白雲去来

蜷川正大の日々是口実

盛り土、汚染に囲まれて、静かに眠る豊洲市場。

2016-09-29 16:34:08 | 日記
九月二十八日(水)曇り。

いやはや、何かと忙しく、サボっていたブログを一週間分一気に更新した。最も、誰に読ませると言うことよりも、基本は自分の備忘録だ。だから難しいことはなるべく書かないようにしている。と言っても、私の脳みそは猫の脳みそと同じくらいだから、難しいことを書きたくても、頭が回らない。

群青忌が近くなると、何かと忙しい。地方から来訪する社友らのホテルの手配や、お寺との打ち合わせ。さらには、山平さんの新刊本の贈呈の郵送と添える手紙書きなど。それでもこういう忙しさはストレスがたまらないからいい。一番面倒なのが人間関係だ。煩わしいこと、この上もない。

築地市場の豊洲への移転が足踏みをしている。豊洲が汚染されていると言うのならば、築地はどうなのか、築地も計ってみて豊洲と比べて貰いたいものだ。豊洲の施設は、盛り土をする所が、空間となっていることが明るみに出たが、何時、誰がその許可を出したのか、皆頬被りをしている。しかし、あそこまで完成したものを多少の瑕疵があったからといって、振り出しに戻すには行かないだろう。

私は、歳のせいか「盛り土」と聞くと、つい、ブルーコメッツの「ブルーシャトー」のメロディーが浮かんでくる。

「盛り土 汚染に囲まれて 静かに眠る 豊洲市場 魚が僕を待っている 暗くて淋しい 豊洲市場」。(知っている人は歌ってみて下さい。)とこんな具合です。若い人は、分かんないだろうなぁー。

伊勢佐木町に行く用事があったので、上の子供とインドカレーの店「モハン」でランチ。この店の「ナン」が好きだ。勝手に「アダラカーン」と呼んでいる店長にご挨拶。有隣堂に入ったら『激しき雪-最後の国士・野村秋介』が平積みになっていて嬉しくなった。その後事務所に行き、しばらく仕事をしてから帰宅。夜は、酔狂亭で独酌。

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女盛りを都政に賭けて。

2016-09-29 10:37:43 | 日記
九月二十七日(火)晴れ。

暦の上では、秋となりましたが、厳しい残暑の日が続いています・・・。まるで手紙の挨拶文のような暑い日。用事があって、東京に出かけたが、電車内で上着を着ているのは私だけだった。

電車の中で嫌な光景に出くわした。おばあさんが、電車のドア近くに立っている。誰が見ても体が弱そうなおばあさんに、席を譲るものが誰一人としていないのだ。皆、知らん顔をしてスマホをいじっている。本を読んでいる人も誰もいない。そのおばあさんの近くに座っている三十少し手前くらいの女性のスマホを何気なく見れば、ゲームをしていた。こんな女が、澄まして結婚して、子供を育てる。世も末だ。

お世話になっている方と一時間ほど歓談して帰宅。湿気が多いせいか、ジトっと嫌な汗に全身がぬれているようで気持ちが悪い。帰宅してすぐにシャワーを浴びた。

築地の移転問題、豊洲市場が揺れている。盛り土するはずが、なぜか階下に空間がある。誰が、何時、許可してそうなったのか、誰も知らないと言うのだから笑える。役人は、都知事なんか、屁とも思っていないだろうし、適当におだてていれば、その気になって木に登っている。それが小池知事の登場で、そうは行かなくなった。その都知事の小池百合子さん。「渡世」ではなかった「都政」に頑張っている。決して「娘盛り」ではないけれど、「女盛り」の緋牡丹百合子姐さんことを思うと、その昔に流行った藤純子の「緋牡丹博徒」という歌を思い出す。ちょっと歌詞を変えてみました。

女盛りを都政(渡世)に賭けて、 張った体に白百合燃える 女の女の女の意気地 都の空に恋も散る。ヨッ!百合姐さん。日本一。

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非生産的な一日。いつもか・・・。

2016-09-29 10:03:06 | 日記
九月二十六日(月)曇り。

六時に起きるのが辛かった。朝食を済ませてから、山平重樹さんの新刊本『激しき雪-最後の国士・野村秋介』を手紙を添えてお世話になっている方々へ発送。また昨日、お世話になった齋藤雄一さんにもお礼状を書く。

何か、疲れがたまっていて、午後に歯医者から帰って来てからは、早めに風呂に入って、早めの晩酌を済ませて、早めに寝た。たまには、こんな非生産的な(何時もそうなのだが)一日があってもいい。

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大日本殉皇会の碑

2016-09-29 09:36:24 | 日記
九月二十五日(日)晴れ。

十一時に、古いお付き合いの同志らに迎えに来て頂き、大磯へ。戦後の神奈川県の民族派運動のレジェンドと言えば、大日本殉皇会の創始者である小早川貞夫先生であろう。もちろん神奈川には、戦前からの重鎮とも言うべき先輩たちがいた。元産経新聞や日本工業新聞の社長を務めた方をご子息に持つ、天照義団の山下幸弘先生や、日本同盟の保坂浩秀先生、あるいは時局対策協議会の柿本信司先生などである。

しかし、行動右翼としての第一人者は、小早川先生だと思う。その弟さん二人も民族派として活躍した。残念ながら三人とも亡くなってしまったが、後を継いだ若い人たちが、その名跡を汚さぬように努力している。その大日本殉皇会の野戦本陣(本部)の跡地をきれいに整地して、記念碑を建立したのが、小早川先生の門下生である齋藤雄一さん。彼のお世話で、神奈川県維新協議会の同志の方々と、バーべキューに招待された。

私が、初めて大磯の小早川先生宅を訪れたのは、昭和四十七年の秋のこと。当時、小早川先生が月に一度開催していた「尊皇攘夷街頭宣伝」に初参加した時だ。私は二十一歳。もう四十五年も前のことだ。この当時は、神奈川県に右翼の街宣車は、殉皇会の街宣車一台しかなかった。土日の二日間、湘南地方を街宣活動したことが懐かしい。その当時からの同志である藤田誠一郎さんとも久しぶりにお会いした。

至れり尽くせりのバーベキューで、こちらが恐縮するほどである。記念碑を建立した斉藤さんの依頼で、碑の裏に彫る人や言葉のアドバイスをさせて頂く。完成が待ち遠しい。二時過ぎにご挨拶をして帰宅。

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折本さんの告別式。

2016-09-29 08:54:57 | 日記
九月二十四日(土)曇り後雨。

午前十時から行われる折本さんの告別式に出席するために、愚妻と共に東京行き。新宿から、京王線に乗ったが、アジア系の人たちの団体が、ドドっと乗ってきた。開いている席に一人ずつ座って、写真を撮ったり、離れている席同士で大声で会話したりと、正に傍若無人の振る舞い。これでは世界中で嫌われるのが良く分かる。せめて公共の場では静かにして貰いたいものだ。民度の低い国民のいる国では、良い政治家が出ないとは、良く言ったものだ。彼らの国の為政者を見ると、それが良く分かる。

愚妻と揃って、告別式に出席。その後出棺。火葬場へ。折本さんと最後のお別れである。秋晴れの日に、友は煙となって蒼天に昇って行ってしまった。折本さんの恩師である川井春三先生や、同じ寅の会の渡邊康司、内海政久の両氏などと語らっているのに違いあるまい。葬儀場に戻って、繰り上げ初七日。皆さんの前でご挨拶をさせて頂いた。

五時過ぎに帰宅。飲む気になれなかった。

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