ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

歌舞伎町の女王(椎名林檎)

2023-10-27 13:36:31 | 歌詞

蝉の声を聞く度に 目に浮かぶ九十九里浜

皺々の祖母の手を離れ 独りで訪れた歓楽街

ママは此処の女王様 生き写しの様なあたし

誰しもが手を伸べて 子供ながらに魅せられた歓楽街

 

十五に成ったあたしを 置いて女王は消えた

毎週金曜日に来てた男と暮らすのだろう

 

「一度栄えし者でも必ずや衰えゆく」

その時を迎え足を踏み入れた歓楽街

 

消えて行った女を憎めど夏は今

女王と云う肩書きを誇らしげに掲げる 

 

女に成ったあたしが売るのは自分だけで

同情を欲した時に全てを失うだろう

 

JR新宿駅の東口を出たら

此処はあたしの庭 大遊戯場歌舞伎町

 

今夜からは此の町で娘のあたしが女王

 

作詞・作曲は椎名林檎。1998年9月発売。

もう四半世紀前になるんですね。宇多田ヒカルと同時期に出現した椎名林檎。宇多田が正統派なら椎名は異端。宇多田が天才なら椎名は鬼才。そんな印象があります。

 

「蝉の声を聞く度に、目に浮かぶ九十九里浜。皺々の祖母の手を離れ、独りで訪れた歓楽街」

主人公は九十九里浜の方で祖母に育てられたのでしょう。思春期の入り口で母親に引き取られたようですが、母はこの歓楽街では女王であり、生き写しの様な娘に男たちが感嘆し、娘は恍惚を知る。結局、女王である母は娘が15才の時に男と出ていった。

 

「一度栄えし者でも、必ずや衰えゆく。その意味を知る時を迎え足を踏み入れた歓楽街」

主人公の娘は15才から少し時を経たようにもとれます。その間に母の美貌が衰えていく様を観察していたのでしょう。

「女に成ったあたしが売るのは自分だけで、同情を欲した時に全てを失うだろう」

同情を求めてしまえば並の女で、女王に必要な威厳やカリスマ性は消えてしまうことを娘は悟ったようです。

 

「JR新宿駅の東口を出たら、其処はあたしの庭、大遊戯場歌舞伎町」

ここは思い切り吹っ切れてていいですね。「大遊戯場歌舞伎町」。吹っ切れてます。

そして、「今夜からは此の町で、娘のあたしが女王」

すぐに女王になったのか、これから女王になるのかは分かりませんが、どちらにしても母が娘に女王の地位を奪われるのは間違いありません。

「猛き者もついには滅び、ひとえに風の前の塵に同じ」

普遍的な新旧交代を描いているのです。

 

椎名さんは相当な文学少女だったと想像します。しかし、それでは説明がつかない。この歌詞は文学としても成立しています。椎名林檎は才能の吹き溜まりです。神懸かっていました。

 

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遠くで汽笛を聞きながら(アリス)

2023-10-20 12:02:19 | 歌詞

悩み続けた日々が

まるで嘘のように

忘れられる時が

来るまで心を閉じたまま

暮らしてゆこう 

遠くで汽笛を聞きながら

何もいいことがなかったこの街で

 

せめて一夜の夢と

泣いて泣き明かして

自分の言葉に嘘はつくまい

人を裏切るまい

生きてゆきたい

遠くで汽笛を聞きながら

何もいいことがなかったこの街で

 

作詞・谷村新司、作曲・堀内孝雄。1976年9月リリース。

 

先日、谷村新司さんが亡くなりました。体調不良で休養されていたのは知っていましたが、こんなに早く旅立たれてしまうとは思いませんでした。抜群の歌唱力と曲づくりの才能。温厚な人柄。尊敬できる方でした。ご冥福を祈ります。

 

「遠くで汽笛を聞きながら」の歌詞を改めて振り返りたいと思います。

冒頭の「悩み続けた日々が~心を閉じたまま、暮らしてゆこう」

この部分は少し後ろ向きにもとれるのですが、今の気持ちは必ず忘れられる日が来るから、それまではとりあえず生きていこうという前向きな受け取り方も出来ます。

 

3番の「自分の言葉に嘘はつくまい、人を裏切るまい」

たとえ自分が裏切られても、同じような人間にはならないという気高い決意が感じられます。

そして1番の「暮らしてゆこう」が3番では「生きてゆきたい」に変わり、そのため、次に続く「遠くで汽笛を聞きながら」が同じ言葉でありながら、違う響きで捉えられます。

 

