ジャングル探検がまたもや未遂に終わり、マングローブの林を抜けると干潟の潮は完全に引いていた。早々と撤退したお陰で、今が丁度干潮の時間だ。所々引き遅れた水が薄く残る干潟を、大胆に斜めに横切っていく。靴とビーチサンダルを両手に持って、裸足で歩く。チビガニを踏みつぶさないように・・・。普段はここも海の一部なのに、今は海は遥か遠い。干潟は広大だ。ここに夏の陽射しが照りつければ、一瞬にして干潟は干上がるのだろう。今はペチャペチャと水分を含む砂の表面も、カラカラに乾いた高温の砂になる。生き物は砂の中深く身を隠すのだろう。白夜の国の子供たちのようなものか。夏の夜は午後十時まで外で遊んでいても怒られやしないが、冬は一日のほとんど夜だ。そう考えると、夏に来た時よりも姿を見せているチビガニの数が多いことにも納得。チビガニにとっては、今が表で過ごせる楽しい季節だ。
干潟を渡りきって、道路に上がる手前の階段に腰を下ろした。濡れた足を乾かして砂を払う。陽が落ちるまでにはもう少し時間があるが、空の色が赤みを帯び始めている。僕は考えていた。大いなる魂の声を聞こうとしていた。
イカは釣れない。黒鯛も釣れない。タコの岩場は消えていた。ヤシガニにも会えない。ジャングルにも阻まれた。・・・これは一体どういうことだ?何もないじゃないか?・・・僕は苦笑する。
「何もするなってことなのか?」
想えば、僕は何もしないつもりでここに来た。この昼寝旅にイリオモテという場所を選んだのは、何もしないで過ごすのに最適だと想えたからだ。タイやロンドンも候補に挙げてはみたのだが、自分の性格上、忙しく動き回るに違いない。それは目的に反する。前回の旅で、この島はほぼ周り尽くしている。だから、昼寝に最適だと想った。どこへも行く必要が無い。つまらない・・・くらいの方がいいのだ。
「何もするなってことなんだろうな」
何もするなってことは、何もしちゃいけないという事ではない。何をしても良い結果は望めないぞ、という事だ。釣りをしている時の開放的で自由な気分も、チャリの辛さと爽快さも、夜の森と海の恐さも、探検の過酷さと気持ち悪さも・・・結果を抜きにすれば、あり過ぎるほどに意味はある。大いなる魂はこう言っているのではないか?
「自由にやればいいさ・・・おまえの好きなように」
僕は長いことそこに座っていた。少しずつ潮が満ち始めた干潟を見つめながら、少しずつ色を変えていく空を見つめながら、こう想った。
「明日は・・・何もしないで過ごそう・・・僕の好きなように」
干潟の向こうの方からおばぁが歩いて来る。手に何か持っている。僕の横を通り過ぎる時に、聞いてみる。
「何か穫れるんですか?」
真っ黒に日焼けしたおばぁは、ほんの小さなザルの中身を見せてくれた。「ほにゃらほにゃら」。・・・なんと言ったのかは聞き取れなかった。小さなザルの中に、二十匹ほどのほんの小さなエビ。
今夜の食卓には、小さなエビの佃煮かなんかが並ぶのかもしれない。おばぁとおじぃが食べる分だけ。
おばぁはチャリンコに乗って行ってしまった。あのおばぁは九十歳くらいかもしれないな。沖縄の女性は長生きだしな・・・。僕の横を通り過ぎる時、おばぁの背中がこう言っている気がした。
「簡単に手に入るものなんて、そうそうないよ」
大いなる魂・・・時々は従って、時々は逆らって、僕は生きる。だって、僕は自由だ。ただ、その声に耳を澄ますのは大切なことだ。僕は立ち上がって、歩き始める。帰って熱いシャワーを浴びよう。そして、まずはヘドロをキレイに落とそう。
「よし、明日は何もしないで過ごす」


