【溝部視点】
2017年4月7日(金)
「必ず幸せにする」
抱きしめて、耳元に囁くと、
「………ばーか」
腕の中にいる鈴木は、くすくすと笑いながら言ってくれた。
「もう充分、幸せにしてくれてるよ」
「………………」
きゅっと背中に回された手に力がこめられる。
ああ………幸せがここにある。
***
3月28日。
お互いの仕事の都合がついた、というだけの、別に記念日でもなんでもない火曜日。
オレと鈴木は入籍し、陽太との養子縁組の届けも提出した。これで書類上でも家族になったオレと鈴木と陽太。
オレは25日には新居に引っ越してきたのだけれども、陽太のベッドと勉強机の納入の都合で、結局、鈴木と陽太の引っ越しは4月2日日曜日になった。
四畳半の部屋は陽太の部屋、六畳の部屋は鈴木の仕事部屋兼寝室。オレは、リビングの続きにある畳の部屋に布団をひいて寝ている。
「お父さんとお母さんは同じ部屋で寝てたよ」
という陽太の発言に微妙に傷ついたけれども……、つっこんで聞いてみたら、ダブルベッドではなく、シングル2つだったそうで、ちょっと安心した。しかも鈴木は仕事が忙しい時は、リビングで仕事をしながらソファで仮眠を取っていたらしく、
「仕事部屋もらえるなんて本当に嬉しい!」
と、珍しく目をキラキラさせながら喜んでいたので、その笑顔に免じて、ダブルベッドの夢は諦めることにした。
まあ、どうせオレは仕事から帰ってきたらダラダラとテレビを観ながら飲むのが日課なので、リビング続きの部屋が寝床なのは好都合だ。……と、いうことにする。
最近……というか、オレの誕生日前日から、鈴木の態度が少し変わってきた気がする。距離が縮まってきたというのだろうか……
(ショック療法だったかな……)
誕生日前日、叔母の経営するダイニングバーで食事をした後、手を繋いで、そのままラブホテルに連れこもうとしたのだ。
『いいというまで手は出さない』
そういう約束をしていたし、もちろん、嫌がったら行かないつもりだった。
でも、鈴木は、嫌とは言わず、ただ、顔をこわばらせて……
(鈴木……)
いつもの調子で「どこ行こうとしてんのよ!」とでも言って、どついてくれたら、こちらだって冗談にできたのに、あんな風に深刻な顔で身を固くされてしまったら……
焦らない。焦らない……
「無理しないでいいから」
そう言うと、鈴木は明らかにホッとしていた。
でも、せっかく誕生日だから、とキスをねだったら、文句も言わずにしてくれて、その翌日には「幸せ」って言ってくれて……
とにかく、あの日を境に、確実に距離は縮まってきている。そして今はもう、戸籍上は夫婦だ。
***
4月3日月曜日。鈴木と陽太が引っ越してきてから、はじめての朝。
会議の準備のため6時に家をでなくてはならなかったので、「起きなくていい」と言ったのに、鈴木はちゃんと起きて朝食の用意をしてくれて……
それだけでも感動なのに、ふざけて玄関先で「行ってらっしゃいのチューは?」と言って右頬をつきだしたら、
「バカじゃないの?」
と、いいつつ、チュッとキスしてくれて……
(これはもう………幸せ過ぎる)
よく、高校の同級生の桜井が「あ~幸せ~~」とかいって、にへら~~っとすることがあるのだけれども、あの気持ちがよくわかる。オレも確実に桜井と同じ顔をしているに違いない。
次の日は、8時過ぎに出たので、陽太も起きていて、鈴木と二人で一緒にベランダから手を振ってくれた。「行ってらっしゃいのチュー」はしてもらえなかったけれど、これはこれで、すっごく幸せだ。
こんな風な朝を毎日送れるなら、仕事も頑張れる!と思った3日目。
「………早く食べてくれない?」
「は……はい……」
鈴木さん、朝からメチャメチャ不機嫌で怖いです……
始業式だけで帰ってくる予定の陽太は、そんな母親をさして気にする様子もなく、「行ってきま~す」と元気に出ていったけど……。
(オレ、なんかした?)
考えても分からない……
「夜ご飯、カレー作っておくから温めて食べて? 明日の朝ごはんは……」
「適当にやっとくから気にするな」
「……ありがと」
鈴木は今日から泊まりの仕事なのだ。有名なカメラマンと組んでの仕事らしく、数日前から気合い入りまくっていたけど……
(もしかして、気合い入りすぎで余裕がなくて機嫌悪いのか……?)