そして最後の「何もいいことがなかったこの街で

この街に住み始めた頃の気分の高揚まで想像すると少し切ないですね。 

この歌詞は人生の本質を間接的に表現しているようでもあります。盟友の堀内孝雄さんと生み出した後世に残る名曲です。

谷村さん、お疲れ様でした。

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襟裳岬(森進一)

2023-10-13 12:48:36 | 歌詞

北の街ではもう 悲しみを暖炉で

燃やしはじめてるらしい

理由(わけ)のわからないことで 悩んでいるうち

老いぼれてしまうから

黙りとおしたとしつきを

拾い集めて 温めあおう

襟裳の春は何もない春です

 

日々の暮らしは嫌でも やってくるけど

静かに笑ってしまおう

いじけることだけが 生きることだと

飼い慣らし過ぎたので

身構えながら話すなんて

ああ 臆病なんだよね

襟裳の春は何もない春です

 

寒い友だちが訪ねてきたよ

遠慮はいらないから 暖まってゆきなよ

 

作詞・岡本おさみ、作曲・吉田拓郎。1974年1月発売。

名曲中の名曲だと思います。フォークのカリスマである吉田拓郎の曲を、演歌の象徴的存在の森進一が歌ったことで、大きな化学反応が起きたとも言えるでしょう。

そして忘れてならないのは岡本おさみの歌詞です。こんな素晴らしい歌詞に出会うことはめったにありません。時代を超越した普遍的な言葉が並んでいるので、古くなることがありません。

「わけのわからないことで悩んでいるうち、老いぼれてしまうから」

この言葉が今書かれていても何ら違和感がありません。

 

「黙りとおしたとしつきを拾い集めて温めあおう」

無口な北国の人々の生活が浮かび上がります。

そして「襟裳の春は何もない春です」

この言葉で締めくくっています。地元の人々の反感を買ったのは有名な話ですが、それを恐れて説明のような言葉を並べてしまったら、歌詞が台無しになります。歌詞や詩もそうですけど、引き算でやっていかないとなりません。無駄を省けば誤解が生まれる。それを百も承知で岡本さんは書いています。

僕は「何もない春」を昔から変わらない春とか、この上ない春と解釈しています。街や人々の優しさすら、この一文から伝わってきます。

 

2番も3番もいいですね。ここに掲載しているのは3番の歌詞ですけど

「日々の暮らしは嫌でもやってくるけど、静かに笑ってしまおう」

静かにを入れることで哀愁が深まり、より格調が高くなりますね。

そして「襟裳の春は何もない春です」で締められています。

 

最後の「寒い友だちが訪ねてきたよ。遠慮はいらないから、暖まってゆきなよ」

寒い友だちも言葉を削っています。寒い道のりをはるばる歩いてきた友だちというイメージですか。それを「寒い友だち」の短い言葉で表現する岡本さんの高い技術が光ります。

襟裳岬は是非、後世に残ってもらいたい曲のひとつです。

 

 

 

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夕焼け(スピッツ)

2023-10-06 12:51:04 | 歌詞

言葉でハッキリ言えない感じ 具体的に

「好き」では表現しきれない 溢れるほど

例えば夕焼けみたいな サカリの野良猫みたいな

訳わからんて笑ってくれてもいいけど

 

君のそばにいたい このままずっと

願うのはそれだけ むずかしいかな

終わりは決めてない 汚れてもいい

包み込まれていく 悲しいほどにキレイな夕焼け

 

君のそばにいたい 想っていたい

他にはなにもないは何もない 生まれてきたよ

遠くから近づいてる 季節の影を

忘れさせてくれる 悲しいほどにキレイな夕焼け

 

作詞・作曲は草野正宗。「群青」のカップリング曲として2007年8月発売。ロビンソンやチェリーなどと比べると知名度ははるかに劣りますが、珠玉のバラードです。

 

歌詞の冒頭がいかにも草野さんらしい。

「言葉でハッキリ言えない感じ~例えば夕焼けみたいな、サカリの野良猫みたいな、訳わからんて笑ってくれてもいいけど」

これ草野さんの実体験じゃないですか?そして彼女に笑われるみたいな。

 

