今年の正月は例年通り……いや、例年よりも最悪だった。
結婚はまだしない、と言っているのに、母がしつこく早く結婚するように言ってきて……。おれに言う分にはまだいいけれど、新年の挨拶に来てくれたあかねに対しても、子供がどうとか余計なことをぺらぺらと………
「…………ごめん」
「別に? アドリブ力鍛えられていいわよ」
帰り道、あかねに謝ると、そう返事された。あかねは大学時代は舞台女優をしていて、今は中学の演劇部の顧問をしている。あかねに恋人のフリをしてもらうようになってもう何年になるだろう……
「それより浩介、ずいぶん酷い顔してるけど大丈夫? 相当たまってるんじゃないの?」
「………まあ、うん……」
色々、溜まってる。不平も不満も性欲も。
「慶君とは……」
「ほとんど会ってない」
慶の勤める病院に入院している女の子に勉強を教えているため、その最中に、慶の働く姿を見ることはできている。でも、最近の慶は本当に忙しそうで、話せても二言三言だけだ。でも、それで助かっているともいえる。
「こわくて二人きりでは会えないから、ちょうどいいよ」
「…………そっか」
また、慶の首に手をかけてしまったら、と思うとおそろしい……
最後に慶を抱いたのは、突発的に慶の首を絞めてしまった朝の、次の日の明け方だ。慶の白くて滑らかな肢体の隅々まで口づけて、慶の中に入りこんで一つになって……
(このまま時が止まればいい)
そう思いながら何度も何度も打ち付けて……。
慶が寝たらまた手をかけてしまうかもしれないという恐怖心から、「眠い」という慶を無理矢理起こして抱き続け、電車の始発の時間に慶のマンションを出たのだ。
それからは、触れていない。記念日の夜も誘われたけれど、学期末で忙しいと言って早々に帰らせてもらった。
慶も忙しそうだからちょうどいい。慶はこのお正月も目を離せない患者さんがいるとかで、ほとんど病院にいるらしい。確実に労働基準法に違反していると思う……
「ケニアの件は慶君には話したの?」
「……まだ」
あかねの問いに首を振る。
おれは今、所属している国際ボランティア団体から、教育支援者としてケニアに行くことを誘われているのだ。
「行くかどうかも決めてないし……」
「そろそろ決めないとでしょ?」
「うん……」
ケニアに行ったら、今抱えているあらゆる問題から逃げられる……そんな誘惑に囚われそうになる。でも、そんな邪な気持ちで行くのは失礼な気がするし、何より……
(慶と会えなくなる……)
そう考えると、ぎゅうっと胸が痛くなる。
(でも……)
今でも会えてないじゃないか。会えたとしても、殺そうとしてしまう、という恐怖に怯えて、触れることもできないじゃないか。
(だったら……)
恋人に害しか与えられないこんな男は、彼の前から消えた方がいいんじゃないか……?
***
3学期がはじまって数日後の、帰りのホームルームでのことだった。
なんだか妙にザワザワしている……と思っていたら、小池という女子が突然、「先生」と言って立ち上がった。
「先生、学校辞めるって本当ですか?」
演劇部の彼女の声は、教室内をシンッとさせるほど綺麗に響きわたった。
「3年の先輩が言ってました。学校辞めて、アフリカに行っちゃうって……」
「………」
グルグルグルっと頭の中に相関図が浮かび上がる。
この子は演劇部の2年生。演劇部3年には小野寺聡美がいる。小野寺聡美は相澤侑奈の友人。相澤侑奈は山田ライトの友人。
(出所は当然、ライトだな……)
ふうっと大きくため息をつく。余計なことを……と、もうアメリカに戻っているライトに悪態をつきたくなる。
「…………。誘われているのは本当です」
ここで誤魔化して、間違った情報が噂になるのも嫌なので、本当のことを告げると、
「えーっ!」
ざわざわっと教室が騒がしくなった。おれが辞めたところでこの子達に何の影響もないのに、なんでこんなに騒ぐんだろう……と不思議に思う。
「どうするんですか?」
一番前の席の中西君(バスケ部の子だ)に問いかけられた。
「先生、行っちゃうんですか?」
「え…………」
真っ直ぐな瞳。ああ、そうか、この子は顧問が変わるから少し関係あるのか……なんてことをぼんやり思っていたら、
「先生!」
苛立ったように言われてハッとする。
「先生、教えて!」
演劇部の小池さんも何故か必死の顔だ。
「…………」
ちゃんと答えないといけない、か……。
でも…………
「………迷ってるんだよ」
勝手に言葉が出た。答えたことで、自分でもあらためて認識する。そう……おれは、迷ってる。
「迷ってるって……」
「何が正解なんだろうって」
「え……」
教室内の視線がこちらに集まってきた。高校2年生……おれが慶と同じクラスになれた歳だ。まだ、将来なんて漠然としていて、現実味がなかった年齢。思い出す。あの頃のこと……
「おれも高校生の時は、大人になったら、決めた道をただひたすらまっすぐ進んでいくものだと思ってたよ」
そう、大人になったら、大人になったら……と。でも、大人になっても、何も変わらない。
