ルネのデビュー50周年記念誌紹介の3回目です。ちなみに今から46年前の1974年9月20日は、ルネの2回目の来日の最終日でした。
そして今回は、ルネの子供時代のエピソード、”Un enfant curieux et au grand coeur心の広い好奇心旺盛な子供”のPart.2になります。デビュー前のルネがどんな生活をしていたか、家族とどう関わっていたかが分かる内容です。
TOUT sur l'enfant star
René Simard
L'IDOLE d'un PEUPLE
Un enfant curieux et au grand coeur
心の広い好奇心旺盛な子供
幸福の家
ルネが子供時代を過ごしたのは、主にオルレアン島のサント・ペトロニーユでした。家族は彼らの家に『白い家』というニックネームを付けました。それは小さいですが、それでも9人の大家族を収容することができました:
「私たちは3つの部屋を持っていました。 1つは私の両親用、もう1つは女の子用、もう1つは男の子用です。 私たちは同じベッドで寝ました。 弟のジャン=ロジェが足元で斜めになって寝ていることもありました。」
歌手を覚えています。 2014年、”Qui etes-vous?”という番組の撮影のために、アーティストはこの子供時代の家に戻り、次のように言いました。「感動しました。 家に足を踏み入れるだけで、時間を遡るような気分になりました。年をとるにつれて敏感になるんです。 私の奥深くに何かを求めるようになります。」と。
♪YouTube映像”Simard Houses”
https://youtu.be/NrRm3HtWvi0
▲オルレアン島の『白い家』
▲▼『白い家』”Qui etes-vous?”より
▲『船長の家』”Qui etes-vous?”より
彼にはいくつかの
素晴らしい想い出がある
ルネ・シマールは裕福な家庭に生まれた(銀のスプーンを口に入れて生まれた)わけではないかもしれませんが、子供の頃の想い出を世界と交換することはありませんでした。 特に彼の家族と一緒に歌うことになると。
観光客に知られる家族!
両親、兄弟、姉妹は頻繁に会って歌います。 家族がセント・ペテロニーユ村では、そのことで知られるようになるほどです。 家族は通行人の注意を引くために『白い家』のバルコニーによく移動して歌いました。「観光客がいると、村の人たちは彼らを私たちの聖歌隊に向かわせました。 立ち止まって私たちを見ている人がいて、私たちは歌う家族と呼ばれていました。 それは私が大切にしている美しい想い出です。」とルネは言います。
常に囲まれている
彼は豊かな愛の中で成長しました。 彼の両親も人の周りにいるのが好きな人たちでした。 楽しくなればなるほど、私たちはもっと笑います! 歌手は言います:「私は日曜日のミサの後の家族の食事が好きでした。 私にとって、それは神聖でした。 私はほぼ毎日ミサに仕えました。 私の結婚にも参加したルジナール・ラローズ司教、ルボウフ神父、家族の友人であり続けたシスター・エレーヌを覚えています。」 小さなルネがとても自信がある少年なのは、間違いなく、このすべての愛と、さまざまな人々と築いたこれらの感情的な絆のおかげでした。 その上、彼は率直に発言しました(ポケットに舌を持っていない)。 すでに彼は、若くして大きな心を持っており、彼の周りの人々を幸せにするのが好きでした。 彼は決してこの貴重な資質を失うことはありませんでした。
子供の頃の想い出
「サンペトロニーユには、当時ベル・エア城がありました。 私たちはプールで泳ぐことができるように50セントを支払いました、そして私たちが階段を降りると、人々が泳いでいるのを見ることができる窓がありました。 それは前衛的でした。 冬には、雪の中に砦を建て、トンネルを掘ってそれらをつなぎ、ろうそくの明かりで自分たちを照らしました。 私たちは外で日々を過ごしました。私はあなたにそれを夕方に言うことができます、私たちは寝ました!と。」、大人になってからのインタビューでアーティストに伝えました。 ルネにとって、家族の想い出は宝物です。 確かに、少年は家族との生活が何であるかを長い間知らなかったと言うことができました。 9歳で成功すると、彼はスーツケース暮らしを始め、家族の周りで過ごす時間が少なくなりました。
