ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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ルネのデビュー50周年記念誌④

2021年09月25日 | ルネの活動記録

 ルネのデビュー50周年記念誌紹介の4回目です。

 日本は23日(木)が「秋分の日」でした。ルネがデビュー当時住んでいたケベックのオルレアン島は紅葉シーズンを迎えています。様々な農産物とその加工品のお店の紹介映像を見ると、食いしん坊なシマ姉は「食欲の秋」まっしぐら(笑)。いつかまた行きたいなぁ・・・。



 そして今回から2回にわたり、ルネの家族についての内容になります。1回目はルネの亡き父ジャン=ロック・シマール氏と亡き母ガブリエル・ラベ(愛称ギャビー)についてです。

 過去ログでも紹介いたしました、ルネの亡き父ジャン=ロック・シマール氏の著書”Au-Dela Du Silence 沈黙を超えて”の年代記には、氏が生まれてから、再婚したモニクさんが亡くなるまでの出来事が書かれていましたので、改めて紹介いたします。

▲ジャン=ロック・シマール氏の著書”Au-Dela Du Silence

<ジャン=ロック・シマール一家の中の顕著な出来事>

1931. 4. 1 ジャン=ロック・シマールJean-Roch Simard誕生
1934.11.21 ガブリエル・ラベGabrielle L'Abbé誕生
1953. 7 ジャン=ロックとガブリエル結婚
1954. 8.13 オデットOdette誕生
1955.12. 5 リンLyne誕生 
1956. ジャン=ロック、初めてビールを飲む
1957. 1.21 マルタンMartin誕生
1959. 6.10 ベルナールBernard誕生
1959. 6.30 ベルナールBernard死亡
1960. 3. 9 レジスRégis誕生
1961. 2.28 ルネRené誕生
1964. 5.26 アレクシスAlexis誕生
1965. 3~10 上の4人はhorphelinatで暮らす
1966. マティルドゥMathilde死産
1968. 8 オルレアン島l'Île d'Orléansに引越す
1969. 7. 7 ナタリーNathalie誕生
1970. ルネ、「ジェン=ロジェの発見」で第1位獲得
1971. ケベックのサビニエール・ドリオン
   Québec, rue Sapinière-Dorion通りに引越す
1972. オルレアン島に戻る
1974. 6 ルネ、第3回東京音楽祭世界大会でグランプリ受賞
1975.10 ジャン=ロック、家族と別居する
1978. 3 アレクシス、ジャン=ロックの家に移る
1978. 5.26 ジャン=ロック離別
1983. ジャン=ロック、モニク・オジェMonique Augerと出会う
1992.12.22 ジャン=ロックとモニク結婚 
2003.11.28 モニク逝去


※カテゴリ「ルネの家族」参照
https://green.ap.teacup.com/applet/rene_simard/msgcate28/archive


▲デビュー25周年の特集番組映像


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TOUT sur l'enfant star
René Simard
L'IDOLE d'un PEUPLE



Sa famille lui fait garder les pieds sur terre
  家族は彼に足を地につけさせている

 ルネにとって大切なのは子供たちや妻だけではありません。 彼の両親 (生前の) と兄弟姉妹は、彼の人生において大きな位置を占めています。


 ルネは7人兄弟の5番目です。 彼には3人の兄弟:マルタン、レジス、ジャン=ロジェ、そして3人の姉妹:リン、オデットとナタリーがいます。 彼は、名声を手に入れたとき、彼の人生は最悪の結果になったかもしれないと認めています。 しかし、彼の家族は、彼が地に足をつけておくことを許してくれていました。
 「私を救ってくれたのは家族の核です。 若い頃にこの職業を始めれば、脱線する可能性がありました。 もっと大変な時期もありましたが、この強い核が道を示してくれました。 神の摂理に感謝します。 私は幸運な男です。」と、彼は強調しました。
 また、彼は嫉妬を抱えて生きていなかったことを幸運に思っています。
 「私の兄弟姉妹は決して私をうらやましく思ってはいません。私は例外的な仕事に就く機会があり、同時に、彼らはとても名誉ある生活を送っています。 私は嫉妬の感情を感じたことは一度もありません。そして、それは常に、私が今の仕事を続けるモチベーションになっています。

