大学時代から、女性から誘われた場合は「好きな人がいる」と言って断ることにしていた。「恋人がいる」と言ったら「会わせて」とか言われそうで面倒くさいからだ。普通に「この人です」と浩介を紹介できたらいいのに……といつも思っていた。
そんな中……
11月下旬、おれが女性陣からしつこく合コンに誘われている現場に遭遇した真木さんが、
「渋谷先生は恋人がいるんだから誘ったりしたらだめだよ」
と、みんなの前で言ってしまい………
「そんな話聞いてない!」
「会わせて!」
予想通り、ギャーギャー騒がれ、やっぱり……と頭を押さえたくなったのだけれども、
「そうやって、会わせて、とか言われるのが嫌で隠してたんじゃない?」
にこやかに、でも強い口調で真木さんが言ったので、みんな押し黙ってしまった。
「俺は偶然、一緒にいるところに会って紹介してもらったんだけどね………少し内向的な感じの子なんだよ」
ね?と同意を求めてこちらを見た真木さん。笑いそうになってしまう。
「渋谷先生がみんなに隠してた気持ちわかるよ。今みたいにわーわー言われたら、と思ったら紹介なんかできないよ」
「えー……」
「渋谷先生のこと困らせないであげて」
ニッコリと真木さんが言う。真木さんの言葉はいつも妙に説得力がある。おかげでみんな納得してくれたようだった。
その後もしばらくは嘘つき呼ばわりされたけれど、誘われる回数は激減してくれて助かった。この歳になって「好きな人がいる」はもう厳しかったので、こんな風に「恋人がいる宣言」をするタイミングをくれた真木さんには感謝だ。おかげで、コッソリ食べていた浩介の手作り弁当も堂々と食べられるようになり、しかもちょっと自慢もできて嬉しかったりする。
最近は仕事に関しても、少しは認めてもらえるようになってきて、少しは職場での扱われ方もマシになってきた。
早く一人前になりたい。それで早く浩介と一緒に住めるようになりたい。
***
2002年12月23日。
つきあいはじめて11年目の記念日。
浩介は記念日を祝うのが大好きなので、毎年、今年はああしようこうしようと言ってくる。昨年はすっごく美味しいケーキを買ってきてくれて、一緒に食べたんだったな……
今年は、うちの実家の最寄り駅から徒歩5分ほどのところにあるイタリアンの店に連れてこられた。でも、実家とは逆方面なので、おれは一度も来たことがない。
「なんでこんな店知ってんだ?」
不思議に思って聞くと、
「前に山崎が教えてくれた」
と、答えが返ってきた。山崎というのは、おれ達の高校の同級生だ。そういえば山崎のうちは駅のこっち側だった。
20人ほどで満席になる店内は、カップルや女性グループで埋まっていた。男二人なんて浮くのでは……と思いきや、みんな自分たちの楽しみに精一杯で、入店したときにはチラリと見られたものの、あとは関係なかった。
ランプの灯ったテーブル。スパークリングワインの綺麗な泡。彩り鮮やかなコース料理。まるで別世界だ。そこに浩介と二人でいられることがものすごく嬉しい。11年前には想像もできなかった幸せな空間。
食後のコーヒーが運ばれてきたタイミングで、浩介がふっと表情をあらためた。
「あの……あとで話したいことがあるんだけど」
「ん?」
なんだあらたまって。
「なんだよ? 今話せよ?」
「あとででいいよ」
「……………」
なんだよ……気になるじゃねえかよ……。まさか誰かに告白されたとかそういう話じゃねえだろうな……。
そんなことを思いながらジッと見つめていたら、浩介がふっと笑って首を振った。
「あの……仕事の話だよ」
「………」
「食べ終わったら、ツリー見に行こう? ほら11年前におれが告白した……」
「………」
仕事の話……?
浩介は最近、学期末で忙しいといって、うちにまったくこなかったので、こうして会うのも一週間ぶりなのだ。仕事で何かあったのだろうか?
あ、そういえば……、急に思い出した。2か月くらい前だったか、浩介に言われたセリフ。
『真木さんが言ってたんだよ。慶は今、仕事で悩んでるって。そういうこと、おれに話してくれないのは………話しても無駄だから?』
(浩介……仕事の話、したいのかな……?)
あの時「お前と一緒にいるときは、お前のことしか考えたくないから」と答えたのは本心だけれども、その他にも、医師の守秘義務違反に抵触する恐れがあるためあまり話せない、というところもあるのだ。うっかり余計なことまで話してしまいそうで……
(うーん……)
先週、浩介は確実に様子がおかしかった。たぶん母親と何かあったのだろう、とは思ったけれども、あえて何も聞かなかった。
おれとあまり会えないことも本当は我慢している、ということも先週聞いた。もし、仕事の話をしないということにも不満を持っているのなら、それは解消するべきだよな……
「あー……あのさ」
「ん?」
小さなコーヒーカップを口元につけながら首をかしげた浩介。先週の様子のおかしかった浩介の影は見えない。でも……
「おれ、今までは任せてもらえなかった、ちょっと難しい病気の患者さんの担当、させてもらえることになったんだよ」
「え」
浩介がキョトンとしている。
具体的病名を避けて話そうとするから、どうも話がうまく伝わっていない気がする、けどしょうがない。おれができる「仕事の話」はこれが限界だ。
「ようやくちょっとだけ認められた感じなんだ」
「そう……なんだ」
「ここまできて、やっとだよ」
「そっか……」
カップを置き、そのカップを両手で覆いながら、浩介はフワリと笑った。
「良かったね」
「あー……うん」
何だろう、この違和感……。なんとなくモヤモヤするけれど、なんとか話を続ける。
「だから、またしばらく忙しくなるかもしれないけど……」
「うん。大丈夫だよ」
「…………」
モヤモヤする……
「なあ……浩介」
「ん?」
テーブルの下、浩介の足を軽く蹴ってやる。
「おれは大丈夫じゃねえんだけど」
「何いってんの」
クスクス笑いながら蹴り返してきた浩介。
「慶は大丈夫でしょ」
「……大丈夫じゃねえよ」
「大丈夫だよ」
「………」
なんだ。なんだ、この違和感……
「お前、おれに会えないからって浮気とかすんなよ?」
「……するわけないでしょ」
笑ってる浩介。笑ってるのに……なんだこの不安感……
「あ、そうだ。明後日の夕方、ゆみこちゃんのところ行くね」
「そうか。じゃあおれも顔出すからな」
「うん」
浩介は優しく微笑んだ。それが寂しそうに見えるのはなぜなんだ。
その後、駅に戻っておれの実家がある側の階段を下りた。大型スーパーの前の大きなクリスマスツリーは、11年前よりも飾りつけは洗練された感じのものに変化しているものの、場所自体は変わっていない。
「懐かしいね」
「そうだなあ……」
11年前と同じく、ツリーと建物の間に2人で入りこむ。あの時と同じように飾り付けを撫でている浩介。その指をキュッとつまんでやると、
「慶」
浩介がまた泣きそうな顔で笑った。やっぱり、おかしい。おかしいぞこいつ……
「なあ、お前、やっぱりなんか変だぞ?」
「……………」
「浩介」
うつむいた頬を包み込んで、こちらを向かせ……
「え」
パンっと手首に軽い衝撃。
「…………」
驚きすぎて声を失った。
なに……なんだ?
今、おれ、何された……?
手を……弾かれた……?
「あ……ごめ……っ」
「………」
浩介がハッとしたように言ったけれど、頭の中が真っ白で理解できなかった。
(拒絶………された)
浩介に……拒絶、された……
弾かれた手を見つめながら呆然としていたら、
「あの…………、慶」
浩介が絞り出すようにいった。
「ごめん……あの、母がね……」
「え………」
「母が、調査会社に依頼して、おれのこと監視してるんだよ」
「……!」
ビックリしてあたりを見回してしまう。
「今いるかどうかはわかんないんだけど、ちょっと外では……」
「あ……うん。分かった」
ホッと体の力が抜ける。
そうか、調査会社……探偵ってことか。それなら、今、弾かれたことにも納得できる。恋人みたいな様子、見られるわけにはいかないもんな。そうかそうか……それで何となく様子も変なのか。浩介には悪いけど……安心した。
浩介がうつむいたまま言う。
「だからお泊まりもしばらくやめようと思ってて。先週泊まったこともバレてて、ちょっと言われちゃったから」
「そっか……」
「ごめんね」
しゅんとした浩介を抱きしめたくて手がウズウズするけれど、なんとか我慢する。そんなの写真でも撮られたら大変だ。
「いや、気にするな。普通に友達として会うのはいいんだよな? じゃ、友達モード発動な?」
「ん」
浩介が小さくうなずく。
「そういや、お前、さっき話したいことあるって言ってたよな。なんだよ?」
「あ…………」
浩介は手で口を押さえると、
「なんだっけ……忘れちゃった」
「なんだそりゃ」
ガックリしてしまう。
「仕事の話って言っただろー?」
「あー、うん……」
「なんだよ?」
「んー……、あ、そうそう」
ぽんと手を叩き、バスケ部の一年生が、成績が落ちたため部活を辞めさせられてしまった、という話をしてくれた。
おれ達の高校時代が思い出される。
「お前も高校の時そうだったよな……」
「そうなんだよ。だから余計に何とかしてあげたかったんだけど……」
「んー……」
浩介は学年順位が10番以内に入らなかったら部活を辞めろと言われていて……
「お前、一回成績下がったことあったよな? あの後、何て言って説得したんだ?」
「えーと……苦手な理数系対策を考えて、それ表にしてみせて……、次のテストまではその日どんな勉強したかを毎日報告してた……かな」
「…………」
大変だったんだな……。放任主義のおれのうちとは大違いだ……
「その話、その子にしたのか?」
「ううん、してない。そこまでやらせるのはちょっと……って思っちゃって」
「そっか……」
お前は「そこまで」やったんだけどな……
「でも、今思えば、話せばよかったかもね……」
ふっと遠い目をした浩介……
「今から話せばいいじゃねえかよ」
「…………そうだね」
浩介はうなずきながらも、心ここにあらず、といった感じにツリーの飾りの丸い玉を撫でている。
(やっぱり……変だ)
探偵に見張られている、ということだけが原因ではない気がする。
でも結局、聞き出すこともできず、もやもやしたまま11年目の記念日は終わってしまった。
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お読みくださりありがとうございました!
