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BL小説・風のゆくえには~閉じた翼 6(浩介視点)

2017年06月09日 07時21分00秒 | BL小説・風のゆくえには~  閉じた翼

「こんな簡単な問題もできないの?」

 母の甲高い声。

「お父さんに叱られてしまうわ……私が叱られるのよ?分かってる?あなたができないと私が叱られるの」

 鋭く痛む背中。

「ほら、背筋伸ばして。もう一度考えてごらんなさい」
「はい……」

 問題を読もうとするが……真っ白で何も見えない。

「お母さん……」

 何も見えない。言おうとして振り返ると、

「ちゃんと背筋のばして!」

 再び痛む背中。

「どうしてあなたはそうなの」

 母の泣き声。何度も叩かれる背中。
 痛い、痛いよ。お母さん。お母さん……


「………!!」

 はっと目を覚ました。最近よくみる子供の頃の母の夢。部屋に閉じ込められて背中を叩かれて……
 まわりを見渡し、ここが恋人である渋谷慶の勤務する病院の社宅となっているマンションだということを思い出す。

「………」
 喉がカラカラだ。水を飲むためにベッドを抜け出す。慶はこちらに背中を向けて眠っている。規則正しい息遣いが聞こえてくる。ただそれだけで、心臓が握りつぶされるかと思うくらい愛おしさでギュウッとなる。
 冷蔵庫を開けても、少しコップが音を立てても、慶が起きる気配はなかった。
 慶は毎日疲れている。病院の勤務はおそろしく忙しいのだ。

「……ん」
 ふいに慶が寝返りをうち、仰向けになった。その整った顔が窓から入る外の電灯の光に照らし出される。

(………きれいだな)
 ベッドに腰かけ、その寝顔を見下ろす。慶本人は女みたいで嫌だというその顔は、素晴らしく中性的に美しい。
 人形のようだ、と思う。 

(………人形だったらいいのに)
 そうしたら、部屋に飾って、一歩も外に出さないで、おれだけのものにするのに。

(おれだけのものに……)

 その白い喉元に手を伸ばす。

(慶………)

 ゆっくりと力をこめる。

 慶のあごがわずかにのけぞる。

 慶……このまま呼吸をとめて。人形になって。おれだけのものになって……

(………慶)
 愛してるよ………

「………浩介?」
「!」

 慶の瞳が静かに開かれ、おれは慌てて手を隠した。
 おれ、今、何しようとした!?

「どうした……?」
「………なんでもないよ」


 慶に背中を向け、何とか答える。
 きっと今、おれはひどい顔をしている。こんな顔、慶には絶対に見せたくない。

「浩介……」

 慶の優しい手がそっとおれの背中に触れる。
 その触れられた場所から、自分の黒い部分が浄化されていくのが分かる。

「怖い夢でも見たか?」
「…………」

 黙っていると、慶にぎゅうっと頭を抱えこまれた。

「まだ時間ある。もう少し眠れるぞ?」
「うん……」

 慶の腰を抱き、首元に顔を押しつけ、ゆっくりベッドに押し倒す。

「こら、浩介。寝るんだから……」
「うん……」

 そのきれいな耳朶に口づける。ビクッと震えた慶の手を取る。

「浩介、寝るって……」
「だって、もう起きちゃった。……ね?」
「………あほか」

 赤くなった慶。愛おしい愛おしい慶。
 大切にしたい。大切にしたいのに………。


「……で?」
 あかねが呆れたように言い放った。

「朝っぱらから一発ぶちこんできたってわけね?」
「あかね、下品。でも下品ついでに言うと、一発じゃなくて二発」
「どーーーでもいいわっそんなことっ」

 バシッと頭をはたかれた。

「なんなの? のろけ話聞かせるためにわざわざ呼び出したっていうなら本気で殴るよ?」
「てーーー暴力反対っ」


 殴られたところをさすりさすり文句をいう。


「自分だってこないだ散々、女子大生と付き合うことになった~~ってのろけてたくせにっ」

 あかねは女性だけれど、恋愛対象も女性なのだ。そういう点でもおれ達はお互い良き理解者となっている。
 ファストフード店のテラス席でお茶しているおれ達は、周りから見たら恋人同士にでもみえるかもしれない。

