きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

藤沢から鎌倉を経て金沢八景まで

2019-05-08 15:53:45 | 遠くへ~少しだけ非日常
まだまだ寒い2月の頃。

藤沢駅前のホテルを出る。

まずは遊行寺を目指す。

時宗開祖の一遍上人は中世の愛媛で勢力を築いた守護河野氏の人。一度来てみたかったところ。

その遊行寺から今度は鎌倉を目指す。アップダウンが多い。

東海道線の線路にぶつかる。行けるところはないかと、線路の下をくぐる。

行ける道はあったが、歩行者用の地下道は階段のみ。車道に出てもいいが交通量が多く、傾斜がきついので危ない。
地図で確認すると、しばらく向こうに出られそうな道はなく、駅に引き返した方がまだマシということになる。

傍にあった弥勒寺。忽然、という感じで佇んでいた。

引き返して歩道橋を渡ろうとするが、傾斜が急で自走できるレベルではない。困惑していると、傍にいた女性が話しかけてくる。すると、さっき向こう側から降りてきた男性が介助を申し出てくれる。
なかなか急で大変な所を、そして一度上ってきた道をもう一度車椅子を押して向こう側に行ってもらった。わざわざすみませんというか、本当に申し訳ないですという感じ。女性も付き添ってくれた。

無事に向こう側へ。バリアは高い。高いバリアを超えるには結局人力に甘えるしかない。

県道に出て東へ。そして、南へ。

ミニストップで一息つく。

坂を登って下りになる。湘南モノレールの「線路(何て言うんあれ)」が見える。

一度だけ乗ったことがある。子供たちと田舎のおかんを連れ、甥っ子の顔を見に行った時。
江ノ島から鎌倉大仏まで一通りいったように覚えている。

西鎌倉とは云うが鎌倉からはかなり離れた西鎌倉。

この部分だけ路面電車のような動きになる江ノ電の線路に車輪を落としそうになり、ヒヤッとする。義経で聞いたことがある腰越から海へ。

海へ。

江ノ島が遠くに見える。今回はパス。

海から住宅街へ。


江ノ電の線路にまとわりつくような感じで鎌倉へ。

途中、極楽寺の駅でトイレ。身障者用トイレが新しくなっていて有り難い。

このトンネルで、江ノ電を見届けて出発。何年か前と一緒。

坂を下り、長谷寺方面へ。何年か前に鎌倉アルプスを走ったときと逆方向で鎌倉へ。


長谷寺周辺は車の量も人も多くて歩道が狭い。一旦路地に抜ける。

再びメイン道路へ。

鶴岡八幡宮前は、きれいになった。中央のメインルートは階段があって上らなかったが、スロープとかあるのかもしれない。それを探す余裕もなく山へ。

鎌倉アルプスの入り口を越えてさらに山道へ。思ったよりペースが落ちていたらしい。


横浜横須賀道路の朝比奈ICへ抜けるこの道は交通量が多い。多いのに歩道は狭く凸凹で傾いている。鎌倉霊園前あたりからかなりきつくなってくる。一キロを約30分ぐらいかけて上る。降りるのはあっという間だった。

ところが、降りてからIC付近の勝手がわからずうろうろする。車道は危ないので歩道を行くと、地下道に入るようになっていて、しかも階段のみ。引き返して行き直すと再び急傾斜の地下道へ。朝の東海道線を潜るのとは違って車が来ないから行けるかと思い、行くことにしたが、すぐにタイヤがロックした状態でずるずるとドリフトを始め、中央のスロープ部分を脱線してしまう。数段だったので、車椅子を降りて(というより落ちて)、地面に座った状態で数段下の車椅子を引き上げる。人なんか来ない。もう必死。

時間をロスしながらも朝比奈IC周辺を抜けて金沢八景駅を目指す。ここも路肩は斜めでペースは上がらない。何とか到着する。

駅は、前に来た時と同じように工事中で、まだできてないん、みたいな感じだった。横浜駅もそんな感じのところだったか。
京急だったのでこのまま羽田に行くのが一番便利だったが、帰りもバスと決めていたので、とりあえず横浜まで行き、そこからまた迷いながらYCATまで行った。バス乗り場に「麦」がなくて、少々失敗。トイレにも行かなかったし、これなら半額にならなくても京急で行った方が楽だったかもしれない。

鎌倉の感動に冷や水を浴びせるような朝比奈越えと地下道の恐怖、だった。今でも強烈に覚えている。

瀬谷八福神巡り

2019-04-23 20:02:24 | 遠くへ~少しだけ非日常
出発する前々日ぐらいに知る。本当にたまたま見つける。これも何かの縁かと。

この辺りは、昔の武蔵と相模の境目らしい。隣の三ツ境で降りればその境目を漕ぐことができるが、そこから八福神を回るのは時間的にかつかつなので、そちらは断念し、予定通り瀬谷の駅からスタートする。普通に「近郊の街」っぽいのが良い。

駅近くの一つめの寺。長天寺。ここは達磨大師さん。

住宅街を抜けて。

海軍道路に出る。

この辺り、兎に角だだっ広い空き地が続く。一応横浜市なのだが、別のところに来たような錯覚すら。
海軍道路を離れ、住宅地へ。この辺りはやや古い家が多い。道を間違え、新しい家が並ぶ団地からエスケイプを図る。道路が続いているのかどきどきする。

あった。妙光寺。大黒天さんの寺。お寺の前で撮った筈の写真が撮れてなかったが、一応ちゃんと巡った。でそのまま次へ。

坂を思いっきり下ったところ。瀬谷養護学校の前にある善昌寺。ここは恵比寿さん。

この後、坂を上り、やたらと交通量が多く路肩が狭い「瀬谷柏尾線」を漕ぐ。後で調べたら、善昌寺のところをそのままくねくねと行けば、昔の街道筋だったらしいが、それを確かめる余裕はなし。加えて、ここで携帯を落としたらしく、結構進んだ後でさっきの善昌寺まで戻ったりしてかなり時間と体力をロスする。その後の予定があるのに、連絡もできんでどうしようかと思った(結局後ろのポケットに入れていたことに気付いて捜索終了)。

毘沙門天の徳善寺を通過。まだ四つだが、かなり時間が過ぎているのでペースを上げる。途中で江ノ島線の駅に飛び込むことも考える。幸いこの辺りは、駅のバリアフリーは進んでいるので突然予定を変えても問題はない筈、とそこまで考えてから先に進む。

相鉄の線路を潜る。

で、寶蔵寺。というより正確に言えば寺が見えたところ。前までも行っていない。奉られているのは弁財天。

車椅子に乗ったわんこがいた。

これは、八福神とは別のお稲荷さん。

西福寺。もろ階段だが、中に入る余裕はないのでまあいいか。ここは布袋さん。

こちらは寺のすぐ近くにある左馬社。

姿は見えないが、福禄寿の宋川寺入り口。

ここで中原街道を越えて最後のお寺へ。

下瀬谷坂上の手前に寿老人がいる全通院勢至堂がある。儂が行けたのは階段の入り口まで。こちらも撮影はしたが写真は撮れてなかった。まあ、とりあえずコンプ。

実は、この後の桜ヶ丘の駅までがなかなかアップダウンが激しくて。それでも、予定より10分遅れぐらいで完走。途中で止めていたら性格的に苛々していたので、何とか完走できて良かった。

新しいのと古いのが同居する少し前の郊外の街を散策できて、満足でした。
特に行きたいとか、そういうのはなかったのだが、ここを漕ぐことになったのは何かの縁なのかなと、それは思う。

岡崎漕走

2019-03-26 20:19:39 | 遠くへ~少しだけ非日常
立春の直前に控えた日、京都へ。
気温が高いという予報だったので、夜行バスの予約をする。
初めての夜行バスは、やっぱりというかあまり眠れてなかった。ただまあ、トイレの失敗はなかったので良し。

京都タワー。京都駅でトイレを探し身支度。やはり時間はかかる。20分あまり後に出発。与えられた時間は4時間。

まずは、河原町から本町筋を目指す。


本町通り。ここを通ったのは正解だった。おじゃましますという感じでゆっくりと路地を通る。

建仁寺へ。でっかい寺である。

境内から人が出てくるので、行ってみることにする。柵が見える。行けないかもとどきどきする。

行けた。ほっとする。境内を抜ける。


抜けたところが祇園。ここに通じるとは全く知らんかった、というより祇園の位置自体がよく分かってなかった。

四条に抜け、見慣れた八坂神社の前を通る。ここは何回か来たことがあるので京都の中の「位置」が分かる。さっきの祇園は一度も行ったことがなかったということは、路地一本の違いで全く違う景色があるということ。これは京都の面白さだと思う。

