ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

貴乃花、落選

2018-02-02 18:48:41 | スポーツ
僕は若いころ、「はやく老人になりたい」と思っていました。何とか大学には入れたものの、のちにパニック障害と分かるのですが、原因不明の病気と友人たちとの板挟みの状態でした。彼らにはエネルギーがあり、必死についていこうとしたのですが、無理でした。老人になれば、皆、エネルギーが落ち、家にいても、何も言われない生活になるだろうと思ったのです。

こういう若者もめったにいないとは思いますが、自分と同世代では、1人だけ知っています。「早く老人になりたいんですよ」。おそらく、当時、貴花田のしこ名であったろう若者は確かにそう言ったのです。僕からは光輝いて見えた彼の意外な告白でした。

あれから、ずっと得体の知れない重い荷物を貴乃花親方は背負ってきたのだと思います。きっと理想は気高く美しいのだろうけれど、生き方があまりにも不器用。若貴兄弟の優勝決定戦。親方から、忖度しろという指示があったのでしょう。貴乃花はあっけなく転びました。敗北の演技すらしませんでした。これが、花田家の崩壊の発端だったような気がします。

時が流れ、日馬富士暴行事件で、被害者・貴ノ岩の師匠である貴乃花親方は、世間の常識とはかなり隔たりのある行動をとりました。勿論、彼なりの考えがあったのでしょう。そして、いつしか貴乃花対白鵬へと焦点が移っていきます。

白鵬も若いころは,双葉山を尊敬し、貴乃花のファンでもありました。しかし、次第に品格云々よりも、結果を求めるあまり、張り手,かち上げが彼の代名詞になってしまいました。その一方、それらを多用した事で優勝40回という前人未到の大記録を打ち立てました。

これに対し、貴乃花の優勝回数は22回。白鵬の半分強です。品格、内容にこだわるあまり、結果としては白鵬に大きく及びませんでした。当時、曙、武蔵丸と体の大きなハワイ勢を相手にも、張り手などは見せずに、体重を増やすことで、彼らの強烈な立ち合いを真正面から受け止めようとしました。そして膝に負担がかかり、故障がちになった彼は、大鵬の優勝記録には遠く及ばず引退しました。

貴乃花親方と白鵬の相撲観の違い。八角理事長を筆頭とする相撲協会との考え方の隔たり。貴乃花はあえて理事選に立候補し、負けを選びました。彼のあまりにも高い理想が、実現する日が来るのか。僕は悲観的な見方をしていますが、彼にしかできない役割は存在するのではないでしょうか。
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