ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

駒花(52)

2017-06-04 19:20:52 | 小説
2勝2敗で迎えた桜花戦最終局。勝った時のことは、考えていない。しかし、もし負ければ覚悟を決めていた。将棋はこれまでにして、最愛の人に会いに行く。先生に会いに行く。

将棋館の外は、よく晴れていた。振り駒の結果、私が先手となった。やはり最後は、自分らしく攻め将棋でいきたい。まだ菜緒は、このシリーズ、本調子ではないようだった。私が菜緒の本当の力を引き出す。そして勝ってみせる。

私の駒が激しく前進する。菜緒は私の攻めに対する備えを、淡々と固めていく。駒がぶつかり合った。この将棋、もう引くつもりはない。引いたら負けだと思った。そして、この将棋に限れば、負けたら終りなのだ。私の攻めを菜緒は堂々と受ける。なかなか活路を見出せない。この81マスの宇宙の中に、どこか光が差しているはずだ。私が愛した、宝石箱のような盤上の宇宙の中に。菜緒には、すでに光が見えているのだろうか?

ついに光の指す場所を見つけた。菜緒の堅陣のわずかなほころびを私は突いた。菜緒の懐で私が蒔いた歩の種は、やがて金に成り、菜緒の陣形をかき乱した。そしておそらくその心さえも。
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駒花(51)

2017-06-04 09:21:23 | 小説
時々、私は将棋館内の保育施設に足を運ぶ。少し離れた場所から、小さい子供たちを見るのが好きだ。

「さおりちゃん」
麻衣さんが近づいてきた。相変わらず美しい。将棋館の中に保育施設が作られたのは麻衣さんの尽力が大きかった。
「こんにちは。あの右端に居る女の子、菜緒の子ですよね」
菜緒はすでに結婚し、2歳の女の子の母親だ。
「何だか、菜緒ちゃんをそのまま、小さくしたみたいだね」
「そうですね」
私は目を細めた。
「さおりちゃんって、案外、子供好きだよね。結婚して、お母さんになればいいのに」
「私と結婚してくれる相手がいませんよ」
「そんなに美人なのに」
「麻衣さんの足元にも及びませんけど。でも私は結婚には向かないと思うんです」
「そうかな?」
「気が強すぎるんですよ。私といても、男の人がくつろげないし、幸せにもなれないですよね」
「そんな風に、自分で決め付けないの。そういうところ、さおりちゃん、直したほうがいいよ」
麻衣さんは少し怒っているようだった。麻衣さんのそうした顔は見たくない。だから嘘をつくしかない。
「そうですね。癒し系になれるよう、頑張ります」
「癒し系って、さおりちゃん」
麻衣さんは表情を崩した。私は彼女の笑った顔が好きだ。昔から大好きだった。


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駒花(50)

2017-06-03 21:32:57 | 小説
先生宅を後にして、私と糸井君は、かつて、先生によく連れて行ってもらった、近所の蕎麦屋に入った。私たちが出入りしていた頃のご主人は、すでに引退して、店を息子さんに譲っている。当たり前だったはずの風景が、音も立てずに、ひとつ、またひとつと消えていく。

「懐かしいでよね、ここの蕎麦屋」
「そうだね。先生は天ぷらそばが好きだった。それと、ここの先代のご主人に、天女さまって言われたんだ。初めて天女のタイトルを取ったとき」
「桜花戦、期待しています。桜花さまになってください」
「信じられないな、こんな早く、タイトル戦に出られるなんて。私だけの力じゃとても無理だった。糸井君の力が大きいよ。ありがとう」
「まあ、それはどうでもいいですけど」
糸井君の態度が急に改まった。
「あの、さおりさん。僕じゃだめですか?」
「えっ、どういうこと?」
「僕じゃ頼りないですか?」
糸井君は少し俯いた。
「いや、そんなことはないけど」
「男として、さおりさんは僕をどう思いますか?僕はさおりさんを女性として好きです」
「えっ。それはありがたいけど、いまは糸井君に限らず、誰とも付き合うつもりはないの」
突然の糸井君の告白に驚きはしたが、本音を伝えた。
「どうしてですか?」
「どうしても」
「そうですか」
糸井君は再び俯いた。
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駒花(49)