知恩院の前を通りかかる。ここも境内から行けそうなので、向きを変える。

知恩院。やや坂。ここを越えると目指す目的地になる筈。

良正院。脇の歩道は斜め上りの角度できつい。

ここは親鸞関係の場所らしい。

平安神宮の大鳥居が見えた。もうすぐ蹴上。

で、ようやく蹴上へ。

上にあるのは分かるが行けない。ネットで調べていて、車椅子は恐らく無理かもということは分かったいたが、それでもかなりしつこくもがく。
見られなかったが、とりあえず行けるところまでは行った。

南禅寺に向かう。ここも初めてでしかもでかい。由緒とかそういうのより、月に行く某アパレル関係の社長の別宅もここらしくつまり馬鹿高い値段が付くところであるという俗っぽい話ばかりよく覚えていて。

境内にある水路閣。近所の大学生と思われるカップルがちらほら。近所なら京大だがさて。

高い湯豆腐の店とバリアフリーということで某サイトで紹介されていた永観堂さんの傍を通って哲学の道へ。

ここから。ところがこの先、急な傾斜が一カ所あって断念しかかる。上がれんかと思ったが、通りすがりの女の人に助けられる。わざわざ来た道を引き返すような感じで、しかも急坂でかなり押すのも大変だった筈。ありがとうございました。

ようやく入り口へ。


決して物思いにふけることができる道ではない。がたがたで傾いていて、車椅子なら漕ぐのに必死。

それでも来て良かったか。

銀閣寺へは行かず。そろそろ折り返す必要がある。


とりあえず、歩道がある大きな通りを避けて(逆に漕ぎにくいので)、だいたい駅の方へという感じで漕ぎ進める。

そして、平安神宮。現在の位置がだいたい把握できた。遠くに応天門が見えたが、時間が気になって止め。

龍馬の結婚式場跡。龍馬は日本で初めて新婚旅行に行ったとかそういう人でもある。



川沿いを通る。

来た道と一つか二つ筋違いのところ。

松原通りだったか。

ここは流石に引き返した。川筋を行けば道を間違うことはないと踏んでいるのか、どうしても川があるとそこに入っていく。

もう少し大きければもののけに出てきそうな感じ。

長宗我部さんの関係の寺らしい。

遠くにタワーが見えてきた。やれやれ。

これどこやったっけ。結構大きなところの裏門みたいな。

景観重視で茶色のファミマ。

本願寺前から少し大回りして駅へ。

無事着いた。これで帰れる。となるとまずは土産。駅ビルの中は高い。それでも何とか買う。

終わるとトイレへ。

そういえば哲学の道の最後のところで少し手間取ったときだろうか。ブレーキのカバーを落としたらしい。まあ仕方がないか。

乗り込む。大阪までは貸し切り状態。

バスは使い慣れてきた気がする。ただ、神戸までならまだしも京都になると流石に長いな。夜行便で東京までになるとトイレの心配は今回以上に必要だろうし。

それでも、思いつきで動いたにしては、大きなトラブルもなく、何とかなった。

大仏鉄道跡を追う

2019-02-06 21:00:00 | 遠くへ~少しだけ非日常
平城京を後にして東に進む。

時間にはそれほど余裕がある訳ではない。というよりどれぐらい余裕があるのかは分からない。先々でトラブルが起こるかもしれないのは特別なことではないが、その対応には時間がかかる。

平城天皇陵。この天皇、政権争いに敗れた方の筈。

海龍王寺。由緒は分からん。バス停はこちらの寺ではなく法華寺の名前がある。

とりあえず予定の2時間になる手前で腹が減ったのでコンビニで補給。以前なら食べながら走ったりもしていたが。

細い路地に入り、佐保川を探す。

上手い具合にドンピシャでぶつかり、川沿いを行く。

漸く到着する。ここが出発点。本当は、JR奈良駅近くからが出発点だが。

「大仏鉄道遺構めぐり」は、だいたいどのサイトにも「13kmで所要時間は3~4時間」とある。別稿で記した「平城京訪問」を合わせると、この日は20キロ近くになるかと思ったが結果は17.5キロ。
紹介ルートは加茂駅出発のものが多いが、儂の場合は奈良側からの出発。で、これも結果的には、途中の悪路が下り傾斜だったから何とか漕ぎきれたものの、加茂側からなら上りになるから、漕破は難しかったかもしれないと、これ本当にそんな感じであった。たまたま、いろいろな条件やら時間的な制限から奈良側から出発しただけで、ここまで酷い道で、加茂側からならとても無理だという情報は掴んでなかったので、これはもう本当にラッキーだったというしかない。
以下、参照ルートのチェックポイントごとに記録。

1 佐保川橋・旧大仏駅跡(記念公園)
佐保川に架かる下長慶橋付近の川底に残るレンガ製橋脚の基底部が遺構の一つである、ということは帰ってから知った。

とにかくこの橋の辺りを通ったんだなという程度でチェック。ここに至るまでに、県道から南に入り、細い路地を通って川沿いに出てのだが、珍しく、曲がるところが完璧に正解していた。

そして、ふと振り向けば、大仏鉄道記念公園があった。公園というには狭い、地域の遊具が置いてある子供の遊び場みたいな感じのところであった。

2 黒髪山トンネル跡
公園を出発して、上り坂に入る。

とりあえず、44号線に出る必要があった。奈良ドリームランド跡の方へ行き、もう少し先で合流しても良かったとは思うが、とりあえず推奨ルートをということで。県道に出る直前の坂の傾斜の酷いこと。この後、もっとひどいのに幾つも出くわすとはまだこの時点では知る由もなし。

鴻ノ池近辺は、運動公園とか放送局とか、そして茶色のローソンとか。

鴻ノ池に出てしばらく進むと、黒髪山トンネル跡を通過する。

で、とりあえずここにあったのねという感じで通過。山を切り開いたためトンネル自体はもうないらしい。
黒髪山トンネルは急坂で、機関車が一両だと止まってしまうとか、乗客や村の人が押したとかの記録があるらしい。そこまで急だとは思わなかったので、現在の44号とは別のところを通っていたのだろう。

3 鹿川隧道(発見できず)
農業用水路のために造られた細いトンネルで、現在も水路として利用されているということだが、ここは完全に見落とし、というか分かるような手掛かりもなかったような。

因みに、地図で見ると、奈良駅近くには開化天皇陵、鴻ノ池近くには聖武天皇陵、黒髪山トンネル跡から鹿川隧道辺りには元明天皇陵や天正天皇陵があるらしい。ずっと写真のような感じだったのでよく分からんかったが。

4 松谷川隧道
県道44号は当然歩道を通るのでペースは上がりにくい。

ただ、坂もあるのでそこは車道に出たりもする。

歩道がなくなり、それまでの左側通行を右側に変更して、坂道をぐぐっと降りる。再び上って県境越え。

左手に変な形の浄水場の建物を見て、西梅谷の交差点に差し掛かって信号待ち。その時に、左手に小さな碑が見えたので、左側に再び移動。

で、この下に隧道跡があるということが分かる。見落とすところだった。で、階段で行けという指示があるが、儂は行けない。どうしたもんかと、遠くを見ると、何となく行けそうな坂があるのでそこから行ってみる。

無事に見学。

ただ、この後が大変で、舗装していない細い道を辿って行ったら見事に最後に行けなくなって引き返し。

おまけに、下ってきた坂は鬼のような傾斜で、他にエスケイプルートはなさそうだったのでここを上がるしかなく、もう、必死で上る。
まあ、行けたので良しとする、みたいな感じである。

5 井関川橋梁跡
この後、広いバイパス様の道路を更に下り、梅谷で右折。

そしてまた上って下ってで道が狭くなった頃に、看板を見つける。

現在は道だが、この場所に大仏鉄道の線路があったということで。井関川が流れるこの辺りに、川を渡るための橋梁があったとのこと。



6 赤橋
交差点から目の前に見えるのは、細くて急傾斜の坂。行くしかない、か。

しばらく細い上り道が続いて、少し降りたところに別の方角からの太い道。回り道でも来れるらしい。

で、しばらくそのまま降りると看板があって、メインではなく側道を行けと。

すぐに見つかった。きれいである。赤橋は、イギリス積みのレンガ造りの橋台。今も現役で活躍。

7 梶ヶ谷隧道
赤橋から少しだけ行くと、もう一つ史跡がある。

梶ヶ谷隧道。この上を鉄道が通っていたらしい。今も隧道内を行き来することができる。

隧道の向こう側、タイムトリップしたかのような感じだった。

8 鹿背山橋台
ここから再びメインの道路に出たかと思ったら、程なくして分岐になり、細い方の道を行けという。

案内板がしっかりしていてこの辺り、迷うことはないのはありがたい。

で、かなりの急坂を降りる。

降りたところに鹿背山橋台があった。
大仏鉄道の史跡の中でも人気らしい。見る人が見れば結構凄いのかもしれない。儂は普通にいいなあと、思ってみた。

で、次の方向を見たら、壁のような傾斜の道があった。
これが、まだ序の口だったのだが。

9 観音寺橋台
ここからものすごい上り道を上る。

上ったところに分岐があった。

道が良くないダート、というより悪路の左側を進む。

両脇は石がゴロゴロしている。真ん中は草が生えていて進みにくい。どっちにしても進まないのは同じ。初めは端を漕いでいたが、途中で真ん中を進む。


傾斜は下りだが、漕ぎにくく進まない。途中、ランのおっちゃんとすれ違う。ということは、この道でOKなのは間違いない。
かなり漕いだつもりだったが、それほど漕いでいないのかもしれない。数日前に近所のダート漕いでおいてよかったと思っていたら、距離が全然違う。観音寺橋台までは約650メートルの表示ではあったが、そこまでは悪路、なのかもしれない。しかしまあ、一度も上り坂にはならなかったが、この悪路で上りだったらほとんど進まないだろう。

