ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

トラッシュストリート

2011-02-19 17:47:38 | Weblog
今日はトラッシュストリート。
SING AND SHISSYでお届けします。
寒いのでコンパクトにとのシッシーからの要望。
コンパクトとは、時間の事だろうか?形の事だろうか?
寒いから・・・ってことは、多分時間だな。

7時到着予定だよ。V。

ギターのある風景

2011-02-19 09:50:07 | Weblog
自分は自分のことを分かっていると想ったら大間違いだ。少なくとも僕は、自分が分からない。どんな事を思いつくのか?何をし出すのか?だから、結構放っておく事が多い。しなければいけないことがあったとしても、するかしないかは分からない・・・後で困るのは僕だっていうのに・・・勝手なものだ。でも、そんな奔放な自分が何かを思いついた時のために、僕はいつだって準備をしておかなければならない。

イリオモテまでハードケースに入ったギターを運んでいったのは、そんな自分が曲を作りたいと想うんじゃないかという予感がしたから。いざ、メロディが浮かんだ時に良い環境で創作活動に臨んで欲しいという一心で、徒歩、電車、モノレール、飛行機、船・・・様々な乗り物を乗り継いでここまで運んできたのだ。時間はたっぷりある。二十曲くらいの完成品を持ち帰れたら幸いだな・・・なんて想っていた。

そこで出て来る自分という存在。これがなかなかギターの蓋を開けたがらない。興味は他にいってしまっている。森や海や干潟やタコやイカやサカナ・・・風に星に雨に焚き火。それを唄にして欲しいと願うのだが、なかなかギターを持とうとしない。二十曲とは言わないから、せめてギターを開けて欲しいと想う。はるばる南の果てまで持って来たんだぜ。一度も弾かないで持って帰るのか?・・・勘弁してくれ。

まばゆい星の夜、晩ご飯を済ませ、ブルーベリーの紅茶を入れる。焚き火台のある場所からテントへと歩き始める自分。ヘッドランプに照らし出された・・・本。違う。テーブルの上に置かれた・・・携帯電話。違う。テーブルの下に潜っている・・・ハードケース。それ。それ。
ケースからギターを出して焚き火台のある場所へ。ありがとう自分。これで少しは報われる。さぁ、思う存分弾いてくれ。メロディを捻り出してくれ。遠慮はいらないぜ。ここは南の島だ。

だが、そう簡単にはいかないんだ。ポロポロと爪弾きながら燃え盛る火をじーっと見つめる。漆黒の中に浮かび上がる星明かりをじーっと見上げてる。振り返った森の向こうに、風が生まれていそうな場所を探してる。天の川が綺麗だな・・・とつぶやく。キョロキョロと辺りを見回す。焚き火の煙を避けてみる。

・・・「はよ作れや!!!」と大阪弁で突っ込みたくもなる。

その夜、眠るまでに彼が作った曲は十曲に満たないぐらいか・・・あぁ、もう自分ではなく、彼と呼んでしまっている・・・。あぁでもない、こうでもないと、夜更けまで繰り返していたよ。二曲くらいは、きらめくメロディがあったような気がすると、彼が言っていた。

結局、旅で作った曲は、期待通り二十曲ほど。だがしかし、完成品はゼロというなんとも期待外れの結果。それでも、ギターを持っていった価値はあったな。だって・・・ギターを持った旅人って・・・なんかかっこいいもの。うん、かっこいい。・・・大変だけどね。

さぁ、バイクにギターを搭載する仕掛けを、夏までに考えてあげよう。・・・あっ、その前に完成品に仕上げるのね。・・・うん、彼に伝えておくよ。うん、それとなくね。

ヒントでピント

2011-02-19 07:37:12 | Weblog
何もないって楽しいの?・・・何もないってのは、ホントに何もないってことじゃない。それは、本当に必要なものしかないってことなのかもしれない。ホントに何も無い暮らしをしてるのは、沖縄の無人島で一人で素っ裸で生活してるおっさんくらしかいないだろう。
僕は文明否定主義者じゃない。原始の暮らしに憧憬は抱いてはいるものの、現実に文明の利器の力を存分に享受しながら生きているしね。でもね、今の社会は、それが過度なっているんじゃないかって想うんだ。暑いも寒いも、便利も不便も、必要も不必要も、昼も真夜中も、健康も不健康も、情報も何もかも・・・誰かの利益と欲望の中に埋没しそうになってるんじゃないかと想うんだ。何も無くても、快適に過ごせる現実ってのがあるのにね・・・って、そういう事が言いたいだけなんだよ。エジソンは地球の環境を破壊するために、電球を発明した訳じゃないってこと。文字通り、明るい未来のために発明したんだよね。じゃぁ、その時代から見た未来を生きる僕たちはどうか?僕らの子供や孫や、僕らがいなくなったずっと後の未来を生きる人のために・・・何を残そうとしてるのか?今よりももっともっと便利になった世の中なのか?汚れた空気の中で快適に生きる術と装置なのか?・・・本当に素晴らしきモノはどこにある?って話だね。きっと大事なのはバランスだ。そして、一番難しいのがバランスだ。