「ああ……あれね。あの女子大生ね」

 あかねは涼しい顔をしてコーヒーをすすりながら、

「あれはもう別れた」
「は? もう?!」

 まだ一か月しかたっていないような……。

「だってうるさいんだもん。メールの返事が少ないとか夜は必ず電話しろとか。もう鬱陶しくて」
「うわっひどっ」

 彼女かわいそうに……。

「ひどいのはあっちだよ。そんな束縛されたら逃げたくなるに決まってる」
「束縛………かあ………」

 思い当たるところがありすぎて、テーブルにおでこをつけて突っ伏してしまう。

「おれも鬱陶しいとか思われてんのかなあ……」
「なに? 思われるくらい束縛してんの?」
「いや、してない……と思う。我慢してるもん」

 忙しい慶の負担にならないように、返事を求めるようなメールはしない。電話もしない。会いたいって言わない。でも会いたくてマンションの部屋に行ってしまう。結局会えないまま一晩一人で過ごし、たまっている洗濯や洗い物をしてあげていることもしばしばだ。
 その話をすると、あかねは「こわっ」と引いて、

「あんたそれ大丈夫?便利な家政婦になってない?」
「いいんだよ。おれは便利な男になりたいんだよ。慶の負担にならない、慶の役に立つ男に。それで慶がおれを手放したくないって思ってくれれば一番。そうしたらずっと一緒にいられる」
「なんだか……歪んでるわねえ……」
「…………」

 再びテーブルに顔を突っ伏す。

「やっぱり……歪んでるよね」
「相当ね。まあでも、そっち方向に歪んでる分には構わないけど……」
「うん………」

 身を起こし、自分の両手を見る。

「自分でもこわい。今まで自分だけのものにしたいって思ったことは数え切れないくらいあるけど……」
「数え切れないって」
「うん……でも、こんなことしたのは今朝がはじめて」

 慶の首の感触が今も残っている。のけぞった白いあご。伝わってくる脈。

「そのうち本当に殺しそうでこわい」

 身が震えてくる。自分で自分が恐ろしい。

「………」
 しばらくカップの中のコーヒーを見つめていたあかねが、ふいに顔を上げた。

「ねえ………、慶君とのエッチって気持ちいい?」
「………は?」

 いきなり何を言い出すんだ。

「何を……」
「だから聞いてんの。気持ちいい?」
「そりゃ……」

 今朝の慶を思い出す。白い肌。しなやかな肢体……。

「ああ、いい、いい。よだれでそうな顔してる。今は思い出すな」
「よ……っ」

 意味が分からない。

「なんなのいったい?!」
「だーかーらー」

 ビシッと目の前に指を突き出される。

「今度、首絞めそうになったら、それ思い出しなさい」
「………は?」
「死んじゃったらエッチできないでしょ? あーここで首絞め続けたらあの気持ちいいことできなくなるんだーって思ったら、やめられるよ」
「…………」

 なんだそのアホな理由。

「あと。今日そんなことをしちゃったのは夢のせいもあるんでしょ?」
「!」

 息を飲んだおれを置いて、あかねが言葉をつづける。

「自分でもわかってるんでしょ? 慶君の首しめちゃったって相談だけだったら、その前に夢の話なんかしないよね? 自分でも思い当たってるから、夢の話からしたんでしょ?」
「…………」

 何でも見透かしたようなあかねの目。

「………まいった」

 おれは素直に降参した。

「いや、正直、夢の話はついでみたいなものだったけど、これも話したいって思ったってことはそういうことなのかもな。何でもかんでも親のせいにしたくないんだけど……」

 あかねがふっと視線を落とす。

「まあ……分かるよ。同じような環境で育ってるからね」
「うん……歪んだ愛情の連鎖っていうやつかな……なんて」
「親元離れて何年もたつのに、なんでまだこんなにがんじがらめなんだろうね」