アニバーサリー男である浩介君。記念日にかこつけて、記念の場所であるクリスマスツリーの前で、アフリカ行きのことを話すつもりでした。なのに、慶に仕事の話を嬉しそうにされてしまって(やっぱり誘えない……)となってしまい……
そして、嘘つき浩介君。慶の手を弾いてしまったのは黒い気持ちに支配されそうになったからなのに、しゃあしゃあとお母さんのせいにしてます。その上、話すつもりのなかったバスケ部一年生の話をして誤魔化すし、ホント嘘つきです(^_^;)
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今朝の浩介は様子がおかしかった。
明け方、寝ているおれをみていた浩介の目……一瞬しか見ることができなかったけど、何というのだろう。果てしない……絶望、みたいな……。
そのあとも、おれに顔を見られないようにしていた感じがした。
妙に背中にこだわってたし、めずらしくずっと後背位だったし……。以前、後背位だと「慶の顔が見えなくてヤダ」って言って……ってことは、おれの顔を見たくなかったってことか?!
……いや、二回目はわりと普通に戻ってて、ほとんど正常位だったから、そういうわけでもないのかな……。
でも二回目も、なんかかなりしつこかったよな……。いや、普段もしつこくないことはないんだけど、今朝のは何ていうか……いつもより強引だったし………。
そのせいで終わった直後に気失うみたいにまた寝てしまって、起きたらもう行く時間で、話もろくにしないでバタバタ出てきてしまったけど……。
「なに百面相してるんだ?渋谷」
「!?」
いきなり声をかけられて、箸を落っことしてしまった。ナフキンの上でよかった。
「百面相って……」
「赤くなったり青くなったり、妙に真面目な顔してどうした?彼女とケンカでもしたか?」
「ケンカではないんですけど……」
同じ小児科の峰先生。一回り年上の頼れる兄貴的存在だ。峰先生は浩介の存在を女だと信じ切っている。訂正するのも面倒なのでそういうことにしてある。
「なんか……今朝、様子がおかしかったんですよね……」
「そのわりにはいつも通り、うまそうな愛妻弁当じゃねえか」
「そうなんですけど……」
浩介は一人暮らしを始めてからメキメキと料理の腕をあげて、今ではうちに泊まった日には必ず弁当まで作ってくれるのだ。
「なんか……おれとあまり目合わせないようにしてた感じが……」
「おおっと」
峰先生は面白そうな顔をして、隣のデスクの椅子にまたがって座った。
「そーれーはー危険じゃないかな。渋谷くん」
「危険?」
「目を合わせない……ということは、何か隠し事をしているということですな」
「隠し事………」
なんだろう……。
「まあ、普通に考えたら、浮気、だよな」
「浮気?!」
まさかあ…と笑ったおれに、峰先生は真面目な顔で、
「いや、笑いごとじゃねえぞ。オレたちゃ忙しすぎるからな。浮気されても文句はいえねえ」
「いや、それは言いましょうよ」
「いや、『あなたはいつも仕事仕事で、デートの約束もすっぽかすし、全然会えないし、あたしさみしさに耐えられなかったのっ』……とか言われたら、反論できるか?お前」
「…………」
なんだその具体的な小芝居は。
「峰先生の体験談ですか?」
「若い頃のな。結婚する前の前の前の……前?くらいの女の話」
「はあ……、あ」
峰先生の手が伸びてきて、勝手に卵焼きを一つ食べられてしまった。おいおい。
「うまいなあ。まあ、こんな愛情こもった弁当だし、お前のこと嫌いになったってことはなさそうだな。浮気してたとしてもただの遊びだ。安心しろ」
「……不吉なこといわないでください」
浩介に限ってそれだけはない……と思いたい。
「彼女、お前が忙しいことに文句とかいわねーの?」
「言いません。理解してくれてます」
おれが待ち合わせの時間にどんなに遅れても、「本読んでた~」とケロリとしていた浩介。
あまりにも時間がよめないので、外で待ち合わせはせず、どちらかの家で待ち合わせることにしている。浩介はどんなに待たせても「仕事してた~」とか「たまってたビデオみてた~」とかケロリとしている。
一晩おれが帰れないまま浩介が出勤時間になってしまったときは、いつも置手紙をくれる。「お帰りなさい。お疲れ様。冷蔵庫に○○があるのでチンして食べてね」みたいな……。
「なんだよそれ~~」
峰先生が呆れたようにいう。
「完璧すぎねえか?完璧すぎて逆にこわいぞ?お前の彼女」
「そういわれても……」
「つきあって長いんだっけ?」
「高校二年の冬からですから……丸11年ですね」
「おっと。うちの夫婦より長い。先輩だっ」
「いやいや……気が付いたら11年たってて……」
ほんと。あっという間の11年だった。一緒にいるのが当たり前だったし、別れるとかそういう話は、一度だけ、大学時代に浩介の母親と揉めたことで浩介から話が出たことあるけど、そんなのは一瞬で消えた。それ以外では一度もないし、おれは考えたこともなかった。
「ほーそれじゃあ、そんな彼女手放したくないよなあ……」
ふむ。と峰先生は一つうなずくと、
「じゃ、今日の当直、変わってやるよ」
「え?!」
思わぬ申し出にびっくりして後ずさる。
「いや、申し訳ないですよ。峰先生こそ奥さんやお子さんいらっしゃるんですから……」
つい先日、峰先生から「娘に『今度いつ遊びにくるの?』と言われた」と愚痴られたばかりなのに、ここで家族の時間を減らすなんてとんでもない。
でも、峰先生はひらひらと手を振り、
「いや、この週末、嫁さんと娘、嫁さんの実家に帰ってんだよ。だから今度なんかのときに恩を返してくれればいいからさ。それに」
急に峰先生は真面目な顔になった。
「人生の先輩として言わせてもらうとな、ほころびは小さなうちに縫っておいたほうが絶対にいいんだよ。今日、お前が感じた違和感、早めに解決しておいたほうがいいぞ」
「…………」
黙ってしまったおれの目の前に峰先生の手がまた伸びてきて、今度はプチトマトをつままれた。
「それとな」
「……はい」
「もし、彼女がウソをついていたとしても、お前はそれを信じろ」
「え?」
峰先生は真面目な顔のまま言った。
「ウソを暴いたっていいことなんて一つもないからな。女のウソに騙されてやるのも男の甲斐性ってもんだよ。そのウソはお前との関係を守るためのウソだ」
「はあ……」
ウソ……ウソかあ……。
浩介は……おれに何かウソをついているのだろうか……。
お言葉に甘えて、本当に当直を変わってもらった。
病院を出てすぐに電話をしてみたのだが、つながらない。
気がついてないのかな?
とりあえず、マンションに一度戻って車で浩介のアパートに行くことにした。そのことをメールしてから家路を急いだ。
久しぶりに合鍵を使って浩介のアパートの部屋に入る。
浩介が就職したあとで、おれがまだ学生だった頃は毎日のように入り浸っていた。あいかわらずの整理整頓されたシンプルな部屋。
浩介はあれで結構神経質で潔癖症だ。おれもわりとそういうところあるけど浩介には負ける。
また電話をしてみたけれど、やっぱりでない。
メールにアパートにいることを書いてから、とりあえず待ってみる。
浩介の机に飾られている一枚の写真。卒業式の時に校門の前で撮った写真だ。
あれから約10年。おれ達は何か変わっただろうか……
また電話してみる。呼び出し音はするのにやっぱりでない。
何だか不安になってきた。
何かあったのだろうか……。
それからおれは一人悶々としてしまった。
峰先生の「浮気」の話も頭をよぎる。今、誰かと会っていたりするのだろうか……。
心配のまま、何度も電話してしまったが、すべて繋がらず、不安がどんどん募っていく。
「あ」
窓から外を見ていたら……浩介が帰ってきたのが見えてきた。
とりあえずホッとしたが……
「……浩介」
おれに見せない浩介の表情。疲れた…というか、暗い、そう、暗い表情。
でも近づいてきて、おれの車に気が付くと、パッと表情が変わった。すごい勢いで走り出す。
ガンガンガンガンっと階段をのぼる音がする。
「慶?!」
勢いよくドアが開き、浩介が飛び込んできた。
いつもの、明るい浩介。
無理してるんじゃないか、と心配になり、思わず眉間にシワが寄る。
「うわわわわっ慶っ本物っすごいっ」
いきなり抱きしめられた。
冷た……っ。浩介、体がすごく冷えている。
「どうしたの?どうしたの?今日当直って言ってたよね?」
「変わってもらった。なんか今朝ちゃんと話せなかったから……」
「うわっそうなのっ感動っ嬉しいっ」
嬉しそうな様子の浩介に安心しつつも、今までどこにいたんだろう?という疑問で頭がいっぱいになる。
さっき浩介がほっぽり投げた荷物……一つは行きつけの本屋の袋、もう一つは浩介が参加しているNPO法人の封筒、かな?