と、舗装路が見える。しかし、全面ではなく、真ん中に深いくぼみがあって、そのくぼみを渡す形で両輪を左右それぞれに乗せるのは難しそうだった。かといって、左か右かの細い舗装部分に両輪乗っけるのもギリギリだった。
少しだけ広そうな右側に、何とか両輪を乗せてそろそろ進む。

ここも上りなら、まずにっちもさっちもいかないぐらいの悪路だと思ったその刹那、膝にのせていたタオルが落ち、それを取ろうとしてバランスを崩す。左車輪が真ん中のくぼみにはまり込んでしまう。深さは、20センチぐらいあって、当然脱出できない。ただ、斜めにだが、前には進むことができた。ずり落ちそうになりながら、30センチ行っては、強引に方向を変え、また30センチ行っては方向を変える。それを繰り返して数メートル。くぼみが少しだけ浅いところまで進む。ようやく脱出。冷や汗をかいた。
これも上りだったら進みようがなかったかもしれない。微妙な方向転換はできても、転回は難しいだろうから立ち往生、というより座り往生していた筈。しかも、この間全く人の往来はなし。

漸く、舗装が見えた。

と思ったら、そこが観音寺橋台だった。ここはフェンスがあって立ち入りはできない。

現在も利用されている関西本線の橋台と並んでいる。どちらの橋台もほぼ同時期に造られたものらしい。

10 ランプ小屋、SL(?)
ここからは2つのコースに分かれている。

儂が見た範囲では、田園コースを歩いている人の方が多かったので、何となくそちらに向かう。もう一つの歴史を感じるコースは、名前だけならこちらを選んでいた筈だが、早速の上り坂が見え、漕走に回避。さっきの悪路でこれ以上上りは行きたくないと思ったのだろう。

田園コースは、川沿いを行くが、これも正規のコース(?)まで行くには、ダートを行かなければならないようだったので、勝手に広い道の方へ進み、駅を目指す。

後、駅近くには、ランプ小屋とかC57のSL展示とか、コース紹介みたいなのもあるらしかったが、一切見ずに、ではなく見つけられずに、駅西側へ。

後で見たら、SLは東側にいたらしい。

ランプ小屋はそれらしいのは写真に収めたが、正面に行く方法が分からなかった。もうしんどいので、回らずにローソンに入り、ゴールする。儂と同じ名字のレジの方がいた。

後日、こういうイベントがあったことを知る。親近感がわく。

にしても、ラッキーだったというしかないような出来事もたくさんあったので、もう少し安全な史跡巡りとかそういうのはないんかなと思うことしきり。

平城京を訪ねてみた

2019-01-30 19:44:09 | 遠くへ~少しだけ非日常
奈良に行くということになったものの、鹿とか大仏とか寺に行くことはあまり考えてなかった。

ただ、ここには行って見たかった。

いろいろな天皇陵とかも近くにあって、そういうのは行ってみたいと思っていた。その後で大仏鉄道跡をトレースすることになっていて、天皇陵も、結果的には近くは通るがわざわざ行くような感じにはならなかった。これはリサーチ不足と、結構なアップダウンで消耗したのと、結果的に時間にはそれほど余裕がなかったのとで仕方がないなと。

朝、ホテルを出てできるだけ車があまり来ないところをと思っていたがやはり無理で、国道の歩道をしばらく漕ぐ。
歩道は、奈良でも愛媛と変わりなく、傾きはあるし段差はあるし。

ゆっくりゆっくりと、「みやと道」から一本西に入る。

そのまま北に向かって漕いだ。

何もない野原に門が立っている。

この何もなさは、古の雰囲気を伝えるのにぴったりだと思った。

近鉄の線路を越える。

地図で見れば兎に角広い。そして何もない。何もない広い公園にこうして鉄道が通っている。不思議に感じる。
だから行ってみたかったのだろう。だだっ広い都の跡地が、どうなっているのか、見てみたかった。整備されていろいろな建物が立っていたりしなければいいが。それより、もっと酷くて駐車場とかになってなければいいが。とか思いながら。

散歩の人と挨拶を交わす。これも愛媛と同じ。

ただ広い。ただ寒い。

霜が降りていて、しんと冷えた盆地ならではの寒さだったが、風はなく心地よい寒さだった。

京都は、平安京がほぼそっくり今の京都市内を形作っているという点で珍しいのだろうが、奈良は、こういう昔の都を、ぽんっとほぼそのままにしているというのが良いと思った。結局、公園として整備はしているし、朱雀門とかも復元しているのだろうが、周りに何もなくて、ただ、跡地としてそのままにしているというのが、いい。走るにもいいだろうが、ぼおーっと缶麦酒呑みながら考え事をするのもいいと思う。

京都ばかりに目が向いていたが。

奈良、なかなかやるなと思った。

5つの県を跨ぐ

2019-01-04 21:03:33 | 遠くへ~少しだけ非日常
今日、I君との話の中でこのことが出たので急遽。I君感謝です。

成田といっても空港以外は関東地方の一都市である。新旧の建物とか結構入り交じっているから、思ったより段差は多い。

朝早くにホテルを出てから、いきなりのバリア、であった。しかも想定外の。
駅へのエレベーターが閉まっていた。
時間的に余裕を持って出てきたとはいえ、エレベーターの空く時間を待っていては間に合わない。気が動転したまま、そこら辺をうろうろとする。どこかにいける道はないかと。駅の反対側へ行くことも考えたが、地図を出しても道がよく分からない(後で落ち着いてから確認したらかなり遠回りしないと無理だったようである)。

で、5分か10分か、逡巡して、決心して、階段を上り始める。右手は手すり、左手には車椅子。一段一段ゆっくりと。
何人かが、忙しそうに通り過ぎる中、サラリーマン風の人が、お手伝いしましょうかと。本当に有り難かった。車椅子を上まで運んでもらった。そして、肩を貸してもらって一緒に階段を登り切った。およそ50段。人も少ないときに本当に有り難かった。昨日は、ホテルの入り口の段差で「立ち」往生していたときに車椅子を押してくれたOL風の人にも助けられた。成田の方にはひたすら感謝。

駅の緑の窓口は閉まっているので、半額になるはずの100キロ超の切符が買えない。これも改札口で行き先と購入希望を伝えると、丁寧に対応してくれた。

電車の時間まで時間があるので駅の反対側に行く。ホテルがあった反対側より明るくて、心細さもなかった。

軽く朝食。

ホームに降りる。久里浜行きの横須賀線直通が見える。今回は、鎌倉でもなく、大学(小金井)でもないところを目指すことにした。
気分的には何となく、思い出の場所巡りの筈だった。直前になって行ってみたいところができた。そのこと自体は良かったと思う。鎌倉も小金井ももう少し後でまた行きたくなると思うので。
予定通りの電車に乗り込む。乗ってから気が付く。常磐線に乗るのは初めて。

田舎、だなあ。
だんだんと人が増えてきた頃に、乗り換え駅到着、ここから東武線。

もう一回乗り換え。都心とは逆だが、乗客は多い。特に高校生。

柳生駅着。ここでトイレに入って、導尿。どれぐらいもつか。

線路沿いの道を進むと目指す場所の看板があった。
さらに進む。

10分ほどして、迷うことなくあっけなく着いた。看板が多かったからこれなら間違えようがない。

3県の県境が山とか川とか以外で、単なる平地で確認できるのは日本でここだけしかないという。2年ぐらい前にそういう記事を見て、へえ、という感じでしかなかったが、成田から行けるということが分かったのが出発の数日前。
渡良瀬川の流れが変わったのが原因らしいが、珍しいことに変わりはない。
こんなに珍しいのに人がいないのが変な感じだったが、この後、ここを目指していると思われる初老のグループを発見し、単にラッキーだっただけだったことを知る。