 おれ達は同時に大きくため息をついた。

「浩介、お母さんから連絡は?」
「しょっちゅう電話とメールがくる。まあ、全部無視してるけど」
「全部無視って……」
「着信拒否にしたら違う番号からかけてくるようになったからさ。逆に面倒だから拒否設定解除して無視することにしたの」
「出ればいいじゃない」
「やだよ。次に声聞いたら、おれ、吐く自信あるよ」
「なんの自信よ」

 呆れたようにあかねがいう。

「あんたねえ、せめてメールだけでも返しておかないと、あっちもあっちで追い詰められて、何かしてくる可能性があるわよ」
「何かって?」
「そうねえ、例えば……」

 あかねは言いかけたが、ぎょっとした顔をしておれの後ろに目線を送った。

「おばさま……」
「あかねさん、お久しぶりね」
「!」

 背中が固まった。忘れたくれても忘れられない、思い出したくもない声。

「浩介」
 振り返ると……母親が立っていた。いつもながら小奇麗な格好。こういうファストフード店では相当浮いている。

「あなた全然電話に出てくれないんだもの。心配したわ。どうして出てくれないの?」
「どうしてって………っ」

 声も聞きたくないからだよっという本音が出そうになったところを、あかねが別人のように明るくさえぎる。

「おばさま、男の人ってそんなものみたいですよ。私の職場の先輩も息子が電話に出てくれないって嘆いてましたもの」
「まあ、そうなの? 昔は何かっていうとお母さんお母さん言ってたのに」
「え~そうなんですか?」

 あかねがうふふ、と笑う。さすが劇団出身。どれだけ演技上手だ。

「まあ、でもお母さん安心したわ。浩介とあかねさん、上手くやってるのね」
「ええ」

 にっこりとするあかね。
 大学時代、母がおれと慶を別れさせようと、慶や慶の家族に嫌がらせをしたことがあった。
 何度説得しても母が理解してくれることはなく、結局ウソをつくことにしたのだ。「慶とはただの友人に戻った。おれには彼女ができた」と…。
 その時に協力してくれたのが、あかねだった。というか、あかねが発案者だった。劇団で女優をしていたあかねにとって、おれの恋人役の演技などお手の物で、両親ともすっかりそれを信じて、その後は嫌がらせもなくなったのだが……。


