きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

半分足りないぐらい讃岐街道でおはかまいりへ

2017-06-10 17:00:52 | 遠くへ~少しだけ非日常
今日は必然的におはかまいりへ。
そして今日は国道ではなく脇道の県道を行く。まだ特急ではない朝イチの路線バスが走った頃に、逆向きに走ったことはある。以下、今日の風景。

こんぴら街道とか讃岐街道とかトレースを試みるもリサーチ不足でこの辺りが今ひとつ分からんのだが、とりあえず分岐が結構あって、トレースしづらい。結局この先が分からず、一旦国道に出る。

すぐ県道へ。久々の道。

最近できたらしい名前忘れた。平日ならバスが通っているので、地麦でも売っていれば是非寄りたいが。

分岐を右へ。

お地蔵様。

これは助かった。間違えるところだった。食べられたくはないので左へ。

街道というより普通に山道。アップダウンがそこそこある。

で分岐。この辺りは何度か来ないと分からん気がする。

少し降りてきた感はあったがまだまだ高いところを通っているようで。分岐を右、そして高速の下をくぐって更に分岐を左。表示があるので有り難い。

で表示のないところで案の定間違える。家の傍には飼い犬君。軒下でスマホを弄っていた方に「行き止まり?」と尋ねる。当然のように肯定。引き返す。儂のスマホはアンテナ立ってなかったぞ。

さらにアップダウンを繰り返して進む。もう市境越えたのかどうかさえ分からん。

そういえばここは走ったな。121.1ポイント。

で、一旦降りてまた上がる。こんな感じで来た道を振り返ると結構上っている。

最後と思われる峠を越えて、下りをゆっくり走っていたら蜂に追いかけられる。影が近付いてきたので分かった。全力疾走で蛙の石へ。蜂も怖い蛇も怖い。山は行かんに越したことはない。因みにこの辺りはまむしをはめという。

ようやく見えてきた。

で、バス通りに出るが、時間が中途半端になったので少しだけ寄り道。中学の部活のときのランニングコース。3キロもなかったはずだがこれがきつかったのを覚えている。35年振りか。どう見ても飼い犬じゃない野良君が見えたので撮影。

おはかについた。1号2号3号にごあいさつ。御先祖様にも。

もう余力は全然残っていない。29キロ4時間で終了。夜は呑み会だが、もう我慢できんということで3本空ける。
距離はたいしたことはないが、アップダウンが多くて苦戦した。帰りの特急バスで爆睡する。

吉田町吉田藩

2017-06-06 20:45:00 | 遠くへ~少しだけ非日常
昨夏のこと。所用で南予に出向く。

卯之町から出発。早速腹が減り、コンビニで握り飯を。御飯が欲しいのは、この前に行った日生同様。

南へ向かう。この辺り、以前勤めていた職場の知り合いの家があったり、転勤早々に職場の方々と一度だけ来たことがある店があったり。

でトンネルへ。ほけつ。

長いトンネルを抜けると旧吉田町。

町内まで一気に駆け下りる国道の右手には、宇和海が見える。好きな光景である。

短いトンネルを抜け、海を見る。

またトンネルを抜け、海を見る。

高知まで216キロ。一気に行くには遠い距離。

だんだんと海が遠くなり、密柑山。その合間にハウスと線路と軽トラ。

降りてきた。旧道は単車でも行ったことがないな。どんなもんだろう。

太刀巻の店。内子にあるのと同じか。太刀魚を巻いて焼いているヤツ。

この店は昔カレー屋だったはずだが。

この辺り、国道のみの一本道のようで実は海に抜ける道がいくつかある。

で吉田駅。蜜柑の大がかりな集積場に隣接されている駅で歴史を感じる。

吉田町内に入る。町というより藩という感じの落ち着いた佇まい。

ここで、トイレへ。

しばらく走るとイチゴ大福の店。昔家族でドライブしたときに大急ぎで買った駐車場がなくて信号のそばということもあり。

藩を抜けると再び海へ。今度の海は近い。

峠に向けて坂を上る。

再び海。ただ、これで今日は最後の海。

再び上る。きつい。

峠を越えた。やれやれ。

昔からある予讃線の線路と。

最近できた高速道路。

左手の金色は熊か。これは以前からあったかどうか。

このスタンドのおねいさんは昔からいたと思う。代替わりしたのか容姿衰えず以前の方か。

そろそろ北宇和島。JRの時間を気にしつつ急ぐ。

高速をくぐるとぼちぼちの筈。

時間が気になるが駅の手前で補給。暑い。

到着。小さな小さな駅。以前江川崎が最高気温を記録したとき、この駅で予土線に乗り換えて行った。

その予土線はトロッコが走る。新幹線も走る。今度はこいつに乗って四万十に行くのも良いかもしれないと思った。

閑谷学校を経て日生そして播州赤穂まで

2017-05-25 18:08:12 | 遠くへ~少しだけ非日常
昨夏の話。

一昨年から2ヶ月に一度発売される特急乗り放題切符を買い、今まで行けなかった「四国の裏側(東側)や真ん中辺り」に行き、走ってきた。

今回は橋を渡る。

広告も違うな。

今回の出発は、ここ和気駅から。児島で乗り換えて岡山経由で一番時間の無駄なく行けるのがここまで。ここから先は待ち時間が長くなってあまりよろしくない。

しばらく川の傍を走る。

やがてJRの線路が。そして貨物列車が。

再び川の傍。長閑である。

川の傍の道がなくなり、降りたら其処は酒屋のような感じ。

赤穂、そして閑谷学校という表示を頼りに曲がる。まだ5キロも走っていない。

働けといわれるのは嫌である。指示はされたくない。

備前市に入り、すぐにコンビニを見つける。トイレも、だが腹が減る。

炊き込み御飯の握り飯。普段はアイスだが、腹にずっしりとした物を求めてこうなったと推察できる。

南に進路を取る。山に入る。

ようやく第一の目的地へ。左の道を選択。

こちらもトンネルだった。

到着。昔職場の旅行で来たな。15年ぐらい前のことか。


建物が映える。入場料は払わず。充分。

儂としては、ぶっかけが気になる。

この辺りが門だったらしい。

高速か。

下って田舎ののんびりしたところを走る。

山本旅館さんは営業しているのだろうか。

で、大きな道路に出て日生に向かう。

高架をくぐる。

腹が減ったと思った頃に、ほどよくお店を見つける。伊賀商店さん。手で開ける。

ちょっと珍しめのやつを。中国地方ならではか。

目指すは国道250号。昔単車では来たことがある。

川沿いから海へ。

海をすぐ離れて国道を東へ。高架をくぐり川沿いを走る。淡々と。

夕立受山というのはあの山だろうか。

まずは目指せたまちゃんかな。

川沿いから線路沿いへ。

備前から日生へ。

日生の町は古くからの町のようで雰囲気が良かった。

島も結構あるらしい。

ここで水分購入。一番安い炭酸。

港町、フェリーも。

このカキオコというのが気になって。後で調べたら牡蠣入りお好み焼きとか。結構地元の名物らしい。でもそれぞれ単品ならどちらもヒロシマ名物ではなかったか。

しろちゃりも。

よく俯き加減で走るのでこういうのも目に入る。これも港町。

時間があれば行っても良かったか、というよりややばてていたのも事実。

日生大橋。きれいな橋である。正式名は備前(ハート)日生大橋。本当。

日生を離れ、海を見ながらさらに東へ。

やがて川沿いへ。JRの鉄橋が見える。

川の横を走っていたら、道がなくなって階段で国道に戻る。

国道につながる広くて新しい道。どうしてこれを撮ったのか忘れた。

そごう、と読むらしい。

そしてこの近くにたまちゃんが。ここはカキオコやっとんやろか。

景色はだんだんと里から山へ。

峠の手前に良くあるドライブインというか食べもん屋を経て。

県境越え。

道は同じだが、ここからははりまシーサイドロード。備前の国から播磨の国に。

どんどん下る。街が見えてくる。

田圃の中を赤穂線。

天和駅、ということは後どれぐらいかと考える。あまり気持ちに余裕がない。バテているのが分かる。

赤穂までは、まだあるような気がする。

ゆらのすけ。

セブンを見つけて補給。そして、食べながらそれがなくなるまで走らず歩く。もう片方にはスマホのキョリ測。さすがに峠を越えて相生まで行く時間も気力もないが、赤穂を越えてすぐのもう一つ先の駅までなら行ける。ただ周辺に何もなくてさっきの駅の様子から考えると麦を買えるかどうかが怪しい。
赤穂駅までなら時間に余裕があったので城まで行くかと思っていたが、それすら気持ちにゆとりがないことに気づき、播州赤穂駅までの最短ルートを走ることにする。