 これは、ルネにとって非常に貴重なシマール一族の何人かのメンバーの肖像画です。


▲仲睦まじかった頃の両親 右は「René Simard au Japon」の試写会で





Son pere,
Jean-Roch Simard 父ジャン=ロック・シマール

▲彼の父親はアルコール依存症に苦しんでいました
 ジャン=ロック・シマールは、離れた子供たちとの和解に成功しました


 ルネの父親は、信念を持ち、誇り高く、勤勉な男でした…そして、彼の時代を先取りしていました! ナタリー・シマールは子どもの頃、ジャーナリストに、家事と料理は彼がやっていたと語りました。 ジャン=ロックは隣人に与えるのが好きで、それは彼が数年間教区の聖歌隊を志願した理由でした。
 しかし、彼は自分よりも強い悪、つまりアルコール依存症と戦わなければならなかったのです。彼はこの病気によって衰弱を感じることがよくありました。 1975年、彼の子供たち、ルネとナタリーのマネージャーであるギィ・クルティエとの意見の相違により、彼は家族全員との関係を断ち切りました。ジャン=ロックがアルコール依存症から抜け出すと、ルネは彼に近づきました。
 2007年、ジャン=ロックはジャーナリストのルイーズ=マリー・ラコンブに打ち明けました。その後、彼はシマール家の不幸を詳述する本、“Au dela du Silence 沈黙を超えて” を書きました。しかし、この本のいくつかの箇所は、ジャン=ロックの要請により、出版前に家族の一員によって撤回されたようでした。マダム・ラコンブは次のように説明しました。
 「シマール氏は傷付いた男でした。彼は私に秘密を打ち明け、引き下がらなければならないほど難しいテーマを打ち明けました。 この男の苦しみは計り知れません。
 彼は 2010年2月22日に78歳で亡くなりました。彼は喘息、肺気腫、糖尿病を患っていました。彼は人生の最後の数年間を病院で過ごすか、亡くなる前に親しくなった娘のナタリーと一緒に過ごしました。


左:芸能誌のトップ記事タイトルは「ルネは家族全員をサポートする必要はありません」「2年間彼の父と会っていない」
 右:ルネと父ジャン=ロック氏との和解


Son mere,
Gabrielle L'Abbé 母ガブリエル・ラベ

▲ギャビーはシマール家の砦です 彼女は決してがっかりしない

 彼女がギャビーと呼ばれたことを除いて、私たちは一族の家長についてほとんど知りませんでした。専業主婦で、夫のアルコール依存症のために貧しい家族を支えていました。ルネにとって、この女性はただ刺激的でした。
 「私の母は私を驚かせる人でした。時が経つにつれて、彼女の優しさは増すばかりでした。彼女は、レジリエンス(回復力)という言葉の意味を教えてくれました。ママは私の人生の重要な人であり、これからもそうです。」  
 ジャン・ロックとの離婚後、レオン・ポルタンと出会いました。 今回はルネが語りました。
 「私は、彼女がどんな時も常にポジティブである、私の天使ガブリエルと呼んでいる私の母に似ています。彼女は常に物事の美しい側面を理解し、体験しようとしていました。彼女は糖尿病を患っており、インスリンを1日3回服用し、生き残る方法を知っていました。 彼女にはしばらく前から新しい恋人がいて、一緒にいるのを見るのは可愛らしいです。
 彼女はレオンと再婚し、メディアは小さな式典に招待されました。この女性は雑誌”Le Lundi”のコラムでも知られており、”Maman Simard ママン・シマール”の名前で料理記事に署名していました。ガブリエル・ラベは2015年8月3日、長い闘病の末、84歳で亡くなりました。


