ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

駒花(50)

2017-06-03 21:32:57 | 小説
先生宅を後にして、私と糸井君は、かつて、先生によく連れて行ってもらった、近所の蕎麦屋に入った。私たちが出入りしていた頃のご主人は、すでに引退して、店を息子さんに譲っている。当たり前だったはずの風景が、音も立てずに、ひとつ、またひとつと消えていく。

「懐かしいでよね、ここの蕎麦屋」
「そうだね。先生は天ぷらそばが好きだった。それと、ここの先代のご主人に、天女さまって言われたんだ。初めて天女のタイトルを取ったとき」
「桜花戦、期待しています。桜花さまになってください」
「信じられないな、こんな早く、タイトル戦に出られるなんて。私だけの力じゃとても無理だった。糸井君の力が大きいよ。ありがとう」
「まあ、それはどうでもいいですけど」
糸井君の態度が急に改まった。
「あの、さおりさん。僕じゃだめですか?」
「えっ、どういうこと?」
「僕じゃ頼りないですか?」
糸井君は少し俯いた。
「いや、そんなことはないけど」
「男として、さおりさんは僕をどう思いますか?僕はさおりさんを女性として好きです」
「えっ。それはありがたいけど、いまは糸井君に限らず、誰とも付き合うつもりはないの」
突然の糸井君の告白に驚きはしたが、本音を伝えた。
「どうしてですか?」
「どうしても」
「そうですか」
糸井君は再び俯いた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駒花(49)

2017-06-03 08:25:01 | 小説
桜花のタイトル挑戦が決まり、3人の研究会もこの日で、いったん中断という事になった。といっても、約束の森村宅には私と糸井君の2人だけ。田口さんは菜緒に気を使ったのかは知らないが、急に参加できなくなったと連絡があった。

懐かしいリビングで、私は糸井君と将棋盤を挟んで向き合う。
「3番勝負やりませんか?」
糸井君が提案した。
「うん、いいよ。2勝先取で」
「はい」
私が先手で勝負を始めた。糸井君とは、それほど多くは指していないと思う。それでも、彼が初段ぐらいまでは私が勝てていたのだが、それ以降、めっきり勝てなくなった記憶がある。私が先手番の利を生かし、持ち前の攻め将棋で押し込もうとするが、糸井君の手厚い受けを破れない。

奥さんがお茶と和菓子を持ってきてくれた。
「この緑茶、さおりちゃんのご実家から」
「まだ送ってきてたんですか」
「うん、主人が亡くなってからも、変わらずね」
糸井君が湯飲みを手に取り、お茶を口に運び、一気に飲み干した。次第に、私の攻めは細くなり、燃料が切れた。その機を逃さず、糸井君がすばやく反撃に展じ、私はなすすべなく敗れた。

そして2局目。同じく私が先手。またしても、私が攻め、糸井君が受ける展開。今度は、攻めにひと工夫加えたこともあってか、多少、糸井陣を崩すことが出来た。攻め切れれば私の勝ち、受け切れば糸井君の勝ちという展開がしばらく続いた。その後、私の執拗な攻めに痺れを切らしたか、糸井君がミスをした。細い攻めをつないで、私は糸井玉をつめる事が出来た。
「手、抜いてないよね」
私は充実感に包まれながら確認した。
「確かに、ミスはしましたが、あれは焦りからです。正直、負けるとは思わなかった」
「あんまり女流を舐めない方がいいよ」
「それはわかってますけど」
糸井君の表情や言葉には悔しさが滲み出ていた。そしてぽつりと言った。
「さおりさん、今の状態なら、矢沢さんに勝てますよ」


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする