【山崎視点】
5月11日(木)
高校の同級生の溝部が、長年の片想いを成就させ、同じクラスだった鈴木と結婚したのは1か月半ほど前。鈴木の息子の陽太君とも意気投合して、幸せな結婚生活を送っている……と思っていたら、今日の朝、突然、集合の連絡が入った。場所はいつもの桜井と渋谷のマンション。桜井と渋谷は同性カップルなので、ついつい気兼ねなくたまり場にさせてもらっている。
「おかしいと思わねえ?」
食後、溝部が口を尖らせて鈴木の文句を言いはじめた。
食事中は、「誕生日にもらった室内履きで授業参観に行った」だの、「毎週末、お父さんコーチとして野球の練習に参加してるから、日に焼けた」だの、楽しそうに話していたのに、食事が終わって、酒だけ持ってソファ席に移動したところで、
「ちょっと愚痴らせてくれ」
と、今朝の鈴木の態度について文句を言いはじめたのだ。鈴木は仕事に行く日の朝は機嫌が悪いことが多いそうで、今朝も、溝部が月曜にゴミ出しを忘れたことについての嫌みを言っていた、らしい。
「そりゃ、忘れたオレが悪いけどさ。不機嫌にゴミ箱ギューギューしながら、明日までここに入るかな……とかブツクサ言っててさ。入らないんだったら、ビニール袋何重かしてベランダにでも置いとけってんだよ」
「…………」
じゃあ、そう言えばいいじゃん……、と、言ったら、
「喧嘩したくねえから言わねえよっ。つか、あいつ怒らすと恐えから言えねえよっ」
だから愚痴こぼしにきたんだろーっ。だそうだ。納得……
でも……
「うーん……それはおかしいよね」
桜井がポツンと言った。
「そうだろ? こっちはせっかく手伝ってやってんのに……」
「ほら、やっぱりおかしい」
すっと手の平を向けられ、え、と詰まった溝部。桜井は学校の先生をしているだけあって、こういうとき、相手を黙らせる術を持っている。
「溝部、手伝うってどういうこと?」
「え?」
「家の中のことは全部、鈴木さんが一人でしなくちゃいけないの?」
「それは……」
「一緒にすることじゃないの?」
「……………」
溝部は、う……っと詰まった。けれども、負けじとブツブツと言葉を続けた。
「オレはちゃんと協力してる。あいつが仕事の時は文句も言わずに飯から洗濯から全部やってやってるし……」
「やってやってる?」
ピクリ、と眉をあげた桜井先生。本当に「先生」って感じだ……
「だから、それがおかしいって言ってるんだよ? やってやってる、じゃなくて、自分がやるべきことだよね?」
「…………」
「今のゴミの話も、出し忘れたのは溝部のミスでしょ? だったら溝部が入りきらない分のゴミをベランダに出す作業をするべきじゃないの?」
「…………」
「それにそれって、鈴木さんも別に溝部に文句言ってたわけじゃないんじゃない? 溝部の中で罪悪感があるから、そう聞こえただけで」
「…………う」
ぐうの音も出ない、だ。
でも、珍しいな。桜井がこんなにハッキリと人を批判するなんて……
溝部は、頭をゆらゆらさせてから、ゴッとローテーブルに額を落とした。
「あーーー……桜井先生に怒られたーーー……」
「別に怒ってないよっ」
慌てたように桜井が手を振る。
「ただ……ほら、溝部、前に言ってたじゃん? 家事全般してくれるお嫁さんがほしいって。でも、鈴木さん働いてるわけだし、お子さんもいるんだし、そうそう全般するってわけにはいかないのに、まだそう思ってるんだったら、考えをあらためた方がって……」
「…………別に」
ボソッと言う溝部。
「家事してほしくて結婚したわけじゃねーよ」
「そうだよね」
桜井がほっとしたように肯く。それはそうだろう。溝部はこじれた片想いをようやく成就させたんだ。家事云々の問題ではないだろう。