「でも……違ったんだよ。大人になった今も、この道で良かったのか、こっちの道はどうなのかって、ずっと迷ってる」
きょとん、としている子もいれば、息をつめたような顔をした子もいる。
(しまった)
教師らしからぬことを言っている、と気が付いて、何とか話の軌道修正をすることにする。
「みんなも進路を決める時期にきてるけど……」
1人1人の顔を見ていく。迷える高校生たち……
「たくさん迷って、たくさん考えて………それで、今、考えうる最良の道を選んでほしいと思います」
「行きたい道が見つからなかったら?」
中西君が即座に聞いてきた。そういえば彼は、将来の夢なんか何もないって面談で言ってた……。でも、こういう聞き方をするということは、行き先を決められない自分に焦っているということだろう。
「そうだね……。見つからなかったら、とりあえず学校の勉強をたくさんしたらいいと思う」
「えー!」
あはははは、とあちこちから笑いがおこる。別に面白いことを言ったつもりはないんだけど……
「なにそれー」
「先生、結局勉強させたいだけじゃーん」
「なんだー良い話だと思ったのにー」
みんな笑ってる……笑ってるけど……
「別に冗談でもなんでもないよ?」
真剣に言うと、教室内がシンッとなった。自分の声だけが響いてきて、高校2年生の時、初めて学活の司会をしたことを思い出した。あの時、緊張しているおれを見守ってくれていた慶……。慶は高校2年生の終わりに、突然「医者になりたい」と言い出して……今、その夢を叶えている。
「……勉強は選択肢を増やしてくれるよ。例えば突然、医者になりたいって思うかもしれない。突然、先生になりたいって思うかもしれない。その瞬間がきた時、それまでちゃんと勉強してれば、諦めないですむ」
「えー……」
ムッとした中西君に、今度はこちらが真っ直ぐに語りかける。
「突然、進みたい道が決まった時、どの勉強も全部、頑張っておけば、後悔しないよ。………これはおれの経験談」
勉強ばかりさせられていたことへの負け惜しみ、ではないけれど、進路を決めた時、おれは今までの努力は無駄ではなかった、と思うようにしたのだ。
「だから、見つかるまで、全部、頑張って」
「……………はい」
中西君は、渋々、といった感じにうなずくと、
「で、先生はどうするんですか?」
話戻されてしまった……
「アフリカ、行くんですか?」
「…………」
詰まっていたら、今度は小池さんからも言われた。
「先生は、色々な勉強頑張ってきたから、アフリカにいく選択肢も選べちゃうってこと?」
「………………」
一斉にみんなに見られ、思わず胸に手をあてる。それは……
「……うん。そうだね」
学生時代、ライトと話をするために、スワヒリ語を覚えた。ケニアの歴史を勉強した。それが今に繋がっている。
「おれもこれから、最良の道を選べるよう……考えます」
おれにとって最良の道を。愛する人にとっても最良となる道を……。
その日の夕方、校長室に呼びだされ、「生徒を動揺させるような言動は慎むように」と、説教をくらった。耳が早いな……
「…………申し訳ありません」
頭を下げたおれに、校長が淡々と言い放つ。
「うちの学校で働きたいって言ってる人なんていくらでもいるから。辞めるなら早めに言って」
「…………」
分かっていても実際に言われるとグサッとくる。
(おれの代わりなんていくらでもいる……)
そう、こんな教師、いくらでもいる……。
ここは本当におれが進むべき道だったんだろうか……
***
アパートについたのは、夜の8時過ぎだった。玄関を開けたなり、「え」とつぶやいてしまう。
(慶の靴……)
ふっと昔に戻されたような感覚に陥る。慶がまだ大学生だったころは、こうしておれがいないアパートに慶はしょっちゅう勝手に来ていた。電気がついていないところをみると、おそらく寝ているのだろう……
(…………)
電気をつけて中に入ると、案の定、あの頃と同じように、ベッドで慶が丸まって寝ていた。天使みたいな横顔……
(おれの……慶)
こんな風に慶を見下ろすの、何日ぶりだろう……
「慶………」
その頬に触れたい……という思いをなんとか押し込め、手を洗うために洗面台に向かう。
(冷静に、冷静に、冷静に……)
黒い自分に支配されないよう、鏡を見ながら自分に言い聞かせる。
大丈夫大丈夫。冷静に、冷静に……
手を洗う。冷たくて、ちょうどいい。頭も冷えてくる。
愛しい愛しい慶。傷つけるなんて絶対にしてはならない。ただ優しく包もう。慶がまだ大学生で、半同棲していたあの頃みたいに。おれが慶の少しだけ前を歩いていたあの頃みたいに……。
と、昔の記憶の中に沈みこもうとしたところで、
「う、わ!」
いきなり横から軽い衝撃がきて、悲鳴をあげてしまった。慶の感触……
「慶……っ」
「しー!しー!しー!」
でも、おれに抱きついてきた慶は、なぜか人差し指を自分とおれの唇にあてて「しーっ」と言い続けている……。なんなんだ?
