きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

県クラブ対抗駅伝を振り返ってみた

2017-03-16 22:00:00 | 大会回顧録
今回は、松野町で行われたこの大会。儂の駅伝デビューの地である。

その12年前と同じ小学校が会場。あのときは松山も雪が降っていたぐらいで寒かった。
今回は好天で、少々暑いぐらいだった。儂がいうのだからよっぽどである。

コースは下って上って折り返して下って上る。12年前と同じ。


今回は、試走して5キロ折り返しまで行ってみた。旧松丸街道が趣があって、駅伝でびゅーっと走るには勿体ない。一度旅ランしてみたいコースである。

役場の通りを暫く行って、3キロは折り返す。前回はここで折り返した。今回はもう少し先まで行ってやや上って折り返す。この日は近くの施設で事件があって、ここから少し離れると警察や報道が出入りして物々しい雰囲気。ヘリコプターも飛びまくり。
そんな詳細は後で知ったことで、それはさておき今回はこの好天に恵まれたのと、12年前のことを思い出しながらただ懐かしいのと、前日チームで隣町の旅館(みたいな公共施設)に泊まりわいわいと過ごしたのとで、かなり思い出に残る駅伝になった。
勿論、楽しかったが楽ではなくかなりきつくて走った後暫くは汗も鼻水も止まらんかった。それぐらいはしっかり走った。記録は20分55秒。完全に予想タイムと一致。

靴はタクミレン。

初めから余り細かいことを考えずに走った。で半分行かないうちに苦しくなり、えらい目にあった。こうして両足が浮いている写真は珍しい。チームのFさん撮影かな。上手やなあ。

閉会式ではたくさん参加している方の表彰があったが、どれどれ儂はと過去の記録を振り返ってみた。
2005年 第39回 松野にて(4部・当時の職場チーム)3キロ・5区 13’05”
2006年  直前にインフルに罹り欠場
2007年 第41回 西条にて(4部・お誘いいただいて)5キロ・3区 20’53”
2008年  声がかからず不参加
2009年 第43回 旧小田町(4部・お誘いいただいて)5キロ・5区 21’56”
2010年 第44回 四国中央(4部・お誘いいただいて)5キロ・1区 19’46”
2011年  東日本大震災のため直前になり大会中止
2012年 第46回 松山にて(4部・今の職場チームで)5キロ・5区 21’30”
2013年 第47回 新居浜で(4部・今の職場チームで)5キロ・1区 20’26”
2014年  ムスコの受験と重なり不参加
2015年 第49回 広田にて(4部・今の職場チームで)5キロ・7区 21’50”
2016年  直前に風呂でこけて肋を負傷し欠場
2017年 第51回 松野にて(4部・今の職場チームで)5キロ・3区 20’55”

この大会は、交通規制をする関係からか、風の強い海沿いか、傾斜の多い山かのどちらかにコースを設定することが多いように思う。タイム自体は決して良くない。44回大会の記録がベストで唯一の20分切り。これはうれしかった。体調崩して咳が止まらんかったが、速い人の代わりを務めることになってものすごくプレッシャー感じながら走りきった。コースはかなりフラット。
前回の松野の時は4部でも1・2・3部と同じ10キロ区間があったり、8キロに二人エントリーする必要があったりして、繰り上げとか普通にあったようで、今考えると懐かしい。
一番きつかったのは、小田か広田か。小田は(標高差100メートルぐらい?)急な勾配を下って折り返しまで行き、同じ高さを上って戻る。広田は(標高差80メートルぐらい?)小田よりは緩い勾配だがフラットなところが小田より少なく、行きが上りで帰りが下りになる。帰りの坂で歩いている人をよく見た小田がきついという印象があるが、考えようによっては行きに脚を使い果たして帰りは制御の効かない下り坂を走るという広田もきつかったか。
今の職場でチームを作って参加するようになったのは、割合最近のこと。S君やK君がお世話してくれるので有り難い。
また、こうやってみると、職場にチームが無くても声を掛けていただくことがあったりして、これだけの回数参加することができたのはラッキーであると思う。また、本当に参加しなかったのは1回だけで、インフルとか負傷とか出られなかったがエントリーだけはしていたときもあった。有り難い話である。西条の時のMさん、小田と四国中央の時のNさん、特にNさんには本当に良くしていただいた。このときにいただいたチームのTシャツはいまだに大切に着ている。

あと2回で10回参加の表彰らしい。いやまあそんなんどうでもいいんですが。


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