埼玉、群馬、栃木の3県境を後にして、まだ正式には入っていない群馬を一旦目指す。ちなみにここは埼玉。当初予定では、柳生(埼玉)のもう一つ先の板倉(群馬)から漕ぎ始める予定だったが、時間のやりくり上、少々厳しいかなということでコースを変更した。
初めて行くところだから道に迷ったり、傾斜が急で上れなかったり、行き止まりで引き返したりというリスクも考えると、時間に余裕を持たせる必要は絶対にある。ここに来るまでにも、JRから私鉄の乗り換えは、アプリでは8分で提示されたが、もう一つ余裕を持たせるために、さらに検索して20分の乗り換えを選択した。結果は正解だった。いろいろな方の手を煩わせる分、こちらの都合だけでは絶対に動けない。それも含めて考える必要がある。

県道に入る。9号線という4県を跨ぐ道路。大型車が行き交うが、ここしか道路がない(道の駅は階段でしか上がれない)ので、びびりながら進む。群馬に入ったところでUターン。

漸く、川の傍の車が来ない道へ。雨が降り始めた。

埼玉、群馬、栃木、埼玉、と県道を跨ぐ。これが気分がいい。

左手には渡良瀬遊水池。渡良瀬川の氾濫の緩衝池みたいな谷山湖(?)を初めとした、広い広い平野。この渡良瀬は、森高千里の渡良瀬橋のではなく、秩父事件の田中正造の方。

ここで何か野外活動をやっているらしい。この高校生の集団は、先ほどの電車内で見かけたのと同じ。ということは、普段はもっと空いているのだろうか。

利根川は、成田に飛んで走るようになってからよく来ている。前は海から60キロ辺りを走った。牛に通せんぼされたときのやつ。

雨は降るが、それほど気にならない。何度も止まって写真を撮りたくなる。ただ、残りの距離と時間はそれほど余裕がない。確認する時間すら惜しい。

恐らくこの川の中心が栃木、埼玉、茨城の3県の境。

台風被害とある。

目指す橋が見えてきた。ここまできてこの残り時間なら余裕。結構一生懸命に漕いだ。

川を跨いで茨城へ。

古河の街は、古くからの街と言うこともあり、落ち着いた雰囲気を感じる。時間があれば覗いてみたい史跡もあったが、それよりも安全に確実にが優先。駅を目指す。

古河駅着。

このロッカーは凄い。

駅とか近くのスーパーとかで身障者トイレを探すが、改札入ってからだったり、故障中だったりでかなり時間をロスしてしまう。最後に入ったスーパーで何とか見つけるが、ここも入るまでに段差があったりして、遠回りを強いられる。

5分前には到着したが、バスは待てど暮らせど。結局、5分遅れ、スロープ出すのに手間取って10分遅れで出発。これは痛い。

あのイエローキャブみたいにワゴン系ならタクシーももっと利用しやすいかもと思ったり。この先は、本当に博打みたいなもんで、高速バスに乗れなかったら、ホテルを探さなければならないし、飛行機の切符を買い直さなければならないしで。本当に、ここからはぎりぎりの時間で。それでも計画の時に、自漕の距離を短くしてバスを使ってワープするとかすれば、みたいなことを考えついて、一番リスクが少ない路線を選択したのではあるが。走っている時代なら、残り時間と距離からここの区間は全部自走できる筈だが。

運転手さんは大らかなのか、遅れていてもさほど慌てる様子もなく、とりあえず、目的地までは運んでくれた。残り1時間ほどで6キロ漕ぐのは、難しくはないが、知らないところを漕ぐ場合はリスクが高い。どきどきしながらスタートする。

端の手前。左手にあるはずの道の駅が右手にある。想定していたところより大回りしたらしい。焦る。橋を渡って茨城から千葉へ。狭い県道なのに大型車が多い。何故か。歩道はない、と思ったら、少し離れた別の橋の体裁でそれ専用のルートがあった。入り口が分からんかったと、誰が聞いてくれるわけでもない言い訳をぶつぶつ云いながら、大型車の脇をすり抜けていく。写真など撮れるわけがない。気分はもう平謝りの連続。すみませんすみません。みたいな。

で、向こうの歩道に行かなければならないので交差点まで行ってからUターン。

これも余分に漕いだことになる。ここも関宿というところで、古くからの街。散策しても古い街とか残っているのかどうかは怪しいが、ゆっくり漕ぐぐらいはしても良かったか。

時間的には余裕がないのでタッチして戻る、みたいな感じ。再び川を渡る。車の心配はない。

お城の形をした博物館が見えた。

千葉、茨城の県境部も無事に撮影できた。

ここからは、交通量の多い県道なので、どうしても歩道を行く。これが傾いていて漕ぎにくい。漸く目指す交差点から別の県道に入ると、漸く漕ぎやすくなる。ペースを上げる。

なかなか目指すセブンが見えないので、途中、道を確認すると間違ってはいない。ただ、思ったより漕げていない。ほぼ毎朝のペース漕並にスピードを出す。
セブンに着いて、レジでバスターミナルの位置を確認する。この交差点、道路が90度にクロスしていない。こういうところでよく間違える。で、漸く着く。5分でトイレに入るが、緊張していて出ない。パッドもしているからいいかと外に出てバスを待つ。10分遅れで来る。まあ、仕方がないか。
後で調べたら、7.5キロを1時間と少しで漕いでいたから、傾斜も傾きも段差もそこそこある一般道では結構なペースだった。

バスで漸く落ち着く。慌てていてつまみは買っていない。

運転手さんのサポートで無事乗車する。

第三ターミナル着。県境巡り、完。

兎に角制約が多いのは確かで、ただそれでも、事前のリサーチをしていれば何とかなるか思ったのも事実。こちらがある程度の知識があれば、駅員さんや運転手さんに質問もできる。
そして何より余裕を持って。いざというときの対応力は、車椅子になってから格段に落ちている。

安全策をとりつつ、よくもまあ無事に予定をこなしたなと、五県回った感慨よりもそちらの方が強かったりする。これは、プランニングの勝利か。

金生町少し

2018-12-19 20:41:07 | 遠くへ~少しだけ非日常
先日の定期検診で、外出許可もらって少しだけ散歩。

病院出て○○古墳の看板に導かれるように坂を上がる。で、何回か道に迷う。この坂の先は行き止まり。上るのが大変だった。

で、結局分からないままに戻ろうとしたら、もう一つ分岐が。

あった。

で、満足して、少し遠回りして帰ることに。川を渡る。

すっかり秋、という感じ。

前に来たときは、城の方まで走っていったが、今回はその半分以下。まあ、温かかったし、それでも気分転換にはなった。


山口へ・漕走編

2018-12-13 20:04:47 | 遠くへ~少しだけ非日常
12月3日投稿 山口へ・往還編の別バージョンです。

その1 角島大橋

着いたのはまだお昼前。朝の3時過ぎに家を出たからといえばそれまでだが、遠かった感はない。それよりも、イメージ通りの長い長い橋に満足。

漕いでみたら、あっという間だった。島の奥の方も面白そうで、もう少し長い距離を漕げばもっと面白いものを見つけられたかもしれない。それでも後々のことを考えて橋の往復だけにした。これがいいのか悪いのか。もう少し冒険してもよさそうなものだが、車で来るとこういうことが多い。

距離はたいしたことはないが、良し。

その2 元乃隅稲荷神社

確かに、ホームページで見たのと同じカットである。しかし、何となく小振りな感じがする。迫力満点、というほどでもない。

もっと言えば、写真で見るほどのダイナミックさはない。

傾斜が急で、有料駐車場内に20%の傾斜があって、これはもう、車椅子ではとても無理だと思ったら、それにも増して、下に降りる道は急坂でとても降りられない。
出発前に、山口県観光連盟には電話がつながらなかったので、長門市観光コンベンション協会へ電話すると、鳥居の中はダメだが、インターネットで出てくるような風景が見れるところまでは行けると、丁寧に教えてくださったのだが、この傾斜は介助者が要るな。自走では厳しい。300円も駐車料金がかかるし、何て神社だと、もう。
加えて、神社へのアプローチルートはかなり道幅が狭くて、行きは何ともなかったが帰りは大型バスの離合で、10分以上待ちぼうけをくらった。エスケイプルートもないしで、やはり、久々に大外れだったかなと。