駅に向かう途中に、門の跡を通る。でっかい城だったのか。

駅に到着。やれやれ。

城には行けないが駅の先のイオンまでは行ける。気分の問題である。

色とりどりで購入。

慰労。ボックス席は落ち着く。

日生の駅を過ぎ、岡山へ児島へ。

児島からは特急で。有り難し。

見事に塩を吹きました。

40キロ行かないのはやはり課題。でもこういうところまで行けることには感謝。

西讃の想ひ出

2017-05-12 17:25:00 | 遠くへ~少しだけ非日常
夏のとある日。前日に鈍行乗り放題の切符を買い出発。

丁度賞味期限の日。

毎度のことながら、駅に着くまでがなかなか怠い。今日はここから出発。高校の時に泊まりがけで練習試合に来たのを覚えている。試合とかその前後は覚えていないが、旅館で先輩方と神戸M君、堺S君は遅くまで麻雀していたような(儂は大人しく就寝)、そういう要らんことは覚えていたりする。

街はまだ車が少ない。山の方へ行く。

山はもっと車が少ない。

途中、面白そうなもんがあったので撮影。

金比羅さんはあの辺りかと思っていたら大間違い。手前の小山らしい。ただどういうとこなのかは分からず。

西讃は安いセルフ式のうどん屋さんが多いが、ここは高そう。でも客も入っていそうで。

さらに山のほうへ県道を進む。夏なのでペースは上がらん。勿論夏以外でもそう上がったことはないが。

峠とまではいかないが一番高いとこが終わるらしい。

下ると国道が見える。で、国道脇のファミマへ。

糖分補給。

で、気がつく。何年か前に家族で金比羅さんに初詣に来たときに立ち寄ったコンビニだわ。思わぬ「再会」に少し嬉しくなる。

国道からは約1キロ。でも立ち寄らず。あるというのが分かればそれで満足していたりする。いつもの如く。

で、再び県道に入る。

香川が地盤のマルナカで購入。やはりスーパーは安い。普段の補給は炭酸だが、これにしたということは、結構暑いということ。

でっかいうどん屋。ここもセルフとは違った良さがあるんだろうか。儂は珍しいからかやはりセルフが好きだが。

少し車の往来が減った辺りで見かけたここは、どうなんだろう、ねえ。

で、黄色とか緑色とか見ながら進む。まだまだ半分ぐらいじゃないんか。

曲がるところが分からんかったが、この案内板のあるところからとりあえず峠越えへ。でもこの地図も見方がよく分かっていなくて半信半疑。

川を渡る。スポドリがなくなる。大丈夫かと思う。

ゆるやかに登る。

峠の辺り、蕎麦屋があるらしいが、あれかな。

しばらく下って分岐に出る。ここは左。スマホで確認する。分かりやすいとは言い難い。

また登る。

峠の辺りに池がある。

そこから下る。ようやく町境。

まだまだかかりそうな感じ。

この案内板を見つけてようやく見通しが立つ。もうすぐ30キロぐらいか、いやまだが。

淡々と走り、里から街へ。

これも懐かしいうどん屋。これも家族で来た。さっきのコンビニといい、このうどん屋といい、全く事前の予定にはなかったところ。ルートを決めたのも、当日の行きのJRだし、この辺りは県道が幾つかあるから、ここを選ばない可能性も十分にあったわけで。
不思議といえば不思議。

これも珍しい出汁の自販機。ネタにはなるが荷物にもなるので購入はせず。

再びマルナカで水分購入。良く持ちこたえた。

街の中へ。

国道を越えるとあと少し。

目指す競技場が見えた。

ここで知り合いの試合観戦。

石が食い込んでいる。激走の跡、は大袈裟か。

競技場を後にしてJRの駅へ。ここからが実は一番しんどかったりする。一旦走るのを止めているので。しかも道を間違える

ギリギリに出たのでペースを上げざるを得なくなる。しんどいのにもう。

池を越える。後半分ぐらいかと思う。

やぎさん。

一旦反対方向に走ってコンビニで麦を調達してからゴール。3分前ぐらいだったか。着替えは駅の下の道端で。

しばらく脱水状態なのか、何も欲しいと感じなかった。身体が火照ってとにかく朦朧の一歩手前。さっきまで来ていた汗びっしょりのTシャツを膝に置く。太股から身体の熱がほどよく取れて、3駅ぐらいで漸く小康状態に。で呑む。

1時間ぐらいしたら復活。復活直後は、この高いのを呑む気になれなかったが、落ち着いたら大丈夫だった。無事に帰り着く。

いろいろとコースを検討したが、夏に40キロはきついだろうということで。

このルートに落ち着いたが、結局帰りのJRまでも含めるとそれぐらい走ったことになった。

思わんところで「再会」があって、しんどかったがトクした気分になったランだった。

国道379号一気

2017-05-05 16:27:00 | 遠くへ~少しだけ非日常
2、3年前から計画していたが、距離が長いのに加え、途中が何もないという点で結構二の足を踏んでいたが。
で、7時過ぎに出発。30分遅れたのは、スマホの充電忘れていた為。

漸く目指す国道の入り口。この時点でバテている。

有名な断層を過ぎ、ひたすら登る。

この3連続のトンネルを越えると下りになった。黙々と登った。

しばらく行くと集落があった。閉校の文字が重い。ここはバス路線も廃止になった。なかなか走る気にならなかったのは万が一の交通手段がないからでもある。

そのバス停跡には、こういうのがある。聞かんかったけど。

道の駅で小休止してさらに進む。ここまで約4時間弱ぐらいだからペースはいい方。半分は終わったということで気持ちは随分楽である。道の駅を過ぎてすぐ、3年前の大会だったかかなりきついクラブ駅伝の会場を通過。

内子に入る。こちらは予約制だがバスがある。左は久万高原へ。登りがきつそう。

気分的にはここから380号との分岐までの約10キロがなかなかキツイ。ペースは落ちるが慌てないで刻むように心掛ける。

お昼だけやっている饂飩屋さん。お客様、来てくれるかなと思いつつ。儂は、やっぱよう入らんなあ。食べた後走れん気がして、ねえ。そんなことを想いつつ進む。

分岐の手前で新しいのを買う。バテ具合と、自販機の具合から考えて結果オーライだった。ここから目安としては後2時間。

曽我の墓は結構興味あったんだが。まあいいかとパス。

内子へ向かう道はそこそこ自販機とか多くて走りやすい。道端の家の納屋で、お百姓さんが集まって呑んでいていいなと思った。

直後に、大瀬に入る。何年振りだろうか。このときに広島のビアフェスタに行っているムスコから垂涎の画像が送られてくる。

スマホの電波の掴みが悪くて時間をかなりロスするが、メールを無事に確認できたこともあり、ペースが上がる。途中お遍路さんに会釈しながら進む。外国の方にはこの会釈が通じない。日本独特なんだろう。

