噂されている、と気がついたのは、ゴールデンウィークが終わって一週間ほどたった時だった。
(とうとうバレたってことか)
おそらく、おれがゲイだということがバレたのだろう。覚悟はしていた。
内緒話をされている、というのは分かるものだ。看護師の中でいつもと全く変わらない対応をしてくれているのは、谷口さんくらいで、あとの人は腫れ物にでも触るように接してくる。被害妄想ではない、と思う。
どこからバレたのか……。戸田先生のクリニックに浩介と一緒に訪れたことを知られたのかもしれないし、目黒樹理亜の勤めるバーにカップルとして飲みに行ったのを見られたのかもしれないし、同棲しているマンション近くに関係者がいるのかもしれないし、考え始めたらキリがないので、考えるのはやめた。
患者数に減少はないところをみると、患者さんたちには大々的にはバレていないのだろうけれども、何人か微妙に態度が違うと感じられる親御さんはいた。こうなるともう時間の問題だ。
呼び出される前に、自分から院長室を訪ねたところ、
「ちょうど呼ぼうと思ってたんだよ」
入室するなり、峰先生に言われた。
峰先生はおれが大学卒業後勤めていた病院の先輩医師で、現在はこの病院の院長である。おれがゲイであることは峰先生には話してあった。もしそれで病院に不利益なことが起こった場合は即座に首を切ってもらってかまわない、とも言ってある。
峰先生が首の後ろをかきながら、うーーんと唸った。
「ちょっと言いにくいんだけどさ……」
「……はい」
やはり、そうか。峰先生の気まずそうな顔をみて、ぐっと息を詰める。
「覚悟はしてました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。引継ぎに関しては……」
「引継ぎ? 何の話だ?」
眉を寄せる峰先生。
「お前まさかやめるとか言うなよ? 勘弁してくれよ」
「え?」
今度はこっちが眉を寄せる番だ。
「だって、峰先生、今、言いにくいって……」
「あー、だからな。今、お前の噂流れてるの知ってるな?」
「はい……だから」
「それ、オレのせいなんだよ」
「え?!」
なんだって?!
言葉に詰まったおれに、峰先生が話してくれてことによると……
連休明けに、病院あてにメールがあったそうだ。
『渋谷慶医師には男の恋人がいる』
事務局から連絡を受けた峰先生は、担当者に口止めをして、そのまま放置したのだという。忙しくてそんないたずらメールに構っている暇はなかったそうだ(そこを、判断ミスだった、としきりに謝ってくれている)。
すると、その3日後に大手口コミサイトにまったく同じ文章の書き込みがされてしまったそうで……。それはすぐに削除依頼をして消してもらったが、患者でも目に止めた人はいるだろうし、この病院の職員の中にも読んでしまった人間はいて……
「そのメールを送ってきた人っていうのは……」
「それが分かんねえんだよ。口コミに載ってすぐにそいつに連絡を取ろうとしたけれど、すでにアドレス削除されてて」
「そう……ですか」
一瞬、浩介の母親の顔が浮かんだけれど、すぐに打ち消す。あの世間ずれした人が、口コミサイトに投稿、なんて考えられない。いったい誰が……
「すみません。ご迷惑おかけして……」
「別にお前がかけてるわけじゃねえだろ」
峰先生が肩をすくめる。
「イケメン先生は今やうちの稼ぎ頭なんだから、辞めるとかいうのはやめてくれよ?」
「でも……」
「そういうのを目の敵にする奴もいるけど、今はもう、世の中の流れは容認派が多数だからな。この病院内でも95%の人間が問題ない、と言っている、らしい」
「95%? 聞いたんですか?」
「草の者に調べさせたんだよ」
「草の者って……」
看護師の西田さんだな、と思う。おせっかい気味の彼女は、病院内で顔が広く、情報収集能力にたけている。
「と、いうことで」
峰先生がポンと手を打った。
「そろそろカミングアウトしてみるか?」
「…………う」
詰まってしまう。覚悟していた、とはいえ、大々的に公表することでどのような弊害がおこるかは計り知れない……。
おれの戸惑いを感じ取った峰先生、ふっと笑顔を浮かべた。
「まあ、お前のタイミングでいいからな。オレは今まで通り、『プライベートは本人に任せてあります』って答えるからよ。って、なんかホントに芸能人みたいだな、お前」