「ああ、よかったわあ。安心した」

 母はあかねの手をとらんばかりに、はしゃいだ様子で続けた。

「浩介ったらね、昨日も渋谷君のところに泊まったりしてたから、まさかと思って……」
「……………え?」

 今、なんて………

「渋谷君に会う暇があるのなら、あかねさんとデートしなさいって言おうと思ってた矢先に、今日はデートしてたから安心……」
「ちょっと、待って」

 母の言葉をさえぎる。

「なんでおれが昨日、渋谷君のところに泊まったこと知ってるんですか?」
「え………」

 母の笑顔が固まる。

「まさか……調査会社とかに調べさせてる?」
「……………」
「おれの動向を見張ってるってことですか?」
「……………」

 この無言は、肯定の無言……。

「信じられない……」
「………あなたがっ」

 いきなり、母が叫んだ。

「あなたが悪いんじゃないのっ連絡もよこさないでっ」
「だからって調査会社まで使って……」
「あなたに何かあったら、私がお父さんに叱られるのよっ」
「!」

 叩かれたわけでもないのに、背中に鋭い痛みが走る。

「………だからっ」

 歯の奥から声を絞り出す。

「おれは…………っ」

 母を見下ろし、決定的な何かを言ってしまいそうになった、その時。

「あーーーーーーーーーーーーーーー!」

 いきなり、あかねが叫んだ。

「ほら、浩介さん、時間っ」

 目の前に携帯を突きつけられた。おれの携帯。

「………あ」
 こっそり撮った慶の寝顔の写真。

「………」
 頭が冷えた。おれは慶を守らなければならない。

「…………とにかく」
 大きく息をつき、母を正面から見据える。

「電話には出るようにするから、そういうことするのやめてください」
「だって………っ」

 母がなおも言おうとするのを、今度はあかねが遮る。

「ごめんなさいっ、おばさま、私達これから仕事なんです~」

 あかねの張りのある声に、出鼻をくじかれた母。激昂するかと思ったが、

「あら……そうなの。お休みの日にまで大変ね」

 あっさり引き下がったので助かった。

「それじゃ、あかねさん。今度のお正月にでもうちに遊びにいらしてね」
「はい~是非~~」

 いいながら素早くおれの分のトレイも重ね、ゴミを捨てにいってくれるあかね。

「浩介も、今度のお正月はちゃんと顔だしなさい。ね?」
「………」
「じゃ、おばさま、失礼します~。ほら、浩介さん、急いで急いでっ」

 あかねに腕を引っ張られながら、その場を後にした。母の呪縛の視線を背中に感じながら。


 しばらく歩き、駅の改札口が見えてきたところで、あかねがポツリと言った。

「……吐かなかったじゃない」
「……吐きそう」
「げっ。トイレ行く?!」
「行く……」

 あわてて近くの共用トイレに駆け込む。
 便器にげえげえ吐いているところを、あかねが背中をさすってくれる。

「……おれ、もう無理」
「………うん」
「もう、無理だよ………」
「うん………」

 あかねは何もいわない。ただひたすら背中をさすってくれる。
 しばらく吐いていたら、なんとか落ち着いてきた。

「………ありがとう。全部でた」
「お水買ってくるよ。出たとこのベンチにでも座ってて」
「うん。……ありがとう。あかねがいてくれなかったら、おれ……」
「そういうの、いいから」

 ばっさりと感謝の言葉を遮られる。

「顔洗って出ておいで」

 あかねがでていくのを鏡越しに見送る。
 顔を洗って口をゆすぐ。鏡に映る自分の顔。

「ひっでえ顔……」

 慶には絶対に見せられない。こんな死神みたいな顔。
 慶の前のおれは、能天気で甘えん坊で頑張り屋。おれは慶の目に映る自分が好きだ。そういう自分でいたい。
 後ろ向きで暗くて卑屈で嫉妬深くて疑い深くて独占欲の塊で嘘つきで、親を殺したいほど憎んでいるおれなんて……消してしまいたい。

「………」
 もう限界かもしれない。このまま親の目の届くところにいたら、おれは壊れてしまう。壊れたおれは、きっと慶を………

「大丈夫?」

 トイレを出てすぐのベンチにあかねが座っていた。ミネラルウォーターのペットボトルを渡される。冷たくて気持ちいい。

「………あかね」
「なに?」

 あかねの澄んだ瞳におれは決意を告げる。

「おれ………アフリカ行きの話、本気で考えてみる」


 所属しているNPO法人の事務所に寄って、資料を受け取ってきた。
 外に出たところで、視線を感じた気がした。もしかして、調査会社の奴だろうか。
 おれは駅を通り越してそのままずんずん歩き続けた。ここから歩いて帰ったら、おそらく2時間はかかる。ついてこられるもんならついてこい。

 おれはかなりのスピードで歩き続けた。夕方になり、クリスマスのイルミネーションが点灯し始める。
 思い出す、高校二年のクリスマスイブ前日。
「慶のことが、好き」
 勇気を出して言ったおれを見上げて、「ばかっあほっ」と泣いた慶。
 あの時に抱きしめた幸福感は一生忘れられない。

「慶………」
 会いたい。いますぐ会って抱きしめたい。

「……でも、今日も慶君は当直でーす」
 あーあ、とため息をつきながらアパートに戻ってきて……、

「え?」
 アパート横のコインパーキングに停まっている赤い車を見て、心臓が跳ね上がった。
 慶の車だ!