「君のそばにいたい」という言葉は草野さんにしてはかなりストレートですね。

「他には何もない。生まれてきたよ」

個人的に好きな部分です。

ただ「遠くから近づいてる季節の影」

これは恋人との別れを予感させます。草野さんの歌詞が好きなのは、もちろん言葉のセンス、独特の世界観など色々ありますが、恋愛が長く続かない印象があるんです。「一生、一緒にいて欲しい」的な歌詞はほとんどありません。

そこが自分と重なって共感しているところがあると思います。マラソンでなく、100メートル、200メートルどこまで走れるかという。

 

最後に「悲しいほどにキレイな夕焼け」

綺麗なものとか美しいものというのは、たいてい悲しさを伴っていることが多い気がします。

8月に発売されていますが、夏の夕焼けって綺麗ですよね。

 

 

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ノーサイド(松任谷由実)

2023-09-25 11:49:06 | 歌詞

彼は目を閉じて 枯れた芝生の匂い深く吸った

長いリーグ戦 しめくくるキックはゴールをそれた

 

肩を落として 土をはらった

緩やかな冬の日の黄昏に

彼はもう二度とかぐことのない風 深く吸った

 

何をゴールに決めて

何を犠牲にしたの 誰も知らず

歓声よりも長く

興奮よりも速く 走ろうとしていたあなたを

少しでもわかりたいから

人々がみんな立ち去っても私 ここにいるわ

 

同じゼッケン 誰かがつけて

また次のシーズンをかけてゆく

人々がみんなあなたを忘れても ここにいるわ

 

作詞・作曲は松任谷由実。1984年発売。

現在、フランスでラグビーのワールドカップが開催されています。日本は1勝1敗で、ここから真価が問われます。そして、個人的にラグビーの曲といえば、美しい情景がくっきり浮かぶ松任谷由実の「ノーサイド」。

 

冒頭の部分は風景を描写しているだけなのですが、美しく切ないですね。

「彼はもう二度とかぐことのない風、深く吸った」

「彼」が大学4年生だということが分かります。

「何をゴールに決めて、何を犠牲にしたの」から続く歌詞はユーミン自身なのか、架空の人物なのか分かりませんが、女性が「あなた」の心情を察している印象です。

 

最後の歌詞も好きです。

「同じゼッケン、誰かがつけて、また次のシーズンをかけてゆく。人々がみんなあなたを忘れてもここにいるわ」

時の無情さが遠回しに描かれています。よほどの選手でない限り、大概の選手は世間に忘れ去られます。「でも私は忘れない」という女性の決意で締めくくられています。

 

あの頃の大学ラグビーの人気は凄いものがありましたから。卒業して社会人でプレーを続ける選手もいますが、大学ラグビーに比べると社会人のそれは注目度が大きく落ちます。いわば大学生がラガーマンとして絶頂なのです。

そうした時代背景があり、この歌詞が生まれたとも言えます。それにしても歌詞、曲ともにさすがユーミン。名曲です。

 

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シェリー(尾崎豊)

2023-09-08 12:41:17 | 歌詞

シェリー 俺は転がり続けてこんなとこにたどり着いた

シェリー 俺は焦りすぎたのか

むやみに何もかも捨てちまったけれど

シェリー あの頃は夢だった

夢のために生きてきた俺だけど

シェリー おまえの言う通り 金か夢かわからない暮らしさ

転がり続ける俺の生きざまを

時には無様な格好で支えてる

シェリー 優しく俺を叱ってくれ

そして強く抱きしめておくれ

おまえの愛がすべてを包むから

シェリー いつになれば俺は這い上がれるだろう

シェリー どこに行けば俺はたどり着けるだろう

シェリー 俺は歌う愛すべきものすべてに

 

作詞・作曲は尾崎豊。1985年にリリースされたアルバム「回帰線」に収録。

 

尾崎豊の兄が埼玉弁護士会の会長になったそうです。弟が早熟の天才ならば、兄は大器晩成といったところですか。動画で兄の康さんが弟を語っているのですが、康さんは立派な紳士ですね。

康さんが始めてみたものの、すぐに飽きてしまったギターを豊さんは熱心に弾いていたそうです。ドラッグを止めさせるために殴り合いの喧嘩もしたと語っています。

そのお兄さんが最も弟らしい曲として「シェリー」を挙げていました。懐かしそうに話しているのが印象的です。

 

お兄さんが「豊の曲は不良の歌ではない。むしろ真面目な子の歌」と語っていましたが、その真面目さが当時は嫌で僕は尾崎を遠ざけていました。「別にそんなことどうだっていいじゃねえか」という風に。