この二か所にいっていたとするなら、どうしてこんなに体が冷えてるんだ……?
思わず疑問が口から出てしまった。
「お前……今日、どこいってたんだ?」
「え?」
浩介は一瞬キョトンとすると、すぐに笑顔に戻って、
「いつもの本屋巡りだよ? あと事務所によって……そこからあちこちのイルミネーション見がてら歩いて帰ってきた」
「歩いてここまで?!」
どうりで体が冷えてるわけだ。
「うん。真面目に歩いたから結構速かったと思うけど、慶が来てくれてるならそんなアホなことしないで電車で帰ってくればよかったよー。連絡くれればよかったのに」
「……したよ」
思わずムッとする。
「え?!」
あわてて携帯をポケットから出して確認する浩介。
「うわっごめんっ。歩いてて気が付かなかったんだっ」
どんだけ必死に歩いてんだよ。
「……なにかあったんじゃないかって心配した」
「ご、ごめん……」
「…………」
謝られて、はっとする。
おれ、浩介のこと責められるのか?
普段、さんざん、連絡取れない状態になってるくせに……。
顔を見られたくなくて、背を向ける。
「慶……?」
「………ごめん」
本心から言葉がでた。
「え?なんでごめん?」
聞きかえす浩介に、背中を向けたまま答える。
「お前……いつも待っててくれるだろ。おれ、全然メールも電話も返せないから何時に帰ってくるかもわからないのに、ずっと待っててくれてる」
「それは………」
「お前もいつもこんな気持ちでいるのかなーと思ったら……」
「こんなって?」
「何かあったのかな?とか……、誰かと、何かあったのかな……とか」
言いながら不安で押しつぶされそうになる。もう11年も付き合ってるっていうのに、まだこんなことで揺らいでしまう自分に戸惑う。
「…………慶」
ふわりと後ろから抱きしめられた。
「不安にさせてごめんね」
「!」
言い当てられて恥ずかしさ紛れに思いっきり否定する。
「べっ別に不安になんか……っ」
でも浩介はそのまま優しく包んでくれる。
「ごめんね………」
そのあと、浩介が妙なことを言い出した。
おれが留守中に、自分が部屋にきているのが迷惑じゃないか、とか……意味が分からん。おれは即座に否定しつつも、
「お前がいると、飯はできてるし、洗濯もしてくれてるし、そうじもしてくれてるし、風呂も洗ってくれてるし、ホント楽」
冗談めかしていうと、浩介は「そこか」とガックリ肩を落とす。ホント面白い。
そんな浩介の腰にするりと手を回す。
「本当は、おれ、お前に会えるだけで十分だよ」
「慶……」
びっくりしたように浩介がおれを見下ろす。
そりゃそうだよな。おれが夜でもないのに素面でこんなことを言ったりしたりすることはめったにない。でも、浩介を待っていた時間のさみしさがおれを突き動かしていた。
「充電」
「え?」
「充電、だよ。すっごい疲れて帰ってきても、お前にこうやってくっつくと、充電されるみたいに疲れが取れてくる。だから本当にお前がいてくれるだけで十分」
「慶……」
ぎゅっと抱きしめられる。愛おしい浩介。
本当に、おれはお前がいてくれるだけで十分なんだよ。
「浩介……」
このまま、この雰囲気のまま、キスして、ベッドにもつれこんで、となるのがいつものパターンなんだけど……
「あ」
携帯が鳴った。病院からだった。近くのクリスマスパーティー会場で集団食中毒が出たそうだ。
「……ごめん。病院戻らないといけなくなった」
浩介は一瞬うつむいたが、すぐに顔を上げた。
「じゃ、おれが運転するよ。慶、夕飯食べる暇ないでしょ? 冷蔵庫に炒飯の残りあるから、それ車の中で食べて」
「………」
いつもながら……浩介は文句も言わず、最善のサポートをしてくれる。
「……ありがとう。助かる」
浩介がテキパキと用意をはじめる後ろ姿に、なぜか切なくなってきた。
本当に「完璧」なんだよ。浩介は。
「……で、おれ、そのまま慶の部屋で待っててもいい?」
文句は一切言わず、こういうことを言ってくれるところも「完璧」だ。切ないほど。
いつもいつもそうだ。メールもいつも最後は「返信しなくて大丈夫だからね」で終わっている。気にかけてくれながらも、おれの負担にならないようにしてくれている。
「当たり前だろ」
愛しさがつのって、ぎゅっと後ろから抱きしめる。
「ごめんな、いつも」
「ううん」
浩介は……なにを考えているんだろう?会える時間が少なくなること、なんとも思わないんだろうか?
「はい。じゃ、行こう、慶」
「うん……」
浩介は……どう思っているんだろう。
「どしたの?」
「うん……」
「遅くなっちゃうよ?」
「うん……」
ゆっくりと腕を離す。
「……ごめん。おれ、わがままだよな」
うつむいたまま続ける。
「お前が文句言わないでくれることありがたいのに、文句言われても困るだけなのに、何も言われないと何も思われていないみたいで……必要とされてないみたいで不安になってくる」
「え」
びっくりしたような浩介の声に顔をあげる。
「え、そうなの?」
「そうなのって」
浩介は、きょとん、としている。
「いや……ごめん、おれ、慶の負担になっちゃいけないって、ずっと、ずっと……」
言いながら、浩介が泣きそうな顔になってきた。
ずっと、ずっと……我慢させてきたんだな。
「浩介」
その愛おしい頬を両手で囲む。
大きく瞬きをした浩介を引き寄せ、ゆっくりと唇を重ねた。愛おしい、愛おしい、浩介。
「……慶」
驚いたような表情をしている浩介の頬を軽くたたくと、
「続き、帰ってきてからな」
なんだか恥ずかしくなってきた。
「車出してくる」
浩介に何か言われる前に、おれは急いで玄関を出た。
落ち着いたのは深夜を過ぎてからだった。
「渋谷、なんかスッキリした顔してんな。仲直りできたのか? よかったよかった」
峰先生にバンバン肩を叩かれた。
「早く帰ってやれ~」
とのお言葉に甘えて、早々に上がらせてもらう。
マンションにもどると、電気がつけっぱなしで浩介はソファにもたれて眠っていた。本が手元で開いたままになっている。
「先に寝てていいっていったのに……」
照明を最小まで落としてから、浩介の手から本を抜き取る。ぴくっと手が動いたがまだ寝ている。
「浩介……」
寝ながらも眉間にしわが寄っている。
怖い夢を見るから寝るの嫌なんだ、と前に言っていたことがある。何の夢か聞いても、よく覚えてない、と答えていたが……。
「………」
眉間のしわに口づける。額にも、こめかみにも……。するとゆっくり浩介の瞳が開いた。
「……慶?」
ふんわりと浩介が微笑む。
「おかえり。お疲れ様……」
「……ただいま」
そっと頬に口づける。
「慶……」
「ちょっと待った」
浩介が顔を寄せてこようとするのを手で止める。
「え、なに? この雰囲気でやめるなんてありえないんだけど」
「いや、その前にちょっと聞きたいことがあって」
すとんと横に腰をおろし、不満げな浩介の顔をのぞきこむ。
「お前さ………、朝、変だったよな」
「…………」
三秒以上の間のあと、浩介がポツリという。
「変じゃないよ」
「変だったよ」
「…………どこが?」
恐れるように震えた浩介の声。視線は自分の手に落ちたままだ。
「どこがって……」
「………」
「例えば、珍しくバックが多かった」
言うと、浩介は今度は十秒以上間をあけてから、
「…………………………え?」
頭真っ白、みたいな顔をしておれを見返した。
なんか真面目にこんなこと言うのが恥ずかしくなってきた。
「だからー、お前、いつもはおれの顔が見えないからやだとかいって、後背位なんてめったにしないじゃん。それになんかやけに背中ばっかり……」
だんだんどうでも良くなってきた。一人で考えてたときはどうしてだろうって悶々としてたけど、こうして口に出してみると、なんてアホらしい疑問なんだ。
「………慶」
「……………ごめん。どうでもいいな、そんな話」
「どうでもよくないよ」
浩介がいきなりギュッとおれの両手をつかんだ。
「嫌だった?」
「え?」
真剣な浩介の瞳。
「何が?」
「嫌だったってこと? バック」
「いや……嫌ってことは……」
途端に朝のことを思い出して、顔が熱くなってくる。
嫌ってことは、ない。というか、むしろ……
「………全然嫌じゃない」
「良かったあ……」
心底ホッとしたように浩介が言う。
「でも、なんでなんだ? いや、なんでってこともないのか……」
「ああ……うん」
浩介はおれの手をマッサージするみたいにギュウギュウ握りながら、ぽつりという。
「背中……慶の背中きれいだな~って思って……。ずっと見てたくて………その流れで……」
「背中………」
はっと気がついた。そして、どうして気づいてやれなかったんだ、と激しく後悔した。
高校二年の夏、浩介が冗談めかして言ったことがある。
「うちの母親ヒステリーだから、おれよく背中バンバン叩かれてて、今でも背中にアザ残ってるんだよ~」
話を聞いた時は、まだ浩介の母親の異常性を知らなかったから、ふーん、くらいにしか返さなかったけれど、後々、浩介が極力人前で背中を見せないようにしている、ということに気が付いてからは、その深い心の傷に寄り添いたいと思っていた。でも、浩介が気にしないようになってからは、すっかり忘れていたのだ。
おれはもちろん何度も浩介の背中を見ている。アザ、といってもごくごく薄いもので、言われなくては分からない、というか、言われても、これのこと?と疑問符がつくようなアザ……というより、シミ、みたいなものなのだ。でも浩介にとっては大きな大きな濃い黒いアザなんだろう。
「もしかして………」
浩介の手を握り返す。
「お母さんと……何かあったのか?」
「………………ううん」
浩介は静かに首を振った。
「何もないよ」
「……………」
たぶん、何かあったんだろう。
でも言いたくないなら言わなくてもいい。
騙されてやるのも男の甲斐性……ですよね?峰先生。
「………浩介」
おれは浩介の頬をかこむと、そっと口づけた。柔らかい浩介の唇の感触。ゆっくりと浩介の腕がおれの腰にまわされる。
「慶………」
「どうする? 続きする? それとももう寝るか?」
「だーかーらー、この状況でやめるなんてありえないでしょっ」
ぷうとふくれた浩介の額に素早くキスをする。
「じゃ、するか」
「する」
それを合図に、おれは噛みつくみたいなキスを浩介にくれてやる。
浩介がウソをついているとしても、今、目の前にいる浩介を信じたい。信じている。それで充分だ。
浩介は素早くおれを下に組み敷くと、わくわくしたような口調で、
「で、どうする?どうする?どうしたい?」
「なにが?」
「体位」
「……………………まかせる」
「えーーーーーじゃ、どっしよっかな~。この際だからさ~いつもはあまりしない体位を……」
「でも、お前もおれも朝から仕事だし、そんなにのんびりしてる場合じゃ……」
「うんうん」
「聞いてんのか?」
「うんうん」
聞いてねえな、こりゃ。
観念しておれも浩介の服を脱がせにかかる。
「ああ……やっぱり慶の背中、綺麗」
「!」
すっとなぞられのけぞる。
しばらく背中ブームが続きそうだな……。
後ろから耳、うなじ、肩、と唇が下りてくる。
「浩介……」
浩介と一緒に過ごす夜が下りてくる。
------
以上、約2年半前に書いた「翼を広げる前(慶視点)」の再録でございました。
お読みくださりありがとうございました!
