白雲去来

蜷川正大の日々是口実

地物のタコは絶品である。

2016-09-01 13:44:11 | 日記
八月三十一日(水)晴れ。

久しぶりに良い天気である。朝起きた時に天気が良いだけで、何か嬉しくなる。全く安上がりな体に出来ているものだ。山平さんが新しく出す野村先生の本の出版社、幻冬舎の担当者の方とランドマークのスタバにて待ち合わせ。以前渡した、データーの解析度が悪く使えないと言うことで、事務所からポジを持って来て渡す。野村先生のポジフィルムは二千枚以上ある。本当は、スキャンしてデーター化しなければならないのだが、気の遠くなる作業なので、誰か専門にやってくれる人を探さなければならない。費用も膨大なものになるので、頭が痛い。

帰宅後に季刊『大吼』の原稿を脱稿。『週刊新潮』に掲載したものに加筆して送った。夜は、札幌の雪田顕正さんが、私を「タコ壺オーナー」にしてくれた時に、送って貰った「タコ」を解凍し、塩でもんでぬめりを取ってから茹でた。もう三匹目なのだが、軟らかくてとても美味しい。刺身はもとより、タコとねぎのあえ物、から揚げなどにして食した。

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ヨコハマのサンマー麺。

2016-09-01 13:24:53 | 日記
八月三十日(火)雨後曇り。

夜半に台風が関東地方を直撃するとのニュース。わが陋屋は風と雨とがひどいと雨漏りがするので要注意。心配だったが、ヨコハマはそれほどでもなかった。

午後から事務所へ。途中、曙町と言う所にある二十四時間営業の「一番」という中華屋で「サンマー麺」を食す。サンマー麺は、漢字では、「生碼麺、生馬麺、三碼麺」などと書く。ヨコハマののご当地ラーメンであり、当地で広く浸透している。名称の読みから「サンマが入っている」と誤解される事が多いが、全く関係がない。サンマー麺の由来については昭和五年に、中華街の聘珍樓の当時の料理長が考案した麺料理で、それを裏付けるように昭和初期の聘珍樓の御品書には既に「生碼麺」の掲載がある。因みに聘珍樓は中華街で一番古いお店で、明治の創業時代から同じ場所で営業している。

夜は、月に一度の町内の仲良しさんたちとの飲み会。場所は、自宅近くのラーメン屋さんの「たつ屋」。二時間ほどで解散。※写真は明治後期の聘珍樓

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極楽島のアホウドリ。

2016-09-01 12:51:42 | 日記
八月二十九日(月)曇り後雨。

北朝鮮が、潜水艦からミサイルを発射した。専門的なことは分からないが、大変な事らしい。本土が核攻撃を受けてもどこにいるか分からない潜水艦から報復攻撃が出来る。「寅さん」に出てくる柴又帝釈天の御前様ではないが「困った、困った」。わが国にとっても、大変な脅威なのに、マスコミは、何とか言う五人組の歌手?の解散騒動で揺れている。まさに極楽島のアホウドリ。

国連で非難決議をしようが、日本が抗議しようが、太っちょパパは、馬耳東風、馬の耳に念仏。どうすれば良いのか。日本も核ミサイルを積んだ原潜を持って対処する以外にない。大したことではないように思うのだが。

以前、山平重樹さんが書いた『人間ドキュメント野村秋介』(二十一世紀書院)を元にして、新しく書き下ろしをしたものが幻冬舎から九月の後半に出版される。月末に、山平さんと幻冬舎の担当さんと表紙の写真などの打ち合わせがある。今から楽しみである。夜は、おとなしく酔狂亭で独酌。

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納涼会へ。

2016-09-01 12:39:21 | 日記
八月二十八日(日)曇り。

千葉は君津と言う所にあるビアガーデンにて周本昌山さんが主宰する「SEグループ」の納涼会があり出席。参加する後輩の車に同乗させて頂き、アクアラインを通るが「シン・ゴジラ」のシーンが浮かんできて、少し怖くなった。しかし恙なく通過。海は「ウサギ」が飛んでいた。道路標識を見れば風速十メートルと出ていた。ナルホド。

生憎の天気だったが、会場にいる人のほとんどが知り合いなので、退屈せず、昼飲み。二時半過ぎに挨拶をして帰路に就く。一時間もしないで横浜に着いたが、家に誰もいないので、事務所に行き、しばらく仕事。気がつけば、寝ていた。あっという間に一日が終わった。

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夏も終わりか・・・。

2016-09-01 11:54:58 | 日記
八月二十七日(土)曇り後雨。

子供の頃は、八月も後半になると、「あーあ夏が終わってしまう」と悲しくなったものだ。宿題もほとんど手を付けていないし、嫌な学校が始まるのと、寝坊が出来なくなるので、落ち込んだ。勉強が嫌いで、アホな子供だった私は、小学生の頃に、一度学校をサボったことがあった。当時、自転車屋に「貸自転車」と言うものがあって、一時間十円か二十円くらいで子供用の自転車を貸してくれた。

その自転車を借りて、一人で遊んでいたが、やはり一人では楽しくない。一緒に遊ぶ仲間がいてこそ、貸自転車も知らない場所への「探検」も楽しいのだと、この時初めて知った。以来、勉強は嫌いだったが、学校をサボることをしなくなった。小学校も、中学も高校も同じ場所にあるが、小学校は、私が通っていた当時の木造の校舎は建て替えられ、学校を出ると見えた根岸湾はすっかり埋め立てられて、背伸びをしても海は見えなくなった。

中学も、建て替えられて、校舎とグランドの位置が変わった。周辺の町並みにはあまり変化はないが、日清製菓の工場があった場所はマンションになった。その工場の欠けたビスケットを袋詰めした「特用ビスケット」が不味くて人気がなかった。学校の前を流れる運河の上流には、スカーフを染める工場があって、いつも川の水が赤や紺、緑に染まっていた。その汚い川も今では下水の処理が適切になり、嫌な匂いもしなくなった。

高校も、そのままだが、駅の名前が変わり、雨が降ると靴がドロドロになった砂利道もすっかり舗装され綺麗になっていた。海の匂いがして、裏にあった米軍の射撃場から聞こえた銃声など、今では、お伽噺のようだ。京浜急行に乗って、学校の前を通ると、その頃のことをフト思い出す。

随分前に、中学の同級生から、当時の学校の写真を頂いた。校庭でブラスバンドが練習をしているので、秋の運動会が近い頃かもしれない。私のカラオケの数少ないレパートリーに「高校三年生」がある。その歌を歌っていると、いつも頭に浮かぶのは、赤い夕陽が校舎を染める頃、グランドで汗を流しながら走っている自分の姿である。八月もあと四日か。宿題はないが、締め切りの原稿が二本。あーあ。

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