2017-06-03 08:25:01 | 小説
桜花のタイトル挑戦が決まり、3人の研究会もこの日で、いったん中断という事になった。といっても、約束の森村宅には私と糸井君の2人だけ。田口さんは菜緒に気を使ったのかは知らないが、急に参加できなくなったと連絡があった。

懐かしいリビングで、私は糸井君と将棋盤を挟んで向き合う。
「3番勝負やりませんか?」
糸井君が提案した。
「うん、いいよ。2勝先取で」
「はい」
私が先手で勝負を始めた。糸井君とは、それほど多くは指していないと思う。それでも、彼が初段ぐらいまでは私が勝てていたのだが、それ以降、めっきり勝てなくなった記憶がある。私が先手番の利を生かし、持ち前の攻め将棋で押し込もうとするが、糸井君の手厚い受けを破れない。

奥さんがお茶と和菓子を持ってきてくれた。
「この緑茶、さおりちゃんのご実家から」
「まだ送ってきてたんですか」
「うん、主人が亡くなってからも、変わらずね」
糸井君が湯飲みを手に取り、お茶を口に運び、一気に飲み干した。次第に、私の攻めは細くなり、燃料が切れた。その機を逃さず、糸井君がすばやく反撃に展じ、私はなすすべなく敗れた。

そして2局目。同じく私が先手。またしても、私が攻め、糸井君が受ける展開。今度は、攻めにひと工夫加えたこともあってか、多少、糸井陣を崩すことが出来た。攻め切れれば私の勝ち、受け切れば糸井君の勝ちという展開がしばらく続いた。その後、私の執拗な攻めに痺れを切らしたか、糸井君がミスをした。細い攻めをつないで、私は糸井玉をつめる事が出来た。
「手、抜いてないよね」
私は充実感に包まれながら確認した。
「確かに、ミスはしましたが、あれは焦りからです。正直、負けるとは思わなかった」
「あんまり女流を舐めない方がいいよ」
「それはわかってますけど」
糸井君の表情や言葉には悔しさが滲み出ていた。そしてぽつりと言った。
「さおりさん、今の状態なら、矢沢さんに勝てますよ」


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駒花(48)

2017-06-02 21:28:58 | 小説
研究会の回数を重ねるにつれ、私は自分の将棋を取り戻しつつあった。
「さおりさん本来の将棋に戻りましたね」
田口さんを圧倒する将棋を見て糸井君が言った。
「いいところなく負けるって、悔しいですね。でも、さおりさんの本当の力が知れてよかったです」
「みずきちゃんは菜緒派だもんね」
私は嬉しさの照れ隠しで、皮肉を言った。
「いえいえ、私はさおりさんに憧れて女流棋士になったんですから」
「そうだったっけ?」
「ええ。小さい頃、二人が対局している時は、常にさおりさんを応援していました。判官贔屓というか」
「判官贔屓?確かに菜緒ちゃんの方が強かったからね」
田口さんは「しまった」という顔をしていた。若い子をからかうのも面白い。
「でも、強い矢沢さんに堂々とした攻め将棋で、勝った時のさおりさんの格好良さは説明がつきません」
「さおりさんの影響で、田口さんって攻め一本の将棋なんだ?」
糸井君が割り込んできた。
「そうですよ。いま、私と同世代の子たちは、菜緒派とさおり派に二分されているんです。どっちのファンだったかで。お二人とも、将棋の強さやスタイルの違いありますけど、外見も含めて。矢沢さんは可愛いらしくて、さおりさんは美人で格好良かった。私は断然、さおり派でした」
「みずきちゃん、そんなに気を使わなくていいよ」
そう言いながら、私の気分はまんざらでもなかった。それと同時に、彼女から見た今の自分はどうだろうと思うと、罪を犯しているような後ろめたさがあった。


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駒花(47)

2017-06-02 09:01:34 | 小説
私は、仲のいい後輩の棋士である、田口みずき女流一級を誘い、糸井君に指導してもらった。田口さんは私より10歳近く年下で、最初に集まった時はまだ高校生だった。場所は将棋館、あるいは森村先生の自宅を訪ねていくことも多かった。その時は奥さんが面倒を見てくれた。

