ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

浅田真央に花束を

2017-04-11 23:11:35 | スポーツ
彼女がなぜ、ここまで皆に愛されたのか?それはいくつかの理由があったと思います。スケートに対するひたむきな姿勢。礼儀正しさ。そして、いつしか纏わりついた悲劇性。これら日本人好みの要素が重なり合い、真央ちゃんは長らく多くの人に愛されてきました。

ここで少し、フィギュア選手としての彼女を振り返ります。ジャンプの3天才、伊藤みどり、安藤美姫、そして浅田真央。伊藤さん、安藤さんが高さなら、真央ちゃんは回転力で勝負するタイプだったように思います。皮肉にもこの3人のうち、1人も金メダルに届かなかったのですから、オリンピックのピークに合わせる難しさを感じます。

そして、浅田選手のライバルといえばキム・ヨナ選手です。評価としては、キムヨナの方が実力的に上というのが通説かもしれませんが、僕はピークの違いという見方をしています。前半は真央ちゃんで後半がキムヨナ。桜に例えるなら、真央ちゃんは3月下旬に満開だった。キムヨナは3月は七分咲きで4月に入ってから、満開になった。バンクーバーオリンピックはすでに4月に入ってからの戦いだったと思うのです。真央ちゃんはこの時、すでに散り始めていた。

むしろ、4年前のトリノオリンピックに出場していたらという思いは、多くの人にあるでしょう。勿論、勝負の世界にタラレバはありませんが。このシーズンのグランプリファイナルで優勝している訳ですから。結局、彼女に年齢制限の壁が立ちはだかり、基準に3ヶ月ほど足りず、出場はなりませんでした。しかし、もし彼女がトリノで早々と金メダルを取っていたら、その後の物語は生まれていなかったかもしれません。

今後、彼女より凄い選手は出現するかもしれない。彼女を超えるような人気選手も出てくるかもしれない。それでも、もう浅田真央のような選手は二度と現れない。ひたむきで、礼儀正しく、重圧から逃げずに立ち向かい、悲劇性まで抱えて。その細い足で、腕で。内面の美しさが、スケートリンクに零れ落ちていくような選手はもう二度と。浅田真央は美しく散りました。真央ちゃんお疲れ様、ありがとう。

コメント
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