峰先生、初出♥
次回も慶視点でいこうと思います。
予定では、今回の再録以外は浩介視点オンリーで、と思っていたのですが、もういいよね……黒浩介書ききったよね……と(^_^;)
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「風のゆくえには」シリーズ目次 → こちら
「閉じた翼」目次 → こちら
「こんな簡単な問題もできないの?」
母の甲高い声。
「お父さんに叱られてしまうわ……私が叱られるのよ?分かってる?あなたができないと私が叱られるの」
鋭く痛む背中。
「ほら、背筋伸ばして。もう一度考えてごらんなさい」
「はい……」
問題を読もうとするが……真っ白で何も見えない。
「お母さん……」
何も見えない。言おうとして振り返ると、
「ちゃんと背筋のばして!」
再び痛む背中。
「どうしてあなたはそうなの」
母の泣き声。何度も叩かれる背中。
痛い、痛いよ。お母さん。お母さん……
「………!!」
はっと目を覚ました。最近よくみる子供の頃の母の夢。部屋に閉じ込められて背中を叩かれて……
まわりを見渡し、ここが恋人である渋谷慶の勤務する病院の社宅となっているマンションだということを思い出す。
「………」
喉がカラカラだ。水を飲むためにベッドを抜け出す。慶はこちらに背中を向けて眠っている。規則正しい息遣いが聞こえてくる。ただそれだけで、心臓が握りつぶされるかと思うくらい愛おしさでギュウッとなる。
冷蔵庫を開けても、少しコップが音を立てても、慶が起きる気配はなかった。
慶は毎日疲れている。病院の勤務はおそろしく忙しいのだ。
「……ん」
ふいに慶が寝返りをうち、仰向けになった。その整った顔が窓から入る外の電灯の光に照らし出される。
(………きれいだな)
ベッドに腰かけ、その寝顔を見下ろす。慶本人は女みたいで嫌だというその顔は、素晴らしく中性的に美しい。
人形のようだ、と思う。
(………人形だったらいいのに)
そうしたら、部屋に飾って、一歩も外に出さないで、おれだけのものにするのに。
(おれだけのものに……)
その白い喉元に手を伸ばす。
(慶………)
ゆっくりと力をこめる。
慶のあごがわずかにのけぞる。
慶……このまま呼吸をとめて。人形になって。おれだけのものになって……
(………慶)
愛してるよ………
「………浩介?」
「!」
慶の瞳が静かに開かれ、おれは慌てて手を隠した。
おれ、今、何しようとした!?
「どうした……?」
「………なんでもないよ」
慶に背中を向け、何とか答える。
きっと今、おれはひどい顔をしている。こんな顔、慶には絶対に見せたくない。
「浩介……」
慶の優しい手がそっとおれの背中に触れる。
その触れられた場所から、自分の黒い部分が浄化されていくのが分かる。
「怖い夢でも見たか?」
「…………」
黙っていると、慶にぎゅうっと頭を抱えこまれた。
「まだ時間ある。もう少し眠れるぞ?」
「うん……」
慶の腰を抱き、首元に顔を押しつけ、ゆっくりベッドに押し倒す。
「こら、浩介。寝るんだから……」
「うん……」
そのきれいな耳朶に口づける。ビクッと震えた慶の手を取る。
「浩介、寝るって……」
「だって、もう起きちゃった。……ね?」
「………あほか」
赤くなった慶。愛おしい愛おしい慶。
大切にしたい。大切にしたいのに………。
「……で?」
あかねが呆れたように言い放った。
「朝っぱらから一発ぶちこんできたってわけね?」
「あかね、下品。でも下品ついでに言うと、一発じゃなくて二発」
「どーーーでもいいわっそんなことっ」
バシッと頭をはたかれた。
「なんなの? のろけ話聞かせるためにわざわざ呼び出したっていうなら本気で殴るよ?」
「てーーー暴力反対っ」
殴られたところをさすりさすり文句をいう。
「自分だってこないだ散々、女子大生と付き合うことになった~~ってのろけてたくせにっ」
あかねは女性だけれど、恋愛対象も女性なのだ。そういう点でもおれ達はお互い良き理解者となっている。
ファストフード店のテラス席でお茶しているおれ達は、周りから見たら恋人同士にでもみえるかもしれない。
「ああ……あれね。あの女子大生ね」
あかねは涼しい顔をしてコーヒーをすすりながら、
「あれはもう別れた」
「は? もう?!」
まだ一か月しかたっていないような……。
「だってうるさいんだもん。メールの返事が少ないとか夜は必ず電話しろとか。もう鬱陶しくて」
「うわっひどっ」
彼女かわいそうに……。
「ひどいのはあっちだよ。そんな束縛されたら逃げたくなるに決まってる」
「束縛………かあ………」
思い当たるところがありすぎて、テーブルにおでこをつけて突っ伏してしまう。
「おれも鬱陶しいとか思われてんのかなあ……」
「なに? 思われるくらい束縛してんの?」
「いや、してない……と思う。我慢してるもん」
忙しい慶の負担にならないように、返事を求めるようなメールはしない。電話もしない。会いたいって言わない。でも会いたくてマンションの部屋に行ってしまう。結局会えないまま一晩一人で過ごし、たまっている洗濯や洗い物をしてあげていることもしばしばだ。
その話をすると、あかねは「こわっ」と引いて、
「あんたそれ大丈夫?便利な家政婦になってない?」
「いいんだよ。おれは便利な男になりたいんだよ。慶の負担にならない、慶の役に立つ男に。それで慶がおれを手放したくないって思ってくれれば一番。そうしたらずっと一緒にいられる」
「なんだか……歪んでるわねえ……」
「…………」
再びテーブルに顔を突っ伏す。
「やっぱり……歪んでるよね」
「相当ね。まあでも、そっち方向に歪んでる分には構わないけど……」
「うん………」
身を起こし、自分の両手を見る。
「自分でもこわい。今まで自分だけのものにしたいって思ったことは数え切れないくらいあるけど……」
「数え切れないって」
「うん……でも、こんなことしたのは今朝がはじめて」
慶の首の感触が今も残っている。のけぞった白いあご。伝わってくる脈。
「そのうち本当に殺しそうでこわい」
身が震えてくる。自分で自分が恐ろしい。
「………」
しばらくカップの中のコーヒーを見つめていたあかねが、ふいに顔を上げた。
「ねえ………、慶君とのエッチって気持ちいい?」
「………は?」
いきなり何を言い出すんだ。
「何を……」
「だから聞いてんの。気持ちいい?」
「そりゃ……」
今朝の慶を思い出す。白い肌。しなやかな肢体……。
「ああ、いい、いい。よだれでそうな顔してる。今は思い出すな」
「よ……っ」
意味が分からない。
「なんなのいったい?!」
「だーかーらー」
ビシッと目の前に指を突き出される。
「今度、首絞めそうになったら、それ思い出しなさい」
「………は?」
「死んじゃったらエッチできないでしょ? あーここで首絞め続けたらあの気持ちいいことできなくなるんだーって思ったら、やめられるよ」
「…………」
なんだそのアホな理由。
「あと。今日そんなことをしちゃったのは夢のせいもあるんでしょ?」
「!」
息を飲んだおれを置いて、あかねが言葉をつづける。
「自分でもわかってるんでしょ? 慶君の首しめちゃったって相談だけだったら、その前に夢の話なんかしないよね? 自分でも思い当たってるから、夢の話からしたんでしょ?」
「…………」
何でも見透かしたようなあかねの目。
「………まいった」
おれは素直に降参した。
「いや、正直、夢の話はついでみたいなものだったけど、これも話したいって思ったってことはそういうことなのかもな。何でもかんでも親のせいにしたくないんだけど……」
あかねがふっと視線を落とす。
「まあ……分かるよ。同じような環境で育ってるからね」
「うん……歪んだ愛情の連鎖っていうやつかな……なんて」
「親元離れて何年もたつのに、なんでまだこんなにがんじがらめなんだろうね」
おれ達は同時に大きくため息をついた。
「浩介、お母さんから連絡は?」
「しょっちゅう電話とメールがくる。まあ、全部無視してるけど」
「全部無視って……」
「着信拒否にしたら違う番号からかけてくるようになったからさ。逆に面倒だから拒否設定解除して無視することにしたの」
「出ればいいじゃない」
「やだよ。次に声聞いたら、おれ、吐く自信あるよ」
「なんの自信よ」
呆れたようにあかねがいう。
「あんたねえ、せめてメールだけでも返しておかないと、あっちもあっちで追い詰められて、何かしてくる可能性があるわよ」
「何かって?」
「そうねえ、例えば……」
あかねは言いかけたが、ぎょっとした顔をしておれの後ろに目線を送った。
「おばさま……」
「あかねさん、お久しぶりね」
「!」
背中が固まった。忘れたくれても忘れられない、思い出したくもない声。
「浩介」
振り返ると……母親が立っていた。いつもながら小奇麗な格好。こういうファストフード店では相当浮いている。
「あなた全然電話に出てくれないんだもの。心配したわ。どうして出てくれないの?」
「どうしてって………っ」
声も聞きたくないからだよっという本音が出そうになったところを、あかねが別人のように明るくさえぎる。
「おばさま、男の人ってそんなものみたいですよ。私の職場の先輩も息子が電話に出てくれないって嘆いてましたもの」
