とある趣味の会の先生は、言葉の「より」と「から」の使い方が気になるとおっしゃる。
「12日より13日まで」というのは誤りで、「12日から13日まで」と言うべきであるとおっしゃる。
「・・・より」、と「・・・から」は、ものの比較や、期間と混合して使われてしまっているとおっしゃる。
そう言えば、私も現役の頃は出来るだけ「より」と「から」は文章にする場合も気を付けて使用していた。
ところが最近「昭和天皇実録」の中で、「・・・より・・・に奏上があった」という表現がとても多いことに気がついた。
・・・から奏上があったとは使われていないところをみると、比較の最上位にある天皇に対して・・・からは失礼なのだろうと勝手に解釈することにした。
ことほど左様に気にすれば、なんぼでも気になる言葉は出てくるものだ。

「I・T」は「情報と技術」のことと理解していたら、最近NHKのアナウンサーが「IT技術」と言っているのを聞いて?が2つ程点灯した。
またつい昨日は「新日本風土記」という番組で北九州・関門地区が紹介された中で、いわゆる飲み屋ではない酒を販売している酒屋の店先で飲むことを「角打(かくうち)」と何度も言っているのを聞いた。
実は出所不明だが「角打(かくち)」と表現した読み物を以前読んだ記憶があって、私の頭の中ではもうずっと以前から「かくち」という言葉のままでインプットされていたのだ。
国語辞典にも、漢和辞典にも載っていないので、ネットで調べたら広辞苑だの何とかだの解説が沢山出てきた。
ほとんどが、「角打」の意味・由来の解説で「読み」については、すべて「かくうち」となっていた。
私の思い違いにつき「これにて一件・・」と幕を引こうとしたら、山口あたりの人のブログ記事にヒットして、見るとはなしに見ていたら「角打(かくち)と発音する」という一文を発見した。
ここでのポイントは、「かくちと読む」と言わずに「かくちと発音」と書かれていることだと思った。
そう言えば「博打」も「ばくうち」とは言わず「ばくち」ということに思い至った。
そこで博打を調べたら、元は「ばくうち」と言っていたがやがて「ばくち」と言うようになったとある。
まったく出来た過程が逆バージョンというわけで、やや喜びが萎んでしまいそうになった。
言葉とは生き物なのだ、場所や時代によって流行りそして変化し、生まれては消える。
近頃流行の「こちら〇〇丼になります」という用法と同じで、出所不明の「言の端」はいつしか「言の葉」になってスクスク成長し独り立ちし、大部分は孤独死するのだろう。
「説明は不足言葉は多すぎる」
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「12日より13日まで」というのは誤りで、「12日から13日まで」と言うべきであるとおっしゃる。
「・・・より」、と「・・・から」は、ものの比較や、期間と混合して使われてしまっているとおっしゃる。
そう言えば、私も現役の頃は出来るだけ「より」と「から」は文章にする場合も気を付けて使用していた。
ところが最近「昭和天皇実録」の中で、「・・・より・・・に奏上があった」という表現がとても多いことに気がついた。
・・・から奏上があったとは使われていないところをみると、比較の最上位にある天皇に対して・・・からは失礼なのだろうと勝手に解釈することにした。
ことほど左様に気にすれば、なんぼでも気になる言葉は出てくるものだ。

「I・T」は「情報と技術」のことと理解していたら、最近NHKのアナウンサーが「IT技術」と言っているのを聞いて?が2つ程点灯した。
またつい昨日は「新日本風土記」という番組で北九州・関門地区が紹介された中で、いわゆる飲み屋ではない酒を販売している酒屋の店先で飲むことを「角打(かくうち)」と何度も言っているのを聞いた。
実は出所不明だが「角打(かくち)」と表現した読み物を以前読んだ記憶があって、私の頭の中ではもうずっと以前から「かくち」という言葉のままでインプットされていたのだ。
国語辞典にも、漢和辞典にも載っていないので、ネットで調べたら広辞苑だの何とかだの解説が沢山出てきた。
ほとんどが、「角打」の意味・由来の解説で「読み」については、すべて「かくうち」となっていた。
私の思い違いにつき「これにて一件・・」と幕を引こうとしたら、山口あたりの人のブログ記事にヒットして、見るとはなしに見ていたら「角打(かくち)と発音する」という一文を発見した。
ここでのポイントは、「かくちと読む」と言わずに「かくちと発音」と書かれていることだと思った。
そう言えば「博打」も「ばくうち」とは言わず「ばくち」ということに思い至った。
そこで博打を調べたら、元は「ばくうち」と言っていたがやがて「ばくち」と言うようになったとある。
まったく出来た過程が逆バージョンというわけで、やや喜びが萎んでしまいそうになった。
言葉とは生き物なのだ、場所や時代によって流行りそして変化し、生まれては消える。
近頃流行の「こちら〇〇丼になります」という用法と同じで、出所不明の「言の端」はいつしか「言の葉」になってスクスク成長し独り立ちし、大部分は孤独死するのだろう。
「説明は不足言葉は多すぎる」

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