「すみません………」
深々と頭を下げる。下げても下げても下げきれない気分だ。
**
エレベーターに乗る気になれなくて、プラプラと階段で降りていき、普段は通らない給湯室の前を通り過ぎようとしたときだった。
「渋谷先生、院長室呼ばれてるみたいだよー」
「うっそー。やめさせられちゃったらどうしよー」
聞いたことのある女の子数人の声が聞こえてきた。これは通りにくい……。とっさに階段の方に引きかえしたが、そこでも会話が聞こえてきたので、思わず立ち聞きをしてしまう。
「ねえ、本当なのかなあ? 渋谷先生に……」
「やめてよー。超ショックなんだけどー」
やっぱり、ショック、なんだ……。そりゃ歓迎はされないよな……。
「でも先生、奥さんいたよね? 前にきたじゃん。すごい美人の……」
「あの背の高い、女優さんみたいな人ね。偽装結婚ってやつかなあ?」
「違う違う。奥さんですか?って聞いたら違うっていってたもん」
「え、そうなの?」
良かった。誰かがあかねさんのことを訂正してくれている。でも、また話が戻ってしまった。
「じゃあ、やっぱり、あの掲示板に書いてあったのは本当ってこと?」
「男の恋人と同棲してて……って?」
「えーヤダー」
ヤダ……かあ。そうだよなあ……。
「私はあり!」
「え、マジで?」
お。いきなりの援護射撃。
「だって変な女と結婚してるより、相手男のほうがまだいいもーん。渋谷先生美人だし、全然ありあり!」
「あ、それ言えてる」
「うそー」
けらけらけら、と笑う彼女たち。うーん。これは喜ぶべきなのか……と思っていたところで、
「でも、私は、許せないな」
突然、怒ったような声があがった。この声は小児科担当の子だ。
「だって先生、私達を騙してたって事でしょ。結婚してるって指輪までして」
「そういえば……そうだよね」
「男の恋人がどうのとか言う以前に、私はそっちが許せない」
「…………」
それは……。弁解するために、今出て行ってしまおうか……と思ったところで、
「それは違うと思います」
「!」
ものすごく冷静な声が響いてきた。谷口さんだ。冷静に言葉を続ける谷口さん。
「渋谷先生が結婚してるって、渋谷先生の口から聞いた方っていらっしゃいます?」
「え?」
一斉にきょとんとした声。
「結婚してるんですか? とか、奥さんの手料理ですか? とか聞いても、渋谷先生、一回も肯いたことないですよね?」
「………そういえば」
さ……さすが谷口さん。気が付いてくれてたんだ。
そう、おれはウソはつきたくないので、一度も結婚の質問に対して肯定したことはないのだ。
「でも、それでもさ、私達がそう言ってるのを否定しなかったじゃないの」
「本当のこと言いたくても言えなくて、でもウソはつきたくなくて……ってことじゃないんでしょうか」
シンッとなる……。
「谷口さん……何か知ってるの?」
「ねえ、たにぐっちゃん、やっぱりたにぐっちゃんもあの人かなって思ってない?」
谷口さんの同期の子の声だ。
「え、何何?」
「福祉祭りの時にケガして、渋谷先生が連れてきた人がいるんですけど……」
彼女は、浩介の縫合の手伝いをしてくれたのだ。
「渋谷先生、すごい仲良さそうだったよね」
「うん……それに……」
谷口さんが、ポツリポツリと話しはじめる。
浩介が怪我をした際に、おれが動揺して手の震えが止まらず、止めるために自分の手首に噛みついた、という話……
「え……」
「あの冷静沈着な渋谷先生が……?」
再びシンッとなる給湯室……。
「すごい……きっとその人が相手だよ……」
「そうだね……」
「だから」
谷口さんがポツンと言う。
「男性同士っていう理由で隠さないといけないって……変だよなって思って」
「でも……」
「ねえねえ!その人どんな人?!」
暗くなりかかった雰囲気を壊すように、誰かが明るくいいだした。
ホッとしたように谷口さんとその同期の子が言う。
「高校の同級生っておっしゃってました」
「背、けっこう高かったよね」
「ってことは、渋谷先生が……」
「あ、それはどうでしょう。その方すごく物腰柔らかな感じでしたし……」
「えー見てみたーい」
きゃあきゃあと再び騒ぎ出す女の子達……。
しばらくは通れないようだ。諦めて階段をのぼり、上の階からエレベーターに乗ることにする。
(カミングアウト……)