ペースが落ちそうになりながら、維持できたのは距離表示のお蔭。有り難し。正確ではないように思うが、キロ7分から7分半を維持。

目指す道の駅が見える。約50キロ余り。まあまあ、か。

バスが後15分で来るというので予定を変更して、準備をする。そのバスは25分遅れてやってくる。麦がぬくなる(温かくなる)のを気にしながら待つ。バスの車内の方がJRよりリラックスできるのは確かだからここは我慢。まあ、長かった。

ということで、長年の課題はあっさり過ぎるぐらいに達成。去年の連休で、美川と横峰さんを連続で走ったのが、結構効いている。去年はその後、時々ロング走しっかりできたし。
明日は、天気も何だかなあなので冬物の片付けでもするか。
ムスメも帰っているので遠出は控えようかと、まあそんな感じです。

都留を出て片倉へ

2017-04-27 21:06:23 | 遠くへ~少しだけ非日常
でつるぶんの続き。

つるぶんを辞めた後、自宅浪人を経て、G大に補欠で拾ってもらった。この半年、そんなに身を入れて勉強に専念していた訳ではなくて、冬になる前には事故起こしたりして相変わらず何やってんだという感じだった。不処分にはなったが、裁判所に親について来てもらったときの情けなさはよく覚えている。

補欠合格までの道のりも平坦ではなかった。それまでは、最近急に駅伝が強くなったあのA大の夜間にだけ受かっていた。昼間の方は落ちた。何でここを「滑り止め」として受けたのかというと、夜間でも4年で卒業できて教員免許(但し2級)が取れてしかも学費が安かったから。
先生になりたいと思っていた。しかし、自分の聞こえの問題から半分諦めてもいた。実際に実習に行って担当の教官から「無理」とはっきり云われ、それがきっかけで方向転換をした。その時はそれでも、という気持ちだった。
で、なんだかんだといいながら、私立はこの二つ受けただけで、後は国立のみ(その国立も前期後期と2回受験できる最初の年だったが、1次試験の出来が現役の時より悪くて、締め切り日の朝まで地元のE大の願書も交互に比べながらの受験だった)。ということで、昼間働きながら大学で教員免許を取ろうかと思っていた。そのA大学の事務のバイト(ほぼフルタイム)募集は、夜間部のある渋谷のキャンパスの枠が埋まってしまっていて、厚木の分しか残っていなかった。待遇はほとんど変わらない(月12万ぐらいだったか)が、八王子→厚木→渋谷→八王子と通うのはさすがにきついのではと、田舎から出てきた19の世間知らずにも分かったらしく、結局断念した。青山キャンパスで雇ってもらえていたら、補欠合格が出ても流石に辞めにくかっただろうし、またその後が違っていたかもしれない。

住むことにしたのは渋谷から遠く離れた八王子。但し京王線で一本。これも、受験の時に配っていたビラに記されていた「紹介センター」と名の付く不動産屋へ行き、1軒目で決めた。八王子で4万3千円。安かったのはJRの線路のすぐ傍でそれなりに五月蠅いからだろう(駅の傍ではない線路である)。京王のこの駅は、G大に受かったからあまり使わなかった。使ったのはJRの方。

北野街道だったと思う。ここを南へ。

しばらく行く。

すぐに見つかった。今は高架になっているが、当時は下だった。1階の窓から電車のお客さんがよく見えた。

元々踏切もあった。これも近かった。横浜線は中央線ほどは本数はないから渋滞するほどではなかったか。

片倉城址公園、1回ぐらい行ったか。この日は行かず。

片倉駅も変わったなあ。

この道は横浜に続く道。正月にマフラー改造した車や単車がものすごい数通っていった。ここにいたのは一年でしかもその時は帰省していたはずだが何でかそんな記憶がある。正月ではなかったのかもしれん。

京王片倉には戻らず、北野街道を少し行くことにする。単車で走ったことがちょくちょくある。この辺りに魚介ベースの拉麺屋があった。初めて食べた味でよく覚えている。この店ではなかったような気がするが。

工事中だったので脇道へ。北野には縁があって、ついに喘息の発作が起きてぜえぜえいいながら病院を探し回っていたとき、一軒目に飛び込んだ病院に紹介されて来たのが「小児科」の個人病院。本当によく診てくれて、今までの治療方針ががらっと変わって、発作のコントロールもそれまでに比べてしやすくなって。で、愛媛に帰るときに、地元の医者まで紹介してくれて。お世話になったその医者が数年前に亡くなったということを、伝え聞いて。まだそんなにお年じゃなかった筈。先生のお陰で大袈裟でなく人生の展望が開けたといってもいいぐらいの出会いであった。ありがとうございました。

もうすぐ到着。

その後は、新宿から日暮里乗り換えで成田へ。

今回のルートその1。

その2。
覆面浪人の結果補欠合格だから、決して一筋縄ではいってない。本人はともかく、このトシになってから思うのは、親の立場なら本当にしんどかったのではないかと。莫迦息子に文句を云いもせず、じっと待っていてくれたというのは事実だし、親には頭が上がらん。
今みたいにモラトリアムが認められてなかった時期だから余計に。だからこそ、我が子は凄いなあと普通に感じる。
有り難いぐらいに親孝行。

それでも、弱くても世間を知らなくても、おおごとにならずにそれなりにやってこれた。
案外何とかなる。運が良かったにしても。

つるぶんと都留

2017-04-19 20:53:00 | 遠くへ~少しだけ非日常
入学式が終わって、新入生たちは一寸落ち着いてきたのだろうか。お仕事している新社会人はそうは関係ないかもしれないが。

昨年の夏前にふと思い立って、ここに行った。成田発着で何でわざわざ山梨までと思うが、行きたくなったのはいろいろ訳があり。
子供達が二人とも県外に出て、自分のことを少し振り返ってみたくなったのかもしれない。
自分の大学生活のメインは多摩であり、近く(だが歩くにはちょっと遠い)の国分寺とか小金井とかだった(都心ではないいわゆる多摩である夜の都心は数えるほどしか行ったことがない)。

で、その前に半年だけ都留というところにいた。予備校生ではなく一応大学生として。

前の日にジェットスターで成田に着きカプセル泊(空港泊はこの次のときだった)。朝早くに出発四時半ぐらい。

千葉から新宿経由で京王線。懐かしの京王線。懐かしい地名。またこの時はここで降りることは考えてなかった。なかったからせめて京王線に乗りたかった。今の伊予鉄の車両は京王のらしい。

高尾でJRに乗り換える。ローカルだが人は多い。山の格好をしている人が結構いた。

大月でJRから富士急に乗り換える。昔はこんなに綺麗じゃなかった筈。

あの頃なかった駅があった。大学前。特急も停まるってすごいな。

で、その大学前ではなく、昔の最寄り駅である谷村町で下車。

小雨が降る中を、登校途中の高校生を避けながら走り国道へ。高校の名前も工業高校からえらい格好いいのに変わっていた。

富士急の線路の手前を左に。

これはびっくりした。大学前駅。

店もそこそこあって便利そうで、いいな。

踏切を渡り、隣の駅まで走る。

昔からあったのかもしれないが、訪れたのは初めて。

これも見たことがない地名。国道を離れ駅へ。

十日市場。無人駅だが距離的にはこちらの方が近かったから、こっちから来る学生も多かった。あの時は、本当にここまできてしまったという、最果て感みたいなものを感じて、何となく先がもうないような息苦しさを覚えた。当時を思い出し何かしら寂寥感がこみ上げた。

