シェリー 俺は転がり続けてこんなとこにたどり着いた
シェリー 俺は焦りすぎたのか
むやみに何もかも捨てちまったけれど
シェリー あの頃は夢だった
夢のために生きてきた俺だけど
シェリー おまえの言う通り 金か夢かわからない暮らしさ
転がり続ける俺の生きざまを
時には無様な格好で支えてる
シェリー 優しく俺を叱ってくれ
そして強く抱きしめておくれ
おまえの愛がすべてを包むから
シェリー いつになれば俺は這い上がれるだろう
シェリー どこに行けば俺はたどり着けるだろう
シェリー 俺は歌う愛すべきものすべてに
作詞・作曲は尾崎豊。1985年にリリースされたアルバム「回帰線」に収録。
尾崎豊の兄が埼玉弁護士会の会長になったそうです。弟が早熟の天才ならば、兄は大器晩成といったところですか。動画で兄の康さんが弟を語っているのですが、康さんは立派な紳士ですね。
康さんが始めてみたものの、すぐに飽きてしまったギターを豊さんは熱心に弾いていたそうです。ドラッグを止めさせるために殴り合いの喧嘩もしたと語っています。
そのお兄さんが最も弟らしい曲として「シェリー」を挙げていました。懐かしそうに話しているのが印象的です。
お兄さんが「豊の曲は不良の歌ではない。むしろ真面目な子の歌」と語っていましたが、その真面目さが当時は嫌で僕は尾崎を遠ざけていました。「別にそんなことどうだっていいじゃねえか」という風に。
10代の教祖とも言われましたが、決して主流ではなかった。僕が尾崎を聴くようになったのは彼の死後です。シェリーもよく聴きました。巨人・ヤンキースなどで活躍した松井秀喜さんも若い頃「シェリー」が好きでした。
歌詞は尾崎さんがシェリーにすがっているんですよね。作詞家は大まかにフィクションを歌詞にするタイプと事実を歌詞にするタイプに分かれますが、尾崎さんは後者の代表格だと思います。「転がり続ける俺の生きざま」は尾崎さんそのものに映ります。
「シェリー いつになれば俺は這い上がれるだろう。シェリー どこに行けば俺はたどり着けるだろう」
この言葉を当時は自分と重ね合わせて聴いていました。