と、思ったら、
「そうだよ」
夕飯時、陽太にあっさりと肯定された。
「お母さん、仕事の日の朝はいつもああだから。だから、触らぬ神に祟りなし」
「あ……そうなんだ……」
それならそうと言ってくれよ……。オレ何かしたかと思ったじゃねーかよ……
「てか、触らぬ神に祟りなしって、変な言葉知ってんだな、お前」
「おばあちゃんが言ってた」
ケロリと陽太が言う。
「お母さんって、子供の頃から忙しいと物凄く機嫌が悪くなる子だったんだって。そんなときは、触らぬ神に祟りなし。放っておきなって、おばあちゃん言ってた」
「へえ………」
「でも、お父さんとお父さんの方のおばあちゃんの前では、そんなことなかったんだよ。父ちゃんとか、オレとか、おばあちゃんの前では、油断してんのかもな」
「……そっか」
鈴木と鈴木の母親はあまり上手くいっていない、という印象があった。でも、母親の前では素が出せているということは、それはそれでありな親子関係なのかもしれない。「離れて暮らしたら変わるかも」と鈴木は言っていたけれど……良い風に変われるといいな……。
ていうか、鈴木、オレに対しても素でいられてるって、それはそれで嬉しい。
「お母さんの怒りスイッチは邪魔されることだから。お母さんの流れにのって動くと怒られないぞ?」
「……なるほど」
勉強になります。
頭を下げると陽太は、えへへと得意そうに笑った。頼りになる息子だ。
***
鈴木は翌日の夕方に帰宅する予定だったのだけれども、仕事が延びて、帰ってきたのは夜11時を過ぎていた。
「ごめん……全部やらせちゃって……」
「いや、全然?」
新婚のオレ様、頑張りました。洗い物も全部終わってるし、洗濯も陽太に手伝ってもらいながら全部たたんでしまったし。でも、一生懸命やった、とは見せずに余裕の顔で晩酌してる。なんて良い旦那だ!
「ちょっと付き合えよー」
「…………ん」
拒否されるかと思いきや、鈴木は素直にソファの横に座ってきた。
「はい、お仕事お疲れ様でーす」
「……お疲れ様」
ついでやったビールを一口飲み、ホッと息をついた鈴木に、聞いてみる。
「どうだったよ? 有名カメラマンとの仕事は?」
「うん……楽しかった。引き受けて良かった」
「そうかそうか」
「うん……」
楽しかった、というわりには元気がない。なんなんだ?
「どうかしたのか?」
「うん………」
鈴木はしばらくの沈黙の後、ポツン、と言った。
「来月は2泊になるかもしれなくて……。それが毎月、一年間も、と思ったら溝部に申し訳なくて……」
「申し訳ない?何が?」
「何って……」
家事とか、陽太の世話とか。
「え……」
鈴木の言葉にキョトン、としてしまう。家事はともかく、陽太の世話って……
「何で?」
「何でって………」
眉を寄せている鈴木。
「陽太は私の……」
「オレがオレの息子の世話をすることに何か問題が?」
「………っ」
鈴木はハッとしたようにこちらを振り返った。その頭をポンポンとたたいてやる。
「お前、陽太のこと独り占めしようとすんなよー?」
「溝部……」
「そもそも、陽太はもう世話するとかいうレベルじゃないだろ。こっちが世話になってるくらいだし」
笑って、ビールをコップにつぎたす。
「陽太、しっかりしてるし、頼りになるし。ホント良い子だよな。あ、そうそう、あいつ、環境委員になったんだって。明日からさっそく花壇の水やりの仕事があるから、10分早く家出るっていってたぞ?」
「………」
「おれは明日はゆっくりでいいから、のんびり……、っ」
心臓が、止まるかと思った。
鈴木が………、ぎゅっと横から抱きついてきたのだ。
(うわ……まじか……)
あの鈴木が……あの鈴木が、オレに抱きついてきてるんですけど!