元来た道へ。そうそうこんな感じのだだっ広い道の傍。

左の大家さんの家と奥のワンルームは建て替えたか。右の儂が住んでいたアパートは、店になっていた。

4月に荷物を入れてテレビの設置をしていたとき、ここは電波が悪いから室内アンテナじゃ映らないと言われながらもいろいろ向きを変えていて、岡田由希子の自殺のニュースが飛び込んできたことを覚えている。
このアパート、トイレと風呂と台所が共同の四畳半一間で廊下が1メートルぐらいしかなく、郵便受けも一つしか無くって、電話は大家さんの家に取り次いでもらう。仕送りの額からすれば余裕がないわけではなく、自分で電話を引けなくはないし、ワンルームに住むことができなくもはなかった。でも何故かここに決めてしまった。決めてしまった、というのが正解なのだろう。一人で外にでたこともない人間がいきなり飛行機と電車乗り継いでここまで来て夕方で、大学のアパート紹介ではもうワンルーム埋まっていて、不動産屋に行くという知恵もなくて、何となく、紹介の表の一番上にあったここに来て大家さんとしゃべったら断るとかそういう台詞を知らなくて、で、何となく流れで決めた。親はついては来なかったし、それが普通だったと思う。ただ自分がしっかりしていなかった。決断が良かったとはあまり思わない。部屋の住人はすべて一年生だったが、ほとんどが浪人生。話す内容も過ごし方も全てが格上で、圧倒された(特に奈良の人)。そしてみんな四年過ごしたりせず一年経ったら出て行くという、そういうアパートでもあった。ちなみに、儂ともう一人の現役生はどちらも、隠れ受験生だった。青森出身のそいつは儂と違って大学を辞めずに受験生を掛け持ちし、同志社大学に合格した。アパートにいるときはあまりしゃべらなかったが、都留を出た後、しばらく年賀状のやり取りが続いた。

大学に行く。大学を辞めたいということを親に伝えた電話ボックスはもう無くなっていた。
4月はまじめに通ったが、5月ぐらいに東京と鎌倉に遊びに行き、やはり東京に出たいと思うようになった。再受験、かと。浪人という言葉が全然ピンとこなかったし、ここに来たときは、もう一度というのは全然想定していなかった。
そこから、講義は英語と体育だけ出て後は四畳半一間の部屋で黙々とやった。一日8時間ぐらい勉強して、でも1ヶ月ぐらいしかもたなかった。そんなに勉強に対する耐性がある方ではなかった。勉強の量が落ちた頃、一日中本を読む生活が少し続き、閉塞感を感じ始めた頃、同じアパートの奴(一浪の社交的な広島の人)に誘われて、初めてのバイトを経験した。富士吉田のホテルの接客とか清掃とかのバイト。泊まり込みだった。昼間修学旅行生相手の食事の準備と片付けをし、仕事が終わってから小さな布団部屋のような所に泊まらせられ、お握りと小魚の天ぷらだけの賄い食が出た。朝はまた朝ご飯の準備と片付けをして昼前に終わった。現金払いだった。金はこうやって稼ぐのだなと思った。
そしてしばらく経って、運転免許を取りに帰省した。免許を取りに行きながら、そこでも高校の時の友達に誘われて、坂出のコンビナートの配管清掃のバイトをやった。これも2泊3日ぐらいの泊まり込みで、こちらは喘息の発作が出て、発作を凌ぎながら仕事をした。向こうで発作が出たときのことは全く考えてなかった。そういやあ、ホテルの時は発作がでなかったな。
大学というともっとでっかくてごちゃごちゃしているイメージだったから、クラスみたいなモノまであったこの大学は、ちょっと予想外だった。
ただ、こぢんまりした大学ではあったが居心地は悪くなくて、それなりにのんびりと過ごすことはできたのかもしれない。自分に合っていた部分はあった。免許とってからは原付も買ったし、これで住んでいたところがワンルームマンションみたいな快適な場所だったら出ようとは思わなかった筈だ。
それでも出たいと言う気持ちは変わらず、逆に強くなった。都留は盆地だから、何かしら「埋没する」危機感というのが絶えずあったのかもしれないし、「抜け出したい」願望は徐々に大きくなった。
9月に都留に帰ってきてから、勉強はやる気にならず、かといって大学に行く気は全くなく、大学の掲示板で募集していた富士急の添乗員のバイトをした。これもまた泊まり込みで、行きは貸し切りで東京、帰りは高速バスの添乗をした。1泊2日で勤務が終わった後、営業所のソファで仮眠を取って、もう一回貸し切りバスの添乗を1日やった。発作は出なかった。
それほどハードではなかったが、運転手の人使いが荒くて閉口した。担当者からは「また来てくれ」と言われたが、咄嗟に「大学辞めるんで」と返した。で、辞める方向に舵を切った。
半年、というより運転免許を取るために夏早めに帰省したから実質5ヶ月ぐらいか、それでもまあよく住んでいたと思う。その頃の儂としては考えられない。それほど苦労したり生活に困ったりとしたこともなかったし、耐性はかなり低いと思っていたのだが。最後の最後に、辞める時になって喘息の発作が出て、実家に帰ってから半月ぐらい元に戻るのに時間がかかった。

今考えるとここに記すのも恥ずかしいのだが、クラスにとけ込もうとせず、俺はこんな所に来たかったわけではないオーラが全開だったから本当に失礼で嫌な自分が確かにここにいた。阿呆かと思うしひたすら恥ずかしい。

今は綺麗になっていたが、当時は民青が仕切っているかのような地味な生協とかあって不思議な部分もあった。本をよく買ったが、狭いスペースに並べられている背表紙にはやや偏りがあるようにも感じた。山の方には体育館とグランドとテニスコートがあった。卓球部の見学にも行った。関東の三部リーグという割に動きがみんな速かった。

大学を出る。買い出しに行っていたスーパーがあったところ。自転車買うとかしなかったからいつも歩きだった。車の運転免許とった後で、原付買って(丁度ヘルメット義務化のとき)、いろいろなところを走るようになって行動範囲が少し広くなったが、辞める気持ちは変わらなかったな。

で、ここからは大月駅まで走る。この間を原付でも走ったことはほとんどない。ここまでは振り返りの後ろ向きのラン。ここからは異邦人になって走る探検ラン。折角なのでこの辺りで路地に入る。

大名行列か。当時は知らなかったが、結構歴史がある街のようで。


寺とか神社とか結構ある。

大学からそれほど離れてはいない筈だが、不思議な感じで走り続ける。

国道に出る。

国道沿いのここも初めて。

ローソンに寄る。トイレを借りる。古くからある店のようで。別のときに三浦半島走ったときのセブンも古くからの店のようだった。どちらもトイレで分かる。愛媛のコンビニは最近ぼこぼこ建っていてトイレも新しい。

昨日泊まったカプセルはコンセントがなくて、スマホの電池がやばくなっていた。少々高いが購入。

あれは何が通っているんだろうか。

リニア、とある。どんなもんやろ。

こちらは富士急である。

やがて、甲府に行く国道20号線と交わる。

何となく駅はこちらかと、曲がる。

風情のある店に会う。いいねえ。

で速そうな電車。これも富士急らしい。

大月駅到着。20キロもは走っていない。

あくまで都留ではなく、つるぶんと都留、である。
少しだけいたことがある街である。幼くて大莫迦の自分がいた街。もう行くことはないと思っていたから不思議な気分だった。

富士そばにて ~秋葉原でしみじみちょい呑み

2017-04-12 22:36:00 | 遠くへ~少しだけ非日常
先日の上京の折のこと。ちょい呑みを敢行。
ちょい呑みとか角打ちとかいうといい響きだが、実際は1杯の値段もお通しやつまみの値段も安くなかったり、常連さんの壁が高かったりで、いつもやろうとしても踏ん切りがつかない。10分とか15分とかちょっとの間しか呑まんしそれなら駅で缶いただいた方が安いし。さっきクラウドに保存してある「外呑み」フォルダを見たら、圧倒的に「アスファルトの上」で呑んでることが多かった。
それでもこの時期、そして東京、ウェブで見たことがあるところに1回ぐらいは行ってみたいが、ということで。

