まずは聞きたい。底無し沼は存在するか?
もう一つ聞きたい。底無し沼が存在したとして、現実、その底無し沼にはまる確率はどれくらいあるか?
マングローブの林の終わりを告げるのは、少し開けた泥地帯。・・・やっと終わった悪臭地帯。ホッと一安心。
草原の入り口はどこだっけ?と記憶を辿る。パッと見ただけでは分からない。・・・そういえば、草むらを掻き分けて上ったような記憶が・・・。あそこだ!間違いない。
僕はその草原の入り口はだと思える場所を目指して進み始める。
例の巻貝はそれほどいなく、踏んづけ作戦が実践できない。
ビーチサンダルをペチャッペチャッと言わせながら、歩く。またもやくっついて歩きにくい。
例えば、ちょっと先の未来を知っている者や、そこに何が待ち構えているのかを知っている人が居たならば、僕が一歩ずつ歩みを進めてその場所に近づいて行くのを見て、ほくそ笑んだに違いない。
僕は確実に、真っ直ぐに、その場所に近づいていったのだから。
底無し沼は存在するか?・・・もうお分かりだろう。底無し沼は存在する。
僕がこの記事を書くに当たって、「ビーチサンダル」という文字を書きすぎなくらいに書いているのには訳がある。このビーチサンダルが重要なキーワードなのだ。ビーチサンダルからシューズに履き替えなかった事。これが、僕の命を救ったと言っても・・・決して過言ではない。
この続きは、いつか、僕の心が落ち着いた時に書く事にしよう。ここまで読んでくれてありがとう。
シングの「続く」と「今度ね」は、あったためしがないとご存知のみなさん、また今度ね!
と、ちょっと意地悪を言いたくなってしまうほど、ショッキングな出来事。だったかな?
じゃぁ、続きね。
右足を泥に着くと、右足が泥にくっつく。くっついた右足を泥から剥がそうと、左足に体重をかけて右足を引っ張る。逆もしかり。そうやって一歩ずつ進んで行く。すぐそばに見えているはずの草原の入り口が、やたらと遠くに感じる。それでも、早くこの地帯を抜けたい僕は出来る限りの急ぎ足で先へ進む。
くっついた左足を剥がそうと、右足に力をいれた瞬間。身体が沈んだ。「ウソだろぉ!!!」と叫ぶ時間も無かった。沈んでると気づいてからも、更にヌメヌメと沈んでいく。「恐怖で凍りつく」とは、こういう時に使う表現なんだろうな。
沈んでいく右足を止めようと、左足に力を入れようとする。が、しかし、力を入れ過ぎたら左足も沈む。この泥沼に両足がはまったら、自力で抜け出すのは不可能なように思える。バランスだ。奇跡のバランスが必要だ。恐怖に負けてバランスを崩せば、奴らの思うままだ。奴らって誰だ?
左足が沈まないくらいの力で、右足の沈降を止める。・・・止まった。今、まさに奇跡のバランス。焦ってはいけない。ゆっくりとねかなければならない。・・・抜けない。ビーチサンダルが引っかかって抜けない。力を入れ過ぎれば左足も沈んでしまう。でもビーチサンダルが引っかかって抜けない。
ここで選択肢が現れる。人生はいつだって、選択の連続だ。
ビーチサンダルを棄てて、右足を抜くか。ビーチサンダルもろとも、右足を抜くか。
奇跡のバランス状態で固まっている体。・・・僕の頭は考える。普通だったら、ビーチサンダルを棄てるよな・・・でも、これはただのビーチサンダルじゃない!島草履だ~!前回の沖縄旅の時、石垣島で買ったんだぁ~~!!!棄てる訳にはいかないんだぁ!!!なんのこっちゃ。
そんなこんなで、ビーチサンダルを救うことに決めた僕は、左足の足場を比較的沈まなそうな場所にずらした。そして、左足への力が底全体にかかるように努めた。爪先や踵に比重がかかると沈む。ビーチサンダルの特色・・・底が平。そして浮力。ビーチサンダルを救う為に、ビーチサンダルの特色が力を発揮する。これは愛の話だ。