ルネはそれをすべて持っていました:美しい声、優しさとユーモアを。
このページでは、日本ではあまりなじみのない表現が3つほど出てきました。それは、「銀のスプーンを口に入れて生まれる(裕福な家庭に生まれる)」、「ポケットに舌を持つ(率直にものを言う)」、「スーツケースで暮らす」です。3つめは、ルネが歌手デビューしてケベックのアイドルになった時から、TV番組やコンサート等で各地を飛び回って活動したことを指します。さらに第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を受賞してからは、日本だけでなく、アメリカとフランスでも活動し、アメリカでは長期滞在して英語とダンスのレッスンを受けるなど、家族と離れて生活する期間が長くありました。
現在は、ケベックに腰を落ち着けて活動しているルネ。還暦を迎え、ベテランの歌手としてだけでなく、俳優、司会者、監督など、幅広い才能を発揮しながら、若手育成にも力を入れています。また、前回のコンサート・ツアーでは、妻マリー=ジョゼと娘ロザリーが同行し、娘と”Smile”でダンス共演もしましたね♪ これからも夫として、父として、祖父として、家族を大切にして、プライベートでも幸せな人生を歩んで欲しいです!!
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シマ姉のグリーン・ライフ
今年のコスモスが咲き始めました。2メートル近い高さまで伸びますので、毎年台風で倒れてしまいます。写真は台風14号が通過する前の10月16日のもの。時々小雨が降る不安定な天気でしたが、雲間から青空が見えた時に携帯でパチリ♪ 向かって左の写真はなかなかいいでしょう? ちなみに17日の午前中の内に、暴風雨で倒れないようにひもで縛るなどの対策をしていたため、今回は大丈夫でした。
それから、夏越しに成功した、赤、白、ピンクのガーデンシクラメンが咲き始めました❤ 葉が全部なくなってしまったため、今年はもうだめかと放っておいた大きな植木鉢の白いシクラメン(右写真手前)は、いつの間にか葉を出し始めていました。3年目の株なので夏は休眠中だったのかしら? 処分しないでおいて本当に良かった! 4株とも液肥で栄養補給中です。
9月も中旬。暦の上では秋。23日は秋分の日なのに、まだ朝からミンミンゼミ(写真右)が鳴いています。今年はアブラゼミやツクツクホウシ、ヒグラシの鳴き声をほとんど聞いていません。さすがに日が短くなり朝晩は涼しくなって、秋の虫の音も聞かれるようになりました。
濡れ縁の朝顔とユウガオがまだ頑張っています。でも、西の出窓のグリーンカーテンの方はもう終わりかけです。
それから、購入当初、強い日差しで葉が日焼けし、下の方の葉が落ちてしまっていたカポックは、数年ぶりに下から新芽が出ました♪(写真中央) 今年は、花を咲かせるまでに20年以上かかるとも言われ、花が見られるのはごく稀なカポックが花を付けました。「手入れが悪く生存の危険を感じると咲くとも言われている」と書かれた記事を読んだため、花が枯れた後切ってしまいました。これで一安心・・・と思っていたら、実が黄色や赤に色づいてきれいだそうで、残念なことをしました(泣)。でも、カポックは運気を上げる植物で、さらに、観葉植物が育ったり、いつも咲かない花が咲くのは、幸運が訪れるサインだそうですので、期待することにいたしましょう
もう少しして花が終わったら、庭のブルーサルビアの剪定をし、ベゴニアを植木鉢に植え替えて冬越しの準備をします。また、今年は義父が除草剤を散布するのを阻止したため青じそが群生(笑)。しその実をたっぷり収穫して醤油漬けを作りました♪ サボってしまったしその油味噌づくり・・・今から柔らかそうな葉を摘んで作ろうか迷っている、食いしん坊のシマ姉です。
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