何もないって楽しいの?・・・何もないのが楽しいって訳じゃないけれど・・・例えば自然の中で、生きてるってことを実感できるのは・・・楽しいって言うよりも、嬉しいことだよ。例えばそこに存在する、僕らが不便と呼ぶ環境の中で、それを不便と感じずにいる人の生活がある。そこにはきっと、バランスが存在する。そこに・・・僕らが向かうべき未来のヒントがあるはずだと・・・僕は想うんだ。

アンケートポスカの話。

2011-02-19 05:39:04 | Weblog
脅威のアンケート回収率(90%以上)を誇り、他バンドから恐れられていたアニーズガーデン。その秘密は、アンケートと引き換えに渡す「オマケ」にあった。ミホやシングが夜な夜なラミネートしていたアニーキーホルダー。ミホが描いたイラストにシングの言葉を載せて、ライブに来てくれた人への特典。

アニーが解散して、トラッシュでライブをやるようになって、ミホに役割をシッシーが受け継いでくれた。キーホルダーをポスカに替えてオマケ作戦も続行。

毎回、ライブ前になるとシッシーが絵を送って来てくれる。パソコンに映し出されたその絵をジッと眺めながら、言葉が出て来るのを待つ。そして書く。印刷する。・・・そんな作業も今回のライブで30回を数える。
シッシーは毎回、すごい絵を描いてくれる。時々、困る。「この絵で何を書けと?」と想う時もあれば、「この絵に言葉は蛇足だよ」と想う時もあれば、「この絵は、オレに対する挑戦だね?」なんて想う時もある。とにかく、どんなに小さいライブの時も、シッシーは絵を描いてくれる。手の込んだものを仕上げてくれる。それは、感動的でもある。その、ある意味での共同作業が30回を超える・・・それが幸せだということに、疑う余地はない。

最近のライブ、残念なことに、アンケートの回収率が落ちている。墜ちていると言った方がいいか。前回のライブなどは悲惨だった。シッシーがポツリと漏らした一言・・・「この人数しかポスカを受け取ってないってことだ・・・」。印刷したポスカは、手元に残ってる。シッシーの気持ちを考えると・・・胸が痛んだ。労力に対するレスポンス。必要とされない作品。少なくとも、お金が欲しくて、何かしらの利益を欲して描いたものではない。みんなの笑顔のために・・・だ。誰かが喜ぶ笑顔のために・・・だ。アンケートを書いてくれた人へのお礼だ。

残念なことに、僕は、もう慣れっこだ。詩でも、言葉でも、メロディでも、歌詞でも、CDでも、例えば時にファンに踏みつけにされることにも慣れっこだ。そりゃぁ傷つきはするが、慣れっこだ。作品を必要としているのは、誰でもない自分だ・・・と想っている。だから、書くのは辞めない。ただそれだけの事だ。つまり・・・辞めるのも簡単だ。


もう描いてくれないかもな・・・的な状況の中で、今回も、シッシーが絵を送ってきてくれた。・・・みんなのために。すごく素敵な絵を描いてくれた。こんな状況下でも手を抜かない、手の込んだ作品だ。
一目でもいいから見て欲しいと、心から想う。アーティストが一番悲しいと想う事は、批判されることじゃない。見られもせずに通りすがられることだ。

名前だけ記入したものでもいい。白紙のアンケートでもいい。ライブに来たという証に、僕たちが奏でる音楽の傍らに佇む僕たちの作品を受け取って、可愛がってやって欲しいと想うんだ。

なんだか、結果、余計なお世話&押し売りみたいになって申し訳ない。でも、ホントに、素敵な絵なんだよ。言葉が霞むよ・・・。

あっ、前の記事に載せたwordsは全文ではないよ。抜粋だよ。

毎日が新しい一日

2011-02-19 05:31:58 | Weblog
例え今日が最悪な一日だったとしても、明日はまた違う一日。

・・・

やぁ元気かい?調子はどうだい?。。。まだ生きてるぜ。

・・・

永遠に繰り返されるメロディと詩のような。。。それがオレたちの毎日だ。

・・・


painted by shissy, words by sing. 2010.2.20.