用事が終わり、カプセルの近くの秋葉原まで帰る。まだ陽が高い。麦酒200円つまみ100円というお目当てのその店に入る前、開店時間まで少しあった。

また、無駄に安いスマホとか衝動買いしそうなので電気街を彷徨こうとはせず、近くの蕎麦屋へ。
缶麦は280円。安くはないが充分有り難い。かき揚げを思わず2個に。午前中30キロぐらい走って何も食ってないから腹減ってた。

麦も追加。後でもう一軒、こちらは生中出してくれる店があったらしいのだが、お店でのんびりさせてもらって、結構大満足だった。

経営者の方は愛媛の人らしい。しかも現在のS市。親しみが湧くな。24時間にしている理由もいい。

時間になり、お目当ての店へ。

システムはすぐに分かった。ちょいちょいと注文してこれで500円。

外が見えるカウンターで立ち呑み。これが飽きなくて良い。

この絵も良い。

2時間までの制限時間があるらしいが、そこまでは居座ることはせず。でも居心地は良かったのでお代わりとか結構した。

また来よう。

秋葉原の外れを歩く。馬喰町はマツコの番組で見て面白そうなところだと思った。不思議な感じ。

何で秋葉原にしたかというと1番安かったから。2泊で5020円。

外国人も多いようで。寝るだけなら綺麗で十分な設備だった。

次の日は「立石」というところに立ち寄ったが、これは人に圧倒されてパス。値段も店の雰囲気も儂が入れる感じじゃなかった。後、昼間は閉まっている店が思ったより多い。それでも仲見世の風情を感じることはできたが。
やっぱり路上の人か。でなければ富士そばか。

菜の花の頃

2017-04-02 15:09:45 | 遠くへ~少しだけ非日常
桜が足踏み状態です。
今日は去年行った源太桜祭り、の日でしたが多分咲いてはないだろうと予想し、思いついて庭の草刈り。6時間ぶっ続け、ということは、昨日走った時間より長い。とりあえずは、雨が降る前に終わって良かったか。
これから散髪にも行く予定で、細々した雑用で一日終了しそう。
しかしまあ、桜が咲く前に草を刈るとは思わんかった。

さて、先月の駅伝の前日のこと。
前の週まで、国体ボラの研修とか耳の日イベントの参加とか半分仕事みたいな微妙に外せない用があって。
この日も駅伝会場まで移動があり、ヨメさんも不在だし昨日呑み会でそこそこ疲れていたので移動で迎えが来るまでぐらいは家にいようかと思ったが。
耳の日の会場でスマホ弄っていたときに見つけた、普段は気にならない「菜の花」がこのままでは見られないということが妙に残念で。
で、家を出た。すまん犬たち。

予讃線で海沿いへ。

高野川で降りて、夕焼けロードを行くことに。

前に来たときにはなかった広い道が。人なつっこい犬がお出迎え。

わくわくするような景色にいきなり会う。二日酔い気味の頭がしゃんとする。

いつもは走った先が海。今日はいきなり海。贅沢といえば贅沢。

漁港を過ぎると道の駅。

一度ここで呑んでみたいと思うのだが。

で少し行くと、お目当ての菜の花が見えてくる。

1時間余りか。あっさりといえばあっさり着いた。

「うるすみ」というらしいが漢字変換できん。本当は、新聞に出ていたここを見るだけだったが、前の日に、チームのK君に「菜の花ですか五郎ですねいいですよ」といわれていて、実は知らなかったのだが気になって、そこまで行くことに(そのために予定より一本早いJRに乗った)。

再び出発。海沿いを走る。

海に一番近い駅?の下灘。

漁港を過ぎた辺りでバテてくる。

運良くコンビニに遭遇する。やや街の外れ。営業時間はスーパー並。

鉄板である。

さらに進み。

旧長浜町に入る。この辺りからしばらく行き、何となく通るかなと思ったら近くの踏切が点滅し始めたのでカメラを構える。

ラッキーだった。
で、予定していた20キロ地点の長浜を過ぎ、県道に入って大洲市内を目指す。

コンビニで2回目の補給。何となくこれにしたら、その日の寄るの買い出しで、S君がこれをリクエストしていて、妙な一致に感心する。

長浜大橋は今回は通らず。前回通ったときにスマホが不調で(あのF-10D)幻の写真になったから早く撮り直したいが。

川だがゆったりしている。

人がいっぱい居た。川海苔でも採っているのだろうか。

この石屋さんはなかなか面白い作品が揃っていた。

さらに走る。ややバテている。

神社の鳥居から本殿までに線路が跨っている。なかなかのもん。

長浜出て1時間。ようやく八多喜へ。ここにコンビニがあるのを覚えていて目指していたのだが結局入らず。

少し行って春賀付近。のんびりしたところ。

さらに進み、遠くに菜の花が見えた辺りで。

こういうのを見つけた。これかな。疲れているが行ってみるかと。

五郎の駅の近く。狸の里らしい。四国は狸が多い。県道の道路表示ではみきゃんが仕事をしていた。

しばらく行くと見えてきた。

人がいっぱい来ていて楽しそうだった。で、満足してもう一つの方は行かずに市内へ。

途中、連絡が入り、ピックアップしてくれるF君の車をコンビニで待つことに。ランはここまでで終了。そして宇和島経由で成川渓谷へ。

で翌日駅伝が終わって帰るときに、K君のナビで「元祖」の菜の花へ。

昨日もなかなかよかったがここは迫力が違った。凄かった。またいつもの如く「仁和寺にある法師」状態になるところだった。

まだ咲いとるかな。ウチの家の前の川の向こうの菜の花もまだまだ咲いています。

むろと・ちょっと

2017-02-23 19:20:00 | 遠くへ~少しだけ非日常
6月の初め。江田島行きより前だったので、本当はこれを先に上げないとまずかったか。

否別にまずくは無いのだろうが。

特急の安い切符が発売されるのに合わせて遠出する。天気は良くない。

5時過ぎ発のJR。

ちゃんと朝御飯を食べる。

高松で接続待ち。前に来たときは屋島まで走ったが、その気力なし。

駅前でうどん。さっき朝喰ったろうに。

特急に乗り換え。

駅で取ってきた徳島関係のパンフを眺めつつ。

また乗り換え。

天気は今ひとつ。着く頃に雨が降り始める予想。

到着。結構遠くまで来た。

さらに乗り換え。

JRはここまで。

一旦駅を降りてトイレに。今日は本当はイベントを開催する予定だったらしい。悪天候で中止の貼り紙。

さいはて感。

で乗り換える。第三セクター。

観光客が、2、3人乗っていた。

ようやく到着。で。

この駅からさらに高知東部バスに乗る。ここから岬まではまだまだ遠い。甲浦から室戸回って奈半利経由で日帰りで帰るとなると、電車汽車バスの接続を計算して、走れるのはだいたい2時間余り。昔ここから、関西方面にフェリーが出ていたような気がするが。

きりが良いのでジオパーク前で降りる。閑散としている。

さて。

ここから出発。

淡々と、しかし、ゆっくりではなくそこそこペース維持して走る。キロ7分。やや向かい風で進みにくい。

時間があれば、脇道にも入ってみたいが、とこういうときいつも思う。

海が見える。

更に淡々と進む。海洋深層水。ここでか。

国道沿い。家の前にある壁が波の高さを物語る。

室戸に近付いているのが分かる。

ぐみ?しょっぱい実。

遠くに何かが見えた。

仏像かと思ったら、お坊さんの像。空海か?