「まあ、そうなの? 昔は何かっていうとお母さんお母さん言ってたのに」
「え~そうなんですか?」
あかねがうふふ、と笑う。さすが劇団出身。どれだけ演技上手だ。
「まあ、でもお母さん安心したわ。浩介とあかねさん、上手くやってるのね」
「ええ」
にっこりとするあかね。
大学時代、母がおれと慶を別れさせようと、慶や慶の家族に嫌がらせをしたことがあった。
何度説得しても母が理解してくれることはなく、結局ウソをつくことにしたのだ。「慶とはただの友人に戻った。おれには彼女ができた」と…。
その時に協力してくれたのが、あかねだった。というか、あかねが発案者だった。劇団で女優をしていたあかねにとって、おれの恋人役の演技などお手の物で、両親ともすっかりそれを信じて、その後は嫌がらせもなくなったのだが……。
「ああ、よかったわあ。安心した」
母はあかねの手をとらんばかりに、はしゃいだ様子で続けた。
「浩介ったらね、昨日も渋谷君のところに泊まったりしてたから、まさかと思って……」
「……………え?」
今、なんて………
「渋谷君に会う暇があるのなら、あかねさんとデートしなさいって言おうと思ってた矢先に、今日はデートしてたから安心……」
「ちょっと、待って」
母の言葉をさえぎる。
「なんでおれが昨日、渋谷君のところに泊まったこと知ってるんですか?」
「え………」
母の笑顔が固まる。
「まさか……調査会社とかに調べさせてる?」
「……………」
「おれの動向を見張ってるってことですか?」
「……………」
この無言は、肯定の無言……。
「信じられない……」
「………あなたがっ」
いきなり、母が叫んだ。
「あなたが悪いんじゃないのっ連絡もよこさないでっ」
「だからって調査会社まで使って……」
「あなたに何かあったら、私がお父さんに叱られるのよっ」
「!」
叩かれたわけでもないのに、背中に鋭い痛みが走る。
「………だからっ」
歯の奥から声を絞り出す。
「おれは…………っ」
母を見下ろし、決定的な何かを言ってしまいそうになった、その時。
「あーーーーーーーーーーーーーーー!」
いきなり、あかねが叫んだ。
「ほら、浩介さん、時間っ」
目の前に携帯を突きつけられた。おれの携帯。
「………あ」
こっそり撮った慶の寝顔の写真。
「………」
頭が冷えた。おれは慶を守らなければならない。
「…………とにかく」
大きく息をつき、母を正面から見据える。
「電話には出るようにするから、そういうことするのやめてください」
「だって………っ」
母がなおも言おうとするのを、今度はあかねが遮る。
「ごめんなさいっ、おばさま、私達これから仕事なんです~」
あかねの張りのある声に、出鼻をくじかれた母。激昂するかと思ったが、
「あら……そうなの。お休みの日にまで大変ね」
あっさり引き下がったので助かった。
「それじゃ、あかねさん。今度のお正月にでもうちに遊びにいらしてね」
「はい~是非~~」
いいながら素早くおれの分のトレイも重ね、ゴミを捨てにいってくれるあかね。
「浩介も、今度のお正月はちゃんと顔だしなさい。ね?」
「………」
「じゃ、おばさま、失礼します~。ほら、浩介さん、急いで急いでっ」
あかねに腕を引っ張られながら、その場を後にした。母の呪縛の視線を背中に感じながら。
しばらく歩き、駅の改札口が見えてきたところで、あかねがポツリと言った。
「……吐かなかったじゃない」
「……吐きそう」
「げっ。トイレ行く?!」
「行く……」
あわてて近くの共用トイレに駆け込む。
便器にげえげえ吐いているところを、あかねが背中をさすってくれる。
「……おれ、もう無理」
「………うん」
「もう、無理だよ………」
「うん………」
あかねは何もいわない。ただひたすら背中をさすってくれる。
しばらく吐いていたら、なんとか落ち着いてきた。
「………ありがとう。全部でた」
「お水買ってくるよ。出たとこのベンチにでも座ってて」
「うん。……ありがとう。あかねがいてくれなかったら、おれ……」
「そういうの、いいから」
ばっさりと感謝の言葉を遮られる。
「顔洗って出ておいで」
あかねがでていくのを鏡越しに見送る。
顔を洗って口をゆすぐ。鏡に映る自分の顔。
「ひっでえ顔……」
慶には絶対に見せられない。こんな死神みたいな顔。
慶の前のおれは、能天気で甘えん坊で頑張り屋。おれは慶の目に映る自分が好きだ。そういう自分でいたい。
後ろ向きで暗くて卑屈で嫉妬深くて疑い深くて独占欲の塊で嘘つきで、親を殺したいほど憎んでいるおれなんて……消してしまいたい。
「………」
もう限界かもしれない。このまま親の目の届くところにいたら、おれは壊れてしまう。壊れたおれは、きっと慶を………
「大丈夫?」
トイレを出てすぐのベンチにあかねが座っていた。ミネラルウォーターのペットボトルを渡される。冷たくて気持ちいい。
「………あかね」
「なに?」
あかねの澄んだ瞳におれは決意を告げる。
「おれ………アフリカ行きの話、本気で考えてみる」
所属しているNPO法人の事務所に寄って、資料を受け取ってきた。
外に出たところで、視線を感じた気がした。もしかして、調査会社の奴だろうか。
おれは駅を通り越してそのままずんずん歩き続けた。ここから歩いて帰ったら、おそらく2時間はかかる。ついてこられるもんならついてこい。
おれはかなりのスピードで歩き続けた。夕方になり、クリスマスのイルミネーションが点灯し始める。
思い出す、高校二年のクリスマスイブ前日。
「慶のことが、好き」
勇気を出して言ったおれを見上げて、「ばかっあほっ」と泣いた慶。
あの時に抱きしめた幸福感は一生忘れられない。
「慶………」
会いたい。いますぐ会って抱きしめたい。
「……でも、今日も慶君は当直でーす」
あーあ、とため息をつきながらアパートに戻ってきて……、
「え?」
アパート横のコインパーキングに停まっている赤い車を見て、心臓が跳ね上がった。
慶の車だ!
そのままダッシュで階段をかけのぼる。
「慶?!」
安普請なドアを勢いよくあけると……慶が立っていた。眉間にシワを寄せて。
「うわわわわっ慶っ本物っすごいっ」
靴を脱ぎ散らかして中に入ると、衝動のまま、ぎゅーっと抱きしめた。
ああ、慶だ……。
「どうしたの?どうしたの?今日当直って言ってたよね?」
「かわってもらった。なんか今朝ちゃんと話せなかったから……」
「うわっそうなのっ感動っ嬉しいっ」
ギューギューと抱きしめていると、慶はしばらくされるがままになっていたけれど……
「お前……今日、どこいってたんだ?」
「え?」
ドキリとする。慶はおれとあかねが二人きりで会うことを快く思っていない節があるので、あかねと会ったことは、いつも慶には言えないでいた。
するりとウソが口から出てくる。
「いつもの本屋巡りだよ? あと事務所によって……そこからあちこちのイルミネーション見がてら歩いて帰ってきた」
「歩いてここまで?!」
「うん。真面目に歩いたから結構速かったと思うけど、慶が来てくれてるならそんなアホなことしないで電車で帰ってくればよかったよー。連絡くれればよかったのに」
「……したよ」
ムッとしたように慶が言う。
「え?!」
あわてて携帯をポケットから出すと……着信履歴が13件。メールが2件。
「うわっごめんっ。歩いてて気が付かなかったんだっ」
「……なにかあったんじゃないかって心配した」
「ご、ごめん……」
ふいっと慶はおれから離れ、背を向けた。
「慶……?」
「………ごめん」
「え?」
いきなり謝られてキョトンとなる。
「なんでごめん?」
「お前……いつも待っててくれるだろ。おれ、全然メールも電話も返せないから何時に帰ってくるかもわからないのに、ずっと待っててくれてる」
「それは………」
「お前もいつもこんな気持ちでいるのかなーと思ったら……」
「こんなって?」
「何かあったのかな?とか……」
慶は言いにくそうに俯いた。
「誰かと、何かあったのかな……とか」
「…………慶」
後ろから抱きしめる。愛おしい、愛おしい慶……。
「不安にさせてごめんね」
「べっ別に不安になんか……っ」
「ごめんね………」
ぎゅうっと抱きしめたまましばらくジッとしていたが、ふいに思い出して、この際だから聞いてみることにした。
「あのさ……慶」
「なに?」
「おれが慶のいない間、部屋で待ってたりするの……迷惑?」
「なんで?」
腕から抜け出して、慶が振り返る。
「いや……、一人でいたいのに……とか思われてるかな、とか思ったり……」
「そんなこと思うわけないだろ」
あきれたように慶が言う。
「それどころか、お前がいない日はガッカリしてるよ。今日はいないんだーって」
「えっそうなのっ」
う、うれしい。
「だって、お前がいると、飯はできてるし、洗濯もしてくれてるし、そうじもしてくれてるし、風呂も洗ってくれてるし、ホント楽だもん」
「………そこか」
うわ、ホントにおれ、便利な家政婦だったのか……。
「なんてな」
ふっと慶が笑った。
「本当は、おれ、お前に会えるだけで十分だよ」
「慶……」
慶がぎゅっとオレの腰に手を回した。
「充電」
「え?」
「充電、だよ」
なにが?