「………山崎のうちは家事分担どうしてんだ?」
「え、うち?」
溝部に聞かれ、首をかしげる。どうしてるって言うほどのことじゃないんだけど……
「ご飯は、早く帰った方が作ることになってて……」
「それ、『その食材、明日使いたかったのに!』とかならないのか?」
「ああ、そうならないために、日曜日に一週間分の献立考えて買い物するから」
「へえ、計画的……」
オレは元々計画通りに事を進めるタイプだし、菜美子さんもわりとキチキチしているので、この方法は最も理にかなっていて、無駄も出ないので、二人とも気に入っている。最終日の土曜日は食材が余っていればそれを使い、足りなかったら少し買い足す、という処理をするのが土曜休みのオレの役目だ。
「それで、洗濯掃除は手の空いてる方がするって感じかな……」
「ふーん……渋谷桜井のうちは?」
「ほとんどこいつだ」
ずっと黙っていた渋谷がムッとして答えた。
「おれは洗濯掃除を少しと、食事の後片付けを一緒にするくらいで、あとは全部こいつ」
くしゃくしゃと頭をなでられた桜井、くすぐったそうな笑顔になっている。
「やるって言うのにやらせてくれないからな……まあ、唯一火曜日の夕飯だけはおれが作るけど」
「……はあ?」
アゴをローテーブルにくっつけていた溝部、急に元気になって頭をあげ、桜井に向き直った。
「桜井せんせー、なんか、さっきと言ってること違くないですかー? 共働きの家は協力分担して家事をするんじゃないんですかー?」
「えー?」
言われた桜井、なぜか可愛らしく、頬に手を当てると、
「しょうがないじゃーん。尽くしたいんだもーん。おれ、尽くしたい病だからさー」
つ、尽くしたい病???
「はあああ?! なんだその羨ましい病気は! 鈴木にうつせ!今すぐうつせ!」
「うつらないうつらない」
あはは、と笑う桜井。でも渋谷はしかめ面のまま、
「向こうに住んでた頃は当番制にしてたんだけどな。日本に帰ってきてからはすっかり……」
「だって向こうではやりたくても忙しくて出来なかったからさ~。でも今は労働環境いいから~」
桜井と渋谷は数年間、東南アジアの国々を転々としていた、と聞いている。どんな感じだったんだろう……想像もできない。
「思う存分尽くせるようになって、嬉しい限りです」
「なんだそりゃ」
渋谷は困ったように口をへの字にしながらも、顔を赤らめている。幸せそうでなにより……
「あーなんかアホらしくなってきた……」
「だね……」
溝部のつぶやきに思わず同意する。このうちに来ると、桜井と渋谷のラブラブさにあてられて、色々なことがどうでもよくなってくる時がある。
そして………無性に愛しい人に会いたくなる。
「オレ帰るわ。今ならまだ陽太起きてる時間に帰れるかもしれないし」
溝部も同様のようだ。そそくさと帰る準備をはじめている。
「駅まで車で送ってくぞ? 溝部、今、田都沿線だろ? ここ、田都の駅もわりと近いんだよ」
「マジか。助かるー」
溝部はあいかわらず賑やかにあーだこーだと話しながら、
「じゃー桜井先生、夕飯と説教、ありがとうございましたー」
と、桜井におどけたように言って、渋谷と共に出ていった。
その後ろ姿を「うーん……」とうなりながら見ていた桜井……。やっぱりいつもと違う。でも、オレの視線に気が付いて、はっとしたように「お茶入れるね」とキッチンに下がっていき……
「あのさあ……」
急須と湯のみをお盆にのせて運んできてくれた横顔に聞いてみる。
「珍しくない? 桜井があんなにハッキリ説教するなんて。なんかあった?」
「あー…………」
桜井は気まずそうに頬をかくと、
「ちょっと……責任感じてて」
「責任?」
なんだそれ?