ただ、日本海は、きれいだった。

その3 防府・山頭火の道、萩街道など

防府の街は落ち着いた感じで、自分にとってはしっくりと合った。

昔、単車に乗っていた頃にお参りした防府天満宮はあがれなかったが、萩街道山陽道と昔の趣は残っていた。

山頭火の道も漕ぐことができた。

国分寺まで行き、Uターンしてホテルへ。もっと先まで行っても良かったのだろうが。

1時間足らずだったが、夕暮れ時の散歩を満喫した。

その4 広島市内・緑井の辺り

雨が本降りではなかったので、近くのフジに車を止めて、太田川まで。

無事に目的地に。

最後、川からの戻り道、途中で行き止まりになっていないかと不安になりながら、何とか戻る。これも1時間弱の散歩。

山口へ・往還編

2018-12-03 20:49:14 | 遠くへ~少しだけ非日常
もう先々月の話。

ランの時代(おかしな云い方だか)、山口は近くて遠いところだったといえる。
広島はフェリーとJRで割合すぐに行けるし便数も多い。岡山はバスも便利でJRのトクトク切符を使えば、かなり遠くまで行けた。山口は、柳井までフェリーが出ていたが、時間が割に良くなかったのと、乗船時間が長かったのとで、足を向けるようにはなかなかならなかった。
かなり昔に、初めて岩国の米軍基地でやっているマラソンに参加するために使ったのが最後ぐらいか。それでも、あの行方不明の幼児を発見したり、脱走していた容疑者が派手に滞在していたあの周防大島へは近くてすぐに行けるし、いつかは、という気もしていた。
今回、山口へと思ったのは、2週続けての台風でエントリーしていた車椅子マラソンが両方とも中止になり、気分がくすぶっていた折、広島にでも漕ぎに行くかと考えていたときに、偶然見つけた角島大橋の写真。その近くに外国のサイトで有名だとかいう元乃隅稲荷神社もあり、とりあえず、その2つに行ってみようかということで、ヨメさんに外泊許可を得る。ホテルは、じゃらんからもらった1000円引きクーポンと、その日一番安くてバリアフリーに心配がなさそうだった防府のアパホテルに決める。
ただ行き方は迷った。車椅子になってからJRは気軽に利用できる手段ではなくなっていて、その代わりに車なら高速代が半分になるから行動範囲は広くなる。ただ、山口となるとしまなみ経由はかなり効率が悪いのでここは防予フェリーかということで予約をしたのが数日前。エレベーターはないが、乗船を拒否されることはなかった。バリアフリー法のおかげで、基本的には結局、設備投資が間に合わない場合は、マンパワーで対応するということらしい。

朝3時起きで港へ。
切符を買っていよいよ乗船。車を降りてからは、乗務員に摑まって階段のところまでいき、そこからは手すりをもって自力歩行。恐らく歩けない人はおんぶして運ぶのだろう。車椅子は他の乗務員が運んでくれた。

儂についてくれたのが3人だが、予約をしてくれとフェリー会社が云うのも分かる気はする。

トイレもバリアフリー仕様ではないが、壁と柱に捕まって何とか行けた。

で、あまり眠れないまま3時間余り乗って柳井着。ここからは一般道で高速のインターへ行く。山の中の那珂(なかと読む)ICまではナビの通りに走るが、途中工事をしているところがあって、1車線の結構な田舎道を走ったりしながら無事到着。ここから美祢(みねと読む)ICまで。

途中、徳山の辺りでトイレに入る。で、美祢からは一般道で、角島へ。交通量の少ない山の道だが、あまり飽きた気がしなかった。

角島大橋着。漕いでみたら、あっという間だった。

元乃隅稲荷神社は、久々に大外れ。

帰りに通ってみたかったのが、久々の秋吉台スカイライン。これは気持ちよかった。

防府の街は落ち着いていていいなあと。

ホテルはやや狭かったが、ぎりぎり車椅子で通れた。風呂場への段差がなかったのが楽だった。

広島限定をいただく。近くのゆめタウンで購入。

二日目。帰りは、徳山まで国道で行ってそこからは高速を使った。
何とか容疑者が立ち寄った(逮捕された)道の駅は、場所は分かっていたが立ち寄らず。この辺り、車から降りるのが面倒というのはある。それでも、単車に乗っていたときも似たようなものではあったか。もう少しまめに立ち寄っていたかとそんなことを考えたり。

広島で一旦降りて一息つく。

そして、ここからは再び高速で一気に帰る。

途中来島海峡SAでトイレに入ったが、これと今治からは国道317号で帰ったのとを合わせても約3時間と少し。トイレに入らなければ3時間切っている。車を使って広島に行くと、尾道方面をぐるりと迂回する感じになるのだが、それでも近い。

角島、元乃隅、防府、そして広島市内は、少しは漕いだので、「漕走編」として別に、とするつもりだが、いつもに比べてあまり印象がない。
結局、車で行くと、道中は単車気分でも、降りてから漕ぐというのが手間で、後のことを考えて時間も短めになるしで、旅ランのときのように、なかなか感じるものは少ないのかもしれない。
それでも、単車に乗っていたときと同じで、どこかに行くために走るというより、走るために走るという感じだった。だから、周ったところは少ないが、十分満足ではあった。
車で出るということになると、腰が重いのは確かだが、もう少し出ても良いなあと思った。

後日談。周防大橋の外国の船がぶつかって12月の今日になってからやっと断水が解消されたという話。

あの数時間後に同じところを通っていたらしい。きれいだなあと呑気なことをいっている場合では全然なかったということ。









糸山から宮窪往復

2018-09-28 21:23:27 | 遠くへ~少しだけ非日常
思いついて、しまなみを渡ってみようかと。もう2ヶ月近く前になる話。

きっかけは、もしかすると数日前のこれだったのかもしれない。

勿論、尾道までは無理にしても。

糸山サンライズでトイレに行き、ここにクルマを置いて出発、ということはここに戻ってくる必要がある。これがランのときとは違う。移動距離は1/2程度しかないのに、必要な距離は2倍になる。これがしまなみに行ってみようかという気持ちの部分での大きなバリアになっていると思う。

ともあれ、どこまで行けるかは分からないが、兎に角行ってみることに。車椅子の場合は、橋までの上り坂がポイントになるが、来島大橋までのこの部分は割合すいすいと。

久々の来島海峡大橋。

しまなみ縦走の時以来か。

橋の上では、自転車の人が声を掛けていく。尾道行きも今治行きも。走っているときに比べると、声を掛けて貰う割合は多い。

大島に降りて、すぐ傍の道の駅でトイレに入り水分を買う。そしてひたすら進む。

ペースは速いとは思わなかったが遅いという感じでもなかった。宮窪までの長さも想定はしていた。しかし、最後の宮窪峠越えでかなり消耗する。

ようやく宮窪の街が見える。但し、ここから伯方島への橋までは、約3キロ。糸山まで戻る時間的にもちょっときつい。

ということで、ここで引き返すことに。ここから橋まで漕げなかったのは、かなり気分的に重い。大きな宿題が残っているかのようで。

ここからフェリーが出ているらしい。次はフェリーも考えてもいいかも。島の路線バスより車椅子が乗れそうな可能性はあるな。これは気付かなかった。気付くことができたのは僅かながら収穫。

で、街の方には行かず、元来た道を戻り、行きにチェックしておいた青果店でガリガリ君を。店のおばちゃんとしばし談笑。

再び宮窪峠越え。帰りのときは、上りの距離が短かったようで、行きほどのしんどさはなかった。これは峠にあるベンチ。

行きはパスした吉海町内で補給。平日だったのでトイレは向かいの支所に行ったが、この薬局も身障者用トイレはあった。ウォシュレットがある分、こっちの方が良かったか。

ここから橋の入り口(下田水:しただみ)までが、思ったよりきつかった。補給したばかりなのに。

そして、橋の登り口から実際に橋に入り、しばらく上りが続いた。確かに行きは楽だったから帰りはきつい。

結構、1時間ぐらい上っていたか。それでも何とか糸山に帰還できた。

しばし休憩。宮窪折り返しで正解だった。

思ったよりも高低差はあるが、路肩も広く交通量はそれほどでもないから自転車と同じように歩道を漕がなくてもいい部分は多かった。ただ、もう一度行くかと云われると、しばらくは難しそうで。やはり、往復しなくてもいい方法を考えなければと思った。伯方とか大三島からのフェリーを使うことができるなら、また、可能性はありそうだが、そこまでの交通機関とか考えなければならないことは多いように思う。

初しまなみは、なかなか厳しい洗礼を受けたという、そんな感じだった。

小分けで南九州あちこち(知覧・吹上浜・加世田・田野・宮崎市)

2018-08-22 21:53:55 | 遠くへ~少しだけ非日常
一昨日アップした九州遠征時の漕走の画像。

まずは知覧。


入院時に読んだ特攻隊の話が印象に残っていて、ここまでは何とか来たかった場所。実際は武家屋敷とかがあるエリアと、記念館があるエリアの二つが見所。記念館があるところは広い公園みたいになっていて駐車場代も掛からなそうで、ここから車を置いて武家屋敷まで漕走しても良かったが、やや小高いところにあって、そこまでの気持ちにならんかった。何というか、イメージがちょっと違った。じゃ武家屋敷はというと、車椅子では中に入れんから、通りを漕いだだけ。