ほにゃらほにゃら

2011-02-19 01:50:22 | Weblog
ジャングル探検がまたもや未遂に終わり、マングローブの林を抜けると干潟の潮は完全に引いていた。早々と撤退したお陰で、今が丁度干潮の時間だ。所々引き遅れた水が薄く残る干潟を、大胆に斜めに横切っていく。靴とビーチサンダルを両手に持って、裸足で歩く。チビガニを踏みつぶさないように・・・。普段はここも海の一部なのに、今は海は遥か遠い。干潟は広大だ。ここに夏の陽射しが照りつければ、一瞬にして干潟は干上がるのだろう。今はペチャペチャと水分を含む砂の表面も、カラカラに乾いた高温の砂になる。生き物は砂の中深く身を隠すのだろう。白夜の国の子供たちのようなものか。夏の夜は午後十時まで外で遊んでいても怒られやしないが、冬は一日のほとんど夜だ。そう考えると、夏に来た時よりも姿を見せているチビガニの数が多いことにも納得。チビガニにとっては、今が表で過ごせる楽しい季節だ。

干潟を渡りきって、道路に上がる手前の階段に腰を下ろした。濡れた足を乾かして砂を払う。陽が落ちるまでにはもう少し時間があるが、空の色が赤みを帯び始めている。僕は考えていた。大いなる魂の声を聞こうとしていた。
イカは釣れない。黒鯛も釣れない。タコの岩場は消えていた。ヤシガニにも会えない。ジャングルにも阻まれた。・・・これは一体どういうことだ?何もないじゃないか?・・・僕は苦笑する。
「何もするなってことなのか?」

想えば、僕は何もしないつもりでここに来た。この昼寝旅にイリオモテという場所を選んだのは、何もしないで過ごすのに最適だと想えたからだ。タイやロンドンも候補に挙げてはみたのだが、自分の性格上、忙しく動き回るに違いない。それは目的に反する。前回の旅で、この島はほぼ周り尽くしている。だから、昼寝に最適だと想った。どこへも行く必要が無い。つまらない・・・くらいの方がいいのだ。
「何もするなってことなんだろうな」

何もするなってことは、何もしちゃいけないという事ではない。何をしても良い結果は望めないぞ、という事だ。釣りをしている時の開放的で自由な気分も、チャリの辛さと爽快さも、夜の森と海の恐さも、探検の過酷さと気持ち悪さも・・・結果を抜きにすれば、あり過ぎるほどに意味はある。大いなる魂はこう言っているのではないか?
「自由にやればいいさ・・・おまえの好きなように」

僕は長いことそこに座っていた。少しずつ潮が満ち始めた干潟を見つめながら、少しずつ色を変えていく空を見つめながら、こう想った。
「明日は・・・何もしないで過ごそう・・・僕の好きなように」


干潟の向こうの方からおばぁが歩いて来る。手に何か持っている。僕の横を通り過ぎる時に、聞いてみる。
「何か穫れるんですか?」
真っ黒に日焼けしたおばぁは、ほんの小さなザルの中身を見せてくれた。「ほにゃらほにゃら」。・・・なんと言ったのかは聞き取れなかった。小さなザルの中に、二十匹ほどのほんの小さなエビ。
今夜の食卓には、小さなエビの佃煮かなんかが並ぶのかもしれない。おばぁとおじぃが食べる分だけ。
おばぁはチャリンコに乗って行ってしまった。あのおばぁは九十歳くらいかもしれないな。沖縄の女性は長生きだしな・・・。僕の横を通り過ぎる時、おばぁの背中がこう言っている気がした。
「簡単に手に入るものなんて、そうそうないよ」

大いなる魂・・・時々は従って、時々は逆らって、僕は生きる。だって、僕は自由だ。ただ、その声に耳を澄ますのは大切なことだ。僕は立ち上がって、歩き始める。帰って熱いシャワーを浴びよう。そして、まずはヘドロをキレイに落とそう。
「よし、明日は何もしないで過ごす」