波は荒い。山は険しい。雨はぼつぼつ程度。

遊歩道、か。

洞穴か。ちょっと覗いてみたが。

メインの灯台も立ち寄らず。でも時間があったところでやはり立ち寄ってはいないと思う。そういう走り方をしているだけ。

思えば単車に乗っているときからそういう走り方をしている。

何が入っとるんやろ。

おお慎太郎さん。

日本海ではなく太平洋。外海はすごいの。

岩がごつごつしていて、桂浜辺りとはまたちょっと違う。

北山村かどこかへ行く道か。さっきの分岐が出てくるんだっけか。

ざっぱんざっぱん、である。

とりあえず、のんびりと、というより、室戸の営業所まで行く。

この辺り、旧道もあったからそちらを走っても面白かったかもしれないが。

ぼちぼちバス停を探さねばという時間になっていたが、よく分からない。

その直後にここを見つけて、麦を買う。外国の人が増えてねえ、と店のおいちゃん。

とりあえず、はぱっと着替える。何ともまあ、面白く縁を感じる地名。

直後にバスが来る。セーフ。1キロぐらい向こうにコンビニとバス停があったようだが、この分だとギリギリだったように思う。

1時間ぐらい揺られて。

奈半利に着く。懐かし。ここでビアガーデン、いいな。


予定通りのヤツに乗り込む。

この向こうは太平洋。

チャリだともう少し距離は稼げるが、なあ。実際持ってこれるのかどうか。

御免で乗り換え。

特急に乗り換え。

奈半利のマルナカでもやはり安い第三を買った。

さらに乗り換える。あんぱんまん。この後は終点まで。

これは、多分御免のスーパーで買い足したヤツだろう。

走った距離の割に呑んだ本数の多かったこと。本当に。
走ったのはちょっと、だったが、呑んだのはちょっと、じゃなかった。

江田島の翌日に~可部から温品

2017-01-24 19:08:00 | 遠くへ~少しだけ非日常
1月5日投稿の続き(翌日)。

広島市内のカプセルを出る。とりあえず走る。

自転車置くのにも金がかかるとは。

広島は川が多い。三角州というのを昔習ったか。一度ああいうところでのんびり呑んでみたいと思う。

思わぬところで神社に出る。

駅の途中、腹が減ってなか卯に捕まる。電車で喰う予定だったが我慢できん。で朝うどん。ハーフが丁度良かった。

広島駅。やはりでかい松山と雲泥というより松山が貧弱すぎ。さて、電車の接続はどうだろう。

無事に乗ってまた食う。この時期、この卵にはまっていた。さっきハーフだったからこの辺は躊躇ない。電車で麦を呑まないのはこういうときだけ。

で、可部線の終点に到着。途中、一昨年だったか広島の土砂災害の辺りを通る。

とりあえず南へ。細かいことはまだ考えていない。だいだいで。

直後、作業着屋さんの自動販売機に感動する。この直後、手のひらがゴムになっている軍手5双とポロシャツを買う。200円。荷物になるが、来週要るのと切らしていたのとで思わず買う。ギリギリリュックに入った。

国道との分岐を左へ。

県道に入る。地元の道って感じ。

川を渡る。

雰囲気が少し落ち着いてきた。市内からそれほど遠く離れているわけではない筈だか。

再び川を渡る。

川伝いに行く。

落ち着いて長閑な感じ。旧高陽町らしい。

この辺り、川沿いをしばらく行く。

で分岐に出る。予定通りここを左へ。

見えないが、左は芸備線。

見えたところで、丁度電車、否、汽車。ディーゼルか。

線路と国道がしばらく併走する。

また川を渡る。芸備線も渡る。

国道沿いの展示場。えらい安い。思わず立ち止まる。住むのにはこれぐらいで十分じゃねえかと。というより充分すぎるのではないかと。

南への分岐が見えてきた。

少し行ったところのホームセンターでトイレを借用。この先山に行きそうな感じだったので助かった。

近くの空き地には支援学校のスクールバス。多い。

さて、山越え、か。

この辺り、そういえば昨日の江田島もそうだったが墓石に「くえいっしょ」と刻んでいる。しんでからもはっこつのつきあい、とは学生時代、よく読んでいた無着成恭氏の訳。

山に入るかと思っていたらまだまだ住宅地しかも古い家も多い。

でこんな感じで進んで何とか目安にしていた高速の下をくぐる。

ここから登りの傾斜は険しくなるばかり。

温品の表示が見える。右に曲がる。確かそれでいい筈。

また登りかあと正直思った。

よさげなお店。リュックが一杯でなかったら考えたが。いや一杯でなくても無理か。

ようやくこの辺りから下る。

この国も多言語国家になりつつあるのか。まあ良いことだと思う。

結構山。道路左は高速が走る。市内からはそれほど離れていない筈。

緩やかなカーブが続く。

交通量は思ったより多い。バスも通る。

歩道橋に上がり撮影。

そういえば、高島さん大変だなあと思っていた時期だった。

久々のコンビニを見つけて補給。

高架が見える。ぼちぼち着くはずだが、少し疲れ気味。

たぶんショートカットできる道はあったんだろうが、面倒なので分かりやすい方を選ぶ。

イオンが見え、T字路の気配。

マツダまでは、まだ2キロもあった。あらら。

しばらく行ってから新幹線をくぐることに。つまり駅を目指す。この辺りはどこで線路を跨ぐことができるのかがよく分からないので、早めに仕掛ける。

新幹線の傍。但し、目的地にはどういくのかまだ見当が付かない。

道がなくなって心配するも。

左脇に歩道を見つける。何となく、この辺りかと思いつつ更に進む。

突然抜け穴が出る。そうか。

低い地下道だが通行量はそこそこある。

抜け穴を抜けると特に構えたところのない住宅街があって。

目指すところはすぐそこだった。

やはり盛況。

ちらっと見たら本当に見えた。

ムスコ氏を待つ。

赤ローソンは人でごった返していたので、少し離れたセブンへ。

しばし休憩。

で、球場へ。この日は、終了間際に帰りのJRの都合で球場を後にして、駅に向かう途中で劇的な「タイムリーエラー」で勝利したとムスコからメールをもらう。そうあの阪神戦よう勝ったな。

昨日今日と距離はそれほどではないが、楽しみました。

江田島経由で

2017-01-05 20:45:47 | 遠くへ~少しだけ非日常
予定では日帰りだったのだが、用事ができたので前日出発。ヨメさん承認済みで。

いつものフェリーで。

いつもの呉港着。

今日はそのまま島へ行くフェリーに乗る。

小用というところ。値段からすればそんなに遠くではない。

遠くはないが船内は結構綺麗。

瀬戸の島々、といいう風景。

江田島は陸続きで橋を渡ればそれなりに行くことはできるが、何せ距離が半端でなくある。フェリーでワープすると何とかほどよい距離になる。

早速坂。

三高ってどう読むんだろうか。とりあえず、午後の日程とか考えると、この距離が精一杯なのだが。

ほお、下宿。いい響き。

この建物が何だったのか忘れたが、江田島の有名な旧海軍の学校だった筈。一番よく分かる校門前の写真、もうアップしていたか?

