白雲去来

蜷川正大の日々是口実

盟友の訃報に接する。

2016-09-26 10:28:39 | 日記
九月二十日(火)雨。

正午過ぎに、折本満さんの奥さんより電話が入り、午前中に折本さんが家族に見守られながら、眠るように息を引き取ったとのこと。六十四歳と言う若さであった。折本さんと初めてお会いしたのは、確かな年月は覚えていないが、昭和の四十九年頃だと記憶している。当時、核を保有している大国が、持たざる国に対して、これからの保有も開発も規制しようとする核拡散防止条約に、なぜか我が国もその条約をけ締結しようと言う策謀に反対しようと、民族派において、締結反対闘争が、展開されていた。

神社会館において、開催された共闘会議の席にて、長谷川光良さんから紹介されたのが折本さん。国士舘大学を出たばかりの、バリバリの活動家だった。その後の「一日共闘」にて、結成したばかりの国防青年隊の渡邊康司さんが参加し、仲良くなった。後に、国粋青年隊に所属していた岡崎一郎さんを交えて、桃園の誓いに倣って「寅の会」を結成し、戦線を共有することになった。長谷川光良、私、渡邊康司、折本満、岡崎一郎の五人が初期のメンバーである。

昭和五十二年の夏に、茨城の水街道において予定していた、「民族派大演説会」を、その年の三月に、野村先生が同志らと共に、「財界の営利至上主義を撃つ」として決起した、いわゆる「経団連事件」の支援集会に変更し、以後、新宿の花園神社や横浜で支援集会を開催した。皆、二十代の半ばを過ぎたばかりの、若手であった。渡邊康司さんは、平成八年に四十五歳と言う若さで亡くなり、その後に「寅の会」に参加した、内海政久さんは、平成十四年に五十三歳、そして折本満さんが、今日、六十四歳にて幽明境を異にした。

折本さんが、すい臓がんを患って入院手術。幾度か彼を見舞い、退院した時は、友人らと「激励会」を行い、何とか元気な体に戻ってほしいと願ったが、薬石の効なく、亡くなった。奥さんから、「余命二三ヶ月」ということを聞いた時は、ショックだった。その後の二か月間、奥さんが自宅で、彼を介護した。最後に、ご自宅に彼を見舞ったのは、先月の四日のこと。すっかり痩せてしまい、一回りも小さくなった彼を見て、思わず、落涙しそうになった。

外は、涙雨か。折ちゃん。長い間のお付き合いに感謝します。合掌。※写真は昭和五十三年、花園神社にて開催された「経団連事件」の支援集会にて連帯の挨拶をする渡邊康司氏

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完璧に「老人」じゃん。

2016-09-26 07:55:10 | 日記
九月十九日(月)敬老の日。雨のち曇り。

敬老の日は、国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条によれば、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨としている。2002年(平成14年)までは毎年9月15日を敬老の日としていたが、2001年(平成13年)の祝日法改正いわゆるハッピーマンデー制度の実施によって、2003年(平成15年)からは9月第3月曜日となった。(ウイキ)より。

「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」。じゃあ私を含めて、「敬愛」され「長寿を祝う」資格のない老人が多いかもしれない。

「デジタル大辞泉」の解説では、「老人」とは、「年をとった人。年寄り。老人福祉法では、老人の定義はないが、具体的な施策対象は六十五歳以上を原則としている」。あーあ完璧じゃん。

自分では、若いと思っていても、体調が悪くて病院に行けば、ほとんど「加齢」のせいにされるし、ちょっと「イボ」が出来たら、「老人性イボ症候群」だって。他の名前にしろよ、コノヤローめ。まったくデリカシーがない。

そんな訳で(どんな訳か分からんが)、朝から事務所で『燃えよ祖国』の編集。こういったことをしている時が一番楽しい。夜は、我が酔狂亭で、月下独酌。

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情報の海に溺れる?

2016-09-26 07:32:26 | 日記
九月十八日(日)雨のち曇り。

ぼやーっとしていると、世間では様々な出来事が起きて、正に目まぐるしい。まあ、地を這うように生きている私にとっては、経済の流れも、蓮舫の代表就任も、築地の移転問題も、女優のバカ息子の釈放も、歌舞伎役者の浮気も、そんなのカンケーネェーのだが、正直言って、日々タレ流されるその類のニュースには少々うんざりしている。

情報の海に溺れる。という言葉が頭に浮かぶ。失礼ながら、歌舞伎役者が芸者と遊んだことがばれたって、何で世間様にお詫びしなければいけないのか、良く分からん。たかが、と言っては失礼だが、玄人筋同士が遊んだって、これもある意味では伝統文化だ。謝るのは、女房だけで良いではないか。歌の文句ではないが、「俺は河原の枯れすすき。同じお前も枯れすすき」同士で、笑い飛ばしてやるぐらいの度量も、世間様には必要だと思うのだが。

夜は、久しぶりに、カメちゃんとアコチャンに誘われて藤棚の「一休」寿司へ。その後、黄金町の焼き鳥屋「じえもん」に転戦した後に帰宅。

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ウォークマンも変わったものだ。

2016-09-26 07:12:27 | 日記
九月十七日(土)晴れ。

盟友の折本満さんの葬儀や群青忌の準備に忙殺され、ブログの更新を怠ってしまった。こんなものでも楽しみに読んで頂いている方々に、平身低頭。

今日は下の子供の誕生日。午後にヨドバシカメラへ行き、誕生日プレゼントを買う。因みにプレゼントは「ウォークマン」。私たちの時代のウォークマンと言えば、まだカセットデッキを入れるものだった。(その昔、野村先生とフイリピンに行った際、帰国の時に良くして頂いたガイドの女性に、ソニーのウォークマンをプレゼントしたら、正に狂喜乱舞。人に物を上げて、あんなに喜んだ姿を見たのは後にも先にも、その時しかない)その後、CDになって・・・。それから後は、興味もなくなって、気にもしなくなったてから、随分と経つ。子供が買った、今のウォークマンを見て、正直言って「あーあこんな姿になっちゃって」。という感じだった。おそらく、もし頂いても使い方も分からん。そして意外に高いのには驚いた。

夜は、家族との食事会を日延べして、関内の寿司割烹の「舎利膳」というお店で、大行社の副会長である周本昌山さんと某週刊誌の編集長との食事会。料理も良し、人も良しで、つい長居をしてしまった。その後、一軒転戦した後に、周本さんに送って頂き帰宅。いい一日だった。

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