 そのままダッシュで階段をかけのぼる。

「慶?!」

 安普請なドアを勢いよくあけると……慶が立っていた。眉間にシワを寄せて。

「うわわわわっ慶っ本物っすごいっ」

 靴を脱ぎ散らかして中に入ると、衝動のまま、ぎゅーっと抱きしめた。
 ああ、慶だ……。

「どうしたの?どうしたの?今日当直って言ってたよね?」
「かわってもらった。なんか今朝ちゃんと話せなかったから……」
「うわっそうなのっ感動っ嬉しいっ」

 ギューギューと抱きしめていると、慶はしばらくされるがままになっていたけれど……

「お前……今日、どこいってたんだ?」
「え?」

 ドキリとする。慶はおれとあかねが二人きりで会うことを快く思っていない節があるので、あかねと会ったことは、いつも慶には言えないでいた。
 するりとウソが口から出てくる。

「いつもの本屋巡りだよ? あと事務所によって……そこからあちこちのイルミネーション見がてら歩いて帰ってきた」
「歩いてここまで?!」
「うん。真面目に歩いたから結構速かったと思うけど、慶が来てくれてるならそんなアホなことしないで電車で帰ってくればよかったよー。連絡くれればよかったのに」
「……したよ」

 ムッとしたように慶が言う。

「え?!」

 あわてて携帯をポケットから出すと……着信履歴が13件。メールが2件。

「うわっごめんっ。歩いてて気が付かなかったんだっ」
「……なにかあったんじゃないかって心配した」
「ご、ごめん……」

 ふいっと慶はおれから離れ、背を向けた。

「慶……?」
「………ごめん」
「え?」

 いきなり謝られてキョトンとなる。

「なんでごめん?」
「お前……いつも待っててくれるだろ。おれ、全然メールも電話も返せないから何時に帰ってくるかもわからないのに、ずっと待っててくれてる」
「それは………」
「お前もいつもこんな気持ちでいるのかなーと思ったら……」
「こんなって?」
「何かあったのかな?とか……」

 慶は言いにくそうに俯いた。

「誰かと、何かあったのかな……とか」
「…………慶」

 後ろから抱きしめる。愛おしい、愛おしい慶……。

「不安にさせてごめんね」
「べっ別に不安になんか……っ」
「ごめんね………」

 ぎゅうっと抱きしめたまましばらくジッとしていたが、ふいに思い出して、この際だから聞いてみることにした。

「あのさ……慶」
「なに?」
「おれが慶のいない間、部屋で待ってたりするの……迷惑?」
「なんで?」

 腕から抜け出して、慶が振り返る。

「いや……、一人でいたいのに……とか思われてるかな、とか思ったり……」
「そんなこと思うわけないだろ」

 あきれたように慶が言う。

「それどころか、お前がいない日はガッカリしてるよ。今日はいないんだーって」
「えっそうなのっ」

 う、うれしい。

「だって、お前がいると、飯はできてるし、洗濯もしてくれてるし、そうじもしてくれてるし、風呂も洗ってくれてるし、ホント楽だもん」
「………そこか」

 うわ、ホントにおれ、便利な家政婦だったのか……。

「なんてな」
 ふっと慶が笑った。

「本当は、おれ、お前に会えるだけで十分だよ」
「慶……」

 慶がぎゅっとオレの腰に手を回した。

「充電」
「え?」
「充電、だよ」

 なにが?

「すっごい疲れて帰ってきても、お前にこうやってくっつくと、充電されるみたいに疲れが取れてくる。だから本当にお前がいてくれるだけで十分」
「慶……」

 苦しい。愛おしすぎて苦しいよ、慶。
 視線の端に事務所からもらってきた資料の封筒が目に入る。
 おれがアフリカに行くと言ったら、慶はついてきてくれるだろうか。
 もし、慶に「行くな」と言われたら……おれは行くのをやめたくなってしまう。でもこのまま日本にいたら、おれは………。

「あ、ちょっとごめん」

 慶の携帯が鳴った。嫌な予感。これはいつもの……

「ごめん。病院戻らないといけなくなった」
「……だよね」

 ため息をつきそうになり、寸前で飲み込む。だめだ。慶の負担になる存在になってはだめだ。

「じゃ、おれが運転するよ。慶、夕飯食べる暇ないでしょ? 冷蔵庫に炒飯の残りあるから、それ車の中で食べて」
「ああ、ありがとう。助かる」

 炒飯のタッパーを急いで電子レンジにかける。

「……で、おれ、そのまま慶の部屋で待っててもいい?」
「当たり前だろ」

 ぎゅっと後ろから抱きつかれた。

「ごめんな、いつも」
「ううん」

 電子レンジが終わる。

「はい。じゃ、行こう、慶」
「うん……」

 離れない慶。

「どしたの?」
「うん……」
「遅くなっちゃうよ?」
「うん……」

 ゆっくりと腕が離れる。慶が下を向いたままつぶやくようにいう。

「……ごめん。おれ、わがままだよな。お前が文句言わないでくれることありがたいのに、文句言われても困るだけなのに、何も言われないと何も思われていないみたいで……必要とされてないみたいで不安になってくる」
「え」

 びっくりした。

「え、そうなの?」
「そうなのって」
「いや……ごめん、おれ、慶の負担になっちゃいけないって、ずっと、ずっと……」

 我慢してて………

「浩介」

 慶の手が伸びてきてオレの頬を囲んだ。ぐいっと引き寄せられ、唇を重ねられた。柔らかい、やさしい慶の唇……。

「……慶」
「続き、帰ってきてからな」

 照れたように言う慶。そして、車出してくる、と先に出て行った。

「どうしよう……」

 幸せすぎるんですけど……。

「うちの慶君には多少の束縛が必要みたいですよ、あかねさん……」

 思わず一人ごちてから、おれは急いで、炒飯のタッパーとスプーンとペットボトルを袋にいれ、明日の出勤の用意もして、鍵をしめた。
 ドアを閉めるときに、事務所からもらってきた書類の封筒が再び目に入る。

「…………」
 アフリカに行くとなったら出発は4月の初め頃になる。慶は何というだろう……

「!!」

 外に出たところで、車の中からこちらを見ている視線を感じた。おそらく母の依頼した調査会社の奴なんだろう。

「……………」

 また胃液があがってくる。
 逃れられない呪縛……。

「浩介?」

 慶の声におれは振り返る。ニッコリと。ニッコリと。胃液を飲み込み笑顔を作る。

「はい、食べてね~。では安全運転で出発しまーす」

 慶と一緒にいたい。
 でも、やっぱりもう、日本にはいられない。
 話さないと……話さないと……。

「お前、ホント料理上手だよな。すっごくおいしいよこれ」
「良かった!またすぐ食べられるように色々作って冷凍しておくから、おれがいないときでもちゃんと食べてね?」
「うー……自信ないなー……。あ、あとさ、シャツのボタンが取れてるのが……」
「わかった。つけとく」
「あと、腕時計の電池が……」
「わかった。交換いっておくから、今はおれのしとく?」

 信号待ちの間に時計を外し、慶に渡す。

「あと、荷物の不在通知が入ってて……」
「わかった。受け取りやっておく。いつものところにハンコあるよね?」
「うん………」

 うなずきながら、急に慶がくすくすと笑いだした。

「なに笑ってるの?」
「いや……おれ、本当に、お前いないと生活していけないな、と思って」
「!」

 慶の横顔。炒飯をほおばりながら笑っている。

「慶……」

 おれがアフリカに行くといったら、慶は………?
 おれの思いなど知らずに楽しそうな慶。
 今日は、話すのやめておこう。
 明日、話そう。明日こそ……。

---


以上、約2年半前に投稿した「翼を広げる前(浩介視点)」の再録でございました。
お読みくださりありがとうございました!
文章あっさり。今だったら、浩介が慶の首を絞めたくだりとか、もっとグダグダと書きこんでいたかと思います^^;

この後、この2年半の間で、
「自由への道」
「あいじょうのかたち」(←両親との確執の話)
「遭逢・片恋・月光・巡合・将来」
「その瞳に」
「たずさえて」
「嘘の嘘の、嘘」
「現実的な話をします」
……の順で長編を書いております。
(書いた順番、時系列てんでバラバラ^^;)

次回は慶視点バージョンを再録させていただきます。

クリックしてくださった方々、読んでくださった方々、本当にありがとうございます!!
次回火曜日、よろしくければどうぞお願いいたします!

クリックしてくださった方、読みにきてくださった方、本当にありがとうございます!
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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「風のゆくえには」シリーズ目次 → こちら
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