「すっごい疲れて帰ってきても、お前にこうやってくっつくと、充電されるみたいに疲れが取れてくる。だから本当にお前がいてくれるだけで十分」
「慶……」
苦しい。愛おしすぎて苦しいよ、慶。
視線の端に事務所からもらってきた資料の封筒が目に入る。
おれがアフリカに行くと言ったら、慶はついてきてくれるだろうか。
もし、慶に「行くな」と言われたら……おれは行くのをやめたくなってしまう。でもこのまま日本にいたら、おれは………。
「あ、ちょっとごめん」
慶の携帯が鳴った。嫌な予感。これはいつもの……
「ごめん。病院戻らないといけなくなった」
「……だよね」
ため息をつきそうになり、寸前で飲み込む。だめだ。慶の負担になる存在になってはだめだ。
「じゃ、おれが運転するよ。慶、夕飯食べる暇ないでしょ? 冷蔵庫に炒飯の残りあるから、それ車の中で食べて」
「ああ、ありがとう。助かる」
炒飯のタッパーを急いで電子レンジにかける。
「……で、おれ、そのまま慶の部屋で待っててもいい?」
「当たり前だろ」
ぎゅっと後ろから抱きつかれた。
「ごめんな、いつも」
「ううん」
電子レンジが終わる。
「はい。じゃ、行こう、慶」
「うん……」
離れない慶。
「どしたの?」
「うん……」
「遅くなっちゃうよ?」
「うん……」
ゆっくりと腕が離れる。慶が下を向いたままつぶやくようにいう。
「……ごめん。おれ、わがままだよな。お前が文句言わないでくれることありがたいのに、文句言われても困るだけなのに、何も言われないと何も思われていないみたいで……必要とされてないみたいで不安になってくる」
「え」
びっくりした。
「え、そうなの?」
「そうなのって」
「いや……ごめん、おれ、慶の負担になっちゃいけないって、ずっと、ずっと……」
我慢してて………
「浩介」
慶の手が伸びてきてオレの頬を囲んだ。ぐいっと引き寄せられ、唇を重ねられた。柔らかい、やさしい慶の唇……。
「……慶」
「続き、帰ってきてからな」
照れたように言う慶。そして、車出してくる、と先に出て行った。
「どうしよう……」
幸せすぎるんですけど……。
「うちの慶君には多少の束縛が必要みたいですよ、あかねさん……」
思わず一人ごちてから、おれは急いで、炒飯のタッパーとスプーンとペットボトルを袋にいれ、明日の出勤の用意もして、鍵をしめた。
ドアを閉めるときに、事務所からもらってきた書類の封筒が再び目に入る。
「…………」
アフリカに行くとなったら出発は4月の初め頃になる。慶は何というだろう……
「!!」
外に出たところで、車の中からこちらを見ている視線を感じた。おそらく母の依頼した調査会社の奴なんだろう。
「……………」
また胃液があがってくる。
逃れられない呪縛……。
「浩介?」
慶の声におれは振り返る。ニッコリと。ニッコリと。胃液を飲み込み笑顔を作る。
「はい、食べてね~。では安全運転で出発しまーす」
慶と一緒にいたい。
でも、やっぱりもう、日本にはいられない。
話さないと……話さないと……。
「お前、ホント料理上手だよな。すっごくおいしいよこれ」
「良かった!またすぐ食べられるように色々作って冷凍しておくから、おれがいないときでもちゃんと食べてね?」
「うー……自信ないなー……。あ、あとさ、シャツのボタンが取れてるのが……」
「わかった。つけとく」
「あと、腕時計の電池が……」
「わかった。交換いっておくから、今はおれのしとく?」
信号待ちの間に時計を外し、慶に渡す。
「あと、荷物の不在通知が入ってて……」
「わかった。受け取りやっておく。いつものところにハンコあるよね?」
「うん………」
うなずきながら、急に慶がくすくすと笑いだした。
「なに笑ってるの?」
「いや……おれ、本当に、お前いないと生活していけないな、と思って」
「!」
慶の横顔。炒飯をほおばりながら笑っている。
「慶……」
おれがアフリカに行くといったら、慶は………?
おれの思いなど知らずに楽しそうな慶。
今日は、話すのやめておこう。
明日、話そう。明日こそ……。
---
以上、約2年半前に投稿した「翼を広げる前(浩介視点)」の再録でございました。
お読みくださりありがとうございました!
文章あっさり。今だったら、浩介が慶の首を絞めたくだりとか、もっとグダグダと書きこんでいたかと思います^^;
この後、この2年半の間で、
「自由への道」
「あいじょうのかたち」(←両親との確執の話)
「遭逢・片恋・月光・巡合・将来」
「その瞳に」
「たずさえて」
「嘘の嘘の、嘘」
「現実的な話をします」
……の順で長編を書いております。
(書いた順番、時系列てんでバラバラ^^;)
次回は慶視点バージョンを再録させていただきます。
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「閉じた翼」目次 → こちら
慶はおれのことが好き。そんなことは知ってる。
好きと言葉でいってくれることは滅多にない。でも、おれを見つめる瞳が、名前を呼んでくれる声が、おれの腕の中で切なく喘いで、ぎゅっとしがみついてくれる指の強さが、「好き」と伝えてくれる。
訳あって、最近慶の勤め先の病院に出入りしているのだけれども、そこでチラリと会えた時も、すごく嬉しそうに笑ってくれる。おれがいるだけで「テンション上がる」のだそうだ。
(ほら、おれは慶に愛されてる……)
そう思うのに。思おうとするのに……
(でも、慶は、おれなんかいなくても大丈夫……)
その黒い気持ちが体中を埋め尽くす。
昨年よりは幾分マシになったとはいえ、慶はやはりいつも忙しい。思う存分一緒にいられることなんてほとんどない。
(行かないで)
最近、会うといつもいつも思ってしまう。
(行かないで。そばにいて。ずっとずっとそばにいて)
閉じ込めて、どこにも行かせたくない。離したくない。
(でも……)
病院で働く慶は、頼りがいがあって、優しくて、みんなに慕われていて……
そんな慶の姿を見ると、どうしても思ってしまう。
(おれが邪魔者だ)
おれなんか、慶の隣にふさわしくない。
そんなことも、ずっと前から知ってる。
***
大学生の時、日本語ボランティア教室のサークルに所属したことにたいした理由はなかった。
必修科目で隣の席だった奴に「ボランティア活動してると、教員採用試験の面接で有利になるっていうから一緒に入ろう」と誘われて、言われるまま入っただけなのだ。
その上、おれが大学生になった時、慶は浪人生になってしまったので、慶に会えない寂しさを紛らせらたい、という不純な気持ちすらあった。
でも、参加していくうちに、子供たちの存在に癒されることが増えていった。サークル内では日本語以外の言語を使う機会が多いせいか、いつもの自分とは違う自分になれる気がする。卑屈で後ろ向きで親と上手くいっていない自分ではなく、子供達から頼られる「浩介先生」。彼を演じることは、思いの外心地良かった。
だから、大学卒業後、そのサークルが加盟している国際ボランティア団体の直のメンバーになったのは、自分自身の精神安定のためという邪な理由からであり、『受験対策重視』の今の学校に対する息抜きの場にするためでもあった。使命感とかそんなものは一カケラもなかったように思う。
大学のサークル時代から数えると、参加しはじめてもうすぐ10年。
入会当時は『雲の上』の存在だった日本支部の事務局長も、今ではすっかり『仕事仲間』のような感じだ。
その日、10年前からずっと変わらない若々しい甲高い声の彼女に、電話で呼び出され、事務局に顔を出したところ、
「浩介先生、ケニアに行く気はない?」
唐突にいわれた。
「ケニアって……」
「ライト君のお父さんの母国」
ライトというのは、昔この日本語ボランティア教室に来ていた子で、今は父親のいるアメリカで暮らしている18歳の男の子だ。
「ライト君のお父さん経由で、ケニアの親戚に話がいったらしくてね。その人が今、学校を作ろうとしてて、その事業にうちに協力してもらえないかって要請があって」
「開校の手伝いってことですか?」
夏休みなら1週間くらい休みはとれますが……
そう答えると、事務局長は「違う違う」と手を振った。
「むこうで先生として働くってこと」
「え?」
はい?
予想外の言葉に耳を疑う。働く……?
