使用頻度の高い調味料・・・砂糖。用途・・・カフェオレ、ロイヤルミルクティ、パンケーキ、煮物、天つゆ、その他もろもろ。
砂糖が切れたらどうしたらいい?
1.買いに行く。
2.買いに行く。
3.買いに行く。
一番近いスーパーまで往復一時間半かかるとしたらどうする?
1.あきらめる。
2.我慢する。
3.三日間、考える。
キャンプ五日目にして砂糖が切れた。荷物の容量&重量の都合上、調味料は最小限しか持って来ていない。いつだって最初になくなるのは砂糖だ。「あとでスーパーに買いに行こう」と思ったのだが、スーパーへは徒歩で往復一時間半。砂糖の他にあれもこれも必要ならば、行かないわけにもいかないが、砂糖のためだけに一時間半はちょっと考えてしまうだろ?得意のママチャリを借りて行くって方法もあるが、キャンプ場は小高い丘の上にある。行きはよいよい帰りはこわい。帰り道は強烈な坂道をチャリを押すことになる。それがかなりのハードワーク。徒歩とチャリ・・・徒歩だなってくらいチャリはきつい。
そんなことを考えているうちに夜になる。明日でいいやという気持ちになる。黒糖を代用したりしてみるが、黒糖の個性の強さったらない。まず間違いなく黒糖が勝つ。勝ち過ぎる。黒糖の味しかしなくなる。そしてまた一日が過ぎていく。
今日こそはと思うのだが、別についでがある訳でもなく、砂糖に対する情熱が煮えたぎるってこともなく、また一日がゆるやかに過ぎて行く。その間も、「あっ、砂糖ないんだった」と思うことは何度かある。三食自炊してると、砂糖って・・・意外に必要なんだよ。ねぇ、主婦のみなさん、ねぇ?
砂糖無しで過ごした三日間が仇となる日がやって来る。遂についでを見つけて出かけたスーパーマーケット。買い忘れないようにまずは砂糖を探す。
「砂糖、砂糖、砂糖はどこだ。あった。ほぇ!!!」
特売だと1キロ100円ほどで買えるはずの砂糖が、300円。・・・砂糖ってのは、オープンプライスだったのか。
実は、イリオモテの物価は高いのである。キャベツ一個350円。野菜は特に高いらしい。レギュラーガソリン1リットル160円。カッパえびせん150円。離島価格ってやつだ。
キャンプもあと三日で終わりって時に1キロの砂糖は必要ない。必要ない量の砂糖に300円・・・高いよ。迷った挙げ句、250グラム200円のスティックシュガーを購入。もう・・・得なんだか損なんだかわかんないことに。まぁ、残り三日間、甘いカフェオレが飲めると思えば、痛くない痛くない。
一番近くのスーパーまで、徒歩で一時間半。これを、不便だと想うか?想わないか?これが主題なのである。例えば、スローライフにおいて・・・完全なるスローな環境において、「便利さ」のプライオリティ・・・優先順位はどこらへんに位置するのか?
文明の発展は「便利さ」の追求から始まり、その追求が終わることは決してない。僕らの生活は、社会は、世界はどんどん便利になっていく。人がその便利さから享受するものは何か?便利になることで失うものは何か?「便利」と「不便」の境界線をどこに引いているのか?引くべきなのか?僕らの生活は、現代の社会は、世界は、そのバランスを失ってはいないのか?僕らは一体・・・何を求めているのか?
「砂糖」一つで随分とビッグな話になってしまいそうだ。
西表島、星が降り注ぐ夜・・・ブルーベリーの香りのする紅茶をストレートですすりながら、僕は富良野で過ごした超ウルトラスーパースローな日々を思い出さずにはいられないのであった。
砂糖が切れたらどうしたらいい?
1.買いに行く。
2.買いに行く。
3.買いに行く。
一番近いスーパーまで往復一時間半かかるとしたらどうする?
1.あきらめる。
2.我慢する。
3.三日間、考える。
キャンプ五日目にして砂糖が切れた。荷物の容量&重量の都合上、調味料は最小限しか持って来ていない。いつだって最初になくなるのは砂糖だ。「あとでスーパーに買いに行こう」と思ったのだが、スーパーへは徒歩で往復一時間半。砂糖の他にあれもこれも必要ならば、行かないわけにもいかないが、砂糖のためだけに一時間半はちょっと考えてしまうだろ?得意のママチャリを借りて行くって方法もあるが、キャンプ場は小高い丘の上にある。行きはよいよい帰りはこわい。帰り道は強烈な坂道をチャリを押すことになる。それがかなりのハードワーク。徒歩とチャリ・・・徒歩だなってくらいチャリはきつい。
そんなことを考えているうちに夜になる。明日でいいやという気持ちになる。黒糖を代用したりしてみるが、黒糖の個性の強さったらない。まず間違いなく黒糖が勝つ。勝ち過ぎる。黒糖の味しかしなくなる。そしてまた一日が過ぎていく。
今日こそはと思うのだが、別についでがある訳でもなく、砂糖に対する情熱が煮えたぎるってこともなく、また一日がゆるやかに過ぎて行く。その間も、「あっ、砂糖ないんだった」と思うことは何度かある。三食自炊してると、砂糖って・・・意外に必要なんだよ。ねぇ、主婦のみなさん、ねぇ?
砂糖無しで過ごした三日間が仇となる日がやって来る。遂についでを見つけて出かけたスーパーマーケット。買い忘れないようにまずは砂糖を探す。
「砂糖、砂糖、砂糖はどこだ。あった。ほぇ!!!」
特売だと1キロ100円ほどで買えるはずの砂糖が、300円。・・・砂糖ってのは、オープンプライスだったのか。
実は、イリオモテの物価は高いのである。キャベツ一個350円。野菜は特に高いらしい。レギュラーガソリン1リットル160円。カッパえびせん150円。離島価格ってやつだ。
キャンプもあと三日で終わりって時に1キロの砂糖は必要ない。必要ない量の砂糖に300円・・・高いよ。迷った挙げ句、250グラム200円のスティックシュガーを購入。もう・・・得なんだか損なんだかわかんないことに。まぁ、残り三日間、甘いカフェオレが飲めると思えば、痛くない痛くない。
一番近くのスーパーまで、徒歩で一時間半。これを、不便だと想うか?想わないか?これが主題なのである。例えば、スローライフにおいて・・・完全なるスローな環境において、「便利さ」のプライオリティ・・・優先順位はどこらへんに位置するのか?
文明の発展は「便利さ」の追求から始まり、その追求が終わることは決してない。僕らの生活は、社会は、世界はどんどん便利になっていく。人がその便利さから享受するものは何か?便利になることで失うものは何か?「便利」と「不便」の境界線をどこに引いているのか?引くべきなのか?僕らの生活は、現代の社会は、世界は、そのバランスを失ってはいないのか?僕らは一体・・・何を求めているのか?
「砂糖」一つで随分とビッグな話になってしまいそうだ。
西表島、星が降り注ぐ夜・・・ブルーベリーの香りのする紅茶をストレートですすりながら、僕は富良野で過ごした超ウルトラスーパースローな日々を思い出さずにはいられないのであった。