10代の教祖とも言われましたが、決して主流ではなかった。僕が尾崎を聴くようになったのは彼の死後です。シェリーもよく聴きました。巨人・ヤンキースなどで活躍した松井秀喜さんも若い頃「シェリー」が好きでした。

 

歌詞は尾崎さんがシェリーにすがっているんですよね。作詞家は大まかにフィクションを歌詞にするタイプと事実を歌詞にするタイプに分かれますが、尾崎さんは後者の代表格だと思います。「転がり続ける俺の生きざま」は尾崎さんそのものに映ります。

「シェリー いつになれば俺は這い上がれるだろう。シェリー どこに行けば俺はたどり着けるだろう」

この言葉を当時は自分と重ね合わせて聴いていました。

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夏祭り(JITTERIN'JINN)

2023-08-29 12:30:31 | 歌詞

君がいた夏は 遠い夢の中

空に消えてった打ち上げ花火

 

君の髪の香りはじけた

浴衣姿がまぶしすぎて

お祭りの夜は胸が騒いだよ

はぐれそうな人ごみの中

「はなれないで」出しかけた手を

ポケットに入れて握りしめていた

 

君がいた夏は 遠い夢の中

空に消えてった打ち上げ花火

 

作詞・作曲は破矢ジンタ。1990年8月発売。2000年にWhiteberryがカバー。

 

ジッタリンジンは「プレゼント」や「にちようび」などユニークな歌詞が印象的です。ただ、この「夏祭り」は夏の青春をストレートに描いています。

「君がいた夏は遠い夢の中。空に消えてった打ち上げ花火」

世代を問わず心に真っ直ぐ伝わってくる言葉ではないでしょうか。

「君の髪の香りはじけた。浴衣姿がまぶしすぎて、お祭りの夜は胸が騒いだよ」

思い浮かべる光景に違いはあれど、この一節はかなり多くの方に、懐かしく響く気がします。夏の終わりに聞きたい一曲です。

 

「夏祭り」は野球の応援ソングなどで耳にするので、古い歌の印象はないのですが、ジッタリンジンがこの曲を発売して33年、ホワイトベリーからも23年もの長い年月が過ぎました。

花火と人間の寿命の長さは対照的ですらあるけれど、「一瞬」という意味では案外、共通しているのかもしれません。

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道化師のソネット(さだまさし)

2023-08-21 11:52:28 | 歌詞

笑ってよ君のために 

笑ってよ僕のために

 

僕達は小さな舟に 哀しみという荷物を積んで

時の流れを下ってゆく舟人たちのようだね

君のその小さな手には 持ちきれない程の哀しみを

せめて笑顔が救うのなら 僕は道化師(ピエロ)になれるよ

 

笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために

きっと誰もが同じ河のほとりを歩いている

 

作詞・作曲はさだまさし。1980年にリリースされました。素晴らしい歌詞、そして曲ですね。

僕は子供だったから知っていたのは「関白宣言」の方で、「道化師のソネット」は大人になってから知りました。関白宣言はいかにも昭和の歌詞ですが、道化師のソネットは時代を問わず、普遍的なものです。

 

歌詞の中でもっとも好きなところは「君のその小さな手には持ちきれない程の哀しみを、せめて笑顔が救うのなら僕はピエロになれるよ」という一文です。笑うって大切ですよね。

 

最近は松浦亜弥の歌声で聴くことが多くなりました。「あやや」こと松浦さんは現時点で最後のソロアイドルと言える存在だと思います。それにとどまらず、実力派のシンガーでもあります。20代のあややが歌う「道化師のソネット」もさださんとは違った素晴らしさがあります。

さだまさしの「道化師のソネット」は後世に残る、いや、いつまでも残ってほしい名曲です。

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ZOO(ECHOES)

2023-08-14 12:33:45 | 歌詞

僕たちはこの街じゃ 

夜更かしの好きなフクロウ

本当の気持ち隠している

そうカメレオン 

朝寝坊のニワトリ

徹夜明けの赤目のウサギ 

誰とでもうまくやれる

コウモリばかりさ

見てごらん よく似ているだろう

誰かさんと

ほらごらん 吠えてばかりいる

素直な君を

 

白鳥になりたいペンギン

なりたくはないナマケモノ

失恋しても片足で踏ん張るフラミンゴ

遠慮しすぎのメガネザル

ヘビににらまれたアマガエル

ライオンやヒョウに頭下げてばかりいるハイエナ

見てごらんよく似ているだろう

誰かさんと

ほらごらん吠えてばかりいる素直な君を

 