ただ、通りを外れて普通の脇道を通ったら普通に田舎でほっとした。別に知覧でなくてもいいのだが。


後、行ってみたかったのが富屋食堂。中には段差があって入れず(入らず?)。建物は復元したものらしいが、感じは出ていて良かった。

ファミマでレッドブルを補給し、約1時間で知覧を後にする。充分でしょう。

次はそのまま吹上浜。

運動公園に車を止め、閉園時間を確認してから、海の近くをだいたいの見当をつけて漕ぎ始める。途中、知覧同様、特攻の記念館みたいなのもあった。で適当に道を選んで海に近付く。

これが目指したサンセットブリッジ。しかし、渡ろうとしたが階段があって進めず。

階段を探しながらだんだん細くなる道を奥へ奥へとどきどきしながら進む。

進むと海に出た。

引き返すかと、来た道を戻る。アップダウンがあって消耗する。時刻は夕方、朝から車をずっと運転している。で、駐車場方面に続いていると思われる横の道の隙間を見つけ、飛び込む。

飛び込んだはいいが、回りは松林に覆われ、先が見えない道が延々続く。閉園時間はまだ先でしかもそらも明るいが、迷子になったのではないかと、んで、行き止まりで結局行けませんとかになって引き返す羽目になるのではないかと、本当にどきどきする。もうサンセットブリッジが渡れなかったことなどどうでもいい。
で、何となくまた適当に曲がって、この先に道があるのかという不安を抱きながら漕ぎ続ける。ここでパンクしたらアウトだなと思いつつ。
で、無事に着く。後で道をなぞったら何てことはなかったが、小1時間の大冒険だった。

次の日は朝から泊まった加世田市内を散歩がてら。

何となく、ということで角を曲がり。

結構な急坂になる。登り切ってさてどうするかと思案する。

とりあえず、川沿いを漕いでみることにする。

のんびりしたいいところだったが、ホテル方面に向きを変える道がなかなか見つからない。

運良く見つけて曲がると、初めの交差点にたどり着いた。朝食開始時間を大幅に超えずに済んだ。

で、その夕方は宮崎市内の手前の田野というところ。

ホテルの回りは何もない。一番近いマックスバリューまで約1.2キロ。まっすぐまっすぐバイパスを漕ぐ。帰りが楽だったから良かった。

次の日は宮崎でシンポジウムがあるので早めに出掛ける。

時間はあったが、車を置く場所がなかなか見つからず、結局第3候補ぐらいの福祉センターに車を止め、近くを20分ぐらい。

坂を延々と漕いでそして下りて。これで落ち着く。近くの青島とか行く考えは全くなく、兎に角ぶらぶらと漕げるところを探していた。もはや中毒。

会場入りしてからも、受付とか休憩のときには常に外に出る。

まずは屋上で見当を付けてから川へ。

会場にあるシェアの自転車(?)、いいな。

昼休みは、錦町の商店街と県庁前へ。この日はお祭りがあるらしく、出店がばんばん準備をしていた。

この日の昼御飯はご当地アイスだった。

本当は、シンポジウムに行くための九州遠征だったが、さて。

県外初遠征~広島市内をうろうろと

2018-07-29 16:43:57 | 遠くへ~少しだけ非日常
久々に宇品港。

以前は呉からだったから。2年前ぐらいに三高からのフェリーで来たような。

ターミナルから、市内電車にぱ乗らず、早速漕ぐ。橋を渡る。

何となくという感じで、海側に向かう。

10年ぐらい前に、広島出張で早朝、走った記憶がある。江波でえば。

で、その頃合ったのかどうか分からない橋を渡ってもう少し西へ。地図では側道があるかどうかは分からなかったから、これは運が良かった。

その後、トイレを探すがなかなか見つからず、結局古そうな公の建物で借りる。ここの身障者トイレが凄かった。昔の和式便器の座る版みたいなやつで。流石に尻が痛くて必死で用を足した。こういうのもあるのかと勉強になった。初の県外遠征はスーパージェットにしてもトイレだけはなかなか安心してできなかったか。

平和通りに出て、歩道を黙々と漕ぐ。左右の傾きが結構あるのと、車道に降りるときの段差、歩道自体のでこぼこなど、なかなか手強い。

何とかマツダまでたどり着く。試合開始から少し経っている。これは予定外。

それでもチケット売り場はまだ人がたくさんいた。何人ぐらい入ったのだろうか。

二軍の試合だったので、車椅子席付近も自由席だったから、立って見ている人も多くて見づらかったが、暫くすると人がいなくなって視界が開けた。折角なのでいろいろなところからのんびりと観戦した。

麦を並んで買うときとか、運ぶときとか、何とか事なきを得たが、なかなか大変ではある。

それでも、約2時間満喫して港へ戻ることに。まだ漕げる。

広大の医学部の傍を通って南へ。

道は正直わかりにくい。何となく南、で進む。

昔は鉄道が通っていたらしい。

ここを潜って西に向きを変える。

良さそげな公園があった。ここを通っても行けるらしい。で行く。がしかし。

自転車用の進入防止策につかまる。仕方がないなと思いつつ、何か悔しい。

行けるはずなのに。

柵の脇の階段。この幅では車椅子は通れない。通れないとは思うが、結果的には通れた。今考えてもどうやって通ったのか思い出せない。前輪は上がったが、後輪を持ち上げたところで、階段の幅に両輪は乗らないし。片手で柵を持って、片輪を宙に浮かせて進んだか、そんなようなことをしたか。

何はともあれ。

こちらの入口は普通に通れた。で、港についた。

やれやれの船内。

もう一つ後の便でも良かったかと思いつつ。

港から駅までの海沿いの道までも満喫できた。

今日は台風通過のため何をするでもなく一日家で過ごす。

ただ、家人がキング軒の汁なし担々麺をネットで買ったので、それをいただく。
へえこれも広島か。

三江線一部だけトレースしてみた

2018-04-07 19:27:49 | 遠くへ~少しだけ非日常
去年の秋。
三江線トレッキングって云うイベントがあったらしい。丁度国体ボラと重なり断念せざるを得なかったのだが。この三江線は、今年の3月に廃線になるとかで是非行きたくて。で、走れなくても全部乗っても良いやというぐらいに思っていたのに、やっぱ走りたい、ということになって。で、石見銀山の翌日決行する日程に。

早くに寝たわけではないが、結構夜中から目が冴えて。で、30分以上前にチェックアウト。
昨日買い出したコンビニで、何を買うか迷う。900ミリのジュース(スポドリではない)と、卵サンドとチョコクロ。腹は減っていたようで。で、待ち時間の駅で卵の方を食う。
ベンチで寝ている人2名。ここは夜中に入れるようで。ふーん。今なら風邪引く感じでもないし。まあ蚊には食われるだろうが。

駅員さんに「うつい」まで行きたいというが、そこまでは買えないらしいので、電車の車掌さんに言ってくださいと云われ、その通りに購入。後で乗ったらワンマンでキップは必要がなかったのかもしれない。

江津で乗り換える。綺麗な電車の向こう、3番線。
三江線を走るディーゼル。
やはり朝、江津に泊まっていた人はよく見えそうな席とかボックスに陣取っていて、で、一人旅の方々や、浜田からの乗り換え客は、儂のように長いす席で。この点に限れば、江津でホテルが取れなかったのは残念。
来春廃線になるというのもあるのだろうが、駅に泊まる度に、景色が開ける度に、車内をスマホや一眼持った人が移動する。気持ちは分かる。

出発してしばらくは、中国(地方じゃなくて国の方ね)の川を上っている感じ。確かにこの川、標高差があまりないので流れは緩やか。
儂はと云うと、車内では、景色を見ながらぼんやりと。朝から呑んでも全く問題なかったが、持ち前の貧乏性で、少しは走ってみたいということで、それでも途中まで2時間余り。

なんで「うつい」で降りることにしたのかというと、ここから先が、島根と広島の県境を云ったり来たりする感じで面白そうだったからで、この駅自体のことは全く事前リサーチしていなくて。で、云われて降りたら、ものすごい高さの駅でびっくり。

こんな感じで高いところから周りがよく見える。


汽車を見送り、百段あまりの階段を下りる。

駅を見上げる。もう大当たりやな。
で、ここからしばらく、三江線のそばを走る。線路を走るわけにはいかんので、そこはほどほどの距離感を持って。

山奥に来たなあと云う感じがするものの、標高は100メートル余り。で、川を遡る感じで走るのに標高差があまり変わらない。くんっと変わるのは20キロぐらいたってから三江線を離れて高速バスのバス停を目指してショートカットしたとき。