「浩介先生、英語もスワヒリ語もペラペラだからちょうどいいと思って。どうかな」
「………………え」
どうかなって………
「えええええ?!」
飛び上がってしまう。ケニアで、働く? おれが?
確かにおれは、学生時代、ライトと話すためにスワヒリ語を覚えたので、今でも喋れる。けど……でも……
「え……と」
「浩介先生」
おれが何か言う前に、事務局長が、ふっと表情をあらためた。
「……はい」
その真剣さにドキリとする。事務局長はこちらを見たまま、スパッと言った。
「今働いてる学校で本当に満足してるの?」
「え………」
何を……
「ここ数年、ずっと思い悩んでる感じじゃない?」
「………」
「先生の学校の子でボランティアに来てくれてる子に聞いたけど、浩介先生って学校では全然雰囲気違うんですってね? 淡々と、淡々と、ひたすら受験対策用の授業をし続けてるって聞いたわよ?」
「それは……」
「それが君の本当にやりたかったこと? そういう先生になりたかったの?」
「……………」
何も……言えない。
今の学校は、大学の教授に紹介していただいた。
就職して慶に会えなくなることだけは絶対に避けたかったおれは、転勤の可能性のある都の教師になることは考えていなかった。教授の紹介してくれた私立高校は、今のアパートから徒歩でも行ける場所にあり、こんなに恵まれた条件の学校はないと思って二つ返事で話を受けたのだ。そこがどんな学校であろうとも、自分なりの先生像を追い求められればいい、と思っていた。
(でも………)
それを実行することは難しかった。
学校の方針である、良い大学に入る事、学力を上げる事はもちろん大切だと思う。それを手助けする努力は惜しんでいないつもりだ。でも、高校三年間、それだけではないと思うのだ。もっと生徒に寄り添って、生徒の本当にやりたいことを見つけてあげて……
『学校生活の充実はもちろん結構だけれども、学校側の一番の目標は学力向上だということは分かっているよね?』
先日、校長から言われた言葉を思い出して胸のあたりが重くなる。
『余計なこと、しないでください』
1年担任の藤井先生にそう言って睨まれたこともあり、結局、せっかくやる気になっていたバスケ部1年男子の退部を止めることもできなかった。
おれは何もできない。何もできない使えない教師で……
「これ、写真」
「あ……」
事務局長の声で我に返った。目の前に並べられた数枚の写真……
(うわ………)
地べたに座っての授業風景。
建設中の白い建物。
キラキラした瞳の笑顔の子供達。
(空が……広い)
おれの知らない世界……
広い、広い、広い……なんて開放感。なんて綺麗な青……
(ああ……いいな)
何もかも捨てて、慶と二人でこんなところで暮らせたらどんなに……
「……………」
思いかけて、自嘲してしまう。
そんなこと、できるわけがない。
慶はみんなから頼りにされていて。家族も仲良くて。友達もたくさんいて。
そんな慶をおれ一人が連れ出せるわけがない。
「ちょっと考えてみて?」
「…………」
行けるわけない。だから首を振るべきだ。
そう思うのに、なぜだかその場で「NO」ということはできなかった。
***
その日、慶がマンションに帰ってきたのは、深夜2時を過ぎていた。鍵を開ける音が聞こえた時点で、ようやく携帯の電源を落とせてホッとする。
(今日は何件着信あったかな……)
おれの携帯の着信履歴は実家の番号で埋め尽くされている。おれが出ないので、しつこくかけてくるのだ。電源を切りたいのだけれども、慶から連絡があるかもしれないと思うと、切ることもできない。
(慶、今日も遅かったな……。仕事夕方までって言ってたのに……)
起きて待っていると、慶の精神的負担になるので、1時を過ぎたらベッドで寝たふりをすることにしている。そして、慶がベッドに入ってきた時点で、目が覚めた、という体を装うことにしているのだ。
(慶………まだかな)
シャワーの音。ドライヤーの音。
早く来てほしい。ぎゅうって抱きしめたい。抱きしめられたい。
いまさらながら、ドキドキする。慶の温もり、慶の匂い……早く直接感じたい。
(慶………)
慶が近づいてくる気配がする。早く……早く。
…………と。
「………はい、渋谷です」
(!?)
バチッと目を開けてしまった。暗闇の中、着信音がきこえてきて……、慶、電話してる……
「分かりました。すぐ、戻ります」
「………………え」
思わず声が漏れる。すぐ戻るって……
「ああ、悪い。起こしたな」
「う、ううん……」
身を起こし、首を振ると、慶はツカツカとこちらにやってきて、
「戻らないといけなくなった。たぶんそのまま勤務になる」
バサバサとパジャマを脱ぎ捨て、新しいシャツに腕を通しはじめた。
「ごめんな、約束してたのに」
「ううん。大丈夫だよ。……あ、パジャマたたんでおくよ」
「お、サンキュー」
チュッと額にキスをくれ、きゅっと頭をかき抱いてくれてから、慶がニッコリと言った。
「んじゃ、行ってくる」
「…………うん。行ってらっしゃい。頑張ってね」
「おー」
そして、慶はバタバタと出ていってしまい……
(慶…………)
その後ろ姿が消えたドアをじっと見つめる。
(………行かないで)
心の声が漏れ出そうになり、口を押さえる。
(行かないで)
行かないで行かないで行かないで……
(ずっとそばにいて。おれだけのものになってよ)
でも、そんなこと言えない……
慶は夢を叶えて……慶はみんなに頼られて……慶は……慶は。
(………………)
携帯の電源を入れる。
慶、落ち着いたら電話くれるかな……メールくれるかな……
そうしてずっと待っていたけれど、電話もメールもなくて……
朝5時半。ようやくかかってきた携帯の着信画面の表示は……
「…………は、はは」
乾いた笑いが出てしまう。こんな早朝から実家からの電話で………
(………………慶)
背中がジクリとする。
おれの背中には大きなアザがあって……
(慶………)
醜いおれは、慶の隣にいる資格はなくて……
でも、でも……
慶……
おれだけのものになって……
落ちていく中、電話の着信音だけが、暗い部屋に鳴り響いていた。
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慶に頼まれて、入院患者である5年生の女の子、山崎ゆみこちゃんの勉強を見るようになってから、一ヶ月になる。なんとか数字に対する理解が進み、光が見えてきた感じがする。
ゆみこちゃんにおれを紹介したのは、慶の独断なので、一患者に対して特別な措置をしたということが他の患者さんや病院側にバレるとまずいらしい。それなのに、真木さんにだけは話してたんだ……と思うと心臓が痛くなる。まあ、おれと真木さんは顔見知りなので、病院内で会ってしまったときに不審がられないように、という配慮からなんだろうけど……それでもやっぱり、慶にとって真木さんは特別なのかな……と思ったりして、心中穏やかではいられない。
11月最後の日曜日。
今日も、夕方からゆみこちゃんとプレイルームの片隅で勉強をしていたのだけれども……
「あ、そうそう!渋谷先生、彼女できたんだって?」
「は?! ……あ」
ゆみこちゃんの発言に思わず大声で叫んでしまい、慌てて口を閉じる。
「それどこ情報?」
「看護婦さんが言ってたよー」
「そう……」
慶は大学生の時は「好きな人がいる」と言って、言い寄ってくる女どもの誘いを断っていた。病院で働くようになってからも、それを続けていると聞いていたけど、変えたのかな……
うーん、と思っていたら、ゆみこちゃんがケロリと言った。
「なんかね、真木先生が『渋谷先生は彼女いるんだから、誘ったりしたらダメだよ』ってみんなに言ったんだって」
「……………」
…………。
…………。
…………。
真木ーーーーー!!!
再び叫びそうになり、グッと抑える。
(くそ……やられた)
そうやって、女性陣を排除して男である自分だけがそばにいようって魂胆、ミエミエだ!!
「それで、渋谷先生はなんて?」
「笑ってたって」
笑ってた?