<le Journal de Montrealの記事からの追記>
 「私の母は人生で本当に大変な時期を過ごしました。彼女は常に生存者でした。コンピューティングが私たちの生活に登場する前に、彼女はすでにキーボードに削除ボタンを持っていました。私が前進するのを防ぎ、子供たちの生活を悪化させるための弾丸のようなものを、私が経験したすべてのものを引きずり出したくありませんでした」と彼は言いました。

▲母ガブリエル(ママン・シマール)の料理本

▲母ガブリエルとレオン・ポルタン氏の再婚の記事

▲父ジャン=ロック・シマール氏(左)と母ガブリエル・ラベ(右)の葬儀の記事


 次回は”Sa famille lui fait garder les pieds sur terre”の後半、妹のナタリーと兄レジスについてです。


 現在ナタリーはfacebookの公式ページや”Simplement bien avec Nathalie”で情報発信し、covid-19の第4波の中、雑誌やミニライブ等で意欲的に活動しています。

 ルネの53枚目のアルバム11月11日に発売されることが発表されました。それに向けて、ルネはプロモーションやTV出演で忙しくなることと思います。

 息子オリヴィエ夫婦と同居することで、今年4月に生まれた初孫のクロエちゃんと一緒の生活を満喫しているルネ。 covid-19の影響で、ミュージカルの制作延期など、予定を変更せざるを得ないこともありますが、体調管理に十分気を付けて、デビュー50周年という記念すべき年にふさわしい素敵な歌やステージで、今まで以上に私たちファンを楽しませてくれることを、心待ちにしていますsymbol1


 
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     cat4三毛猫姐御だよりcat

 8月8日以来久しぶりのミイ姐御だよりですnikukiu


 相変わらず『寝子(ネコ)』だけに、ガッツリ寝ております(笑)。少し前まではもう二回り大きな箱がお気に入りでしたが、朝晩涼しくなったためか、小ぶりの干し芋の箱にみっちり詰まって寝るのがマイ・ブーム(? 奥に大きい箱も有ります)のようです(上写真参照)。でもしっかりはみ出てます(笑)

 紙袋や箱が有ったら検品して、取りあえず一度は入ってみる猫あるある★ また、早朝小腹が空き始めた頃、置いてある紙袋や箱、広告などをビリビリかじると、私が飛び起きるのを覚え、「早く起きないとビリビリするわよ~」とでも言うように、人の様子をうかがいながらかじります。近くに来て鳴いたり、フミフミすればいいものを~★

 また、雨に濡れて帰って来ると、必ず私の所に来て「拭いて~symbol1」です。ミイ専用出入り口から出ておきながら、入る時は人がいる濡れ縁で「開けてくださ~いanger」 自分で開けられるくせに、甘え声で鳴いて引き戸や網戸、ミイの監視台と化した出窓を開けてもらうお嬢様のミイですが、夏痩せして軽くなって、涼しくなった途端、スズメを狩ってくるアマゾネスでもあります★

 飼い主の空耳アワー「ごはん~」、「ないの~」に加え、熱い眼差しでご飯や飲み水の催促。控えめに「くーん、くーん」と鳴いて、それでも駄目なら哀愁漂う後ろ姿で訴え、おねだりするミイ姐御にメロメロな義父は、ミイのチョコチョコ食いのために、気付くとご飯を足しています。
 ミイ専用出入り口から夜中に侵入して、ミイご飯を食べていく猫が時々出没するため、最近は夜締めてしまうので、早朝起こされる私の寝不足の秋は続きます。そしてミイは、朝も昼も夜も適度に寝て、早起きして外トイレとパトロール(泣)。でも、私が帰って来ると、いそいそお迎えに出てきて「お帰り~」攻撃のミイや、チュール欲しさに「お手」、「おかわり」をするミイ(これは私にしかしないsymbol1)に、甘々なシマ姉なのでした。



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