僕とビーチサンダルの片っぽが協力して、もう片っぽのビーチサンダルを救い出す。あふれる愛が無ければ成せる業ではない。・・・ような気がする。
左足のビーチサンダルの力を頑なに信じて、命を投げ出すような気持ちで右足を引っ張りあげる。決して離さないよ・・・と右足の親指と人差し指で鼻緒を締め付けながら引っ張る。実際、本気以上の力をで引っ張った。
そして・・・見事に、左足が沈むことなく、僕の右足と右足が履いているビーチサンダルを救出。思わず、無線でヘリを呼びたくなったよ。涙の救出劇だ。
実際は、涙の救出劇ではなく、ヘドロの救出劇。
右足のビーチサンダルが連れてきたのは泥沼の底に堆積しているヘドロ。もちろん、僕の右足の膝までびっしりヘドロまみれ。こんなことってある?滝を見に来ただけなのに、なんでヘドロまみれになるんだよ。なんで西表島に来てヘドロまみれになるんだよ。聞いてないよぉぉぉ。
そして、更に問題なのは、その悪臭を放つ真っ黒なヘドロを洗う水がない。・・・こ、こ、このまま滝へ?ヘドロをぶら下げて滝へ?前代未聞のヘドロ探検隊?・・・うそだろ?小中学生だったら、アダ名にされちまうぞ。おい、ヘドロって呼ばれるんだぞ。ヘドロ、ジュース買って来い!とか言われちゃうぞ。・・・よかった・・・小中学生じゃなくて。
近くのちっちゃな水溜まりで、ちょっと洗ってみる。ヘドロを落としてみる。そしてすぐに断念。だって・・・あっという間に水がヘドロになって、ヘドロ水でヘドロを落とす・・・ヘドロでヘドロを落としている自分の姿が・・・シュール過ぎるんですもの。
ヘドロを落とすことに捉われ過ぎて、また底無し沼にはまるのはまっぴらごめんなので、次も助かる保証が無さすぎるので、ヘドロマンはヘドロを滴らせたまま、草原へ向かうのであった。
あぁぁ、ヘドロに埋まって死ななくて良かったよ。マヂで。
ヘドロマンって・・・呼ぶなよ。絶対。
島ぞうりマンなら・・・呼んでもいいよ。
もう一つ聞きたい。底無し沼が存在したとして、現実、その底無し沼にはまる確率はどれくらいあるか?
マングローブの林の終わりを告げるのは、少し開けた泥地帯。・・・やっと終わった悪臭地帯。ホッと一安心。
草原の入り口はどこだっけ?と記憶を辿る。パッと見ただけでは分からない。・・・そういえば、草むらを掻き分けて上ったような記憶が・・・。あそこだ!間違いない。
僕はその草原の入り口はだと思える場所を目指して進み始める。
例の巻貝はそれほどいなく、踏んづけ作戦が実践できない。
ビーチサンダルをペチャッペチャッと言わせながら、歩く。またもやくっついて歩きにくい。
例えば、ちょっと先の未来を知っている者や、そこに何が待ち構えているのかを知っている人が居たならば、僕が一歩ずつ歩みを進めてその場所に近づいて行くのを見て、ほくそ笑んだに違いない。
僕は確実に、真っ直ぐに、その場所に近づいていったのだから。
底無し沼は存在するか?・・・もうお分かりだろう。底無し沼は存在する。
僕がこの記事を書くに当たって、「ビーチサンダル」という文字を書きすぎなくらいに書いているのには訳がある。このビーチサンダルが重要なキーワードなのだ。ビーチサンダルからシューズに履き替えなかった事。これが、僕の命を救ったと言っても・・・決して過言ではない。
この続きは、いつか、僕の心が落ち着いた時に書く事にしよう。ここまで読んでくれてありがとう。
シングの「続く」と「今度ね」は、あったためしがないとご存知のみなさん、また今度ね!
と、ちょっと意地悪を言いたくなってしまうほど、ショッキングな出来事。だったかな?
