白雲去来

蜷川正大の日々是口実

私の長い一日が終わった。

2016-09-08 15:55:05 | 日記
九月七日(水)晴れ。

昨日の続き。次に行ったのは、「血液をさらさらにする薬を飲んでいるようなので、どれくらいの時間で血が止まるのか確かめます」。看護婦さんに耳の後ろをプチッと刺されて、しばらく待っているのだが、痛くも、かゆくもないのだが、座っていると、オデキ?の部分が椅子に当たって痛くて仕方がない。やっと終わって、いよいよ肝心な部分の治療へ。

今度は男の先生でホッとする。看護婦に言われて診察台に横になり、ずるっとジャージを膝までおろされて、お尻を医者の前に出す。今日は、人様にお尻を晒すのは何と三回目である。「麻酔を打ってから、患部を切って、膿を出します。ちょっと痛いですが、我慢して下さい」。「先生。痛くしないで下さい」とは、口が裂けても言えない。何せ、日本男児である。患部を消毒した後に、麻酔の注射を三ヵ所に。うううううっあー!ぐぅぅぅぅうー。んぐぅー・・・。痛いのなんのって、歯を食いしばって耐えた。本当に麻酔なの。次は、手で押して膿を出しているのだろう、麻酔なんか全く効いていない感じである。再び、うううううっあー!ぐぅぅぅぅうー。んぐぅー・・・。「終わりました」。犬のように舌を出してハアハアと息をするのが精いっぱい。

処置が終わって、ベッドで休ましてくれるのかと思ったら、「診察室の前にある椅子に三十分ほど座っていて下さい。その方が早く傷口が塞がりますので」。そうか麻酔は、これのためもあったのか。麻酔が効いているようで、痛みは感じない。三十分ほどして、もう一度患部を診て貰い終了。私の一番長い日が終った。

支払いに行く途中の廊下に、立派な扁額が飾ってあった。何気なく見ると、その扁額は、病院の院長に贈ったもので、何と書いたのは、その昔にお世話になった、台湾の国民党の特務で、横浜華僑総会の陳福玻先生の書であった。お元気でいるのだろうか、懐かしさがこみあげてきて、しばらくその書の前に佇んでいた。

お陰様で、お尻の痛みはなくなったが、患部にガーゼをあてがっているので、煩わしいことこの上もない、夜は、「そごう」に寄って、カツオを買った。神様、病み上がりです。上等なものを与えて下さい。と、願ったら。ビンゴ。神は私を見捨てなかった。自分へのご褒美にと、「伊佐美」を開けた。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恐る恐る肛門科へ。

2016-09-08 15:03:33 | 日記
九月六日(火)晴れ。

尾籠(尾籠・びろう=汚い)な話で恐縮だが、三日ぐらい前に、お尻の、それも肛門のすぐ近くに、吹き出物が出来た。それが大きくなって痛くて仕方がない。椅子に座るのも、その部分が当たらないように、ソローリ、ソローリとやるのだが、ちょっと座り方が悪いと、ズキンとくる。あんまり痛いので、意を決して病院に行くことにした。しかし、どの病院が良いのか、迷ってしまった。皮膚科、外科、それとも肛門科・・・。痔ではないので肛門科は止めようと思ったのだが、それでも皮膚科や外科で、真昼間からジジイのケツを見せるのも気が引けるので、岐阜の先生にアドバイスを貰って、結局肛門科へ行った。

横浜でも有名な肛門科とは聞いていたが、何とお客、いや患者の多いこと。診察を待つ老若男女が五十人以上もいる。その中に、ハッとするような美人がいた。彼女も痔の治療に来ているのだろうか。その妙齢の美人が、痔が痛くて、顔をしかめるのも中々色っぽいだろうな。などと良からぬことを考えていたら、ふと頭に浮かんだのが、「西施の顰(ひそみ)みに倣(なら)う」の故事。中国の三大美女と言われた西施が、胸を病み、胸をかかえて顔をしかめるのを見た醜女が、自分もそのしぐさを真似れば美しく見えると思って顔をしかめたところ、人が気味悪がったというもの。すなわちむやみに人の真似をして物笑いとなることなのだが、そんな故事が分かるような気がした。

順番が来て、症状を話すと。「中まで炎症しているかどうか調べます」。やはり美人の医者が、にこりともせず、横になってお尻をあらわにした私の肛門に、いきなりズブっと指を入れてかき回す。痛いのなんのって、思わず、ギャーっと声を出しそうになった。きっと少しSっ気があるんだと思う。薄笑いを浮かべて(すみません。そう言う感じがしました)「とりあえず何ともありませんが、少し切れ痔のようですので薬を出します」。触っただけで分かるのかいな。終わってもヒリヒリする。次の検査に行くのだが、痛くて椅子に座っていられない。

次は、お尻のエコー検査。診察台には、恐らくお尻に入れるであろう「魚ニソ」ぐらいの太さの検査機が置いてあった。また女医さんだ。日本男児が、うら若き大和撫子の前に、ケツを出して、その機械を入れられるのかと思うだけで、恥ずかしさと絶望感で失神しそうになった。やっぱり外科か皮膚科に行けば良かったと思ったが、後の祭り。何の前触れもなく、敵はいきなり侵入してきた。心の準備も出来ていないのに、いきなり、ズブッとである。先ほどの検査で味わった痛さの三倍くらいの刺激がお尻に与えられ、叫びそうになった。おまけに、その機械が吹き出物を圧迫するらしく痛さが倍増する。ふー、はぁー、ひー、うー。を五回ぐらい繰り返して検査は終わった。結果は、「何ともありません」。痔の治療に来てんじゃないんだから、何ともある訳がない。

この続きは明日。医者から酒を止められたので、「糖質ゼロ」の缶ビール一本飲んで、うつぶせで寝た。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

荒れもせで二百二十日のお百姓

2016-09-08 12:31:25 | 日記
九月五日(月)晴れ。

最近は余り耳にしなくなったが、「二百十日」という言葉がある。漱石の小説ではない。季語で、歳時記には、「立春から数えて二百十日目の日。太陽暦の九月一日ごろにあたる。古来、台風襲来の時期で稲の開花期にあたり、農家の厄日として注意を促すため暦に記載される」とある。今年は、季語の通りに台風が日本列島を直撃するものが多く、各地で被害が広がっている。

子供の頃は、「台風一過」という言葉を聞くと、大暴れした雷様の親子が、風を入れた袋も空になり、雨を降らした雷太鼓も打ち尽くして、「一家」でどこかへ去って行く。と本当に思っていた。まだ気圧を計る言葉がミリバールと言われていた頃のことだ。安アパートで、トタン屋根に打ち付ける雨の音を聞きながら、母が、台風だから買い物に行けないからと、缶詰を開けてくれるのが楽しみだった。今では考えられないだろうが、私が子供の頃、昭和三十年代には、缶詰がご馳走だったのだ。

内海や二百十日の釣小舟 正岡子規
荒れもせで二百二十日のお百姓 高浜虚子

夜は、ポークソテー。私は、やや厚めの豚肉を、「肉叩き」で叩いてから、塩胡椒してソテーする。仕上げは醤油のみ。付け合せは、缶詰のマッシュルームのスライスを最後に一緒に炒めて添える。これが酒のつまみにもなって美味しい。そう言えば、その昔、レストランに「ポークソテー・ハワイアン風」と言うものがあった。何がハワイアン風なのかと言えば、ポークソテーの上に缶詰のパイナップルが載っているだけ。それでも得意になって食べていた。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする