山田ライトがおれを訪ねて学校にやってきたのは、終業式の日。12月25日のことだった。
『浩介先生、ケニア行ってくれるんだってー!? シーナが喜んでたよー!』
「わ、ちょ、ちょっと……っ」
いきなり英語で叫ばれ、慌てて手を振って、スワヒリ語で答える。
『その話、まだ正式にOKしたわけじゃないから!』
『え、そうなの?』
ライトもスワヒリ語に切り換えてくれたので助かった。職員室内、英語が分かる先生も何人かいる。変な話はできない。
『シーナ、浩介先生のために離れの小屋の掃除するって言ってたよ? そこに住んでもらうって』
『………………』
前向きに検討します、と事務局長に答えた言葉が、どう伝言されたのか、ライトの親戚のシーナさんには「行く」と伝わっているらしい。あとで連絡しておこう……
「………ライト、学校は?」
「冬休みー!学校のクリスマスパーティー終わったその足で飛行機飛び乗って、こっちのクリスマスパーティーにも参加!みたいなー」
日本語で楽しげに答えるライト。ライトは現在お父さんのいるアメリカで暮らしている。日本に住む母親とも上手くやっているようで安心する。
「そっか。良かった。楽しくやってるんだね」
「オカゲサマデー」
わざと変な発音で言ってケタケタ笑ったライトだけれども、
「浩介先生」
ふっと表情を改められ、ドキリとする。ライトは真面目な顔のままスワヒリ語で話し出した。
『オレ、夏休みにケニアに行ったんだよ。都市部と違って、シーナが住んでるあたりは学校に通えない子がたくさんいてさ……。だから学校を作るんだってみんな頑張ってて。でも先生やってくれる人が足りなくて』
「…………」
先日写真で見せられた風景を思い出す。
広い、青い空……
『ユーナちゃんが言ってたよ。この学校にいる桜井先生と日本語教室にいる浩介先生はまるで別人だって』
先日、事務局長にも同じ話されたな……
『オレは、オレのためにスワヒリ語を覚えてくれた浩介先生が好き』
「…………」
まだ大学生の時、かたくなにスワヒリ語しか話そうとしない小学生のライトと話すために、おれはスワヒリ語を覚えた。「先生、変な人だね」と日本語で言って笑ったライトを思い出すと、今でも充実感みたいなものに満たされる。
『浩介先生が先生の本当でしょ?』
「それは……」
違う。日本語教室での『浩介先生』は、頼りがいがあって、明るくて……本当のおれとは真逆の人間で………
『浩介先生だったら、あの子達を笑顔にしてあげられると思うんだよ。あの時のオレみたいにさ』
「…………」
『だから、こんな学校辞めて、あっちで先生やりなよ』
「…………」
ふっと妄想にとらわれる。
異国の学校。『浩介先生』として、子供達と過ごす日々。子供達の瞳は、純粋でキラキラと輝いていて。そして、そこには、母の束縛も父の恐ろしい影もなくて……
(自由だ……)
その見渡す限りの自由な空の下、おれは閉じた翼を広げる……
(でも)
でも。でも……
そこに、慶はいない。
***
「ようやくちょっとだけ認められた感じなんだ」
一昨日の夜。付き合って11回目の記念に行ったレストランで、慶が嬉しそうに話してくれた。
自分の目指すお医者さんになるために、毎日頑張っている慶……
そんな恋人の喜んでいる顔を見て、どうしようもない嫉妬心に襲われ、吐き気までしてきたおれは、本当に醜い。
(慶はおれなんかより、仕事が大事……)
そんなこと、知ってる。知ってた。
慶には、おれと一緒にアフリカに行く、なんていう選択肢は存在しない。
その後、二人で訪れた思い出のクリスマスツリーは、飾りつけは少し変わったけれど、あの時とまったく同じ場所にあった。
(慶のことが、好き)
11年前と同じように思う。あの時と同じ、醜い独占欲で頭がいっぱいになる。
(慶、おれだけを見て。他の誰も見ないで。おれだけのものになって……)
ずっと変わらない……、いや、もっとひどくなっている、醜い醜い独占欲……
そんな邪な思いを抱かれているとも知らず、慶がおれの指をきゅっと掴んでくれた。優しい、優しい手。泣きたくなってくる。
「お前、やっぱりなんか変だぞ?」
慶の優しい声。優しい優しい声。
ゾワッと体中が黒いもので満たされていく。
(おれのものに、おれのものに、おれのものに……)
ああ……
あの朝と、同じだ。
慶の首を絞めてしまったあの朝と。黒いものに支配される。自分が自分でいられなくなる。
慶、仕事のことなんか考えないで
慶、どこにもいかないで
慶、おれのものになって
慶、呼吸を、止めて。
慶……愛して……
「浩介」
「!」
その温かい手で頬に触れられた瞬間、我に返った。
パンッ!
衝動的に慶の手を弾く。
慶、おれに近づかないで。
今のおれは、慶に触れられたら、何をしでかすか分からない。自分で自分がおそろしい。
でも、慶……慶。
「あ……ごめ……っ」
離れたくない。一緒にいたい。
でも、おれは慶を傷つける。分かってる。分かってるけど……
「あの…………、慶、ごめん……あの、母がね……」
目を見開いたまま固まってしまった慶に、慌てて言いつのる。誤魔化さないと、誤魔化さないと……
「母が、調査会社に依頼して、おれのこと監視してるんだよ」
咄嗟に出た言い訳の言葉。でも、慶は疑うことなく信じてくれて……。そのまま、何でもないように会話を続ける。
(嘘ばかり上手くなる……)
おれは嘘つきだ。
嘘で塗り固められて。嘘で縛られて。
だったら、『慶と離れても大丈夫』っていう嘘を、自分につけばいい。嘘で自分を騙せばいい。
(おれ一人で、アフリカに行けばいい……)
慶を本当に傷つけてしまう前に、おれがいなくなればいい。
逃げ出せばいい。すべてから。
慶からも、両親からも、職場からも。
すべてを捨てて、逃げ出せばいい。
(でも………)
まだ、決心できない。
だって、慶……
あなたと離れたら、おれはどうなってしまうんだろう………
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お読みくださりありがとうございました!
って、暗っ!!
で、でも、これから、ちょっとだけ浮上するのでっ!!
そのエピまで入れようかと思ったのですが、長くなりそうなので次回に持ち越しにしましたっ。
たぶん残りあと2回か3回ってところです。見捨てないでいただけると幸いです……
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