さっきフェリーで見た光景が道の傍に続く。

こちらは民宿らしい。ほお。

目指す能美島へ。陸路はここまでが長い。

ぐるりっと回る感じで。

反対側を見る。昔からある古い家並みか。海の傍は海の傍に合った建てられ方をしている。

島の向こうは少し静かな感じのところが続く。江田島から能美の境付近、葬祭場とパチンコ屋が両脇に。

このトンネルの向こうが気になった。気になっただけ。

少し登って、遠くまで見渡せるところまで出た。

坂を下りると漁師町の風情がバリバリにではなく少しだけ感じられる。広島ならではの貝殻か。

港。

お寺にあった像。何かな。布袋さんかな。

再び海の近くを走る。

海の向こうには島がある。

能美から沖美へ。ここまでくればあと少しだが、昨日呑み過ぎていたせいかへとへと。

手前の港の向こう、船が見える。やれやれ。

さて港の前に店があるのかなとどきどきしながら到着。割合、いい案配で営業中。

左の方の店にはいると、看板犬がお出迎え。おばあちゃんに承諾を得てぱちり。おとなしくて美人さん。

ここできみを見ながら呑んでもいいんだが、店の中だし名残惜しく港へ。右の棚の雑誌が名残惜しいのではない。

時間はまだあるのでのんびりと。ただまあ、まだ昼前。これから御用事。左のは写っているだけです。

島に住んでいても島という感じがしないんだろうなこの便利さは。でも、店や家は長閑でいい感じで。

いざ広島へ。さっきのと同様初めてのフェリー。

港を後にする。初めはそう特別凄いって感じの道ではなく淡々と走ったが、また来ても良いなと。最後に会ったきみのせいかな。

麦が写っていないのは呑んではないということ。よく我慢したな。

宇品へ。広島の海の玄関。

でここから市内電車で紙屋町辺りまで。これが案外なかなか時間がかかる。ぼうっとしていたらポスターに引き込まれる。いいな。

おおカープ。明日のマツダはどうなるかな。

でバスに乗り換えて山を越える。自動車専用道路のトンネルであっという間。昔ながらの家と新興住宅が同居している街。

でキャンパスへ。初見参。いいなでかいな。

横川まで戻る。ここで約束している店は決めていない。

で安い居酒屋へ。再会を祝して。儂は呑むムスコは喰う。

これもまた、何とか予約したカプセルへ。こんな高いのしか空いてなかった。何か他に大きな行事があったのかもしれない。キャンセル待ちでギリギリとれた。かなり贅沢。ただ明日も大切な用があるので。

今回のルート、フェリーをうまく使えばまだ走れるところはたくさんある。この日は6月とはいえ曇天でやや肌寒い感じすらしたが、天気の良い日是非また(翌日のマツダは天気が良かった内容も良かった)。

おまけ、カプセルで酔っていて気がつかなかったのか、背中にスマホを敷いて寝て低温やけど。最初は理由が分からんかったが。気をつけましょう。

よこみねさん

2016-12-14 18:34:00 | 遠くへ~少しだけ非日常
今年の連休2日目の話。3号のおはかまいりを済ませ、さらにそのまま東へ。

小町温泉はつい最近。メインはりんりんパークー。りんりんパークじゃないと教えてくれたのは神戸M君。でもやっぱり発音するときはパークになるな。

で道路の反対側のセブンで補給いつもの。

ところが、今回はそこに穴が開いてしまい食べにくくなってもう。早々に食べ切る。

国道を右手(南)に入り、山の方へ。ここは多分初めての道。何故ならこの先は行き止まりなので、単車では来ようと思ったことがないと思われるから。実家からはそんなに遠くないが、盲点のような場所。

で鳥居が見える。近づく。ほお。

何か思ったより遠そうである。ここまで既に30キロ近く走っている筈だが。おまけに昨日も50キロぐらいは走っている筈だが。

拘束もとい高速の高架をくぐる。

まだ未知はもとい道は広い。

お遍路さん用かな。

さらに進む。

これもかな。

しばらく進むと黄色と赤に目を奪われる。しかも、セット。お遍路さん用ではない筈。

ここはやっているんだろうか閉めているんだろうか。歩きのお遍路さんならそこそこ来る道の筈だが。

神社を過ぎると。

表示がある。まだまだある。

12パーセントは結構きつい。お遍路さん追い越して、車が入れる最終地点に到着。

水がある。水を飲む。助かった感ありあり。有り難うございます。

ここからは歩きのみ。車は、反対側に道があるにはあるようだ。まあ、2.2キロなら30分もはかからないだろうと思ったが。

とんでもなかった。本当に。まぢふらふらになって斜面を落ちるかと思ったこともあった。走るなんてとんでもない。

最初の何百メートルかは小走りだったが、やがて勾配が急すぎて、足を一歩ずつ出すのがやっととなる。道は間違えることはないと思ったが。

右も左も荒れた斜面。険しい。兎に角険しい。しかし下るときはもっと大変な筈。

道自体は、怖いながらも歩ける感じになってきたが、とにかく斜面も勾配も急で倒れそうだった。ここまで体も気持ちも追い込まれたことも珍しい。

ようやく寺に着く。本当に倒れるかと思った。山道はたまに走る(歩く)が、ここまでやばかったのは初めてである。わずか、2.2キロとはいえ、侮れん。

お遍路の難所。でも寺自体は涼しい顔。

結局甘いオロCを2本も飲む。山だからといって高くはなかった。石鎚とかは高いがな。


あんなに険しいのが嘘みたいでしばし呆ける。奇麗だし。

寺を後にして下山する。

まだ10キロぐらいあるんかとくらっとする。なんぼ下りでも。


この辺りはダートくねくね。

で一般道、ということだろうか。

でも、一般道走り始めたばかりの割には道がよく分からん。

結構高いなあ。

この時点で、想定外のルートに出ていたようで。香園寺へのへんろ道、どこにあったんやろ。

めっちゃ遠くに、西条にあると思われる工場が見えて感動する。高い遠い。

高いだけでなく奥深い。

で、バスが通った時点で、違う道だなというのを確信する。しかし引き返す気力はないあの勾配。

写真でいうと、左の道をまっすぐいくとやがて右へ。よくバス行くなあ。

路肩もそんなにしっかりしているわけではない。

で、突然これが出てきて、まだ状況が飲み込めなかったりする。

なるほどこれが有料道路かと、やっと状況を理解する。結構想定していた道より遠くまで来ているな。

とりあえず、さらに降りるのみ。

林道高い。でも車でお遍路さんする人はここしか行けない唯一のルート。独占だから仕方がない、というより、元々林道だったところを改良して行けるようにした、ということだろう。ちなみに徒歩は書いてなかったが無料だった。

分岐の先にある極楽寺、興味はあるが余裕がない。時間ではなくて体力。

国道と思われる方向に行く。残りの距離とか勾配とかまったくわからん。

結構走ったような案外そうでもないような。余裕はほとんどなし。

で突然飛び込んでくる。まさかここに出るとは思わんかった。

まあ、もうけた感はある。

湖を見ながら降りる。

まだスポットがあるようで。

旅館とかやっとんやろうか。とりあえずバスのターミナルというのは分かった。

予定外の補給。降りるだけだと思っていたが、結構遠回り。まだ国道までありそうだし。でもバスに乗るのはなあ。

11キロにめげそうになる。

でも氷見へ行く道があるらしいので、何とかなりそう。

すぐに分岐を見つける。

ここを進むと。

すぐに鳥居がある。さらに降りる。

まだ高速より高い。

国道がようやく手の届くところに見えてきた。

国道沿いのスーパーの駐車場の隅で一息。

後日、こんな記事を見つける。一度行っておいて良かった。林道経由の黒瀬湖も「儲けた」が、結局子安さん(香園寺)に行く道は分からずじまい。
もう一度行くか、と言われても、ねえ、という感じである。ちなみに前日の美川に続き、この日も50キロ超え。