首をかしげたオレにスッとお茶が差し出される。
「あのー……おれの『尽くしたい病』って、たぶんちょっと珍しいじゃん?」
「まあ……そうかな」
はたで見ていても、桜井の渋谷に対する尽くし方はちょっと引くくらいだ。
「たぶん、それって、おれが変だからなんだけど」
「そんな……」
否定しかけて、口を閉じる。桜井は色々あるらしい。余計なことは言うべきじゃないだろう。桜井は一人言のように続けた。
「それなのに、そういうおれの姿を見て、自分の奥さんにもそれを求めるようになったんだったら、申し訳ない、と思って……」
「ああ……なるほど」
溝部はずっと、桜井みたいな嫁が欲しいと言ってたからな……
「でも、余計なこと言ったなあと思って反省中……」
「いや、全然余計なことじゃないと思うけど?」
「でも………」
頭を抱えている桜井に、まあまあ、と手を振る。
「むしろ、友達なんだから、言ってやらないと、だし。言ってくれてありがとうだよ」
「………え」
「まあ、相手はあの鈴木だし、そのうち溝部にガツンと言いそうな気もするけど」
「…………」
「……桜井?」
なぜか呆然としている桜井。違った意味でもう一度手を振る。
「どうかした?」
「あ………ううん」
桜井はゆっくりと首をふり……
「………ありがとう」
嬉しそうに言った。高校生の時と同じ無邪気な笑顔で。
***
帰りは、菜美子さんと電車の中で待ち合わせをした。今日の話を報告すると、
「尽くしたい病?」
桜井さん面白いこといいますね、とクスクス笑いだした。そんな菜美子さんはあいかわらず超美人で……。家にいるときはさすがにもう大丈夫なんだけれども、こうして外で会うと、やっぱりオレにはもったいない人だなあ……という暗い気持ちがしてきてしまう。……でも。
「卓也さんは尽くしたい病ある?」
「…………」
たぶん、オレのそういう気持ちもお見通しの菜美子さん。甘えるように腕につかまってくれる。
「…………オレもその気はあるよね」
「ですね」
うふふ、と笑う、うちの奥さん。
「でも、卓也さんのは尽くすっていうより、甘やかすって感じかな? 私は甘やかされたい病だから、ちょうどいい」
ほら、こういう顔されたら、何でも言うことを聞きたくなってしまう。
「あのね、明日の夜、MMホールでコンサートがあるんですけど、卓也さんと一緒に聴きたいなあって……」
つかまれた腕に力がこめられ、目をのぞきこまれて………かなわないなあと思う。うちの奥さんは、本当に甘え上手だ。
「もちろんいいよ?」
「7時開演なんだけど間に合う?」
「たぶん大丈夫」
「良かった。今日ね、たまたま見つけて……まだチケット売ってたから買っちゃったんです」
「……………」
もう買ってあるのかよ、というツッコミは心の中にしまう。いたずらそうに笑う菜美子さんがかわいすぎるから。
「プリン食べたい。帰りコンビニ寄ってもいいですか?」
「もちろん」
改札を出た途端に言われた言葉にうなずいて、手を繋ぐ。
たくさん、たくさん甘やかして、オレの腕の中は居心地がいいと思ってもらいたい。
桜井の『尽くしたい病』だって同じようなものじゃないだろうか?
