今回は看護師谷口さん視点で。
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渋谷先生はキラキラしてる。芸能人のオーラってこんな感じなんじゃないだろうか。毎日のように見ているのに少しも慣れない。
先生は、患者さんの前では穏やかで優しいんだけれども、裏ではものすごく冷静沈着で、指示も的確でかっこいい。着任して一週間とたたないうちに、うちの病院のアイドルになった。
ただ、小児科付の看護師の中では「一人一人の患者に時間をかけ過ぎている。もっと回転よく診察してほしい」という否定的な意見もあった。そのせいで昼休みもつぶれるし残業も多くなるし、文句をいいたくなるのは分かる。
それに対して渋谷先生は「すみません。善処します」と真摯に謝ってくれた。
………けれども、何も変わらなかった。なんとなく、この人、お姉さんか妹がいるんだろうな、と思った。女性の話を右から左にうまく流している感じが女の扱いに慣れているというかなんというか……。
二週間も経つころには、誰も直接は文句を言わなくなった。渋谷先生のあの眩しい笑顔で「いつもありがとう」なんて言われたら、誰も文句は言えないってのもあるんだけど……。
患者さんの中でも着実にファンは増えている。
中でも印象的だったのは、ユカリちゃんのママ。
ユカリちゃんは2歳になったばかりの女の子。少し病弱でしょっちゅう病院にきている。ママはものすごく心配性で、何から何まで質問攻めにするので、前の先生も看護師も辟易していた。でも、渋谷先生は違った。
ユカリちゃんがいつものように風邪を引いて病院にやってきた時のこと。
渋谷先生は、丁寧に今までの経緯を聞き、今までの薬の効き具合をきき、ママの怒涛の質問にも丁寧に答え、ようやく安心したママが帰ろうと立ち上がったところ、
「待ってください」
と、ユカリちゃんママを再び座らせ、
「ちょっと、失礼します」
びっくりした顔のユカリちゃんママの頬を手で囲った。
「え」
「え?!」
ユカリちゃんママが真っ赤になり、看護師2人がぎょっとしている中、渋谷先生はユカリちゃんママの目の下を引いてジッとのぞきこんだ。そして、
「口開けてください」
「は……はい」
大人しく口をあけたユカリちゃんママの口の中を見ると、
「お母さんも熱ありますよ? 大丈夫ですか? 喉もそうとう赤いですよ」
「え………」
ぽかんとしたユカリちゃんママ。
「今日、保険証お持ちですか? 受診されていった方が」
「あ……いえいえ」
ユカリちゃんママがぶんぶん首をふった。
「まだ母乳あげてるから薬飲めないし、それに病院代払えません。ユカリは乳児医療あるからいいけど、私は……」
「そうですか……谷口さん」
「は、はい?」
いきなり名前を呼ばれビックリして返事をすると、
「こないだくれたあののど飴、まだありますか?」
「は、はい」
「もらってもいいですか?」
「はい……」
言われるまま、ごそごそと戸棚から取り出す後ろで先生の声が聞こえてくる。
「食欲もないんじゃないですか? うどん、うちにありますか?」
「あ……はい」
「それじゃ、今日のお昼はうどんにしましょう。薄めの味付けにして、うどんのスープも全部飲んでください」
「え……」
「それから、どんぶりにお湯と梅干いれて、ごくごく飲んでください」
「え」
渋谷先生、飽きてきたユカリちゃんにシールを渡しながら、話を続ける。
「たくさん水分取って、汗をたくさんかいて、ユカリちゃんと一緒にたくさん寝てください。ユカリちゃんもお薬飲むのでよく寝てくれると思います」
「でも、旦那の夜ご飯が……」
「旦那様には、『39℃の熱があって手が震えて夕飯は作れない』って連絡してください」
「え?」
ぽかんとしたユカリちゃんママに、渋谷先生はニッコリとほほ笑みかけた。