で広島県へ。

2時間汽車に乗っていて充分だったが、時間はまだ8時半ぐらい。今日はこの後、高速バスの時間まで。ゆっくりゆっくりと行きたいが、さて。

このトラスト橋は、汽車は上を走るとのこと。


次の駅を目指す。

駅を一つ一つクリアする走り方。
身体はそんなに動く方ではない。ただ景色があるので苦ではない。

向こう側が島根県。やや狭そうで、あっちはどうなんだろうかと思いながら走る。
そもそも今回は、石見銀山の方を走る計画でこちらは走る予定ではなかった。でも十月の末の「えひめ大会」の時に全線走破(100キロ以上)のマラニックのイベントがあって、いいなあいきたいなあ(その日はボラが入っている)と思うようになり、なら、一部でもいいから走ってみるかと云うことで。

一人で全線走るには、泊まるとことかの勝手が分からんし(恐らく途中で「普通に」泊まるホテルはない)。2泊はさすがにできんし。こういうのだけはイベントに参加せんといかんのじゃないかと(岩国みたいに)。でも、部分だけなら充分走れるし。

で、予定していたところで再び島根県側へ。ところが、落石の関係で通れないらしい。
割合、通れないと云われても行くんですが(以前これでえらい目にあった)、今回は具体的になんとかさん家からなんとかさん家の区間、とかそういうことがかいてあったので止め。

再び戻って国道を。

せめて国道脇の旧道をと思ったがここも封鎖。
まあ景色は穏やかで、何より音を感じない。

標高はそれほど高くない。

川の流れも空気の流れもゆるゆると。時間の流れも。

で、ここで渡ろうと思ったが、ちょっと腹具合が怪しい。もう少し先の「川の駅」にトイレがあればいいがと念じつつ、橋をパス。

さっきの島根に行く橋のところで表示を見ておいて助かった。それらしい名前だったので。

この夏、自販機限定ということで気になっていたライチを買う。失敗。ゲップがライチで気分が悪い。おまけにカロリーオフでもないし。まあいいか。

で、島根県側へ。ここから再び広島県入りを目指す。

作木は広島側の地名。でもこことこのバスは島根。

道が狭くなって、どきどきする。夏の山道は何が出てくるか分からんから余り狭いのは選ばない。

しかし、いい。

右手に三江線の線路、左手に江の川。その間の細道を行く。今日のハイライト、やねえ。

地図上は、ここで広島県。


線路の傍を右左。イベントではこういうところを走るのだろう。こういうところばかりではないのかもしれんが。
来といて良かった。

開けたところに出る。

三江線の線路に合わせて、安芸高田から三次へ。

踏切を渡る。

家がそこそこある。写真にはないが白壁ではなく土色の蔵(?)が珍しかった。


で、江の川は、この予定していたところまで。帰りのフェリーのことがある。

ここから高速バスのバス停へ。吉川。自販機がいいところにあったが、欲しい物がないので、パス。しかしこれが失敗。

踏切を渡る。後鳥羽上皇をパス。

いきなりぐんっと上ったと思ったら結構続いた。毛利輝元は、どれぐらいあるのか分からんのでこれもパス。まあこれは仕方がない。残り時間が割合読めない。この坂と刻むペースと。

ここはここで景色は悪くなかったが、兎に角まだ上るかみたいな感じで。暑いし水分切らしているし。ようやく周りに高い物がなくなって峠を越す。越したらそんなに距離は遠くない。

ただこの辺り、しんどくて「あと少し」じゃなくて「あと一つ」を唄っていた。走りながら。本当にしんどくてやられていた。

で、本当にふと右を向いたときに、精米器のそばの自販機があって。こんなところに何故精米器がというぐらい周りに何もないところ。

で、「野汁」。なんでこれにしたんかねえ。

で、復活。降りる。

やれやれ。

で、10分か15分か。自販機見つける。ヤマザキの安いのもあるよ種類が揃っているよみたいな。まあ、こういうのは必要なときでないと必要ではないから。

で、少し行くと、チェックしておいたエーコープ。バス停近くには何もないようだったので、まだ2キロ以上あるが、ここで麦を買う。持ってきた保温バッグに入れて出発。氷があればいいんだが流石にないようで。重くなるが、今回はウエストポーチではないので、そこまで走りにくくはない。写真撮るのを忘れる。遠くに見えるかな。

バス停の場所は、キョリ測とグーグルマップでは違っている。このため、時間的に余裕が欲しかったということ。

先にキョリ測の方へ。

はずれ。

次にグーグルマップ。

アタリ。

着いた。20分ぐらいあるので、1本。

で時間になっても来ないので、ん、となっていたらバスターミナル行きが通過してしまったので、あら満席でとばされたのかもう30分待たねばと思い。2本目を空ける。すると5分ぐらいしてお目当てのが到着。さっきのは別の路線だった。早とちり。やはり呑むと判断力は鈍る。で、バスで、3本目。でこの後、駅での乗り換えとか5分なくてぎりぎりのタイミングでいつもの呉へ、なった。

結構な巨編になる予定が最後はいつもの如くどたばただった。が、予定通り帰れた。本当は三次の方が古くからの街でそのまま行っても良かったんだろうが、これはいつもの如く後で分かったこと。
奇しくも、旅ランはこれが一応の最後になった。そんなこと、この時点では知ってるわけもなく。
でも、最後に相応しいランだった。

石見銀山街道

2018-03-27 19:30:27 | 遠くへ~少しだけ非日常
2017年の残り1日の夏休みを取って対岸へ。「遠くへ」のカテゴリーでは最後から二つめのラン。

見慣れた風景である。

この日は、ニューザッグ。この容量が丁度良い筈(結局この1度しか使わんかった)。

呉から広島へ。バス待ちでしばらく走る。

城の周りを走り、聖地を訪れ、朝御飯食べてバスターミナルへ。いよいよ。

石見川本までは、広島から大田行きのバスに乗った。途中長めの休憩があって、割合お客さんも乗っていて。県境を越えて暫く経った頃に漸く着いた。2500円は仕方のない金額。随分奥地まで来た感があったが、これでも標高は100メートルいかないぐらいのようで。

商店街を抜ける。と、この頃から急に雨脚が強くなり、空き家の軒下に一時避難。スマホで雨雲の様子を確認する。
行くしかない。行かないという選択肢はない。さっきのバスに終点まで乗っていればとりあえず着くには着くのだが。

三江線の線路沿いに暫く行き、江の川を越える。大きな川。とりあえず雨は小休止。

ここから、川と離れ、銀山街道を走る。

石見銀山街道というから結構期待して行ったが、実際走ってみると、結構整備された二車線の県道。途中史跡とかそういう見るものはほとんど無かった。ついでに云えば店も自販機も、見事なくらい広い何もない道だった。

ところどころの集落は、天気の影響もあって何となく長閑と云うより寂しさも感じる。加えて雨が良く降る。

20分降って15分休み、みたいな感じで何度も何度も濡れる。ただ、夏のランは乾くのもそこそこ早い。おまけに上りが延々続く。脚を交互に出していれば何とか着くはず。
気温表示はタイミングが悪く消えていたが、28度ぐらいだったか。涼しい方。広島まで100キロの数字に見入る。

ゆだに温泉、とある。今どの辺走っているのかイメージできない。あまりに目標物が少ない。
それでも山が迫ってくるというよりは「里」の光景。じめっとした空気はなかなか体力を消耗するが、悪くない。とりあえず淡々と走ることができる景色。

珍しく自販機。横のまむし注意にびびる。

この辺りでようやく下りに差し掛かったか。それほど上りは苦にはしなくなったが、やはり下る方が楽。山に雲がかかっている。あの辺りが銀山かなと思ったり。

いっぷくとかかれていたが先に進む。自販機に丁度いい感じのが無かった。このマンゴーは興味があったが、失敗するリスクの方が高い。

喉は結構渇いてきている。朝コンビニで迷いに迷って調達した900ミリのポカリ。フェリー、バス、ランと少しずつ摂取しここに来て漸く無くなる。

下りっぱなしでもないようだ。車は少ない。道は広い。

ここも大田市かと思いながら通り過ぎて、ん、と引き返す。アイラブピース、知っている映画。

対向車線側に見える。ここの自販機は、と表に回る。

自販機の種類が今ひとつでここでも買わず。ただお土産物屋さんは営業していた。結構良い感じだった。

と、世界遺産のセンター。ということはもうすぐ。

で、アプリで地図を確認し、トンネル手前を左へ。

まだまだ記憶はおぼろげ。時間にそれほど余裕があるわけではないが、まあとりあえずとゆっくり進む。

何となくこんな感じだったか。五百羅漢の辺り。

傍の自販機で漸く水分補給。以前来たときは自販機は少なかったが。

「間歩」へは2.3キロ。往復で4.6キロ。キックオフリターンでも30分はかかる。でも、行きたかったので珍しく躊躇せず行く。

これで行っても良いがなあ。因みに前は無かった気がするレンタサイクルでみんな間歩までは移動していた。でも、これが結構な勾配なので疲れるのは同じか。時間は短縮できるだろうが。