やはりきちんとするべきなんだろうか……。まだ、答えは出せない。
***
「そのメールって、まさか……」
夕食後、迷った挙句、メールの話をしたところ、案の定、眉を曇らせた浩介。
「おれの母親が……」
「いや、それはないと思うぞ。掲示板に書き込みなんてお前の母さんができるとは思えない」
「でも」
「メールもフリーメールだったっていうし、無理だろ」
「…………」
心配そうな顔をやめない浩介の額を指ではじく。
「考えすぎだ。どうせ誰かのイタズラだよ。掲示板の書き込みもその一回だけだっていうし」
「そうかな……」
「まあ、ネットってやつはこわい……って、何だよ?」
コーヒーのおかわりを取りに行こうとソファから立ち上がったが、浩介に腕を掴まれ再び座らさせられ、胸に引き寄せられた。
「慶……みんなに言うの?」
「………。まだ迷ってる」
後ろからぎゅうっと抱きしめられるのはとてつもなく心地よい。
「別に悪いことしてるわけでもねえのに、何で躊躇しちまうんだろうな」
「うん……」
うなじのあたりに唇が添ってきて、素直に体が反応してしまう。浩介のものも固くなっている……。
「お前……暇なのか? 昨日もやったじゃねえかよ」
「んーだって昨日は今日慶が仕事だからってさっさと終わらせちゃったじゃん」
「さっさとって」
「今日は明日休みだから、ゆっくり……」
「ん」
振り返り唇を合わせ……ようとしたところで、テーブルの上の浩介の携帯が鳴りだした。
「……携帯。携帯鳴ってるぞ」
「んー……いいよ」
「いいよじゃねえよ。急ぎの連絡だったらどうすんだよ」
「えー……」
渋々、携帯に手を伸ばす浩介。でも、見たと思ったらすぐにまたテーブルに戻した。
「何?」
「三好さん。ライン」
「ああ……」
三好さん、というのは、浩介の勤める学校の卒業生・目黒樹理亜が、現在一緒に住んでいる女の子、三好羅々、のことだ。二人はバーのママである陶子さんのマンションで同居している。
連休中に樹理亜に誘われてマンションに猫のミミを見にいった際に、三好羅々に頼まれてラインの交換をした浩介。それ以降、頻繁に連絡があるらしい。
「よく来るな」
「んー……別に返事を求めている内容ではないんだよね。でも外に何かを発信するっていうのはいい傾向だと思うんだけど」
「…………」
三好羅々は一切外に出ないらしい。中学時代に引きこもりの経験がある浩介、放っておけないのだろう。
「ねえ、やっぱり慶もラインやろうよ。便利だよ」
「やだ」
先月、浩介がラインをはじめて以来の何度目かの誘いをバッサリ断る。
「こうやって、ピーピーピーピー鳴られるの鬱陶しい」
「鬱陶しいって」
苦笑する浩介になんだかイラッとする。
また、携帯が鳴ってる……。浩介が再び携帯を手にするのを見て、更にイラついて、思わずつぶやいてしまった。
「……お前、ラインはじめてから携帯触ってる時間増えたよな」
「え」
びっくりしたような顔をした浩介。
「そうかな」
「そうだよ」
「そうかなあ」
「そうだよ」
「…………」
「…………」
数秒の間のあと………浩介が携帯の電源を落とした。
「……別に電源切れなんて言ってねえぞ」
「うん……」
浩介の手がゆっくりと頭をなでてくれる。そして、おりてくる浩介の唇。ついばむようなキスのあと、おでこをコツンと合わせた。
「もしかして、嫉妬してる?」
「…………」
浩介、ちょっと嬉しそう。なんか悔しい……。
「ちが……」
違う、と言いかけたけれど、でも、今さらかっこつけるのもあほらしくて、噛みつくみたいなキスを返す。
「そうだよ。なにしろおれは、独占欲が強くて嫉妬深くて束縛したがり、だからな」
「慶……」
ぎゅうっと強く抱きしめられる。おれも回した腕に力をこめる。浩介の腕、浩介の息遣い……
「………いやか?」
「まさか。そういうところも大好き」
「ん」
合わせた唇から愛が伝わってくる。幸せすぎて蕩けそうだ。
***
再び、口コミ掲示板におれのことが書き込まれたのは、この翌日のことだった。
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以上です。
安定のラブラブ。幸せな感じ。羨ましい。
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