こういうの、結局のところ『惚れた弱み』って言うんだろうなあ……
おそらく今、同じように愛する人と一緒にいる友人たちに、同意を求めたくなってしまう。
【浩介視点】
溝部を車で送ってきた慶。山崎が帰るなり、ギューギュー抱きしめてくれて、ソファーに押し倒してきたので、「なに?なに?なに?」と思ったら、
「溝部が、お前に言いにくい事言わせて悪かったって。フォローしといてって頼まれた」
「溝部……」
そんなこと言ってくれたんだ……
「なんか、目が覚めた、とか言ってたぞ? まあ、いつまで持つか分かんねえけどな」
「そっか……」
言いながらも、慶の唇はおれの首筋や鎖骨までおりてきて、シャツのボタンは外されはじめて……
「で……、これがフォロー?」
「悪いか?」
「一番嬉しい、です」
こちらも負けじと慶のボタンを外しはじめる。
「あのね……さっき、山崎が『友達なんだから、言ってやらないと』『言ってくれてありがとう』って言ってくれたの」
「そっか」
「嬉しかった」
「そっか」
ふっと笑った慶。
友達……友達。上辺だけじゃなくて、こうして踏み込んでも大丈夫な、友達。
そんな『友達』ができるなんて……昔のおれからは考えられなかった。
そして……
「慶は、おれのこと重くない?」
「何が?」
「おれに尽くされすぎて、疲れない?」
おれの『尽くしたい病』は独占欲の現れだ。
尽くして尽くして、おれなしでは生活できないようになってほしい……そんな黒い気持ち。
でも、慶は「何いってんだよ」とチュッとキスをしてくれた。
「まだまだ足りない。もっと尽くせよ」
「………うん」
おれの全部を受け入れてくれる慶に、おれは包み込まれる……
**
翌朝。朝6時半にラインが入った。
『ゴミ捨て完了!!』
『ゴミ出しして戻ってきたら、ありがとう♥ってチューしてくれた~♥』
…………。
えええ!?
あの鈴木さんが「ありがとう♥」ってチュー!? ……そ、想像できない……。
「どうかしたのか?」
「あ……慶、これ……」
固まっているおれに気がついた慶にラインを見せると、慶も「うわー想像できねー」とおれと同じ感想を言っていた。
でも、その後、7時過ぎ、再びラインが入った。
『今オレも、朝ごはん作ってくれてありがとう♥ってチューしようとしたら』
ガーンって感じのスタンプ。
『ゲンコツで思いっきりどつかれた……』
「…………」
「…………」
うん。この光景は想像できる……。
『でも、ちょっと嬉しそうだった』
さすが溝部。前向き。
『良かったね』
そう返信をしたら……
『桜井先生のおかげです。昨日はありがとう』
溝部……。
嬉しくて、笑ってしまう。
「浩介? 遅れるぞ?」
「あ、うん。今行く」
慶と一緒に外に出る。
眩しい光。今日も良い天気。
おれの隣には大好きな慶がいて。おれの友達も今、大好きな人と一緒にいるらしくて。
それはとても幸せなこと。
そんな幸せな一日がはじまる。
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お読みくださりありがとうございました!
最後はつい先ほどの出来事でした~(^-^) 溝部の住んでいる地域は月曜と金曜が家庭ごみの日です。
おまけシリーズにふさわしく、ホントにオチも何もない「おまけの話」でm(__)m
次回からとうとう浩介暗黒時代に着手しようと思います。
「その瞳に」の後の話になります。
今の幸せいっぱいの浩介を頭から追い出して、28歳の暗~~い浩介を思い出さなくては!
「その瞳に」を書いたのはちょうど一年ほど前。ブログを休止しなくては、と思い悩んでいた時期でした。
でも、皆様の温かいお言葉と応援のクリックのおかげで、ボチボチと再開できて……
そのおかげで、山崎と戸田菜美子先生は結婚できて、私の頭の中だけで存在していた泉と諒を描くことができて、そして何よりまさかあの溝部が結婚!本当にありがとうございます!!
また「休止……」とか思い詰めないよう、日常生活とバランスを取りながら、続きを書かせていただこうと思っております。
このネットの世界……素敵な小説、毎日や隔日更新なさっている小説がたくさんある中、このような拙作……しかも週二回しか更新できない……を読みに来てくださる有り難い皆様には本当に本当に感謝感謝感謝、の言葉しかございません。ありがとうございます!!
今後ともどうぞよろしくお願いいたします!
クリックしてくださった方、読みにきてくださった方、本当にありがとうございます!
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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