私と田口さんの対局を糸井君が見守る形で行われた。たいてい、2局指して1勝1敗といった所だった。勝負を終えると、盤面を戻し、糸井君が二人の悪手や甘手を指摘する。
「そうですね。さおりさんは、やはり全体的に集中力が、以前より落ちていると思います」
「そうかな?」
「はい。こういった研究会だからという訳ではなく、公式戦でもそう感じます」
「そうか・・・」
「糸井先生、私は」
田口さんが、糸井君の褒め言葉を待っている。
「うん。全体的には良く指せているけど、ちょっと攻めっ気が強すぎるかな。もう少し、守りにも重点を置いたほうがいい」
「はい。守りですね。でも守り、苦手なんですよね。性に合わないというか」
奥さんが紅茶を運んできた。
「糸井君、田口さんには、優しく教えてあげるんだよ」
「は、はい」
糸井君も奥さんには頭が上がらない様子だ。何せ、小学生時代からの姿を見られているのだ。

田口さんは、森村門下ではない。思えば、多彩な顔ぶれが、森村家には集まった。菜緒も私の誘いで何度か来た。奥さんは先生の死後も、こうして私たちが森村宅へ訪ねてくるのが嬉しそうに見えた。
「さおりちゃん」
「はい」
奥さんは私の肩をたたいて、優しい眼差しを向けた。何も言わずとも私たちは森村先生を通してつながっていた。
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駒花(46)

2017-06-01 21:34:20 | 小説
将棋に生きると決めたはず自分が、森村先生の死によって、唯一の生存の拠りどころが色褪せてしまった。死んでも生き続ける人もいれば、死んだように生きている人もいる。まさに私が後者だった。

ひとつの転機は、森村先生の3回忌の時だったかもしれない。もう一度先生に会いたいと思った。死後の世界などには、ほとんど興味を持ったことがない。信じてもいない。どうすればと考えるうち、もう一度だけ、将棋に真っ向から取り組むことではないか、という結論に至った。考え抜いた結論というより、感情的に湧き上がってきたという方が正しいのかもしれない。以後、私はこれまでの棋士生活でもないほどに、将棋に打ち込んだ。具体的な目標は現在、女流タイトル3つを独占している菜緒からそれを奪うことだった。もし駄目なら、もう終りにしよう。私は覚悟を決めた。

もうひとつは、糸井仁六段の存在だ。同じ森村門下の3つ年下の男性棋士。彼を小学生時代から知っていて、小さい頃は「ひとし」とか「仁ちゃん」と呼んでいた。そんな彼が、いつの間にか大人になっていた。告別式の時も、先生と私の、師弟と父娘が混ざり合ったような関係をよく知っていて、肩を落とす私のそばをついて離れなかった。そして3回忌の時には「先生のためにもお互い頑張りましょう。どこかで見てくれていると思います」と励ましてくれた。そして、私がスランプから抜け出す手伝いをしたいとも言い出したのだ。
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駒花(45)

2017-06-01 08:21:37 | 小説
先生が亡くなり、目標を失った私は、勝ったり負けたりの、凡庸な棋士に成り下がった。何のために指しているのか分からない。勝った嬉しさも、負けた悔しさも、以前とは比べ物にならないほど薄くなってしまった。女流3冠を達成した菜緒の背中など、全く見えなかった。菜緒はどんな世界を見ているのだろう?そもそも何故、私は将棋を指しているのだろう。これだけ情熱を失いながら。父親ばかりではない。見知らぬ人々からも「結婚でもして、辞めちゃえばばいいのに」という声なき声が耳に入る。「そうだよね」と心の中で呟いてみる。だが、それは無理なのだ。

20歳を過ぎた頃、男性と同棲した。1年ほど交際したあと、結婚を前提に生活を始めたのだ。しかし、うまくいかなかった。相手は一流企業のサラリーマン。私は勝った負けたで、日々、機嫌が大きく変わるらしい。勿論、自分では分かっていることだが、それを内側に抑え切れていないようなのだ。

それに加えて、掃除、洗濯、食事を完璧にこなそうという意識が強かった。相手に喜んで欲しいと思ってしているのだが、彼には重荷だったようだ。恋人が帰ってきそうな時間を逆算して、料理をテーブルに並べる。彼から「今日は遅くなる」とメール。私の気持ちはささくれ立つ。ましてや、将棋で負けたことと重なった時などは、相手にとっては、顔も見たくない存在にまで、避けられてしまうのだ。

彼が疲れた顔で「別れよう」と切り出し、私も「そうだね」という短い言葉しか出てこなかった。結婚は無理と悟らせた経験だった。私には、もう将棋しか残されていなかった。
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