おっさんよう走った。

上林峠初越え美川まで

2016-12-07 22:02:00 | 遠くへ~少しだけ非日常
とりあえず連休ということで遠出を試みる。5月のこと。

それほど朝早くからではない。まだ家から三キロほどのセブンで非常用の水分を買う。お通じもまだ。

山のほうに向かう。天気に誤魔化されたか、かなりの坂があるというのに山のほうに向かう。

もぞもぞしてきたときにタイミング良くトイレ。有り難し、というよりついている。

そういやあ、地元ではまあまあ有名なのあったか。呑もうという気にはなれん、というより呑めんだろうが興味はある。

これでも結構上っているが、道が広いので写真で見るとそうは感じんか。

分岐に出る。皿が峰へ行く登山道らしい。以前何度か来たことがある割には忘れている。

とりあえず右に。これがちょっと珍しかったのみで、結局左の道に合流。

回国とは何ぞや。その字のとおりらしい。

再びトイレ。これもタイミング良く、助かる。

左へ右へと分岐をクリアする。水の元、そして美川の文字。

かなり高くまで上がって来た。この辺り、昔子供たち連れて雪遊びしたところか違うか。

風穴、の文字。ここも夏も冬もどちらも来た。

そうめん流しが見える。ここも来たことがある。1号と2号連れて。食べた後で山道を散策したら、2号が張り切る張り切るぐいぐい上る。おまえ愛玩犬じゃなかったかって。懐かしい。

傍の水をいただく。あまり補給用の水分は持ってきていないので助かる。すると、さっきすれ違ってかるく会釈した登山者が、実は同業者のNさん(めちゃくちゃ偉いさんです)とわかる。わざわざ声をかけていただく。やはりというか日帰り登山とのこと。一言二言お話させていただく。

平成5年ねえ。ずいぶん前。仕事を始めて3年目。

これは、さっきからずっと抜かれたり抜いたり(相手さん休憩をよくとるので)の、道路を走れるノルディックスキーみたいなやつの団体が設置したようで、まあ天辺というか一番高いとこまでの目安にはなった。

でいよいよトンネル。ここからは単車で一度来たことがあるのみではなかろうか。

大袈裟でなく空が近い。

緑の色が変わる。

やはり高い。

でトンネルが見えた。

標高800から900ぐらいの筈。でトンネルへ。

思ったより長かったトンネルをようやく抜ける。風が変わる。

こちらは山々が連なる。久万の山。

周りには何もない。ひたすら降りる。

林道への分岐。東奥線。まんま読みで結構山深そう。

これは持参のゼリー。さすがに腹が減る。少しずつ摂取。

ここから再び県道になる。道はまだまだ険しいがかなり降りてきたということを実感してやや安心する。

ここまでは林道扱いなんかなあ。

薪で風呂を沸かすにはちと早い。竈で飯でも炊いているのか。いい塩梅の煙。

山から里へって感じの景色を愛でながらさらに走る。

これは貸し出し用の畑にくっついている小屋のようで。結構人がいた。

目指す分岐が見えてきた。

分岐の前、でっかい犬。

分岐を左に。さらに山を進むことにする。ちなみに右に行けばちょっとまだ距離はあるが国道。

うまそうな看板。気温が高めなので、トマトは口に合う筈よなあと思いつつ。

ゴルフ場の辺りはどうしても坂になる。

きついので、朝セブンで買ったのを。

お何だ?

安いといえば安いが持って帰れん。

この先辺りから右も左も独特の表情になる。

道は走りやすい。お遍路さんもいる。バイク遍路バス遍路マイカー遍路も。

この辺りが古岩屋荘らしい。単車で来たことがあるのは確かだがもう忘れた。

奇麗です。

トンネル前。残念ながら行けない。ギリギリのところで作った道なんだろうなと納得。

岩屋寺。いつものように中には入らず。ほうここかとそれだけで十分だったり。相変わらずの仁和寺にある法師状態。

こういうところで一服する余裕とか、そういうのが生まれれば、また走り方も変わるのかもしれないと思いつつ先へ。

こういう伝承、昔から好きである。民俗学っぽいのは元々好きなので。ただ、実際にフィールドワークはできんだろうなと耳悪いしということで、そっち方面は憧れのままで終わったが。

ようやく目指す分岐に出る。目指す文字が見える。岩屋寺からここまでが気分的にちと長かった。

これは何川になるんだろう。先ほどとはちょっと趣が違ってこれもいい感じ。

残りはそうたくさんではないということを教えてくれる。バスも通る。チャリンコ積めるらしい。

あかんあかん。

この道、久万経由で松山に向かう街道らしい。ほお。でこの川は面河川ってことか。

近くの川の傍には鳥居。

これは逆さまでアップしてしまったものです。もうこのまま載せる。

つり橋眺めてトンネルくぐって。

お。

到着。

懐かしの御三戸。確かに軍艦岩。変換できんな。家族でキャンプしたこともあるし、勤め初めの頃職場の同僚とさっきの初めの分岐の国道側に行く道の方にあるキャンプ場でコテージを借り、ここまで泳ぎに来たことがある。覚えているのは、本当に朝から呑んでいたこと。懐かしい。いろんなことが次々と思い出される。

近くの店が開いていたので、やや高価だが麦を所望する。

国道沿いのバス停に向かう。まあ、さっきみたいな店はあるだろうとは思っていたが、調べていたわけでもなく、毎回毎回トイレと酒屋は運よく見つかるなと思う。

進行方向と反対側のベンチに座る。

40分ぐらい2缶でぼうっとしていた。

バスに乗る。約50キロ。充実の回想ラン。

空港雑考

2016-11-15 18:00:00 | 遠くへ~少しだけ非日常
ジェットスターの成田の拠点が第2から第3になった。

バスの乗り場も近くてまあまあ便利になった。

第2にも歩いていける。がしかし。

小さいが、店もそこそこ揃っている。

フードコートまである。

でも総じて高い。

テーブルでコンビニ麦いただく感じ。

負けて1つ買ったものの、やはりコスパは悪い。でも便利。

サテライトの乗り場までは徒歩。

ここにも売店はあったがアルコールはどこを探してもない。つまり、ゲートくぐるまでしか呑めないということ。

まあそれでも。

便利にはなった気がする。

で閑話休題。

成田はこういう感じで、長期滞在も以前より改善されている様子。但し、空港泊に関しては、成田はよく分からんが、関空の方が結構快適であると思われる。

ピーチ姫にお世話になることの多い昨今。

ネットでこういう記事を目にするが。儂も泊まったことがある。普通に泊まれる。

この日は、都合で夜便で発、だったので走る必要がなく、既に呑みまくっていて。

関空に着いた頃は夢見心地であった。

だいたいこの辺だったか。近くにコンビニもマクドも交番もある。おまけに空港事務所も。

で、そこで毛布を貸してくれたりする。有り難く使う。まだ冬。

関空は「島」だから、成田より警備がしやすいんだろうか。必ず電車かシャトルかに乗って来ないと行けないというのが。
空港内の設備がこれだけ充実するとかなり快適である。カプセルホテル、いらんかなあ。

帰りも、こうして普通に呑める。

儂自身の感覚として、関西は走るポイントとしてはどうしても成田に負けるんだが、空港の設備とか過ごしやすさは断然いい気がする。

で、この記事は去年書いたものだが、今年も空港利用することがあり、追記。

関空の便利さは相変わらずだが。

だが、成田の第3も充実してきて。そして、泊まれるようにもなっていた。ここは第3かから第2に向かう途中にある北ウェイティングエリアというやつ。割合広い。畳のスペースもある。関空のように毛布の貸し出しはないのだが。フェリーの2等船室みたいなもん。仮眠なら充分。但しまぶしい。儂の場合は音は気にならんから充分だが、その辺り聞こえる人はどうなんかはわからんが。


この日は夜の便で着き、ターミナルへ向かう途中のトイレで背広を着替えるともう誰もいない。静かなのは嫌ではない。不思議な感じである。

第3ターミナルのローソンもこの状態。凄いといえば凄い。

お金の余裕が無くなっていることもあり、次はいつ行けるのかという感じになってはきているのだが。まあ、そのうちに、か。