ほらね そっくりなサルが僕を指さしてる

きっとどこか隅の方で僕も生きてるんだ

愛を下さい

愛を下さい ZOO

愛を下さい

愛を下さい ZOO、ZOO

 

作詞、作曲は辻仁成。ドラマ「愛をください」主題歌。1988年、川村カオリに提供された。川村さん、若くして亡くなりましたね。1989年、辻のロックバンドECHOESがセルフカバー。そして2000年、菅野美穂が役名の「蓮井朱夏」として「ZOO~愛をください~」をリリースしました。菅野主演の「愛をください」で一躍「ZOO」は広く知られるようになりました。

 

歌詞は人の外見や性格、また生活を動物に例えているのがユニークです。

「僕たちはこの街じゃ、夜更かしの好きなフクロウ。本当の気持ち隠している、そうカメレオン」

当時、菅野さんはカメレオン女優とも形容されました。

 

僕はそれまで天才役者、天才女優というものに疑いを持っていました。生活が破天荒だったり、女優であれば生意気だったり、気難しいタイプが天才と言われやすいと思っていました。

そこに現れたのが新進女優の菅野美穂でした。個人的な天才の定義としては最初からずば抜けているということです。現在なら大谷翔平、藤井聡太が当てはまります。

 

「イグアナの娘」で初めて彼女の演技を見た時、現実に天才女優が存在することを知りました。ひとつ挙げれば瞬発力がずば抜けていました。10代の頃は精彩がなく、その後徐々に力をつけて、30才以降に一流に達した人は、ジャンルは何であれ努力型と言えるでしょう。役者で言えば演技派にはなれますが、天才ではないです。

「愛をください」の頃の菅野さんは完全にゾーンに入っていた頃で、そうした意味でもこの曲は感慨深いです。

 

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夏のタイムマシーン(小泉今日子)

2023-07-25 12:31:27 | 歌詞

真夏のショーウィンドウ 太陽が反射して

真っ白な舗道を

ふと誰かとすれ違った気がした

あれは多分16の私

 

制限の帰り道 覗き込んだディスプレイ

ハイヒールがとても眩しかった あの頃

初めてキスした夜 ママに嘘ついたけど

知りたかっただけなの 変わっていく自分を

 

恋をしてときめいて陽炎にゆれる未来を

恋をしてときめいて手のひらかざし見つめてた

夢は何色 愛は何色 幸せは何色

 

夏のタイムマシーン 少女の私に伝えてよ

あの日探してた答えは今も出せないけど

夏のタイムマシーン 大丈夫だよと伝えてよ

あの日輝いてたその瞳に負けないくらい

一生懸命泣いて 一生懸命悩んで

一生懸命頑張っているから

 

作詞は田口俊。作曲は筒美京平。1988年発売。この曲、リアルタイムでは覚えがないです。次の「怪盗ルビイ」はよく分かりますが。ただ、後に知って、小泉今日子の曲の中でも個人的には上位に入ります。

 

「真夏のショーウィンドウ、太陽が反射して、真っ白な舗道をふと誰かとすれ違った気がした。あれは多分16の私」

タイムマシーンに乗って、当時22才の小泉さんが過去に戻ります。今にして思えば16才も22才も若いのですが、当時の小泉さんはアイドルとしてベテランで、主流から外れつつあった時期だと思います。

 

当時の女性アイドルは10代がピークで20才を過ぎると下降線をたどるパターンがほとんどでした。

それでも別格の松田聖子、中森明菜20才の壁を難なく越えて、第三極のスーパーアイドルだった小泉さんも20才を過ぎても人気が落ちることはありませんでした。

その後、CM女王になり、本格的な女優に転身しました。アイドルから上手く脱皮した数少ない成功例だと思います。

 

「夏のタイムマシーン」の歌詞を拡げて見ると、当時のアイドルの22才というのは一般に当てはめれば40代以上の中高年といえます。

 

「夏のタイムマシーン、少女の私に伝えてよ。あの日輝いてたその瞳に負けないくらい一生懸命泣いて、一生懸命悩んで、一生懸命頑張っているから

 

「夏のタイムマシーン」はかつて少年、少女だった大人たちに、あの頃の気持ちを忘れずにいるかと問いかけているような気がします。

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