「どうし……」
「盗聴器」
「え」
盗聴器?
「コンセントとかも、窓からの街灯の光頼りに、なんとか全部見たけど、なかったから、大丈夫だとは思うんだけど」
「コンセント?」
「ああ。コンセントの中に仕込んで、そこから電気取るらしいんだよ」
「?」
話がつかめない……
「あの……慶?」
「だから、ないとは思うけど、念のため、小さい声で話そうな?」
「???」
「で、おれ明日夕方まで休みだから、お前が学校行ってしばらくしてからここ出るから」
「え……」
「そしたらおれが泊まったってバレないだろ?」
「…………」
あ……そういうことか。ようやく話が読めた。
クリスマスイブ前日、「母が、調査会社に依頼して、おれのことを監視している」と嘘をついた。いや、正確には全部が嘘ではなく、少し前まで本当に監視されていた。でも、おそらく、あの時点ではすでに契約は解除されていたと思う。ただ、慶と恋人として触れ合うことに耐えられなくて、嘘をついたのだ。それを慶はまだ信じているようだ。
(泊まってもバレないって……、慶、泊まるつもりなのか……)
ジクリと背中のアザが痛む。
一晩一緒にいて、おれ、大丈夫だろうか……
そんな心配をおれがしているなんて思いもしていないだろう慶は、引き続き、盗聴を用心するように、小さな声で、
「テレビ、つけようぜ。話声、誤魔化せるだろ」
「あ……うん、そうだね」
「カーテンも、しめてくれ」
「うん」
テレビをつけて、カーテンをしめる。と、
「わ、ちょっと、慶……」
強引に引き寄せられた。そのまま、ベッドに押し倒される。あいかわらず、その可憐な容姿を裏切る力強さ。
「あー……、やっとお前に触れる」
「………」
ぎゅううっと抱きしめられ、苦しくなる。
耳元にささやかれる優しい声……
「お前、気がついてた? 最後にやってからもう一か月たってんの」
「あ……うん」
「もー無理。我慢の限界」
「慶………」
啄むように優しいキスをくれる慶……
久しぶりの感触に体が喜んでいる。でも……心は怯えている。
(こんな風に触れられたら……)
また、慶を殺したいほど欲しくなってしまったら……、怖い。
「慶……待って」
「ん? あ、そっか。お前、飯まだか? おれもまだなんだけど……なんか食う?」
「あ……うん」
別にお腹なんか空いていないけど、うなずいた。……けれども。
「あー、ダメだ。やっぱ一発抜いてからにしよう」
「え」
「我慢できねえ」
慶の温かい手がおれの頬を包み込んでくれる。湖みたいな綺麗な瞳がジッとこちらを見つめてくれる。
「一瞬たりとも離れたくない」
「…………」
「お前が欲しい」
「…………」
ああ………
慶は本当に綺麗。その容姿も魂も全て。
その瞳に写るおれは……
「慶………」
「なんだ?」
温かい手がスルリと頬から首筋に落ちてくる。慶の手……慶の息づかい……
「慶……会いたかった」
会いたかった。会いたかった……
本音が零れる。
慶、慶……、会いたかったよ……
「おれもだ」
慶の優しい声。ゆっくりと唇が重ねられる。
その瞳に写るおれは、あなたにふさわしくないけれど……、でも、そんなおれをあなたが求めてくれるから。だから今は甘えさせて……
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