内心の動揺をなんとか押さえて、なんとか普通に言う。
「どうした?」
「うん……」
柔らかい感触、間近から聞こえる声……
「溝部のこういうとこ、すごいなあと思って」
「こういうとこ?」
「うん。こういうとこ」
「……………」
………………。
どうする……どうするオレ。
『いいって言うまでは手を出さない』
でも、今のこの状況………『いい』ってことなのでは……。いや、でも、隣の部屋で陽太寝てるし……
と、グルグルしていたところ…………、鈴木はきゅっともう一度腕に力をこめてから、
「じゃ、もう寝るね。おやすみ」
あっさり、オレから離れて行ってしまった。
「………おやすみー……」
むなしく自分の声がリビングに響く……。
(いいって言うまで……かあ……)
今の感じ……確実にオッケーだったよなあ……。もう籍も入れたわけだし、いい加減、もうオッケーってことなんだろうなあ……
(でも……)
あの鈴木が素直に「いい」と言うとは到底思えない………
「だったら言わすしかないか……」
うん。そうだな。言わすしかない……。
そういうわけで。速攻で会社の後輩の須賀にラインを送った。
翌朝。オレが布団の中でまどろんでいる横で、陽太はバタバタと用意をして、
「行ってきます!」
と、元気に飛び出していった。いつもより少し早いのは、登校時間前に花壇の水やりをするからだ。と、同時に、
「ゆっくりっていつ起きるの!?」
朝の支度で殺気だっている鈴木の声がすぐ近くから聞こえてきた。
「あーそろそろ……」
「じゃあ、さっさと起きてよ!邪魔なんだけど!」
「あー……」
布団から顔を出し、おねだりしてみる。
「奥様、おはようのキスを……」
「馬鹿じゃないの!?」
一刀両断だ。
「そんな時間ないから! 私10時半には出ないといけないの!」
鈴木さんこわいよ……
「今から洗濯して掃除して、陽太のお昼ご飯作って……」
「じゃあ、それ全部オレがやったら、してくれるのか?」
言うと鈴木はキョトンとして動きを止めた。
「何バカなこと言ってんの? 会社……」
「今日、有休取った」
「え? そうなの?」
そう。昨日の夜、須賀には連絡しておいた。上司には後で電話しよう。
「洗濯、掃除、陽太の昼ご飯……やってもいい?」
「いいけど……、きゃっ」
近づいてきた手をひっぱり、布団に押し倒す。頬を囲み、戸惑っている瞳をのぞきこむ。
「きゃ、だって。かーわいー」
「もうっふざけんな……、んっ」
文句を言ってくる唇をふさぐ。
「ちょ……、あ」
漏れ出る甘い吐息に興奮が止まらない。しばし堪能したあとで唇を離すと、真っ直ぐな瞳が見返してきた。
「約束……破る気?」
「破ってねえぞ?」
額に目尻に唇を落としながら、シャツのボタンを外していく。
「お前、さっき『いい』っていったじゃん」
「は?」
眉間のシワにも唇を落とす。
「『やってもいい?』って聞いたら『いいけど』っていっただろ?」
「はああ?!」
叫んだ鈴木。でも、オレはちゃんと許可は取った。
「バカじゃないの?それ、洗濯とかの話……」
「そうだっけ?」
「それ騙し……っ」
「騙してない騙してない」
「もう……んんっ」
首筋を唇で辿ると、途端にビクッと震えた。抵抗もしてこない。甘い喘ぎ。これはもう『いい』だろ。絶対『いい』だろ。
「いいよな?」
「……………。確認すんなバカ」
小さな声と共に軽く頬に拳を当てられた。
「確認されたら『やだ』って言いたくなるでしょ」
「…………じゃ、確認しない」
「ん」
キスをせがむように、少し顔をあげた鈴木が愛おしくて、愛おしくて……
「………愛してるよ」
そっと口づけると、鈴木はこの上もなく優しい瞳で微笑んでくれた。
***
昼過ぎ。帰宅した陽太には、オレ様特製の焼きそばを食べさせた。
「お母さんのよりおいしい!」
と、絶賛した陽太。曰く、鈴木の焼きそばは、野菜が麺より多いくらい入っているそうだ。それはすでに焼きそばじゃなくて野菜炒めの麺入りだろ……。今後焼きそばはオレが作ることにしよう。
食後は、二人でゲームをして、宿題をして、もうすぐ終わってしまうという漢字練習帳を買いにいって、その帰りに公園でキャッチボールをはじめた。
太陽が夕日の色に変わってきたころ、
「陽太ー、溝部ー」
軽やかな声が聞こえてきた。公園の入り口から手を振っている鈴木に二人で手を振り返す。
今朝、初めて鈴木を抱いた。
「必ず幸せにする」
その柔らかい肢体を抱きしめながら真剣に誓ったのだけれども、腕の中の鈴木は、
「もう充分、幸せにしてくれてるよ」
と、笑いながら言ってくれた。
でも、まだまだだ。まだ、まだまだ、これでもかっていうくらい、幸せにしてやりたい。
「父ちゃーん、最後の一球!」
「おお」
構えたところに、バチっと入る陽太の球。立ち上がり、思いきり投げ返す。
夢にまでみた光景。息子と本気でキャッチボール。その横には鈴木がいて……
オレの夢は現実になった。この現実はずっと続く。ずっとずっと続く。
〈完〉
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お読みくださりありがとうございました!
あの溝部が結婚できるなんて……感無量でございます。
本当にありがとうございました。
クリックしてくださった方、見にきてくださった方、本当に本当にありがとうございます!溝部が結婚できたのは皆様のおかげでございます。ありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします!
クリックしてくださった方、読みにきてくださった方、本当にありがとうございます!
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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