「違うって言わなかったから、本当なんだねーってみんな言ってるんだって。ねえ、浩介くんは知ってた?」
「うん、まあ…………」
笑ってた……笑ってた、か………
そこへ、「あ!」とゆみこちゃんが叫んだ。
「噂をすれば渋谷先生ー」
「……っ」
視線の先、白衣姿の慶……。あいかわらずの眩しいオーラ。かっこいい。
(…………慶)
でも慶は、こちらに一瞬手をあげただけで、ものすごい勢いの早歩きで行ってしまった。
「なんかあったのかな……」
「あったんだろうね……」
他の先生や看護師さんも数人、バタバタと同じ方向に向かっている……
「大きい事故があったらしいよー」
「これから救急車何台も来るとか言ってた」
他のお見舞いの人達が他人事のように言っている。まあ実際、他人事なんだけど……
(でも、慶にとっては他人事じゃない)
慶は、人の命を預かる仕事をしてるんだ……
すごい……すごいな……
すーっと、自分が遠くなる。昔よくなっていたブラウン管の中に放り込まれる……まではいかないけれど、それに近い感じ。おれ、どうしてここにいるんだっけ………
「浩介くん?」
「…………あ」
ゆみこちゃんに目の前で手を振られて、我に返る。そうだ。おれは慶に頼まれてゆみこちゃんの勉強を……
「……続き、しようか?」
「うん!退院するまでに5年生に追いつきたいな~」
「頑張ろうね」
言いながらも、どこか遠い……
ゆみこちゃんも遠い。慶は、もっと遠い……
***
12月に入ってすぐ、期末試験が行われた。
この一ヶ月、バスケ部を休部して試験に挑んだ一年生の関口君。本人的には頑張ったつもり、らしいけれども、母親が望んだ結果にはほど遠かった。
「退部させます」
学校にやってきて、そう言い切った母親をなんとか説得しようとしている最中、
「桜井先生、出身大学は?」
唐突に聞かれた。その高圧的な態度に若干びびりながら大学名を答えると、今度は出身高校を訊ねられた。
「神奈川県立白浜高校ですけど……」
「白高? へえ……」
知ってるらしい反応。一応、県内トップレベルの高校なので、教育ママならば知っていてもおかしくはない……
「大学には現役で?」
「はい……」
「へえ……」
ジロジロ、となぜか上から下まで見られ……
「高校時代、部活は?」
「3年間バスケ部でした」
「そう………」
もしかして、これは辞めなくてもいい方向に話を持っていけるのでは………と、期待したのも束の間。
「じゃあ、先生には私たちの気持ちは分からないわね」
「え?」
いきなり断言され、ポカンとしてしまう。
「白浜高校に入れる頭があって。バスケ部3年間やってもW大に現役合格して。学校の先生になれて。さぞかしご両親自慢の息子さんなんでしょうね」
「そんなことは……」
あるわけがない。おれは将来は弁護士に、という親の期待を裏切った。そして、諦めきれない母親にいまだに執着されて、職場にも迷惑をかけていて…………
「うちの子は高校受験失敗して、滑り止めだったこの高校に入って……、はじめは上位にいたのに、周りに影響されて遊んでばかりで、ずるずる成績が落ちていって……」
「…………」
「私立は面倒見がいいから塾には入れなくていいって言うのを鵜呑みにして、塾に入れなかったのがまずかったのかしら……。でもこれ以上お金がかかるのは……」
頬に手をあて、ブツブツと言い続ける関口君の母親。関口君はその横で半笑い、といった表情……。
『ホント桜井、使えねえ……』
彼が友達にこぼしていた言葉が脳裏をよぎる。このままでは本当に、おれはただの使えない顧問、になってしまう。
おれの高校の時のバスケ部顧問の上野先生は、おれの母親を説得して、学校に押しかけることをやめさせてくれたのだ。おれも上野先生みたいに……上野先生みたいに……っ
「あのっ」
「あー、もう、いいよ」
おれが口を開いたのと同時に、ふいっと立ち上がった関口君。
「辞めるよ。辞めればいいんだろ?うるせーなあ」
「ちょっと、友哉……っ」
「関口君!」
面談室から出て行こうとする関口君を慌ててひきとめる。今、ここで辞めたって何もいいことはない……っ
「休部している間、関口君はどのくらい勉強してた?」
「え?」
キョトンと振り返った関口君。
「どのくらいって……普通くらい」
「普通って?何時間?」
「え………」
目をパシパシさせる関口君に、畳みかけるように言ってやる。
「おれは高校生の時、家にいる間は、食事と風呂以外、ずっと机に向かってたよ」
「え」
「親に対して勉強してる姿見せるようにしてた。おれも高校の時、成績が少しでも下がったら部活やめろって脅されてたから」
「脅しってそんな」
眉を寄せた母親に向き直る。
「言葉が悪くて申し訳ありません。でも、脅し、としか思えなかったんです」
「それは………」
母親が何か言う前に、関口君がドアから手を離し、こちらを真っ直ぐ向いた。
「先生……何がいいたいわけ? オレの勉強時間が足りないって説教?」
「それもあるけど、それだけじゃない」
首を振る。
「関口君、前にも言ったけど……、きちんと授業聞いてる?予習復習してる?分からないところ先生に聞きにいってる?」
「…………」
関口君、休部してすぐに話した時は不貞腐れた顔をしてそっぽを向いていたけれど、今は下唇を噛みしめてこっちを睨んでいる。
『この子は高校受験失敗して、滑り止めだったこの高校に入って……』
先ほどの母親の言葉を思い出す。滑り止めで入った高校で落ちこぼれていくことは、本人も母親もプライドが許さなかったのだろう……
「もしかして、関口君って中学まではたいして勉強しなくても出来ちゃう子だったんじゃない? だから、勉強につまづくの初めてで、どうしたらいいのか分からないんでしょう?」
はっとしたような顔をした関口君。やっぱりか。
「そういうときこそ、先生を頼ってよ」
「…………」
「効率よく勉強できたら、部活だって辞める必要ないと思うんだよ」
「…………」
「明日からの補習授業ちゃんと出て? 立て直そうよ。今ならまだ間に合うから」
「…………」
関口君は下唇を噛みしめたまま、無言で部屋から出ていってしまった。
残されたおれと関口君の母親の間に沈黙が流れる……
何を言えば、この人を説得出来るんだろう……。おれの母に似ているこの人に何を言えば……。
「じゃあ、先生、私も……」
「あ、あの……っ」
席を立とうとする関口君の母親を慌てて引きとめる。
「あの……、息子さんともう少し話し合っていただけませんか?」
「…………」
「関口君、部活とても頑張っていたんです。チームメイトとも仲良くて……」
「そうやって仲良く遊んで、今度は大学受験に失敗したら、どうするんですか」
ピシャリと言われ、詰まってしまう。
「それは……」
「子供を正しい道に導くのが親のつとめです」
「………………」
ああ……本当に似てるな。うちの母と話してるみたいだ……
自分の思い描く「正しい道」を強要しようとする、おれのハハオヤ……
「あの……」
出ていこうとする関口君の母親の後ろ姿に、ポツリと言う。
「先ほど関口さんは、私のことを両親自慢の息子だっておっしゃいましたけど……そんなこと全然ないんです」
「は?」
眉を寄せた母親に、首を振ってみせる。
「私の親の希望は、私が弁護士になって父の事務所を継ぐことだったのに、それを裏切って教職の道にすすんだので……」
「それは……」
半笑い、の母親。先ほどの関口君みたいだ。
「ご両親の希望と先生の希望が違っただけで、この学校の先生だったら充分自慢の……」
「いえ。両親にとっては弁護士でない息子はただの出来損ないです」
「そんなこと……」
「あります」
おれも半笑い、で言う。
「父とは何年も口をきいてませんし、母はいまだに私を弁護士にすることを諦めていない」
「え………」
目をみはった関口君の母親に淡々と続ける。
「母は、それが私にとっての『正しい道』だと思っているんです。……いえ、私にとって、ではなく、母にとって、ですね」
「…………」
「ずっとです。小さい頃からずっと。母は私に『正しい道』を押しつけてきていた」
「………」
「私はそんな母が大嫌いでした。今も、憎んでいるといってもいい」
「!」
ハッと息を飲む音が聞こえた。
「どうか、もう少し、息子さんの気持ちも考えていただけないでしょうか。将来が大事なのと同じように、今も大事だと思うんです」
「…………」
「今後のこと、息子さんと話し合っていただけないでしょうか」
お願いします、と頭を下げると、関口君の母親も、息子同様に無言で部屋から出て行ってしまった。
「あー………」
どっと体中の力が抜ける。何が正しいのかは分からない。でも大人になった関口君が高校時代を振り返った時に、親のせいで少しも楽しくなかった、と思うようなことだけは避けてあげたいのだ。
翌日の補習授業、関口君はきちんと出席したらしい。
「オレも親に『勉強してるアピール』することにしたよ」
社会科準備室にわざわざ来て報告してくれた関口君。へへへ、と照れたように笑っている。
「これ以上成績下がったら、バスケ部本当にやめさせるって脅されたからさ」
「そっか」
辞めさせるってことは辞めないでいいってことだ。
「明後日の練習から復帰するから」
「うん。頑張ろうね」
ホッとした。おれの母親と似てる、と思ったけれど、母とは違って、ちゃんと理解のある人だったんだ……
と、安心していたのだけれども……。
その翌日、校長室に呼ばれた。入室すると、学年主任の吉田先生と一年担任の藤井先生もいて……、吉田先生、ものすごく渋い顔をしている。同じように渋い顔の校長がボソリ、と言った。
「一年の関口友哉の父親からクレームの電話が入った」
「え」
父親……
「部活を辞めさせてもらえなかった、と。これで成績が下がったら誰が責任をとるんだ、と」
「……………」
誰が責任って……
「学校生活の充実はもちろん結構だけれども……、学校側の一番の目標は学力向上だということは分かっているよね?」
「………はい」
それはもう……この5年半で思い知らされた。
「それが生徒の将来にとって一番役立つことなんだからね? 余計なことはしないように。辞めるという生徒を引き留める必要はどこにもない」
「でも、関口友哉に辞める意思は……」
「生徒の意思より、保護者の意向を優先しなさい」
「…………」
そんな……そんなの……
へへへ、と嬉しそうに笑っていた関口君の顔が浮かんでくる。
ああ……やっぱりおれは、生徒を守ることもできない、出来損ないの使えない教師だ。
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お読みくださりありがとうございました!
これでもかというほど真面目な話……すみません……
お読みくださった皆様に、深く深く感謝申し上げます。
今日は、横浜市開港記念日のため、横浜市立の学校はお休みです。
横浜市立の小学校中学校に通っていた人は、ほぼほぼみんな「横浜市歌」を歌えます。何かにつけて歌うのでね~~。
作詞は「森林太郎」またの名を「森鴎外」。私もいまだに3番までちゃんと覚えてます。
ちなみに浩介君は横浜生まれ横浜育ちですが、私立の幼稚園・小学校・中学校、高校は県立だったため、歌えません!
成人式で、みんなが普通に横浜市歌を歌っていることに、相当の疎外感を味わったそうです^^;
ちなみに成人式は、1974年生まれの浩介達の時は、横浜アリーナで3回に分かれて行われました。
ということで……
クリックしてくださった方々、読んでくださった方々、本当にありがとうございます!!
次回、火曜日。よろしくければどうぞお願いいたします!
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