「男って、具体的な数字に弱いんですよ。漠然と具合が悪いっていってもピンとこないんですけど、39℃とか手が震えてるとかいうと、そりゃ大変だ!ってなりますから」
「あ………」
「あ、谷口さんありがとう」
飴を差し出すと、先生はあの眩しい笑顔を浮かべた。
「はい。これどうぞ」
「え…………」
キョトンとするユカリちゃんママに飴を手渡す渋谷先生。
「少しでも喉の痛みがやわらぎますように。ママが一番大変ですよね。一緒に乗り越えましょう」
「あ………」
「ユカリちゃんも、お薬ちゃんと飲んで、たくさん寝て、バイキンさんやっつけようね?」
「ん」
恥ずかしそうにママの胸に顔を埋めたユカリちゃん。
「あ………ありがとうございます……」
ユカリちゃんママはユカリちゃんをぎゅうっと抱きしめながら、深々と頭を下げた。
この話は、あっという間に広がり(恐るべしママ友ネットワーク)、渋谷先生人気に拍車をかけた。
その後もバレンタインでもたくさんチョコをもらったり、福祉祭では渋谷先生目当てのお客さんがたくさん来たり、とにかくその人気はとどまることを知らなかった。患者数も増えて毎日忙しいのに、先生は患者さんの前では少しも笑顔を絶やさない。この人、いったいどれだけ精神力強いんだろう。
心療内科に通院中の女の子が院内で手首を切ってしまった際、その傷口をあっという間に完璧に縫合した、という話も看護師の間で人気が上がる要因となった。うるさい外科の外村先生が「上手く縫えてる」とほめたというのだから相当なものだ。
芸能人みたいなオーラのキレイな顔で、医師としての腕も良くて、患者さんにも優しくて、スタッフにも気遣いができて、それでいて、怠惰が原因のミスには厳しくて(個人的に渋谷先生の最も良いところはここだと思う。優しいだけじゃなくて、締めるところはきちっと締めてくれる)。理想のお医者様だ。こんな完璧な人がこの世の中にいるもんなんだな、と感心するくらい完璧。完璧すぎて、疲れないのかな……と思っていた。
でも、福祉祭の時に、私は渋谷先生の本当の顔を見てしまった。
高校時代からの友人という男の人が大怪我をしてしまったときの渋谷先生……。先生があんなに焦るなんて。そして、実はあんなに言葉遣いが悪くて、蹴ったりするなんて。そして……あんなに愛おしそうな瞳をするなんて……。私達に見せている顔は、医師としての仮面なんだろう。
これは私だけの秘密にしておこう。と思っていたんだけど……
「渋谷先生、実はゲイだって噂知ってる?」
5月の連休が明けてしばらくしてから、そんな話が出回りはじめた。掲示板に書き込みがあったとかなんとか……
先生が結婚しているとウソをついていたのが許せない、なんて話が出たので、思わず言ってしまった。
先生は、自分が結婚しているなんて一度もいったことがない。
相手はおそらく福祉祭の時に怪我をした高校の同級生という人。あの渋谷先生が動揺して、手の震えを止めるために自分の手首に噛みついたんですよ、と……。
先生が勘違いされているのが許せなくて思わず言ってしまったのだけれど、あとからものすごく後悔した。
案の定、この話も、あっという間に広がってしまい……週明け月曜日の夕方には看護師全員知っていたと思う。口コミ掲示板に再び書き込みがあったこともあり、みんなフワフワソワソワしながら渋谷先生に接していた気がする。
「渋谷先生……」
その日の帰り道に待ち伏せをして、駅に向かう渋谷先生を呼び止めた。白衣を着ていない渋谷先生もすごくカッコいい。
「あれ? 谷口さん?」
全然、何の構えもなくこちらをみてくれる先生……。なんだか申し訳ない。
「どうしたの?」
「あの………」
怒られるのを覚悟で、福祉祭の時のことを皆に話してしまったことを告白し、謝罪すると、渋谷先生はキレイな瞳をパチパチとさせた。
「別に謝らなくても……本当の話だし」
「でも………」
……あれ?