じゃぁ、続きね。
右足を泥に着くと、右足が泥にくっつく。くっついた右足を泥から剥がそうと、左足に体重をかけて右足を引っ張る。逆もしかり。そうやって一歩ずつ進んで行く。すぐそばに見えているはずの草原の入り口が、やたらと遠くに感じる。それでも、早くこの地帯を抜けたい僕は出来る限りの急ぎ足で先へ進む。
くっついた左足を剥がそうと、右足に力をいれた瞬間。身体が沈んだ。「ウソだろぉ!!!」と叫ぶ時間も無かった。沈んでると気づいてからも、更にヌメヌメと沈んでいく。「恐怖で凍りつく」とは、こういう時に使う表現なんだろうな。
沈んでいく右足を止めようと、左足に力を入れようとする。が、しかし、力を入れ過ぎたら左足も沈む。この泥沼に両足がはまったら、自力で抜け出すのは不可能なように思える。バランスだ。奇跡のバランスが必要だ。恐怖に負けてバランスを崩せば、奴らの思うままだ。奴らって誰だ?
左足が沈まないくらいの力で、右足の沈降を止める。・・・止まった。今、まさに奇跡のバランス。焦ってはいけない。ゆっくりとねかなければならない。・・・抜けない。ビーチサンダルが引っかかって抜けない。力を入れ過ぎれば左足も沈んでしまう。でもビーチサンダルが引っかかって抜けない。
ここで選択肢が現れる。人生はいつだって、選択の連続だ。
ビーチサンダルを棄てて、右足を抜くか。ビーチサンダルもろとも、右足を抜くか。
奇跡のバランス状態で固まっている体。・・・僕の頭は考える。普通だったら、ビーチサンダルを棄てるよな・・・でも、これはただのビーチサンダルじゃない!島草履だ~!前回の沖縄旅の時、石垣島で買ったんだぁ~~!!!棄てる訳にはいかないんだぁ!!!なんのこっちゃ。
そんなこんなで、ビーチサンダルを救うことに決めた僕は、左足の足場を比較的沈まなそうな場所にずらした。そして、左足への力が底全体にかかるように努めた。爪先や踵に比重がかかると沈む。ビーチサンダルの特色・・・底が平。そして浮力。ビーチサンダルを救う為に、ビーチサンダルの特色が力を発揮する。これは愛の話だ。
僕とビーチサンダルの片っぽが協力して、もう片っぽのビーチサンダルを救い出す。あふれる愛が無ければ成せる業ではない。・・・ような気がする。
左足のビーチサンダルの力を頑なに信じて、命を投げ出すような気持ちで右足を引っ張りあげる。決して離さないよ・・・と右足の親指と人差し指で鼻緒を締め付けながら引っ張る。実際、本気以上の力をで引っ張った。
そして・・・見事に、左足が沈むことなく、僕の右足と右足が履いているビーチサンダルを救出。思わず、無線でヘリを呼びたくなったよ。涙の救出劇だ。
実際は、涙の救出劇ではなく、ヘドロの救出劇。
右足のビーチサンダルが連れてきたのは泥沼の底に堆積しているヘドロ。もちろん、僕の右足の膝までびっしりヘドロまみれ。こんなことってある?滝を見に来ただけなのに、なんでヘドロまみれになるんだよ。なんで西表島に来てヘドロまみれになるんだよ。聞いてないよぉぉぉ。
そして、更に問題なのは、その悪臭を放つ真っ黒なヘドロを洗う水がない。・・・こ、こ、このまま滝へ?ヘドロをぶら下げて滝へ?前代未聞のヘドロ探検隊?・・・うそだろ?小中学生だったら、アダ名にされちまうぞ。おい、ヘドロって呼ばれるんだぞ。ヘドロ、ジュース買って来い!とか言われちゃうぞ。・・・よかった・・・小中学生じゃなくて。
近くのちっちゃな水溜まりで、ちょっと洗ってみる。ヘドロを落としてみる。そしてすぐに断念。だって・・・あっという間に水がヘドロになって、ヘドロ水でヘドロを落とす・・・ヘドロでヘドロを落としている自分の姿が・・・シュール過ぎるんですもの。
ヘドロを落とすことに捉われ過ぎて、また底無し沼にはまるのはまっぴらごめんなので、次も助かる保証が無さすぎるので、ヘドロマンはヘドロを滴らせたまま、草原へ向かうのであった。
あぁぁ、ヘドロに埋まって死ななくて良かったよ。マヂで。
ヘドロマンって・・・呼ぶなよ。絶対。
島ぞうりマンなら・・・呼んでもいいよ。