気でも、ルネをはじめ、当時のルネ・ファン世代はすでにアラ還★ 『老前整理』や『生前整理』の前に、続けられなくなる事態が起こる可能性は、たとえ若くともゼロではありません。ブログを長く続けている方の中には、私と同じように、ブログ終了の記事を準備投稿している方がいらっしゃいます。facebook、mixi、掲示板も同様に、最終的には、遺族にブログサービスへの支払いやブログの停止、削除などの手続きをしてもらうことになるでしょう。記事更新が出来ずに放置することだけはしたくないので、『ブログ仕舞い』も視野に入れながら、1記事1記事を大切にしていきたいと思っています。
こんなことを書くと、「シマ姉、何か有ったの~っ?!」と心配されそうですが、メッチャ元気ですよ!!! 構想段階でこのことを話したら、やんばるQさんに心配されてしまいました(笑)。私もそういうことも考えておかなければならない年になったということです(爆★)。現在は、予約投稿と並行して1002記事以降の構想を練っています。来年はルネのデビュー50周年を迎える記念すべき年! 来年1年間は週末1記事+αペースを守って頑張るつもりですが、それから先は投稿ペースや内容を減らしても、『100歳まで生きたい』というルネが活動している間は、ブログを続けられるよう頑張りたいと思っています。ちなみに、今日の段階で予約投稿は来年のルネの誕生日まで、下書きは来年の『ルネ記念日』(1001記事)まで進めています(私に何が有っても ここまでは達成したいので 爆★)。
ルネ友のみなさま、末永くお付き合いくださいね まずは、目指せブログ成人式(開設20周年)!!
今回は3部構成で長い内容になりました。最後までお読みいただきありがとうございました。
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