でも、と言いかけて、あれ? と思う。
本当の話、というのは、手首を噛んだのが本当の話ってこと? それもあるけど、もしかして……
「あの……本当っていうのは……」
「うん。谷口さんの予想当たってるよ。あのとき怪我した奴がおれの……」
「…………」
渋谷先生、言いかけてから、うーん……と唸った。
「なんか、彼氏っていうのいまいちピンとこないんだよなあ。恋人? なんかそれもなあ……。相方……違う」
ブツブツ言いはじめた先生……
「パートナー……家族。ああ、家族ってのもいいかもなあ……」
「…………」
「あ、ごめん」
はたと先生が我に返った。
「うん。まあ便宜上『恋人』ってことで」
「はい……」
こうもハッキリ肯定してくれるとは……。渋谷先生は困ったように頬をかいている。
「みんなにもちゃんと言った方がいいのかなあとは思うんだけど……でも聞かれもしないのに言うのも変な話というか……不快に思う人もいるだろうし……」
「不快だなんてそんなこと思いませんよ」
思わず言うと、渋谷先生は「ありがとう」とにっこり笑ってくれた。
「色々気をつかわせてごめんね」
「いえいえいえいえ、とんでもない!」
「今、おれのせいでみんな浮わついちゃってるよね。何とかしないと、とは思ってるんだけど……」
「じゃ、一つ案があります」
言いかけた渋谷先生の横の電柱から、ひょいっと人影が現れた。
「に……西田さん」
ビックリして私も渋谷先生も飛び上がってしまった。出てきたのは先輩看護師の西田さん。ものすごい噂好きで情報通なおばさん。どうやら西田さんも、渋谷先生を待ち伏せしていたようだ。
西田さんがあの押しの強さ全開で渋谷先生に迫ってくる。
「また掲示板に載ったらしいですし、もう隠すのは限界だと思いますよ」
「………」
「渋谷先生は本当のことを言ってもいいって思ってるんですね?」
「はい……」
こっくりと肯く渋谷先生。西田さんもうんうん肯き、
「それなら、明日、私が『渋谷先生に聞いたら、噂は本当だと言っていた』という話を流します」
「え……」
「でも、プライベートのことだし、あまり根掘り葉掘り聞くのもねえ……みたいな感じに」
「…………」
「明日先生お休みなので、おそらくこの話は一気に広がると思います。水曜日先生がいらしたら、誰かしらが『本当ですか?』と聞いてくるでしょう。そうしたら先生は肯けばいいだけです」
「でも……」
戸惑ったように眉を寄せた渋谷先生に、西田さんが断言する。
「みんなが浮わついているのは、噂が本当かウソか確かめたいからですよ。本当だってわかればとりあえず落ち着きます。先生は多くは語らず、いつものあの眩しい笑顔でニッコリしてればいいんです」
「………」
渋谷先生、助けを求めるように私を振り返った。いや、そんな顔で見られても……。でも、確かに西田さんの案は理にかなっている。
「えー…と、はい、私も西田さんの案に賛成です」
「そう……そっか……」
渋谷先生は何度かうなずいてから、西田さんに頭を下げた。
「それじゃ……それでお願いします」
「お任せください」
Vサインをする西田さん。本当に大丈夫なんだろうか……。不安になって渋谷先生を見ると、もっと不安そうな先生と目が合ってしまった……。
**
翌日、西田さんが流した噂はビックリするほど早く病院中に行き渡った。
そしてその翌日の昼休み……。
看護師数人で渋谷先生を取り囲むことになった。私も素知らぬ顔でそのうちの一人として後方から様子を見守っていたのだけれど………
「本当ですか?」
緊張した問いかけに、渋谷先生は、憂いを帯びた瞳を皆に向けた。
「今まで黙っていて申し訳ない。みんなに何て思われるか不安で言い出せなくて……」
知っていた私ですら、きゅんっとなる真摯な瞳……。
……はい。終了。その場にいた全員、その破壊力全開の瞳にやられてしまった。
そのあとはもう、みんなが渋谷先生の味方だった。否定的なことを言った男性職員の一人は、女性陣にボコボコにやり込められていた。
でもこれは先生が今までにみんなの信頼を得てきた証拠だと思う。
患者さんの中にも掲示板を見てしまった人はいて、噂になっていたようだけれども、それを理由で通院をやめた人はいないようだった。むしろその噂を聞いて、興味本位で病院を訪れ、渋谷先生のファンになって帰っていった親子もいるくらいだ。
世の中には色々な考えの人がいるので、関係ないのに真偽のほどをしつこく確認してきたり、中傷の書き込みをしたり、中傷の文書を送ってきたりする人もいたようだけれども、院長や病院職員が過剰に反応せず受け流していたら、そのうちそれも止んだらしい。はじめの書き込みの犯人も結局分からず仕舞い。でも追及することはしないそうだ。
「谷口さん、ありがとうね」
ある日、渋谷先生にあらためてお礼を言われた。
「いえいえ私は何も。それに先生にやめられたらみんな困りますから」
そう言い返すと、渋谷先生はふわりと笑ってくれた。
渋谷先生が結婚してようと男の恋人がいようとそんなことは関係ない。渋谷先生は、理想のお医者様。それだけのことだ。
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以上です。
看護師谷口さん視点でした。
谷口さんが考えるほど簡単にはいかない問題なので、当事者である慶は色々と大変です。
今回、イチャイチャもラブラブもなく物足りない回でしたが、いつか書きたかったお医者さんとしての慶の姿がかけて満足です。
慶が小児科医師を目指すキッカケになったのは、
高2の終わり、島袋先生という小児科医師との出会いでした。
なので、慶の医師として姿は、島袋先生そのものです。島袋先生の真似っこです。
「一緒に乗り越えましょう」は島袋先生がよく言っていたセリフでした。
長々とここまでお読みくださり、ありがとうございました!
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幸せすぎて鼻血がでそうです。本当にありがとうございました!
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