この橋は、何となく思い出した。

この辺りも。
子供達よく歩いたなあ。間歩といっても採掘跡の穴というだけで、どんなものかイメージできていなかった筈だが、躊躇無く普通に歩いていった。

鉱山跡は、その人口の多さから、かなり賑わっている様子が残っている。お寺が多いのもその一つではないかと思う。別子の「とうなる」は小劇場とか映画館もあった。天空の城というか天空の街だったし。

だんだんとお目当ての龍源寺間歩へ。

この辺り、前は自販機がなくて、ペットのジュースを道で売っているおばちゃんから200円で買った。

おまけにと鉱石もらって、結構良かった。

今はこういう感じ。

入場券売り場を見ないようにして、ちょっとだけ写真撮影みたいな動きで入り口を覗く。この距離で、中からの冷気が当たってくる。ここで子供たちのうれしそうな顔を撮った。

見たのは20秒ぐらいか。直ぐに来た道を引き返す。
行きにはない光景が目に映り、しかも下りでまあまあペースも上がる。

途中で、直接町並みに突入する。ここも歩いたなあ。

店に入って冷たい物を食べた記憶がある。ちょっと高めの。

で、ここでコーラを買う。天気が回復して気温が上がって水分が必要になっている。

またアイラブピース。ここでも。

で代官所跡。いつものように見るだけ。

そのまままっすぐ出たので、県道に当たる。旧道も一応調べていたが、もう良いかとそのまま仁摩を目指す。残りわずかで有り難い。かなり消耗していたし。

トンネルを出て、淡々とさっきのような道を走る。海に向かってなので下り。

ところどころ、分岐がある。思ったより時間があるが余裕はないので寄り道はせず。

で何だと思って寄り道をする。見える距離だったので。石見城。

で建設中の高速の下をくぐり。

目標のサンドミュージアムが見えた。家族で来たときはここには寄らず、水族館の方に行った。で浜田から帰った。

とりあえず、まだ30分以上はある。麦が買えるコンビニを確認する。まだ買わなかったのは、海が見える場所はあるだろうか、少しだけチャレンジしたかったので。

踏切を越えて再び走り始める。

川を越える。

スマホで確認しながら河口に向けて進む。地図上に道はない。そこが開けているのかどうかも分からない。

何となく、で、左に進み。


日本海を捕まえる。

沖に光が差している。久々日本海、です。

で、時間も押しているのでこの後急いで駅に向かうが、ショートカットを目論んで失敗し、全然違う港の方に出てしまう。

駅に着くが周辺はなにもない。でまたさっきのコンビニまで走る。

島根に来てご当地物を呑んだのはこれだけだったから貴重だった。浜田のセブンには置いてなかった。

で予定通り乗り込む。ボックスシートが有り難い。

約1時間。

明日のことを考えるなら江津に泊まるべきだが、早くにホテルが埋まっていた。で浜田にした。まあこれは許容範囲。知らなかったが、石見神楽の本拠地。

ホテルの場所を確認する。昔っぽい雰囲気のビジネス。カプセルは当然ない。
で、この後は、セブンと大阪王将で御飯を買い込んでチェックイン。
失敗したのは、水を買って無くて喉が渇いたのと(自販機が下まで降りないとなかった)、メガネを持ってこなかったので夜中にそういう動きがとれなかったということ。まあ、たいしたことではない。
石見銀山への道は、本当に淡々と走るしかなかったが、銀山と最後のおまけの海で充分。
行かせてもらって正解だった。感謝。

熊野を経て広まで

2018-03-07 08:15:44 | 遠くへ~少しだけ非日常
朝、銀山町(かなやま、と読むのだが音訓のごちゃ混ぜをはじめ広島は読み方が難しい地名が多い気がする)のカプセルを出る。6時前。

猿猴(えんこうといって河童の一種らしい)川を渡ったところのファミマで朝御飯。

水分と汁もん。昨夜はよく呑んだが今朝その痕跡はあまりない。

走り始める。大洲通りを東へ。マツダを見る。来年は来れるかなと(これは別の意味これを打っている10月25日の時点でも思う)。

広島高速2号線をくぐり、マツダ本社前を過ぎる。その先のコンビニで最初の補給。まだ1時間経っていないが、いつもは起きた後は1リットルぐらい摂っているからそれに比べると水分不足。

安芸区から海田市に入り、国道31号へ。自衛隊の駐屯地を見ながら熊野別れ、そして県道34号へ。狭い道で難儀する。その割に交通量は滅茶苦茶多い。

信号待ちで100円自販機を見つけ、補給。走るペースではなく補給ペースが早い。で、案の定この先5分もしないうちにコンビニがあった。まあ昨日(五日市までのラン)だけでなくいつものこと。

登っては振り返る。結構な勾配である。登るのはきついが景色はいい。

広島熊野道路の下を潜ったら、昭和入口。勾配がきつくなる。もう一踏ん張りとずんずん行くと峠を越える。

筆の町熊野に入ってまず何をしたかというと、補給。このアイスと炭酸を買う。気温もそこそこ高かったようで。昨日44キロ走の影響か、消耗が激しく、ここでショートカットして呉に向かうルートにするかと迷い始める。丁度この萩原夏祭りの辺り。熊野の筆関係は綺麗な観光向けの建物が多かったが、特に立ち寄らず立ち止まらずで写真もない。

ここで呉に向かうと、着いてから暇を持て余しそうだという理由(というか計算)により、予定通りそのまま34号を黒瀬の方に向けて進む。山道山道。峠を越える。

そして長めの熊野黒瀬トンネル。

黒瀬町といえば、昔(といっても高校生ぐらいのときか)深夜の報道番組でドイツかポーランドかの自治体から「アウシュビッツ」に関する記念館を作るとか言って沢山のモノが寄贈されたが、町が一向に約束を果たさずに役場の隅にそのアウシュビッツ関係のモノがほったらかしになっているとかいう、結構な問題が示されたドキュメンタリーがあったことを思い出す。あのアウシュビッツはどうなったんだろうかと思いつつ。でも。景色にはアウシュビッツは全く出てこない。当たり前。日本の山間の町。

ここで、町中心部には入らずに、ショートカット。336号線。長閑な風景が続く。

自販機を見つけて炭酸購入。限定ライチにも惹かれたが冒険せず(このライチは残りの夏休みを使って行った三江線トレースの時に買ったが失敗だった)。

高速(東広島・呉自動車道)の高架の影で、残りの距離を確認する。まだ15分ぐらいしか経っていないのに再び水分を摂る。思ったより身体はきついと訴えている。

え、もうここから呉市、というぐらい少し行っただけで市境を越える。でも景色はまだまだ山間のまま。ゆっくり行けばいいかと思う。それでも、フェリーの便数には余裕があるが、丁度2時間近く待たなければならなくなる狭間の辺りだから、少し迷う。じゃあもう一道草すればいいようなもんだがそこまでの余裕はない。

黒瀬川を渡り国道375号へ出る。運良くお店を見つけるがアイスが置いていない。おばちゃんがすまなさそうに。いえいえ。

気を取り直して少し行くと、古いヤマザキが。お店やっとんのかなと、入り口を見たらちゃんと営業していた。いつものガリガリ君。後で地図を確認したら、国道に出たときに200メートルぐらい逆に行けばファミマがあったらしい。いつもの結果論。

二級峡は建設車両が川に入っていて、何やら工事中。思ったほどに見通しも利かなかった。徐々に下って呉の街を目指す。呉といっても広くて幾つか賑わっているところが分かれている。広と阿賀と呉中央。因みに阿賀は昔堀江からフェリーが出ていたところで単車に乗っていたときは一番よく利用していたので馴染みがある。今日はその内の一番近い「広」というところまでか。フェリー乗り場まではしんどそう。

街が近付いて来た辺りのコンビニで再度エナジー系。

国道375号から185号へ。古くからの繁華街感有り有り。

新広駅着。駅も周辺もこじんまりとしていて少々予想外。反対側の広駅の方がさっきのT字路のような雑然とした雰囲気がしていたのかもしれない。予定通りの便で帰ることに。と、その前に、国道向かい側のセブンで補給ではなく御褒美を。

ホームで慰労。やっぱり「広島に乾杯」で。今日はショート缶。

で、呉に向かう。まだ陽は高いが、これぐらいで充分ではないかと。

バテバテながら、この日も37キロ余り。登りは最初の熊野別れからの矢野辺りのみで、ぽんと500メートルまで出ているのはトンネルだから、そんなにガツガツ登った感じではないが。
しっかり走れたので良しとする。